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七十二幕 代役

 開演まであと十分程度。

 席運の強い唯菜の恩恵に預かり、再びアリーナ席からの観賞に意外にも期待を膨らませていた


 最初は香織が所属するSCARLETのライブなんて最初は全く興味がなかった。唯菜とのライブやメンバーの春乃さん達との関わりを通じて、いつの間にかSCARLETに少しハマっていた。

 唯菜ほどではないにしろ、公演を大いに楽しみにしているこの気持ちは本物だと認めざるを得ない。

 

「おやおや、口ではいつも否定しときながらもかなりライブを楽しみにしてますな」


 公演前に流れるセットリストの一部の曲。

 何度も聞いたメロディーに自然と少し身体が揺れていたことを唯菜に指摘されて気付く、


「誰かさんの影響でね」

「これも計算通りよ。次からはチケット二枚用意しておこうじゃないか」


 新たな同士を迎えれられたことが嬉しいのだろう。

 ニマニマと口元を緩ませながら素直に喜んでいるのが分かる。

 少しばかり唯菜の思惑通りに染められていることに対して悔しさを覚えた俺はニヤッと笑んで容赦ない現実を突きつける。


「って、言っても土日祝日は基本的に仕事入るからそう上手くはいかないんじゃない?」


 今日はジル社長が関係者としてライブに来てるから仕事も自ずと休みになっているが、普段の土日は毎週の様に詰め詰めでライブの予定が入っている。

 これからはポーチカ単体でのライブや地方のライブ会場を使用する新たな企画等を増やしていく考えだとジル社長は語っていた。

 その事を言われて思い出した唯菜は嬉しくも苦い事実に「確かに……」と頭を抱えかけた。 

 

「あれ、今日はあのTシャツ着ないんだ」


 『LOVE香織』の柄が入ったあのTシャツではなく、先程グッズ販売で購入したオリジナルTシャツを着ていた。かく言う俺も同じ物を着させられている。

 

「本当なら着たい所なんだけど今日は香織ちゃんだけでなく春乃ちゃんもメインだから……少し単推しに気が引けて」


 唯菜の言葉に前後左右で一様に首を縦に振る現象が生じる。

 その一体感にギョッとして首を左右に振って驚くも、SCARLETファンの優しい心根に感心した。


「ちなみにだけど、予習は大丈夫そう?」

「全部とはいかないけど……メインっぽいやつは割と」


 正直に言えば、これから披露する新曲のダンスや歌詞も全て身に染みて覚えている。

 バックダンサーに立てと言われても普通に首を縦に振れるレベルでマスターしてるつもりだ。

 無論、唯菜にこの事は口が裂けても言えない。


「新曲、物凄く楽しみなんだよね。三人じゃなくて二人って言うのが最初は不安な要素もあったんだけど、逆に二人で作るパフォーマンスだから普段は本性を隠している春乃ちゃんも今日はめちゃ可愛いくて明るく元気いっぱいの笑顔を全面に出しつつしてくれそうな気がするんだ。それに二人って物凄く仲が良いからいつもSCARLETじゃなくて、【ハルノカオリ】としての新たな一面も凄く楽しみ!それとね、今日は先にSCARLETとして三人で演目を……」

「へ、へぇ……そうなんだ」


 いつも以上に饒舌で且つ真剣な眼差しでライブへの意気込みを口にする唯菜へ耳だけ貸しつつ、少しだけ気になっていた点を思い返す。


 そう言えば、あの曲……香織は歌うのだろうか。


 SCARLETのプロデューサーである麗華さんから香織宛てに渡された【ハルノカオリ】とは別の非公開曲。それも香織が一人で歌うためのソロ曲。

 あれを受け取った際、麗華さんはこのライブで披露するかどうかについて明言していなかった。

 それに「進みなさい」というあの言葉が何を示しているのかも少し気になる所である。

 まぁ、その辺はこのライブを観れば色々とわかるかもしれない。

 

「……ちゃん、もう聞いてた?」

「え、ごめん。あんまり聞いてなかった」

「ひどいよ。あんなにも熱弁してたのに聞いてくれないなんて」

「だって長いし、唯菜のSCARLETに対する熱意はいつも聞かされてるから分かるし……ん?」


 ブーブーと異を唱える唯菜を宥める傍ら、会場内にアナウンスが入る音が響く。


 『当劇場にお越し下さった皆様へ緊急のお知らせを致します。本日のSCARLETライブ公演におきまして……【ハルノカオリ】デビューライブを急遽中止させて頂きます。尚、本公演は通常のSCARLETライブで開催させて頂きます。繰り返します……』


