八十八幕 IF⑤
初めての初恋。
初めての告白。
そして……初めての失恋。
中学一年生の頃。
人を好きになる気持ちがこうもあっさり……たった一言で壊れていくことを知った。
あれだけ昂っていた他人への想いが成就しないことを知った途端に急激に冷めていった。
所詮、その程度の感情に過ぎない。
こんな恋愛感情は思春期の少年が気になる異性へ抱く興味心でしかない。
別に本気じゃなかった。
付き合えればいい。
気の迷いで告白しただけ。
フラれたくらい痛くも痒くもない。
そう自分に言い聞かせて開き直ろうとしても無駄だった。
何だか無性に悔しくて悲しくて……どうしようもならない気持ちで胸の内を締め付けられた。
まるであの時の様な心の辛さに俺は再び自信を失った。
そして、彼女はその日を堺にいなくなった。
転校という形で俺の前から姿を消した。
♢
「失礼します」
重く感じるドアを開き、白いソファーに座ってパソコンに触れながら仕事をするジル社長の姿を確認する。
PC用のメガネを掛けたインテリ系な仕事出来る爽やかイケメンを演出した彼の顔が挙がった。
「お疲れ様だね、明里ちゃん。いや、ヒカリちゃんだったね」
わざとらしい間違い方だが、名前の呼び方はわざとではない。
たった一言放っただけだが、もう確信した。
この人は俺の知っているジル社長ではないと。
「二学期はどうだい?」
「特に変わりないです」
「そうなのかい?そろそろ文化祭が始まるのだし、変わりがないことはないんじゃないかな」
学校の行事日程を把握してポーチカの仕事を入れているジル社長には俺の白々しい噓も容易に見抜かれてしまう。
「ヒカリちゃんのクラスでは何をやるんだい?
「演劇です」
「へ~題目は?」
「『美女と野獣』(オリジナル版)です」
脚本家と監督が三崎柚野だという事実は伏せておく。
「それはなかなかに面白そうだね。けれど、女子生徒しかいない高校で野獣役は誰がやるんだい?」
「私です」
「ほうほう。美女役は?」
「幸村さん……いえ、春さんです」
「春ちゃんが……ポーチカのメンバー二人による主役演劇とは僕も観てみたいものだ」
「その、いいんですか。劇に出ても?」
出てはいけないという誓約があるわけではないと思うが、念の為に聞いておく。
「構わないよ。君たちの青春を僕は止めるつもりもないし、権利もない。あくまでも学業とアイドルの両立というのが君たちと交わした約束事だから遠慮なく楽しんでくるといい。あ、出来れば僕の分の招待状をお願いしたい」
止められる所か、観に来る気満々であった。
「それは無理なんじゃない?」
台所の方からトレーの上にお茶を用意したロングヘアーの秘書らしき格好をした女性が現れる。
テーブルまで運び、二人分のお茶を机の上に静かな動作で手早く置く。
その見慣れない横顔にジーっと視線を送り、脳内で人物検索をかけるも該当せず。
え、誰だこの人。
こっちの世界で会う初めましての方に当たる。
ジル社長が私的に雇っている秘書の方だろうか。
「ありがとう、彩香。君も座って休憩したらどうだい?」
「お言葉に甘えて、ちょっと休憩させてもらおうかな」
フランクな口調で会話する二人の関係よりも『彩香』という名に心当たりがあった。
確か、唯菜の歌の練習に付き合ってくれる人でポーチカの作詞作曲を担う松前彩香。
その人と同じ名前。
まだ会ったことはないから、こっちでも向こうでも初めましてであることは変わらない。
唯菜から聞いた話によるとその人はショートカットで男勝りな雰囲気があり、上品さとは程遠い性格。自分の曲が下手に歌われるもんなら乗り込んで、満足がいくまで指導させられる。
そして、ジル社長とはかなり険悪な関係であるそう……なのだが、そうは見えない。
二人の雰囲気を一言で表すと『仲の良いカップル』。
そう言えば、この人凄く端正な顔立ちでスタイルも良いイケメン。女性が好印象を持ちそうな柔らかで穏やかな雰囲気なのに日頃から女っ気があまりないのは少し不思議だった。
時折、幸香さんと話していたり、飲みに行っているのは知っているがそれも恋人同士の関係ではなく、あくまでもかつての事務所時代の先輩と後輩関係だと事情を知るルーチェから聞いている。
それに女が出来ない理由もルーチェは詳しく語っていた。
何でも『兄貴の裏の貌を知った女の人達は決まって敬遠していく』のだとか。
どんな貌を裏に潜ませているのかは分からない。
しかし、あの優しい顔の裏に怖い何かを秘めているのは少し気付いていた。
時折、彼が見せる表情に落ちた陰からは悲壮感に似た何かを己の内で抱えているのが薄っすらと映る。
その正体を探る気はないが……知ってはいけない気がして自ずと見て見ぬふりをしてしまう。
一方でこっちのジル社長は違って見えた。
言うなれば、こっちは妙に明るさを纏った印象。
裏表がなく言葉から他意がない。
話していても変に身構えたりしない温かさを帯びている。
その要因が直ぐに隣へと座った彩香という人物にあると気付く。
「蘭陵女子って男子禁制で、文化祭も家族以外の男性の出入りは認められていないよね?」
「恐らくは……」
「じゃあ、ジルは入れないね。ドンマイ」
「最悪、君に録画でもして撮ってきてもらうことにするよ。それか彼に……ね」
陽一(俺)かぁ~。
