八十三幕 IF②
「じゃあ明里。また明日」
「う、うん。またね渚」
この身体の主、三津谷明里のクラスメイトで友人の塩幡渚に挨拶を告げる。彼女が教室内から立ち去るのを見届けた後、一気に緊張を解いて息を吐く。
「ふぅ~終わった……」
誰もいない閑散とした教室内を見渡し、どこかにドッキリだと驚かせるための小型監視カメラでも仕掛けていないか探してみるも、発見出来ず。
この受け入れ難い空間に身を投じてから約五時間。
これが夢であって欲しい。あるいは現実世界で起きているドッキリ企画の真っ最中だと祈るばかりであったが、この光景は紛れもなく現実でドッキリでもないことを理解する。
「いや、意味わかんねぇ。何で俺、気付いたらこの学校に通っているんだよ。つか三津谷明里って誰」
分からないことだらけで頭が痛い。
一先ず、この状況を整理するべく何か知ってそうなジル社長へと電話を掛ける……も繋がらず。留守番電話で三津谷明里の名でメッセージを残し、後で話せるように図らっておく。
「仕方ない。今は帰るとしますかね」
鞄を持って立ち上がる。
下がスースーする慣れないスカート姿に更なる溜息を吐きつつ、教室から出ようとしたタイミングで前を通り掛かった車椅子に乗る桃色髪の少女とぶつかりそうになるも寸前で止まる。
「あら、ごめんなさい」
「いえ、こちらこそ……って、あれ春乃さん?」
ライブやレッスン時のツーサイドアップではなく綺麗な長い桃色髪をストレートに流した春乃さんと偶然にも廊下で遭遇した。
「こんにちは、ヒカリちゃん。いえ、明里さんでしたね」
「……どうも」
何だか雰囲気が違う。
普段だと天真爛漫で元気一杯な感じなのに、目の前に居る春乃さんはお淑やかで上品さが深く滲み出るお嬢様的な美少女として映る。所作に無駄がなく、愛くるしい容姿が最大限際立つような振る舞いには目も心も魅かれる。
香織が言う通り、黙っていれば超絶モテるという言葉に疑いを掛けていたことを内心で謝罪する。
「どうか、なされましたか?」
「いえ……学校だと違うんだなって思いまして」
「私、これでも生徒会役員の一員ですので、生徒の模範となる所作を校内では常日頃から心掛けていますの……でも、明里ちゃんの前ならしなくていっか。これ疲れるし」
いや、変わり身早過ぎだろ。
もうちょっと騙されたままでいたかったよ。
「そう言えば明里ちゃん、昨日は大丈夫だった?」
「昨日?」
「倒れたって香織から聞いたよ。あの後、社長さんが連れて直ぐに帰っちゃったから結局会えなかったし」
「あぁ、うん。大丈夫。何ともなかったから……それより、春乃さんこそ平気……ではないか」
視線を落とした先の足首に巻かれた包帯から怪我の度合いを察する。
「軽い疲労骨折みたいな感じだからへーきへーき。この車椅子も自動で動くし、むしろこっちの方が歩かなくて済むから楽ち~ん」
飄々とした様子で心配させまいとするのはこちらもまた同じ。
「そうだ、昨日のお礼も兼ねてここでお疲れ様のハグしとく?」
「遠慮しときます。それにその手の仕草……ハグじゃなくて胸を揉む気満々だよね」
あまりにもいやらしい手付きに、下衆を帯びた顔で迫られると流石にドン引く。
「まぁまぁ、そう言わずに……って、アイタ!」
背後から迫ったもう一人の生徒からのチョップを受け、悶絶に顔が歪む。
「お姉ちゃんが嫌がってるでしょ。やめてよね」
「ごめんって香織~。ちょっとだけお姉ちゃんと肉体的な接触を図ろうとしただけなんだって」
「それを嫌がってんのよ。あんたのスキンシップはセクハラ同然なんだから」
「違うね。大好きお姉ちゃんのオッパイが他の女に触られるのが嫌で怒っているんだ。じゃないと暴力的な行為で止めに来た説明がつかない!」
「アホ探偵の馬鹿げた推理に付き合う気はないから。それに校内では清楚を貫くんじゃなかったけ?」
「あれは私のビジュアル的に合ってるキャラなんだろうけど、性には合わないんだよね」
「なら止めなさいよ」
「止めたらこの学校での私のアイデンティティがなくなっちゃうでしょうが!」
「あの、お取り込み中悪いんだけど、私は先に……」
二人の長いコント話に付き合うよりも帰宅したい気持ちを優先させた言葉に「待って、私も帰る」と香織もこの話しを強制的に中断させて乗っかる。
