八十五幕 マンションでの一幕
「ここがヒカリの部屋で……合っているのかな」
事務所近くにあるマンションの一室。
そのドアの前に立って再度記載された住所と同じであることを確認して鍵を開ける。ゆっくりとドアを引いて「お邪魔しまーす」と様子を伺いながら入る。
玄関で靴を脱ぎ、そのままカーテンで閉じられた薄暗いリビングまで進む。
所々に衣服や下着が散乱しており、洗濯物も半ばベランダに干しっぱなしな状態。
「こっちも掃除しないと」
彼の自宅部屋でもそうだが、色んなものを後回しにし過ぎだと注意してやりたくなるくらい床に物が散乱している。忙しいとか時間がないとかいう言い訳は抜きにして、この現状には些か目を背けたくなってしまう。
「こっちの私って結構だらしないのね」
会ったことはないこっちの世界の自分。
名前は何でも三津谷陽一というらしい。
明里はアルバムで何度か顔を拝見したが、あんまり似ていないというのが率直な感想であった。
それに陽一という名前が明里も知っている陽一と同名同性で且つ身体や顔のパーツ部分が反比例していることを照らし合わせると彼らがほぼ間違いなく同一人物。『え、あの陽一君が私で……香織のお兄ちゃん?』という事実に受け入れ難い困惑を抱いた。加えて、香織から兄の話を詳しく聞き、性格面は意外にも自分と似通っているのだと知ってより複雑な心境になった。
香織との関係性もつい最近までは険悪であったが、それも解消されたとのこと。
その話を聞いていて一番驚いたのが香織が陽一に対して嫌いとかいう感情が一切なく、むしろ好意的であることだった。それも嫌悪感を抱いていたのが香織ではなく兄の陽一であるという点。色んな要素が明里の知っている二人とあまりにも違い過ぎることが驚きの連続であったものの、楽しそうに話す香織の表情に何処か姉としての安心感があった。
何だかんだ兄妹仲良くやっている。
向こうに置き換えれば仲睦まじい姉妹関係と変わらない。
変わった事実を確かめるよりも変わらない事実を確かめる方が明里にとっては気が楽であった。
そんな風なことを思いながら後ろで髪を一つ結びにし、掃除モードに入ろうとした瞬間……
「ヒカリ……ご飯……」
「え、なに……って、誰!?」
ベッド近くの床の方からやつれ気味の覇気のない声が聞こえて慌てて振り返る。
そこには白い長い髪の少女がうつ伏せで倒れている光景に明里は大きくビックリした。
その人物に目を凝らし、特徴的な白髪……ではなく銀髪から誰か特定する。
「えっと……ルーチェ?」
名前を呼ぶと頭が微かに動く。
肯定と捉え、不審者ではないことに明里は安堵する。
「はぁ~脅かさないでよ。というか、ここルーチェの部屋なの?」
住んでいるマンションは向こうもこっちも同じ。
しかし、明里の記憶ではこの部屋ではなく隣の部屋であった。
ルーチェが答えるよりも早く、戸締りしてある筈のガラス戸が解放されたままで外の空気がそこから出入りしている光景から何となく察した。
「不法侵入」
「今更妙なこと言わないで、いつものことでしょ」
親しき中にも礼儀あり。
その言葉を返したくなるもルーチェに効果がないのは分かっている。
傍若無人であるのはこっちも同じなのだと理解した。
「あぁ、てかあんたは私の知っているヒカリじゃないんだっけ……(ぐぅ~)」
「お腹凄い鳴っているけど」
「カップ麺、昨日の昼から切らしてて……今の今まで何も口にしていない」
「だからこっちの部屋に食料を探して侵入したと?」
しかし、この部屋にも食べられる物が何もないことを知り、諦めて床で寝ていた。というのが経緯であった。
「何か作って……それか、買ってきて」
「えぇ~。もう仕方ないな。ちょっと近くのスーパー行ってくるから待ってて」
空腹で動けないルーチェをそのままにする訳にもいかない。
それに丁度お昼に差し掛かっている時間なのもあり、掃除よりも先にお昼を済ませることに切り替えた明里はレッスン用に使っているであろうトートバッグを借りて、部屋を後にした。
♢
「美味しい!あんた、料理出来たのね」
口の周りを赤いトマトソースの色に染めながらモグモグと自分のお皿に盛ったパスタをがっつく様に食べる。
