七十七幕 ライブ/アンコール②
ステージに上がるためのリフトへと乗った香織は兄の言葉を思い返して薄ら口元を緩めていた。
「行ってこい……か」
本当にお兄ちゃんらしい送り方。
素っ気なく軽い気持ちしか感じられないたった一言なのに胸の中に温かい何かが広がった。
長年ずっと過ごしてきたからこそ伝わる想いなのかもしれない。
ここぞとばかりに気持ちを伝えようと長々と激励をかけるよりもいつも通りに接してくれる方が香織にとっても好都合であった。
時間があれば『でも、もっと他に言い方はあると思うな~そんなんだからお兄ちゃんはモテないんだよ』身振り手振りを交えて文句を言うつもりであったが、そんな野暮な発言は自ずと控えた。
言った所で『早くいけ、バカ』と蔑まれて余計に時間を食らう口論に発展するだけで、半ばイライラしながらのアンコール曲且つソロデビューを迎えることになるだけ。
気持ちの良いこの状態が一番リラックスして臨める気がする。
「香織」
名前を呼ばれて振り向くとそこには春乃と柚野の姿があった。
「安心して歌ってきて。私達はいつだって香織の横にいるから」
「三人でSCARLETだもんね」
「ありがとう二人共。先に行ってる」
二人の親友からの聞きたかった本心をたる言葉に一層の安心感を抱く。
「じゃあ、後で」
「頑張ってね、かおりん」
そう後で合流する誓いを立てると二人は別の場所へと向かった。
準備運動がてら水泳時のけのびのポーズで高く腕をつき伸ばしていると次に様子を見に来た麗華にが少しばかり心配な顔で尋ねる。
「香織……いいのね?」
「はい。私は一人でも歌えます……一人でも進みます」
「そう。なら、やってきなさい。あなたの気持ちを歌に表現して聴かせて」
楽しみにしている。そう期待を敢えて背負わせる麗華に内心で『ドSだなぁ~』と呟く。
でも、そう思っているのは何も麗華だけではない。
背中を押してくれた兄や傍で見守ってくれる春乃や柚野、客席で精一杯応援してくれる唯菜や大勢ファン達……この場で三津谷香織を好きでいてくれる全員が今か今かと待望に機している。
「麗華さん、初めて下さい」
「了解。今から音源を流すから十秒間の前奏後にあげて頂戴」
リフト役の二人にそう指示を出した麗華は直ぐに手にしたCDを持って離れる。
この曲の前奏は約十五秒。
最初の十秒で観客に新曲披露だというのを伝え、残りの五秒は香織がステージに立った時に精神的なゆとりをもたせるための時間に当てる。
ここでもリハーサル無しの一発勝負。
改めて覚悟を問い、香織は迷いもなく意志を固めていた。
(なら、私が言うことはもうないわ。あとはいつも通り、あの子達を信じるのみ)
そして、誓った。
(この先、何が何でもあの子達の絆を守る。あのクソ達磨率いる役員共にあの子達が築いてきた友情を壊させやしない)
その決意を新たに胸に刻み、彩香から託された楽曲を公式の場での初披露させる。
音源を会場に流した直後、アンコールが鳴り止み聞き馴染みのあるしっとりと落ち着いた雰囲気を纏わせるようなピアノ伴奏が聴こえる。
実のところ、麗華自身もこの曲を聴くのが今日が初めてであった。
香織がいずれ披露してくれることを期待して、その時まで試聴するのを躊躇っていた。
だが、それは正しい選択であると評価する。
どこか懐かしいと感じるメロディーに作詞作曲を担った彩香に想いを馳せる。
「この曲……そう、あの子に託してくれるのね。彩香」
♢
前奏が始まって十秒が経ったタイミングで香織はヒカリが現れた時と同様に上段のステージ中央へと押し上げられた。
イヤモニで正確にリズムを掴みながら照明のない暗闇に乗じて大きく深呼吸を行う。
深々と息を吐き出し、残りの二秒間でゆっくりと息を吸い込んで第一声を発する。
自分の声と音楽に集中して耳を研ぎ澄ませ、感情を帯びた歌詞をなぞるようにして歌う。
(私は一人でも歌える。それに一人が怖いんじゃない……一人で進むのが怖かったんだ)
進めば進むほど、立ち止まる度に誰かがいなくなっている。
先に一人で突っ走り過ぎて周りを置いて行ってしまっていた。
気付けば周囲には誰も居らず、待っていても誰も来ない。
振り返った先に戻ってみれば、離れている始末。
それが香織にとっての恐怖であり孤独を痛感させるものであった。
その代表的な例が兄との関係だけではなく、香織に関わった友人とも呼ぶべき人達との間でも同様なことを過去に数度経験していた。その度に香織は密かに強く深く心を痛め、周囲と歩幅を一様にすることを努めてきた。
他人にペースを合わせるだけ。
たったそれだけのこと。
全体に溶け込んで集団の一部であるように振る舞えば済む話……ではあるが、それは己の性分に恥じる行為あるいは受け入れられないものであるとよく理解していた。
それが嫌なら簡単な話、一人でやればいい。
一人だけなら傷つく者もいなく、気兼ねなく自分の道を進む事が出来る。
