八十九幕 IF/更衣室での一幕⑥
さてと、これでこっちの世界での現状をだいたいではあるが掴めてきた。
第一に、ここは三津谷明里が主人公の世界であって三津谷陽一は彼女の従兄弟でしかなく、従姉妹が大好きな大学生でアイドルオタクという雑な位置付けでしかない。
第二に、俺と明里を取り巻く環境は大きく変化しているが、ヒカリ時の環境は比較するとそれ程変化していない。
変化があるとすれば、先程目にした彩香さんとジル社長の関係やヒカリの変身部屋がないことくらい。これからこっちの唯菜達と出会うのだが、聞いた話からすると大して変わらない様な気がする。まぁ、約一名を除いて。
第三に、元の世界に帰る方法。あるいはこの身体の主である三津谷明里とどう入れ替われるのか、全く不透明で且つ解決策が見出せないことである。
順当に考えれば、意識だけが向こうとこっちで入れ替わった。
そう考えるのが妥当である気がする。
死んでこっちの世界に魂が転生したとか、訳も分からずに転移したとかいう帰り道が示されない状況に追い込まれているとは思っていない。
仮に入れ替わったのだとして、向こうの世界で俺の身体を明里が操っているのだとすれば……別人だと気付いたジル社長辺りが元通りにしようと動いてくれる筈。
そうすれば、突然また意識が混濁して気付けば元の世界に戻っていました。なんてオチでどうにか事の顛末を無事に乗り切れる……筈だと信じたい。
それまではこっちで明里として……女として日常生活も過ごさないといけない。
俺からすればあの学園に通うこと事態が非日常生活で尚且つ、今週と来週の週末まで午前は授業で午後は文化祭の準備に時間を当てられるため、余計に日常とは程遠い時間を過ごすことになる。
おまけに文化祭の出し物が体育館で行う演劇ときた……そして、主人公の野獣が明里でヒロインの美女(村人の女の子)役が幸村小春(楢崎春)と決まった。
まさか、現実での初恋相手に劇中で初恋する役になるとは思いもしなかった。
付け加えるなら、幸村小春と楢崎春が同一人物であるとも思いもしなかった。
それは単に中学時代の俺が幸村小春という人物の顔をしっかり見て話さないばかりにあまり顔を覚えていなかったから今まで気付かなかった。というアホな話でもあるかもしれない。
だが、告ってフラれた相手だと分かった途端にとっくに塞がったと思っていた古傷が開きだし、一方的に気まずくなっているのもまた事実。
これからお互い主役同士の演劇を行うというのに、どうして顔を合わせればいいだろうか。
そこは下手に考えず、明里として振る舞う以上ないと定めている……のだが、気持ちの問題である以上、どうしようならない。
そう深い溜息を吐いた直後、エレベーターのドアが開かれた。
通路の奥にあるレッスンスタジオの手前の小角を曲がった先に普段は使わない更衣室がある。
制服からレッスン着に着替えるべく更衣室のドアを押して開くと……
「あれ、電気ついてる。誰かいる……」
部屋の電気が付いていたことに気付き、不注意なまでに中へと進む。そして、ロッカーのある突き当たりの角。死角に位置する先に先客が居た事に気付き停止した。
「あ、ヒカリちゃん。お疲れ様」
黒のストッキングに指を掛け、ほぼ真下まで脱ぎ掛けている先客の顔が声に反応して挙がった。
ワイシャツの裾と太股の隙間から白と水玉模様のショーツが覗かれる。それを主張するかのように小さくも程よい肉付き感溢れるお尻が突き出される形で大胆なまでにこちらへ向けられていた。
誰もいないと油断した矢先……同じクラスメイトの幸村小春……いや、楢崎春が先に着替えている最中であった。
流石に目のやり場が困るので、彼女の身体が向く先の奥にある大きな鏡に目を移し、鏡越しでお互いに顔を見合う。
「……なんかごめん。変なタイミングで入っちゃったかな?」
「気にしないで、それよりも急がないと」
下手に動揺せず、心の中で凪の状態を保ってこちらも着替えるとする。
あまり手慣れない動作でスカートを脱ぎ、ワイシャツのボタンを外してシンプルな意匠のショーツとブラを堂々と「これで対等だ」と言わんばかりに曝け出す。