 突然の中止発表に会場内が騒然と化す。

 開演まで残り数分での、この発表に多くの観客が困惑と動揺を隠せずにいる。


「どうしたんだろう。何かあったのかな?」

「分からない。でも、【ハルノカオリ】だけ中止って……」


 考えられるとしたら、柚野さん以外の二人のどちらかに何かアクシデントが発生した。

 詳しい説明が現段階で為されてないため、舞台裏で何が起きているか把握出来ない。

 それに公演までもう間もない。事情が語られるとしたら舞台に立つ二人か三人の口からだろう。

 このまま始まるのを待つしかない。

 

「ん?」


 ズボンのポケットに入れたスマホから軽い振動が伝わる。

 こんな時に誰かから電話がかかり、画面を表示して確認する。


「……っ!」

「ヒカリちゃん?」

「ごめん、唯菜。ちょっと出てくる」

「え?どこいくの?」

「電話。直ぐ戻ってくるから」


 左側の列に座る人達の前を通り、通路を走ってエントランスホールへと出た俺は一度切れた電話主に対して再度応答を求める……も出ない。

 急ぎメッセージを送って用件を尋ねると防音扉の向こうから歓声が漏れ聞こえた。

 SCARLETのライブが始まった合図と同時にスマホ画面に返信が届く。


「まさか……」

「あら、丁度いいタイミングね」


 背後から声を掛けられ、身体をその人物に向ける。


「何があったんですか?」


 タムタムは【ハルノカオリ】の関係者。

 格好から察するに直前まで二人のリハーサルに付き合っていた。

 それに舞台裏の現場を全て見てきたかのような深刻な表情で彼は立っていることから事情を知らない筈がない。


「説明は後。今は私に付いて来て」


 時間がない。

 無言でそう伝えられ、タムタムの背中に付いて関係者口をそのまま通過していく。

 歩き進むにつれて小さかったライブ会場の音が次第に大きく聞こえてくる。

 そして音楽がかかると同時にステージに立つ香織の歌声も自然と耳に入る。


 ライブ、始まったのか……。

 

 歌い手は声からして二人。

 香織と柚野さん。

 

 三人目の声が聞こえないことから俺は何となく予想した。

 彼女がいるのはステージではなく……目の前の人集りの中にいる。

 

「ごめんなさい、ちょっと通してもらってもいい?」


 少しばかり生じた人集りがタムタムの一声で割かれた。

 数名のスタッフの間を抜けて現れた彼女と視線を交わす。


「春乃さん……」


 少しだけ赤く腫れあがった瞼がゆっくりと持ち上げられ、いつも通りの明るい自分を見せようと精一杯気持ちを押し殺して微笑む。


「急に呼び出してごめんね。ヒカリちゃん」

「いえ。それよりも……その足……」


 痛々しそうに赤く腫れあがった足の甲には冷たい氷水が入ったビニール袋が巻かれている。

 

「怪我、したんですか?」

「うん。リハ中にちょっと痛いな~って思ったらさっき、凄く痛みだしちゃって……気付けば立てないくらい腫れあがってこの様だよ」


 アハハと軽く笑って見せるも完全に空元気なのは声のトーンからでも伺える。

 震えた唇を噛み締め、右手を強く握って悔しさを必死に抑え込む。


「ごめん。やっぱり隠せそうにないや」

「……」

「あれだけ練習してきて、本番に向けて準備してきたのに……全部自分で台無しにした……」


 春乃さんの正面にある会場内を映し出すスクリーンの向こう側に香織と柚野さんの姿が映っている。


 急遽、二人だけの公演となり、殆ど打ち合わせも出来ないままでの開催を迎えている。

 ライブを成功させようといつも以上にお互い気配りをしながら二人でパフォーマンスを披露している。


 欠けた春乃さん分まで埋めようと必死に……そんな光景に申し訳なさでいっぱいなのだろう。

 今日の講演に向けた準備や期待を開演目前にして無駄にしてしまったのだから。

  

「本当にごめんね。ヒカリちゃんには色々と手伝ってもらったのに」

「全然平気です。それに今日が駄目でも次の時にデビューライブを行えば大丈夫ですよ」

「ううん。【ハルノカオリ】は結局、今日がデビューなの」

「え、どういうことですか?」


 その問いは代わりにタムタムが答える。


「一人で行うらしいわ。デビューライブ」

「一人で?ってことは香織だけで?」

「そうよ」

「でも、さっきアナウンスで……」

「今日は事務所の社長さんも観に来てるらしいの。それで、さっき麗華ちゃんの下に来て香織ちゃんだけでもステージに立たすよう言われたらしくて」


 プロデューサーである麗華さんがこの場に居ないのはその対応に追われているから。

 そう説明を付け加え、ある程度状況が見えてきた俺はそれを踏まえて急ぎの本題に入る。


「率直に聞きます。春乃さんは私にステージに立って欲しい。そう伝えたくてここに呼んだ。違いますか?」


 メッセージには一言だけ『ヘルプ』と添えられており、あの時点ではまだ何も吞み込めていなかったが、春乃さんは自分の代役を三ツ谷ヒカリに頼もうとしてあのメッセージを送った。

