九十一幕 定期公演/IF/KIF
週末の定期公演。
先週よりも多くの観客がステージ前のボックスをほぼ満員状態で埋めていた。
「あら、凄い人の数ね。また、先週に引き続き増えたんじゃないの?」
音楽機器を始めてとしたビデオやレコーダー機材が置かれた関係者席の場所から善男は三ヶ月前とは比べ物にならないくらい大勢のファン数に驚く。
「恐らく300人は超えているね。事前のチケットも三日前に完売しているし……中には高額な値段で転売されているものもあったそうだ」
「それ、見過ごすつもりじゃないでしょうね?」
「それはないよ。ただ、僕の予想以上にポーチカの名が広まっている……そして、彼女達を一目見ようと集まるファンもまた僕の想定を超えていたってだけさ。無論、転売をした人物はナイルに取締を任せてある」
最近になってファンがちらほら増えているのはジルも知る所であった。
初めはルーチェのゲーム配信を観たファン達が大勢詰めかけていた傾向にあったが、SCARLETライブにヒカリがゲスト出演する一週間前から彼女を目的として来るファンが異様に増えだした。
主な目的は、お盆休みの期間に香織が挙げたヒカリとのツーショット写真。
それによりヒカリと香織が実の姉妹なのではないか。
そんな噂がSCARLETファンの間で瞬く間に広まったことで、興味を持ったSCARLETの香織ファンがポーチカのライブへと足を運んだ。というのが二週間前の話。
そして、ゲスト出演後に行われた初のポーチカだけの単独定期公演の開催。
ライブ前までは百数十枚としか売れていなかったチケットが、ライブ後の僅か二日で完売されていたことはジルも予想だにしてしていなかった。
「やはり彼女の影響なの?」
「そうだと思う。ここに居る殆どのファンがSCARLETファンであるのは一目瞭然だからね」
今日、ライブを観に来た客にアンケートを取れば大半の人が『三津谷香織の従姉妹であるヒカリを気になって観に来た』と答えるのは目に見えていた。
「こればかりは麗華さんに感謝するよ。大勢のファンにポーチカを再度知る機会をくれてありがとうございますって」
「止めなさい。あんたのそれは麗華ちゃんが聞いたら皮肉って怒るわよ。絶対」
「勿論、冗談だよ。それに、この数を維持出来るかどうかはまた別問題だ」
単なる興味本位での来場で終わらせたくない。
ポーチカをより広く世に知らしめるためには一人でも多くの客にファンになってもらうのが最良である。一人よりも十人……百人と欲を出していくべきとジルは考えを変えた。
「彼が入ってもう三ヶ月経った。そして、この三ヶ月でポーチカに大きな風が吹き始めている。これに乗らない手はないよ」
「で、どうするつもり?」
善男の問いにジルは予め用意した案の一つである一枚のチラシを手渡す。
「この間、三ツ谷ヒカリ単体であるアイドルフェス参加の打診が運営から来ていてね」
「それって、お台場の?」
「そうKIF。これは関東アイドルフェスティバル開催のチラシだよ」
「単体ってどういうこと?」
「メインステージでのSCARLETライブに三ツ谷ヒカリをゲスト出演させて、フェスを盛り上げようという意図で声を掛けたみたいだよ。これを聞いた時は失礼な話だと一蹴するつもりでいたけど……聞いた話によればそう促したのはあの人らしいから責めれなかったよ」
「松前健勇氏。確かにKIFの主要な運営委員にも顔が利く彼なら納得がいくわ」
まだヒカリを諦めていない。
ジルや善男は松前健勇があくまでもヒカリ自身に改心させることが狙いだと彼の性格から判断する。
一方で、単純にこれはジルとポーチカへの挑発行為とも善男は捉えた。
「それで、受ける気なの?」
「いや、彼女単体で行かせる気はない。それに彼も嫌がるだろうからその件については断ったさ」
しかし、出ないつもりはない。
そんな顔しているのが一目でよく分かる。
「じゃあ、ポーチカ単体で出させる気なのね」