本人に俺の贖罪の意図は全く伝わっておらず、近付いて腹部の辺りをぷにぷに触ってくる。
「あの……何で触っているの?」
「触って欲しいのかと。てか、触らせて下さい」
「急ぐんじゃ……」
「ふむふむ。この引き締まった感じ参考になります」
真剣な様相で上半身を隈なく触れて調べてくる。
彼女の指が柔肌を撫でるように触れられるせいか、妙にこそばゆい。
二人だけの密室でこんな光景を他人にでも見られたら誤解を生みかねない。
しかし、これは敢えてある疑問を解消する好機だと捉えた。
「あの楢崎さん。私達って小学校は同じだよね?」
その質問に肌を撫でる彼女の指が止まる。
「そうだね。何なら中学……は一年の夏休みまで同じで、高校でもまた一緒。なのに、明里ちゃんはいつまでも他人行儀だよね?」
「それは……ごめん」
「まぁ、仕方ないよ。中学までは私、みんなから嫌われてたし。それがきっかけで転校する羽目になったからね。まさか、高校で再会するとは思っていなかったけど」
随分と軽く言っているが……概ね俺の知っている幸村小春の話と一致している。
だが、俺の知っている楢崎春とは全くの別人。
彼女はこんなにも明るく笑ったりはせず、話しかけたり……ましてやボディータッチをしてはこない。いつも他人との接触を一歩引いて、常に様子を伺い続けている。
言葉選びも妙に慎重であまり会話に入ってこない。
だからか、三ヶ月近く経っても『楢崎さん』呼びが抜けないでいた。
まぁ、こっちの明里が何で「さん」付けなのかは本人のみぞ知る。
「私と明里ちゃんとの間には因縁関係なんてものはないんだし……私は明里ちゃんとも仲良くやっていきたいからせめて、名前で呼んで欲しいな~。勿論、使い分けてね」
「そうさせてもらうよ。お互いに主役同士だし」
こっちの幸村が好意的に接してくれるのであれば、素直に応じよう。
浅からぬ因縁があるにしても、目の前の彼女と俺は無関係に等しい。
勝手に『コイツは昔、俺を振った女だから仲良くしね~』なんて態度は取るつもりもない。
それにもう過去の話で、全て水に流した……とは言い切れないが今更、楢崎春が幸村小春と分かった所で文句の一つでも言ってやるといった恨みはない。
依然として同じメンバーという関係を築いていくのみ。
「よろしくね。明里」
「こちらこそよろしく、小春」
「じゃあ、仲良しの印にハグでもしとく?」
「それ、そっちがしたいだけなんじゃ……」
「じゃあ、握手」
笑顔で勝手に手を取り、「お肌スベスベ~」と感心した様子で触れてくる。
こういうボディータッチが激しい所はどっかの誰かさんとよく似ている。
てか、いつまで下着姿のままで居るんだ。
それにもう大分時間が押してしまっている。
そろそろ、着替えてスタジオに行かないと唯菜達に迷惑が……
「こんな所で何をしているのかな?」
不意に流し台のある付近から不機嫌な声が届く。
こちらもまた笑顔であるが、顔を引き攣らせて怒りに似たオーラを纏って立っていた。
不味い。珍しく怒っていらっしゃる。
普段から温厚で優しさに溢れた唯菜が気を荒立ててジリジリと睨みつけてくる。
「二人共、一向に来ないと思ったらこんな所で遊んでぇ……」
「唯菜。ごめんごめん、ヒカリと改めて友情を確かめ合ってたら遅くなって」
「そうなの?でも二人が仲良くしているのは意外……だね」
「ま、私達クラスメイトで今度の演劇で同じ主役同士だからこれを機に仲良くするのもアリかなって思って」
「え、演劇!?しかも、二人が主役の……」
「そうそう。『美女と野獣』(オリジナル版)」
「ズルいズルいズルい!てか、絶対に観に行く!」
「あれ、でも唯菜ちゃんも来週は文化祭だよね?」
「そうだったぁ~いけないんだぁ」
表情がコロコロ変わって見てて飽きないこの感じ……唯菜は変わっていなくて安心した。
「というか、二人共早く服着てレッスンしようか」
『はい』
ポーチカのリーダーによる冷静沈着なツッコミに俺と小春は即座にレッスン着に着替えた。