昨日、香織がお昼にパスタをご馳走になったという話を思い出してスーパーで食材を購入し、余程お腹が空いているであろうルーチェの食べ具合を予想して三人分の量を用意した。
案の定、それは正解でルーチェは二人前くらい一人でペロッと食べてしまった。
「はぁ~最高だわ。ねぇ、暫く昼間は暇なんでしょ。お昼ご飯作ってよ。あとゲーム手伝って」
「いや、ルーチェみたいに昼間からゲームするほど暇な身分ではありたくないかな」
学校に行けないにしても学生としての身分である以上、昼間からだらけ切ってゲームをに勤しむのは明里の中であまり気が進まない。
「じゃあ、お昼ご飯作って!明日はご飯系食べたい」
大層料理を気に入ってくれたのか、満腹で元気になったルーチェは明里が作ってきてくれる体で話を進める。
その相変わらずな身勝手さに「やれやれ」と肩を竦める。
「それより、ルーチェは私のことを知っているんだっけ」
「知らない。兄貴から聞いた話だとあいつと中身が入れ替わった別人としか聞いてない」
「私はルーチェを知っているけど、ルーチェは私を知らない……様には見えないけど」
「そこまで違和感ないからじゃない?話し方とか割と似てるとこあるし」
初対面感はなく自然と普段の親しみやすさで二人は話している。
「兄貴には変に気を遣うなって言われているからいつも通り接するわ。あ、それで思い出した。兄貴からの伝言で『ヒカリとして過ごして欲しい』だって」
「えっと……普段通りでいいのかな?」
「さぁ。でも、そんな感じでいいんじゃない。唯菜とかなら気付かないでしょ」
「唯菜、そういうとこ鈍いもんね」
向こうでの唯菜との関係はポーチカ内で一番仲が良く、普段からもよく遊ぶ間柄。
お互いの家でお泊まりも何度か経験し、SCARLETライブや夏休みには花火大会にも二人で行ったりもするような関係に成りつつある。
それはこっちでも同じなのか気になる所ではあるが、先程ルーチェの話からこの部屋に何度か遊んだり泊まりも経験しているということから大して変わらないのだと思えてきた。
「ま、簡単な話。変に身構えるんじゃなくていつも通り過ごせばいいってこと。もしも、困ったことがあれば兄貴に丸投げすれば軽く済む」
「一先ず、そうするよ」
難しく考えるのは止めにして普段通りを意識して過ごす。
その方が反って変に思わないという主張は今のルーチェを見てても自明の理であった。
「さてと、食器を片して掃除でもしようかな」
「あ、じゃあ私の部屋も……」
「配線だらけのあの部屋はあんまり掃除したくないなぁ」
以前、何度も配線で躓きかけ、数時間に渡ってあの寒々しい部屋で過ごすことに二度目は抵抗感を覚える。
「ねぇお願い。やってよママぁ~」
つぶらな瞳で懇願しても裏の顔を知っている以上、ケヒヒと悪巧みの様な笑みを潜める裏の顔が見えてきてしまう。
「遠慮しとく」
「えぇ~。タダとは言わないから!労働の代価を支払えば文句ないでしょ!ね!」
「やけに食い気味だけど……お金は貰ってもなぁ」
そのお金は結局のところ、明里のものではなく陽一のものである。
何一つとして明里自身にメリットがないことで余計に気持ちが離れていく。
「分かった。じゃあ、あんたが欲しそうな情報を教えてあげるっていうのはどう?」
「……私、もうお昼ご飯作ってあげないよ」
「ごめんめなさい。もうちょっと下手に出てあげるので許してください」
反省の意が全く感じられない謝罪は置いておき、ルーチェの放った『情報』という言葉を尋ねる。
「具体的にどういう情報をくれるの?」
「ん~例えば、あんたに起きた現象がどういうものか……とか」
「え……ルーチェは知っているの?ジル社長は知らない感じだったけど」
「兄貴には伏せている話だからね。私しか知り得ない貴重な情報だよ~」
「いや、教えてあげなよ」
「嫌だ。これがあればいざという時何でも聞いてくれるから、その時まで取っておく」
本当に意地汚い。
切り札として最高のカードであると自信を持って言える『情報』とやらの中身に深く興味が注がれる。
「どう、やってくれる?」
「……し、仕方ないなぁ。暇だからやってあげるよ」
「よし、決まりね。あ、追加で夕ご飯も頼んでいい?」
「こらこら、調子に乗らない」