「いいな~二人でこれから姉妹デート?」
「今日は帰る。昨日の件もあってか、お姉ちゃんはまだ本調子じゃないみたいだから」
「え、そうなの?ごめんね、無理に突き合わせて」
「ううん。大丈夫……じゃ、またね。春乃さん」
「お大事に、明里ちゃん」
「春乃さんの方こそお大事に……」
自分なんかよりも遥かに痛々しい春乃の足首が早く治ることを祈り、半ば香織に手を引かれる形で昇降口へと向かう。
「どうしてあんな噓吐いたんだ?」
「噓も何も……調子悪いのは事実でしょ。朝から反応がおかしかったし、今も変な口調のままだし」
そうだった。
まだ香織には中身が入れ替わっていることを話していなかった。
明里が倒れて以降、ずっと変な具合の反応を返され続けては本調子ではないと思われても仕方ない。それにもしも、ここに居る香織が俺の知っている香織であるとするなら、多分この質問にも答えてくれる筈。
「ねぇ、香織。一つ質問してもいい?」
「なに?」
「私の腕に付けてた腕輪、知らない?」
「そんなの付けてたっけ。お姉ちゃん、あんまりアクセサリーとか好きじゃないよね」
「あぁ、ううん。何でもない」
「……やっぱり何かおかしい。もしかして、頭を打って記憶喪失になったとか?」
まぁ、そう思われても仕方ないよな。
香織の知る中で明らかに昨日までと言動が違くてよそよそしい態度であればそう疑いを掛けるのも無理ない。その疑いを晴らすには真実を伝えるべきなのだろうが、今の様子だと到底信じてもらえそうにはない。仮に伝えたとしても『うん。やっぱり頭を打っておかしくなったんだね』と言われるのが容易に想像できる。
「大丈夫だって。私が香織のことを忘れる訳ないんじゃん。それに記憶喪失だったら春乃さんことも分かっていない筈でしょ」
「ん~確かにそっか。お姉ちゃんが変なのはいつものことだし」
「オイオイ」
そんな風にして冗談交じりに会話を進めながら学校から出る。
その際に色々と会話を交えながら明里についての情報収集を行いって改めて確認したところ、やはりここは俺の知っている世界ではない。
言い換えれば、ここは三津谷陽一が存在しない世界線である。
父さんと母さんが17年前に産んだのは双子の姉妹で姉を明里、妹を香織と名付け、以降その姉妹は似た者姉妹として時折喧嘩もすることはあるが仲睦まじく過ごしている。全然想像出来ないが。
別の世界線であることから、俺を取り巻く人間関係や環境が全て三津谷明里という人間が過ごしている環境下に置き換わっている……のかと思いきや、意外にも精通する部分は多い。
逆に大きく変わっていることがあるとすれば、ここ一年間半の出来事くらいだろうか。
主に学校メイン。
通っている学校が違い、それに伴って友人関係が全く異なる。
初め、クラス内に入った途端自分の席はおろか、全く知らない顔しかなくて腹痛を装って帰宅しようかと思った。
幸いなのは俺も明里も陰キャ性質だからなのか友人が極めて少ないことにある。
この学校内における明里の友人は先程話した渚くらいで他に友人と呼べそうな間柄の生徒は少なくとも教室には居ない。
それに何故か、明里は教室内だと周囲から少し距離を置かれている雰囲気であった。嫌われて避けられいる感じではないが……近寄り難い顔で伺っているのが散見された。
こんな黒髪ロングが似合うお嬢様ばかりが在籍する学校でもかなり派手目な髪色からヤンキー風な人柄に捉えられているのかもしれないが、反ってそれはそれで好都合なので暫くは周囲をビビらせたままにしておくとしよう。特に自分からは何も波風立てずに。
「お姉ちゃん?ねぇ、聞いてるの?」
「え、ごめん。何の話だっけ」
「……(ジト目)」
「あ、お昼ご飯何処で食べようかって話だよね」
「違うよ。もう、全く話を聞いてなかったんだね」
呆れた顔でやれやれと首を振る。
こういう仕草は俺の知る香織と全く変わらない……そんな何気ない一面にも今は不思議と安心感を覚えてしまう。
「ごめんごめん、考え事してて」
「もう今朝からどうしたの?ずっとそんな感じで」