一応、従兄弟だし家族ではあるから入れないことはないと思うが……そもそも香織の奴が招待状を渡すかどうかが問題だろうな。
従姉妹が大好きな彼なら土下座でもなんでもして頼み込んで来そうだ。
「それはさておき、本題に入ろうか。今日は僕に話したいことがあるんだって?」
「そのつもりでいましたが……すいません、その件はもう自分の中で片がつきました」
確かめたかったのは元の世界への帰還方法とこの現状である。
しかし、それをジル社長に尋ねた所で望んだ返答がないのは会話の中で察した。
「そうなのかい?ならいいけど、困ったことがあったら教えて欲しい。僕で良ければ何でも相談に乗るよ」
「いえ、お時間を取らせてしまってすいません。……もうレッスンの時間なのでこれで失礼します」
「あぁ、待ってくれ。せっかくだし、一つこの場で言っておきたいことがあったんだ」
時計で時間を確認して退出しようとするも、少しだけ留まるよう伝えられた。
「ヒカリちゃん。来月にお台場でアイドルフェスティバルが開催されるのは知っているかい?」
「知りません」
即答。
明里は知っているかもしれないが、俺は知らん。
「これは毎年八月の上旬に行われるイベントでね、SCARLETも昨年と一昨年にそこで参加していてね。恐らく、彼は知っていると思ったんだけど……」
「あ~そう言えば、去年その時期に香織のライブを観に行きました……何のイベント名かは覚えていませんが」
思い出した風を装って知らないまま話を進める。
「今年は八月にかのスポーツの祭典が催されたから、十月に開催するらしくてね」
「ポーチカがそこに呼ばれたと?」
結論を先に聞いてみるもジル社長は首を振った。
「いや、呼ばれたのは一人。ヒカリちゃんだけなんだ」
「一人だけ……なんですか?」
「お声が掛かったのはね。先方は君とSCARLETライブを所望している」
「所望しているのはあくまでもお父さんだから無理に出なくてもいいからね」
「お父さん?」とは誰のことを指しているのか、彩香さんに尋ね返すと代わりに答えたのはジル社長であった。
「一昨日に善男から会ったと聞いているよ。ヒカリちゃんをスカウトした松前健勇さん。彼が彩香のお父さんなんだ」
え、ソウナンデスカ。
あの陰険な達磨ハゲ親父……こっちではどうか分からないが、一人だけ指名したってことは性格も大して変わらないのが目に浮かぶ。
「ヒカリを大層気に入ったみたいね。まさか、直接スカウトしに来るとは思いもしなかった」
「一人だけ呼んでいるあたり……再びSCARLETと同じステージに立たせて君を改心させようという意図が目に見えてくるよ」
「こればかりはお父さんが如何にジルを嫌っているかがよく分かる嫌がらせね」
「お義父さんなんて呼んだら面白そうだね」
「面白くないわよ。バカ」
軽口を叩く彼の腿を彩香さんが思い切り抓る。
そんなやり取りにバカップルを連想するも、直ぐにそのイベント参加の辞退を述べる。
「私はポーチカのメンバーですから、一人で参加するのは辞退させて頂きます。私が参加する時はポーチカの全員で……って決めました」
「ヒカリちゃん一人で参加しても唯菜ちゃん達は背中を押してくれると思うけど……君らしい答えを聞けてホッとする自分も居るのは否めない。君の優しさと思いやりの心を尊重して、断りの言葉を入れておくよ」
「お願いします」
これでいい。
この話を明里が聞いていたとしてもそう返していたに違いない。
唯菜達を出し抜く形で一人だけそのフェスに参加して、SCARLETのライブを盛り上げるゲストとしてステージに立つのは御免。
仮に自分がアイドルとして成長出来る場であってしても、振り払って断るに違いない。
彼女と俺の本質は恐らく同じなのだから。
「時間を取らせてすまってすまない。一応、意志の確認をしておきたくてね……まぁ、聞くまでもないって顔をしているけど」
鏡が近くにないからどういう顔をしているのかは分からない。
でも、何となくは想像がつく。
「さてと、僕も仕事をするとしますかね。一応、来月に向けて新曲を新たに2曲予定しているから……作詞作曲の方々と打ち合わせをしないといけない。彩香、僕の秘書を買ってくれるのは有り難いが、本業を疎かにしないでくれよ」
「う……分かっているけど、そんな簡単にポンポン思いつかないんだからちょっと時間を頂戴!」
「その言い訳を聞いたのはこれで三回目だ。まぁ、納期までに仕上げてくれれば秘書給に載せてあの部屋の家賃。今月はタダにしておいてあげるよ」
「男に二言はないわよ」
「勿論だ」
仲良さげなやり取りをしている傍らで鞄を持ってソファから立ち上がる。
少しレッスン時間をオーバーしているので、早めに行かなければならない。
だが、折角なので確認がてらこっちも一つ聞いておこうと思う。
「あの、私の左腕に身に付けていた腕輪……ご存知ないですか?」
「腕輪?ヒカリちゃん、そんな物を身に付けていたかい?」
「いえ、何でもありません。それでは失礼します」
やはりTSリングなる腕輪はこの世界に存在しない。
その事実を確認出来た以上、これで元の世界に戻る手段を知っていそうな人はいないことがはっきりとした。
内心で凄く落胆しつつも、平然を装って二人に「失礼します」と述べて退出する。