 その推察は概ね正しく、申し訳なさそうに微笑する。


「うん。ヒカリちゃんにお願いしたいことがあってここに来てもらった。そして、そのお願い事はヒカリちゃんが口に出した通りだよ」

「でも、【ハルノカオリ】は春乃さんが出てこそのユニット。部外者でグループも違う私が出たら問題なのでは?」

「大丈夫。【ハルノカオリ】のライブは結局のところ中止に等しい。後半戦は三津谷香織による一人ショーみたいな感じの段取りに変わってるからスペシャルゲストでヒカリちゃんが参戦しても文句はないよ」


 本番で【ハルノカオリ】の楽曲を披露はするが、あくまでも香織、一個人での披露となる。

 春乃さんの代役であることは変わりないが、安達春乃の代わりとして演じる必要はないと主張しているのだろう。


 普段通りの自分で。

 遊びに来た感覚でステージに立って欲しい。

 そんな意図が感じられた。


 それに春乃さんはSCARLETの一人としてステージに立てなくても自分が出来る最大限のことをしている。

 自分の愚かな怪我でステージに立てない……二人に大きな迷惑を掛けていることに激しい悔しさを感じも自暴自棄にはならず、ステージに立つ二人を想って足搔きに足搔く。

 例え、主役は自分でなくても……主役の座を別の誰かに託す形になっても……力になりたい。


 そんな意志の強さを自ずと見習ってしまった。

 

「こればかりはヒカリちゃんにしか頼めない。私達の練習に付き合ってくれたヒカリちゃんだからこそ任せられない」


 春乃さんの気持ちを尊重して快く「はい」と承りたい所ではあるが、個人の意志で勝手な真似は出来ない。少し時間はかかるかもしれないがジル社長に許可を……


「あの……」

「ジルなら気にしなくていいわ。客席で楽しみにしてるって言っているし」


 こうなることを見越してタムタムは事前に話を通していた。


 いつもながら本当に用意周到過ぎる。

 まぁ、話がすんなり通るのは別に良いことだから構わないのだが……真剣に会社の意志を考慮した自分が馬鹿に思えるくらいジル社長の軽さに今は感謝する。


「私からもお願いします」


 関係者席から戻ってきた麗華さんが横に立って頭を下げる。

 対応に追われているのだろう。

 余裕のない声で頼み込む。


「あなたの力が必要です。だからどうか、出て頂けませんか!……勿論、タダでとは言わない。相応のお礼もさせて頂きます」

「一つ、聞かせてください」


 俺は麗華さんにある意志を問う。


「私を……代役に抜擢する理由は何ですか?」


 初めは絶対に反対されると思ってた。

 部外者を交えてのライブなんて規律に厳しそうな麗華さんが許す筈がない。

 しかし、予想は裏切られ、彼女は頭を下げてまで『出て欲しい』と頼んできた。そうまでする意図が何であるか聞いておきたい。


「端的に申せば、春乃が言ったように代役として適任なのがあなたしかいないからでもあります。それに二人が披露する予定だった曲は二人でやってこそ価値を発揮する楽曲に仕上げている。片方が欠ければ見栄えがかなり悪くなるのはあなたも知っての通り」

「それは想像出来ます」

「この際、ライブが成功云々よりも会場内が盛り上がることに天秤を傾けたい。仮にあなたがゲスト出演して、あの達磨親父が何か文句を言ってきても、全て私が聞き流しておくから安心して」


 達磨親父とは誰の事を言っているのかは定かではないが、麗華さんの意図はよく伝わった。


「私はあなたの事をよくは知らない。でも、横浜で観た時や香織や春乃達が信頼を置いてもいいと言えるあなたなら任せるに値すると考えています。だから、あなたの力を貸して頂戴下さい。お願い致します!」

「私からもお願い!」


 一生懸命、頭を下げる二人に今更「いやです」なんて言えないし、言うつもりもない。

 それに少なからずヒカリはこのライブの関係者でもある。

 三ツ谷ヒカリでしか出来ない役割を与えられた以上、最後までやり遂げるのが今の自分のスタンス。

 

「分かりました。直ぐに準備を始めましょう」


 さもこの言葉が飛び出ることが当たり前の様に待っていた麗華さんは顔を挙げてニコリと笑む。

 春乃さんも同様に拳を前に突き出して意志を託すことを述べる。


「ありがとうございます。あなたなら、そう言ってくれると信じてたわ」

「ヒカリちゃん。香織のことは任せたよ」


 やるからには全力で。そして、香織と同じステージに立つなら全力全霊で……ここに一夜限りの決意を宣言する。


「はい。私が代役としてステージに立ちます!」

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