「いや~ちょっと色々とお姉ちゃん的に考えることがあってね~」とか言って誤魔化し続けているが、香織から向けられる心配な眼差しは依然と強まる一方であった。
「ねぇ、今朝聞いてきたあの質問の意図、本当になんだったの?記憶喪失じゃないにしろ、部分的な記憶欠如とかだったら隠さずに教えて。それに何だか変に気を遣われてて嫌なんだけど」
正面に回り、真剣な表情で尋ねられる。
もう誤魔化しは利かない……か
本当のことは信じてもらえないかもしれないが、部分的な記憶喪失であれば香織もある程度は納得してくれるかもしれない。俺の噓を見破ってくる香織に一体どこまで隠し通せるかはやってみないと分からない。
「ごめん香織。実は私ね……昨日から記憶が一部曖昧なんだ。香織や唯菜達のことや昨日のライブとかは覚えているんだけど、学校での記憶やそれ以外の記憶が一部抜け落ちている感じがするの」
「だから、学校着いても教室の場所や自分の席が分からなかったんだ」
「うん。なんでか分からないけどね」
そう流れるように噓を吐いて軽く笑ってみせる。
「はい。うそ」
「……!」
「お姉ちゃん。噓を吐く時、たいてい作り笑いを浮かべながら目線を斜め上に逸らすよね」
え、そうなの?」
噓を吐く時の癖とか指摘されたことないから分からん……が、実際に言われた通りの動作を無意識に行ってしまった。
いや……待て、焦って思考を乱すな。
沖縄でのやり取りを思い出せ。
香織はこうやってカマを掛けてくるタイプだ。
冗談をあたかも本気で言った風に見せかけて、相手の自滅を狙う狡い手やり口で嵌めに来ててもおかしくない。流石の俺も同じ手には二度も引っ掛かからない。
「ま、嘘かどうかは香織の判断に任せるよ。記憶喪失なんて話、中々信じてもらえないのは分かっているから」
食らえ、この判断の曖昧化攻撃!
答えを自分の口から発するのではなく、真実の裁量を相手に委ねることで噓か本当かを見極めにくくする姑息な心理戦法。これには流石の香織も少しは頭を悩ませるに違いない……と思いきや
「違う。お姉ちゃんはそんな風に開き直ったりはしない」
「え……?」
「そもそも、噓なんて吐かないし、隠し事なんてしない。不器用で素直で正直なのがお姉ちゃん」
え……そうなの?
全然、俺と違うじゃん。不器用以外。
「よーく分かった。あなた、お姉ちゃんじゃない……一体誰なの」
冷ややかな目線が次第に俺へと向けられる。
その冷酷な実妹からの疑いを掛けられた視線にはかなり心が痛い。
クソ……完全に裏目に出てしまった。
どうする。ここは事情を説明して俺が三津谷明里ではないと説明するしか……ないな。うん。
「実はだな。香織、俺は……」
「あれ、明里ちゃんに香織ちゃんじゃん。おーい!」
え、誰?
あの道路の向かい側で手を振っているサングラスをした高身長なイケメン大学生。
「げっ……」
彼に気付くや否や明らかに嫌そうな顔で香織は唸るような声で目を細めた。
そんな彼は急いで横断歩道を渡るとこちらへとやってくる。
「奇遇だね、二人共。学校帰り?」
「は、はい」
返事もしたくない嫌悪感丸出しの香織に代わって返事をする。
「それ蘭陵女子の制服?めっちゃ可愛いね。しかも夏服仕様か~。明里ちゃんが着ているとアイドルの衣装みたいだ。今度、ポーチカのライブでも制服系の衣装着て、踊ってみてほしいな」
「はぁ……どうも」
なんだこの如何にも陽キャっぽい男。
話しているとナンパされているみたいで嫌だ。少しウザイ。
俺達に凄く馴れ馴れしいが、こんな人知り合いに居たか?
もしかすると、この世界での明里の知り合いである可能性もあるな。
それに香織も知っているっぽいし、少し尋ねてみるか。
「なぁ、香織。この人誰?」
聞かれないような声量で目も合わせたくない顔でそっぽを向く香織に教えてもらう。
「お姉ちゃん。いくらこの人のこと嫌いだからって……まぁ、いいや。この人は私達の従兄弟だよ」
「え……従兄弟?」
『従姉妹』ではなく『従兄弟』!?
「うん。従兄弟の陽一君だよ。三津谷陽一」
は?
はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?
てか、居たよ。俺。
※すいません。タイトルを再度変更するかもしれません。ご了承ください。