「当面の目標は、それでいこうと思う」
「でも、どうやって参加するつもり?ヒカリちゃんを呼んだのが松前健勇氏なら、いくら麗華ちゃんに頼んでもコネ枠を得られないのは分かっているのでしょ」
「それも込みで言っているよ。運営にあの人の息がかかっている以上、ポーチカ単体で声を掛けられるとは思っていないからね」
それでも参加するつもりでいる。
その堅い意志は一体何を根拠にしているのか、それはKIFの参加条件にある。
それは主に二つ。
一つは単純。KIFを主催する運営委員会から直々に参加依頼を受けること。
KIFはお台場にある九つのステージ毎に別れて野外・屋外ライブを開催する。
そのため、大勢のアイドルグループの参加が運営も必須条件となり、関東圏の活動を中心とした名の知れたアイドルグループや比較的ファン数が多く、集客を見込めることを重視して声を掛けている。
そして、もう一つがKIFへ参加するための選抜会に参加し、予選で勝ち抜くことにある。
「この選抜戦は再来週から一週間、公式サイトや動画配信サービス等で挙げられる予選参加グループのMVの視聴回数や最終日のファン投票が行われる。視聴回数は一人一回につき1ポイント、ファン投票は一票につき2ポイント。それらの総合的なポイントを精査して、上位5グループがフェスの参加を認められる。そして、1位を取ったグループはメインステージのライブを認める」
運営の意図が単純且つ明快な選抜方法。
「これはこれで利用させてもらうとするよ。ここにいる彼らを巻き込んで盛大にKIFの参戦へと乗り出す算段を既に考えているし」
活路は見出している。
ポーチカがKIFへの参加条件たる要因が全てこの場に揃ったことを再度確認したジルは堂々と自身が嫌いとする人物の前に彼女達を立たせることに一種の執念を抱いていた。
「こればかりは麗華さんに感謝しないと……あの人に一泡吹かせるための味方を大勢も用意してくれたことにね」
「全然感謝してる様には思えない悪い顔してるわよ」
これは下剋上。
名の知れないアイドルグループが次のステージにステップアップするための試練。
五人にとっても、ジルにとってもこれは負けられない戦い。
この会場で完璧な布陣を完成させることを目的としたジルは密かに自身の野心を燃え滾らせた。
♢
『ありがとうございました!』
ステージに立つ五人一同の挨拶に今日訪れてくれたや大勢の客から拍手喝采の嵐が飛び交う。
会場の規模は先週に立ったSCARLETライブのステージと比べればかなり縮小されて狭いものの、耳の奥を深く刺激する観客の手を叩く音や人の隙間から床が見えないくらい埋め尽くされた光景を目の当たりにすれば規模なんて関係ない。
ポーチカライブにおける過去最高の動員数を記録した本日の定期公演は大成功を迎えた。
それはステージ前にいる彼ら、彼女らの顔を見れば一目瞭然。
「ヒカリ~!」
一番最前列の眼下から聞き慣れた声が届く。
ポーチカのファンクラブ会員でもあり、常連客の渚が『LOVEヒカリ』と書かれたうちわや法被を有し、レスを求めて身振り手振りを交え、精一杯声を出してアピールする。
友達だから贔屓してレスを送る。それは一瞬どうかと悩んだが、他とは違う異様なまでの頑張り様を無視出来ず……渚が求める明里のレス像がわからないので、軽いウインクで黙らせる。
「はぅぅ~最高だよ。ヒカリ!」
火に油を注いだだけだった。
「あ、ズルいよ渚!公私混同は付けるべきだよ」
「先週、お姉ちゃんはヒカリからレス受けてるんだからいいじゃん!」
「あんたはいつも学校で一緒なんでしょ。私はこの時しか会えないんだから譲ってよ!」
「譲っても何もヒカリの意志で決めているんだから私は関係ないし~」
渚にレスを送った途端、隣に居る女性と喧嘩になってしまい余計に騒がしくなってしまった。
渚の隣に居るのは俺も向こうでもよく知った人物である大学生の塩幡凪さん。
……え、この二人姉妹なの!?