だが、面倒くさいことに誰かと一緒にでないとやれない自分が存在していた。
一人ではなく、二人で、三人で……一緒になって進む。
笑い合って、競い合って、同じ時間を共有して色々な経験を分かち合う仲間が傍に居て欲しい。
何においても妥協したくないのが自分であると認めていた。
でも、その性分すら妥協しなければいけないほど孤独の方が怖かった。
振り返える度に誰かがいない恐怖が香織の心に大きな傷が残り、誰かを置いて前に進むのが途轍もなく嫌い。
なら、どうすればいいか。
考えた結果が……結局のところ『妥協』であり友人達への『配慮』であった。
♢
「私さ、香織にもっと頼って欲しかった」
モニターでステージを見詰める春乃は今更だと分かっていながらも文句を言う。
「遠慮なんかしないでもっと私達を巻き込んで欲しい。自分が満足いくまで練習に付き合わせたりとか、もっと自分勝手な本当の香織を見せて欲しかった」
香織は少なからず私達に遠慮という名の『妥協』をしていると春乃は気付いていた。
他人に多少なりともペースを合わせて様子を伺いながら接する気遣いが見えない壁を二人の間にそれぞれ敷いている様な気がしていた。
案の定、それは正解だった。
「私達の実力じゃ、どう足搔いても今の香織には遠く及ばない。SCARLETの顔を塗り替えて私がリーダーに立つ未来は叶いっこないね」
「そうだね~厳しいね~」
「あのぉ、そこは『面白い野望だね~意外~』ってツッコミを入れる所だよ。しっかり現実を突き付けないで!泣くよ私!」
「でもでも、はるのんの言う通りだよ。かおりんはヒカリんみたいな人が隣に居て欲しかった、違う?」
違わない。
柚野の言っていることは春乃も深く同意していた。
香織は気兼ねなく巻き込めて自分も真剣に取り組んでお互いに切磋琢磨し合える存在を求めている。
その点で言えば、ヒカリは正にうってつけの人物であった。
香織と似ていて且つ同じような才能を秘めている。
今はまだ香織には及ばないかもしれないが、追いつくのも時間のうち。特にヒカリが新たなSCARLETメンバーとして加わればそれは更に加速するかもしれない。
「いっそのこと、ヒカリちゃんと組んだ方が香織にとってはいいのかもしれない。私達なんかよりもずっとやりたい事をやっていける。そう思わない?」
思っても口にしたくないことを投げやりに吐き出す。
「はるのん、意地悪さんじゃないんだから全然似合わないよ」
「ん~悪役適正はないかぁ」
あっさりと柚野に本心でないと見抜かれ頭に手を当てて嬉しそうに残念がる。
「むしろ、その逆でしょ。優しくて思いやり深い心の持ち主」
「……照れる」
思ったことを口にして本心しか言わない柚野だからこそ刺さる言葉に春乃を頬を赤く染める。
「それにかおりんは妥協してでも、私達との関係を大事にしようとしてくれている」
決して壊したくない。綻びすら入れたくない。
綺麗のまましっかりと結ばれたままの絆を大事に守る。
そんな人前では見せない努力を二人の陰でしていたことを春乃と柚野は気付いていた。
「ま、自分は隠しているつもりだけど全然隠し切れていない不器用な所も香織の魅力の一つだと思うけどね。つくづく詰めが甘いとことか」
「うん。分かり易い」
「でも……そうやって私達は香織と向き合っているけど、香織自身は私達と本当の意味で向き合ってはくれないから寂しくもあるけど」
「誰もがはるのんみたいにウェルカムじゃないんだから仕方ないよ~」
「ヤメテ正論突きつけるの」
「それにこれに関してはお互い様だよ。私達もかおりんもお互いに一歩線を引いていたのは事実だもん」
鈍感そうに見えて思いのほか洞察力が据わっていると春乃は内心で評価しつつも、今日はつくづく意見が合うと認める。
「柚野の言う通り。私達も香織に配慮して背中を押しずらかったのは否めない。結局のところ、香織が頼ってくれるまで待っていることに徹して、他人任せな願望を無理矢理押し付けていたに過ぎないのは反省すべきだと自覚してます。ごめんなさい」
言葉は届かないが、想いだけでもステージの香織へと念じて飛ばす。
それが伝わったのか。
モニターの中に映る香織から『私もごめん』という言葉が歌声に載せて返ってきた気がした。それは春乃にとっての都合の良い解釈であると分かっていながらも、香織ならそう言ってくれると信じて受け入れた。
「よし、ダラダラ長々と反省しても仕方がないことだし、割り切っていこうか。柚野」
「え~私はそんなに想い詰めてないよ~」
「そこはもっと真剣に想ってよ。私と同じ立場なんだから共有しようよ」
「私だけじゃなくてはるのんと三人で共有するなら、いいよ」
「……そうだね。そうしないとだもんね」
香織の歌も中盤に差し掛かるタイミングでスタッフから二人に準備をお願いする声がかかる。
「よし、じゃあ私達も行こうか」
「うん。行こう」
私達は三人でSCARLETなんだ。
これまでも……これからも……。




