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七十幕 ライブ前

 夏休みも残り僅か。

 今日の日曜日を終えた次の日には二学期が始まる。

 早かった。

 本当にあっという間だった。


 忙しい毎日を過ごしていたら気付けばもう夏休み最終日。

 そんな日は家でゆっくり休んで、明日から再び始まる仕事と学業の両立生活に備えたい所ではある。

 その意を汲み取ってくれたのか、ジル社長は敢えて今日は仕事を入れないでくれた。

 優しさに感謝しつつも、俺はそこに隠された別の意図を直ぐに見破った。


 今日と言う日は確かに休みだ。

 ジル社長ですら仕事も何もないオフ日。

 そうしたのは他でもない、SCARLETの【ハルノカオリ】新ユニットの結成ライブが開催されるからであった。


 事前に正規ルートでチケットを二枚入手していた唯菜と別ルートで関係者席のチケットを入手していたジル社長。この二人がライブを観たいという一心がため、今日のオフ日が成り立っている。

 ちなみに、このライブ参加は強制ではないので参加する三人以外にとってはオフ日。

 俺もそれ以外の対象に入りたかったが、事前に参加すると唯菜に了承している時点でこの日のオフ日がオフ日ではないのは確定されていた。


 だからこうして、今回もまたSCARLETのライブにお邪魔するべく有明にあるライブ会場へと足を運んでいた。


「あ、ヒカリちゃん!」


 駅の改札口を出たタイミングで後ろから声を掛けられる。

 同じ電車に乗っていたのだろうか、集合場所に着く前に唯菜と合流する。

 

「おはよ、唯菜」

「うん、おはよう」

「なんだか、デカくなった?」


 動きやすい服装で普段よりも厚みの出るスニーカーを履いているからか、目線が少し高く感じた。

 

「今日は少しでも高い位置で二人を観たいからこれ履いて来たんだ。1センチアップするだけだけど」

「気合入ってる~」

「勿論だよ!二人の新たな門出なんだもん。全力で応援しなくちゃ」

「お~ガンバ~」

「ヒカリちゃん、なんか他人事みたいに言ってない?」

「いや、他人事だし」

「駄目だよ。従姉妹なんだからしっかり応援しなきゃ!」

「いやぁ~私は唯菜程、SCARLETファンって訳じゃないし……」

「家族としてだよ!それとその格好でライブに行くつもり?」


 じろっとした目付きで足から頭までの格好をまじまじと見てくる。

 何だか色々と不満気な表情に変わっていく様相に自分の格好がおかしいのかと思えてくる。


「え、変かな?」


 今日のヒカリの装いは英語文字のロゴが入った白の半袖パーカーに黒いスキニーパンツ。

 昨日の晩に『ライブ 女性 コーデ』で調べ、見本の通り選んだ無難な服装。実際に着て、鏡で確認しても変には映らなかったが……


「いや、変ではないよ。ただ……その格好だともしかしたら他のファンの人にヒカリちゃんだってバレるんじゃないかなって」

「そっちの不安か。別に平気でしょ、そう簡単にバレる訳が……」

「あれ、ヒカリちゃん!それに唯菜ちゃんも」


 おっと綺麗なフラグ回収が行われたぞ。

 聞き覚えのある声に反応して業務用スマイルを顔に貼り付ける。

 すると、案の定改札口を出たすぐそこで見知った顔の女性が口元に手を当てて驚いていた。


「あ、ごめんなさい。あまり目立たない方がいいもんね」

 

 慌てて自分の口を覆い、なるべく周囲に気づかれないように声を潜めて話しかける。


「どうも、凪さん。今日はこっちの現場ですか?」

「そうなの。私にとってはどっちも本職みたいなもんだから。今日はお互いに同僚だね」


 その表現がオタク特有なものなのかは分からないが。


「はい!私も今日はポーチカの白里唯菜ではなく、SCARLETファンの白里唯菜ですから!同志として、一緒に応援しましょう」


 同僚?同志?として手を差し伸べる唯菜に両者の熱烈なファンである凪さんは嬉しそうな顔で握手に応える。その二人を横目に他のSCARLETファンらしき人物らがこちらにチラチラと視線を送って何かヒソヒソと話しているのが分かる。


「あの凪さん。一つ質問してもいいですか?」

「なにかな?」

「もしかしなくても、私ってSCARLETファンの中でかなり顔を知られてます?」


 中々に自意識過剰な質問だと思うかもしれないが、凪さんは笑顔で「そうだね」と軽くは肯定した。


「ヒカリちゃんも既に気付いていると思うけど、例の写真でヒカリちゃんはSCARLETファンの中でかなり知れ渡っている。何でも、二人が双子の姉妹みたいだって話題に挙がってて」