今し方、直ぐ近くで聞こえてきた会話のやり取りから察するに二人は姉妹であるようだ。
凪さんが渚の名前を叫んだ直後、渚が凪さんに「お姉ちゃん」と言った単語を放った時は内心で驚愕の事実を受け止めた。
そんな二人の会話に耳を傾けている傍らでリーダーの唯菜が次の定期公演が再来週の週末に行われることを告知する。
そして、最後にもう一つ。
『皆さんに大事なお知らせします』
唯菜の言葉に耳を傾けるべく、目の前で激しい口論を繰り広げていた姉妹もスッと口を閉じる。
『この度、私達ポーチカはKIFへの参加を目指して、選抜会に参加することを表明しました!』
その声に前列のポーチカファンは熱狂的な歓喜の雄叫びを漏らす。
二人も意気投合してガッツポーズで震えていた。
この報がファンにとって如何に嬉しいのかはさておき、彼らの期待を体現するには先ず、再来週に行われる選抜戦で上位に入賞しなければならない。
選抜戦に参加するにあたってこれといった条件はない。どのグループも参加希望の意志があれば自由に参加可能。
故に全国で活動するありとあらゆる地下アイドル達と残り5枠を巡って争う訳なのだが……それをかつて経験した香織曰く『熾烈』の一言に尽きるようであった。
そもそもこのイベント、当初はヒカリだけの出演依頼がきていたが、ジル社長が俺の意志を代弁して断りを伝えている。その時点でKIFへの参加は考えていないかと思いきや、ポーチカ単体での出演を目指すべくこの選抜戦に参加することを改めて運営側に伝えていた。
ちなみに、この参加表明の発表。ファンはおろか発表者の唯菜以外のメンバーも初めて知ったようだ。その代表的な例として、一番端の方の立ち位置のルーチェが物凄く嫌そうな顔をしていることからも伺える。
『みなさーん。是非とも一致団結してKIF参加を目指しましょう!』
『エイエイオー!』と声を出す唯菜に倣って応援を呼びかける。
先程よりも勇ましく猛々しい声が会場内に響かせ、圧巻とも言えるポーチカファンの強き団結力を身に染みて感じた。
この人達の殆どがSCARLETファンなのに……何でこんなにもやる気に満ちているんだ?
ポーチカファンでもない人達も一緒になって『お―!!』と叫んでいる様子が些か疑問に映る。
その最たる答えをSCARLETとポーチカファンである凪さんが同じ疑問を抱いた妹へと伝える。
「渚。これはチャンスだよ」
「チャンス?」
「この選抜会はね。1位を取ったグループは二日目のメインステージでのコラボレーション企画にも参加出来るの」
「へ~」
「まだ気付かないかな?これでもしも上手く入賞出来れば、ポーチカとSCARLETのコラボステージが観られるかもしれないんだよ!」
「え、なにそれ!お姉ちゃん達にとっても最高なんじゃ」
「そう!だから、これは私達にとっても負けられない戦いなんだよ」
なるほどそういう思惑が働いているのか。
確かにKIFは他のアイドルグループとの合同フェスティバルであることから出演者同士のコラボレーション企画が実施されている。
普段は見れないアイドル達によるその場限りのステージ。それがこそがKIFの醍醐味でもある。
「ヒカリちゃんだけじゃなくて、SCARLET×ポーチカの組み合わせは丼物二杯食べるみたいなものなのだ。妹よ」
「なるほど……文化祭じゃ観られない姉妹ステージもそこでなら観られるかもしれないってことか」
「これで事の重大さを理解したようね。それと……渚がこの間要らないって言ってたチケットなんだけど、文化祭に招待してくれたらあげてもいいかな~」
「仕方ないな~。二日間参加出来る招待券と演劇部の権限で撮影用の特別席を用意するので手を打ってあげてもいいよ」
「流石は私の妹……商談成立ね」
姉妹で握手を交わし合う仲睦まじい(?)塩幡姉妹の会話から状況を掴んだ。
これは双方のファンにとっても利になる話。
SCARLETファンという大きな味方を付けて臨む選抜戦。
ジル社長はこの構図を見越して今回の参戦を表明したに違いない。
向こうでもこっちでも周囲を上手く巻き込むのが上手な人だ。
それにしても……いつまで俺はこっちに居ないといけないんだか……
気付けばもう一週間。来週と再来週にかけて大事なイベントがそれぞれ控えている。
その準備や練習で気付けばドンドン時間が経っているなんてことも有り得る。
このままだと本当に明里として生きていかないといけなくなってしまいそうだ。
会場のハイテンションとは裏腹に若干憂鬱な気分で溜息を吐く。
「駄目だよヒカリ。みんなの期待を背負う要なんだからもっとスマイルでいなきゃ」
「そうだよ!みんなで盛り上がっていかないと!目指すは入賞もだけど、1位なんだから!」
ステージで立っているにも拘わらず気が抜けて、ルーチェに次いで陰険な気分を漂わせていたヒカリに春と唯菜が身を寄せ、片方ずつヒカリの腕を取って半ば万歳する形で無理矢理腕を挙げさせる。
ファンの間では二年生組と称される三人の絡みに応えようと猛々しい声があちこちから発せられる。
そんな騒然とした会場内はライブとは別の意味で色々とヒートアップしたまま終幕を迎えた。




