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七十六幕 ライブ/アンコール①

 出演時間は全体の約15分。

 その中でも特に重要な15分間を盛況なまま乗り切り、代役としての役割を果たした俺は香織と二人で会場に向けて挨拶を一言放った後に、大きな拍手で見送られながら舞台袖に掃けた。

 そこで終始見守ってくれた春乃さん達とハイタッチを交わし、そのまま舞台裏の関係者広間へ下がる。


「はぁ~緊張した~」


 かつてないほどの緊張感に駆られ、心臓の鼓動が終わった今もバクバクと脈打つ。

 指先も感覚が痺れたように震え、凝縮された疲れが身体の内から滲み出る。

 一先ず、近くのパイプ椅子に腰かけるとタムタムが持ってきてくれた水とタオルで補給しつつ汗を拭う。

 

「お疲れ様。どうだった?」


 労いの言葉を掛け、感想を尋ねられるも鈍い思考力のまま率直に心境を述べる。


「……楽しかったですよ。少なくとも今のポーチカでは体験出来ないステージを経験したので」

「確かにそうね。あなたが観てきた光景をあなた達が作るにはまだまだ時間がかかるかもしれない」

「必ず作って見せます……と、言いたいですが、現実になったら中々に面倒な事が起こり兼ねないので現状に甘えたい気分です」

「あなたの場合は特に……ね」


 三ツ谷ヒカリが広く認知される。

 それはポーチカにとっては良いことなのだろうが、反って自分の首を絞めることに同義である。

 ファンを多く持つにつれて、三ツ谷ヒカリを知る人物が自ずと増えていく。そうなれば、いずれ三ツ谷ヒカリの詳細を調べようとする者も現れるとは限らない。


 マスコミ関係者は特に注意しなければならないが、怖いのは今し方応援してくれたファン達である。

 地下アイドルは狭い範囲でファンと対応することが多い。

 凪さんの様に善良心で慕ってくれるファンもいれば、ルーチェのゲーム配信に度々現れて暴言を浴びさせて貰おうと煽ってくる変なファンも中には居る。

 来る者を選ばず好まずのスタイルで続ける以上、そういった関わりは避けて通れない。

 

「初めから分かっていたことですが、今更ながら痛感しました」

「不安になるのは分からなくもないわ。その為に私達は全力であなたをフォローするし、守ってみせるからその辺は安心して。まぁ、最悪ジルがどうにかするわ」

 

 『どうにか』の部分で何となく頭の中で財力という言葉が過ぎる。


「まぁ、一応頼りにはしておきます」


 そんな談笑に耽っているとムスッとした香織が色々と何か言いたげな様子で近付く。

 その顔を見た俺はステージでやらかした数々を思い出し、小言でも何でも受け入れる覚悟を決めるも……


「一緒に立ってくれてありがとう、お兄ぃ」

「……文句を言いに来たんじゃないのか?」

「それは帰ってから山ほど言うから別にいい」

「はいはい。お付き合いしますよ」

「噓。色々と手伝ってもらったし今回の件はこれでチャラにしてあげる」

「おいおい、何個貸しを作ったと思ってんだ」


 この妹ときたら急に何をとち狂った事を言い出しているんだ?


「妹の為にお兄ちゃんが働くのは当たり前だと思います」

「お前、それステージで言ってこいよ。悪役優等生三津谷香織の本性を披露してこい」

「は?私のどこが悪役なんだし。お兄ぃだってTSアイドルやってますって公表してきたら?もれなく、会場で大炎上して社会的抹殺な結末を迎えられるよ」

「それ、死んで来いって言っているのと同義だからな?お前、実の兄になんか恨みでもあるわけ?」

「あるよ!」


 香織の叫び声が舞台裏で反響し、多くのスタッフの耳に声が届く。感情を帯びた声に振り返ってこちらの状況を勝手に解釈するな否や何か関わり辛い雰囲気であると察して距離を置くようにして離れていく。

 直ぐ隣でこの会話を黙って聞いているタムタムも気を遣って、離れた場所に移動して人がなるべく近寄らないよう見張ってくれる。


 そんな状況を確認しつつも、珍しく感情を剝き出しにして今にも泣きそうな香織の背中にそっと手を回してゆっくりと自分の肩に顔を当てる。

  

「ごめん。今の私、情緒不安定なの……色んな感情が頭の中で混ざり合っててもう訳分からなくなってる」

「……悪い」

「何で謝るの?」

「お前がそうやって悩んでいるのは全部、俺が関わっているのかなって」

「分かっているなら反省して」

「……すまん」

「ウソ。お兄ぃは悪くない。むしろ、悪いのは私」

「なぁ~このやり取りもう止めにしないか?前にお互いで謝ったんだし、もう済んだだろ」

「良くない。お兄ぃだけ一方的に償おうとするのが気に食わない」


 情緒不安定というよりも途轍もなく面倒臭い心理状態にあるのはよく理解出来た。

 怒ったり、弱気になったり、拗ねたりと……いつになく手を付けられない香織にどう対応すればいいか考えるだけで頭が痛い。

 