 そういった疑惑が俺の知らぬ所で流れていたのか。

 三ツ谷ヒカリでエゴサなんてしたことなかったから全然気が付かなかったが……唯菜は少なからず知っていたようだ。

 だから、懸念して今日の格好について指摘した。


「実際の所、ヒカリちゃんと香織ちゃんが姉妹なんじゃないかって疑っている人は多いの。私も含めてね」

「ごめんなさい。私の口から何とも言えません」

「そうだよね。でも、安心して!二人が姉妹でも私は二人のことが大好きだから!」

「それは私も!」

「それは非常に嬉しいんだけど…今は抑えましょうか、ほら彼氏さんも微妙な顔で待ってますから」


 恥ずかしい事を面と向かって堂々とアピールされ、その上で唯菜も乗ってこられると収集つかなくなる。ここは影を薄くして三人の会話をほのぼのとして聞いていた凪さんの彼氏さんに場を収める手伝いをしてもらう。


「度々ごめんね」

「いえ、お互いに楽しい一日にしましょう」

「ありがとう。じゃあ、またね」


 彼氏さんの元に戻り、手を振りながら凪さんはライブ会場のある方へと駅を後にした。

 その背中が見えなくなる直前、二人の肩がそっと寄り添い合い、自然な流れで指に手を絡めて恋人繋ぎをしているのに不思議と目が留まった。


「いいな~。お互いに好きなものを共有して、お互いを好きでいられるのって私は理想的だと思う」


 唯菜みたいな具体的な恋人観を考えたことは一度もないが、それには俺も唯菜と同じようにして凪さん達を理想像と重ねて見ていた。


「その……ヒカリちゃんって恋人が欲しいとか思ったことある?」


 尋ねにくそうに聞いてくる唯菜に「……どうしたの急に?」と口をぽかんと軽く開いて尋ね返す。


「いや~なんか羨ましそうに見てたから、なんか聞いてみたくなって」


 羨ましそうに見てるのはどっちだよ。

 内心で軽くそうツッコミを入れ、やれやれと首を横に振る。


「ないよ。多分、これからも」

「そうなの?彼氏の一人や二人、いた事ない?」

「一回もないよ」


 少なからず三津谷陽一の心が完全に三ツ谷ヒカリにならない限り、この身体を使って誰かと恋人関係を構築するなんてことはない。

 むしろ、アイドルをする以上にハードルを上げるだけだ。

 まぁ、三津谷陽一の身体でこの質問を受けていたら回答はまた異なったかもしれないが。


「意外……でもないか。ヒカリちゃんなら恋愛はめんどくさいとか言ってしなそうだし」

「なんか失礼なこと言ってない?」

「でも、めんどくさいのは事実でしょ?」

「うっ、否定できない」


 図星を突かれた風に見せて素直に認める。

 実際的に恋愛がめんどくさいからしたくないという考えはその通りだと言えるし。


「じゃあ、暫くはお互いにフリーだね」

「フリーじゃないとジル社長が黙ってないから」


 アイドルという身分である以上、恋人がいるというのは中々の御法度だ。

 悪い虫はなるべく早めに取り払うのがジル社長のスタンスなのは初期の経験から知っている。

 

「よしじゃあ、彼氏が出来ない寂しさをヒカリちゃんで埋めちゃおーっと」


 春乃さんの悪影響なのか分からないが、以前にも増してスキンシップを求めてくる唯菜がスッと腕を伸ばして指同士を絡めて、手を繋いでくる。

 

「ヒカリちゃんの手、柔らかくて気持ち良い」

「なんか、最近増々変態化してません?」

「うわー失礼しちゃうよ。ヒカリちゃんってばこうしてないと何だか離れて行っちゃいそうだし……それに今日はいつかのお返しにも付き合って欲しいな~」

「いつかのお返し?」


 何の事だか憶えていない。


「忘れちゃったの?ほら、沖縄で最終日、一緒に回れない代わりの約束!」


 そう言えば、そんな約束を交わしていた。

 それも自分から唯菜に持ち掛けていたのも今になって思い出した。

 しかし、それは……


「前に夏祭りか花火で解消したよね?」

「これは二回まで有効期限があるので、今日でラストだよ」


 そんな風な取り決めまでした覚えはないが、ここまで来てしまった以上、付き合わない以外の選択肢はない。それに、この姿であれば唯菜と心置きなく回れるので陽一の時よりも気は楽だ。


「開演までまだ全然時間あるし。ショッピングモール辺りをウロウロして時間潰す?」

「そうだね。それにヒカリちゃんのその格好だとまた直ぐにファンの方に気付かれちゃうから私がそのコーディネートをアレンジしてあげるよ」

「あはは、お手柔らかに」


 沖縄での着せ替え人形にされたあの記憶は蘇る。

 幸いなことに、あの時に居た魔の手が一本だけであるという認識を旨にライブ会場の直ぐ真横に設けられた大型ショッピングモールへと向かった。

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