「今、コイツ本当にクソ面倒臭い妹だな、とか思ってるでしょ」

「思わない奴がいない方がおかしいぞ。こんなクソ重い妹」

「重いとか言うなし……」


 ようやく顔を挙げた香織と至近距離で目が合う。

 陽一の身長であれば香織の顔は下にあるであろうが、ヒカリの身長だと同じ目線で、同じ高さに顔がある。傍から見れば本当に瓜二つの双子の姉妹にしか映らない。


「でも、何だか良かった。お兄ぃがお姉ちゃんじゃなくて」

「お前、前と違うこと言ってんぞ」

「私の心変わりは早いって知ってるでしょ?」

「いや、知らんがな。頑固一徹で融通が利かないことしか知らん」

「それは言い過ぎ。重い以上に腹立つ」


 などと、話しているうちに香織の心情はいつの間にか安定していた。

 プライベート(家族)でしか見せないいつもの態度に一瞬で戻っている。

 確かに心変わりが早いな。


「あ~あ、もう終わっちゃったか~まだ一緒に歌いたかったのになぁ~」


 くるりと踵を返して身体から離れ、まるでこの後に起きるであろうイベントフラグを自ら立てるような口振りでそう言い放った直後、会場内から『アンコール』を所望する声がこの場所まではっきり聞こえるように届く。

 このタイミングを見計らっていたかのように香織はわざとらしく演技して見せた。


「お呼びなのはお前であって、ヒカリじゃねーよ」

「いや~みんなもう一度、見たいと思うよ。従姉妹ステージ」

「【ヒカオリ】をか?」

「マジで切れるよ」

「ごめんなさい」


 滑った事をかなり根に持っているのだろう。

 ガチの切れた時の声で睨み付けられる。


 そんなやり取りはさておき、アンコールが聞こえてきた以上、もう一度ステージに立って曲を披露するのはアイドルや歌手にとって一種の宿命みたいなもの。

 出ない。なんて選択肢はなく、予め出る前提で演目は用意される。


「ほら、行って来いよ。アンコール用にピッタリな曲を用意してるんだろ」

「うん。だけど、あれはまだ……」

「寂しいなら一緒に手を繋いでステージまで送ってやろうか?」


 その提案に香織は人前では絶対に見せてはいけないくらい顔を歪める。

 冗談半分なのは分かっていても、少しショックが大きかった。

 

「この歳でその提案はないって。元の姿でそれ言ってたら引いてた」

「よく言うわ。この寂しがり屋が」

「まぁ、否定はしないけど。今はへーき、もう一人じゃないって分かっているから。それとも、なに?私と一緒に手を繋いでステージにもう一度行きたいってことを言いたいのかな~素直じゃないね~」

「馬鹿なこと言ってる暇あんならさっさと準備して、行ってこい」


 ゆっくりだったアンコールの手拍子も次第にスピード感を増していた。

 兄の言葉に背中を押され、翼が生えたように身軽になった身体を振り返らせ「じゃ、ちょっと行ってくる~」と軽快に手を振りながら、直ぐに衣装を着替えて再ステージに臨もうとする妹の背中を見送った。

 

「ちゃんとお兄ちゃんしているのね」

「あいつに対して兄らしいことをしている実感はないですけどね」


 どっちかというとヒカリの姿でしか貢献していない気がする。


「ふふっ、そういう所はジルとよく似ているわね」


 その比較は第三者で二人を知るタムタムでしか分からない。

 俺がジル社長と似ていると思ったことは一度たりともないが……お互いに面倒臭い妹を持っているという点では共通している。

 

「それで、あなたはどうするの?もう一回出ても良いって麗華ちゃんは許可してたわよ」

「出ると言っても何を歌えばいいのやら……」

「なら、少し私との話に付き合ってもらっても構わないかね?」


 初めて聞く声に身体を振り向かせる。

 すると、かなり横幅が大きく膨れ上がった灰色のスーツに身を包んだ男性がにこやかな表情でこちらを見詰めていた。

 てか、誰だ。この達磨みたいなオッサン。


「あら、お久しぶりですね。松前健勇副社長……いえ、今は代表とお呼びするべきですね」

「おぉ、田村君か。もしかして彼女は君の所の子かい?」

「はい」

「ふむふむ、なら丁度いい。私から君に申し上げたいことがある」


何か意図を含んだ目が再びヒカリを捉える。


「……私にですか?」


 ステージからアンコール曲が聞こえてくる傍ら、目の前に立った男性は表情を崩さないままある旨を伝えてくる。


「そうだ。単刀直入に言おう、君は是非とも私の事務所に移籍するべきだ。三ツ谷ヒカリ君」

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