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五十六幕 沖縄/思い出⑱

 始まりは今から四年前。

 中学一年生の夏休み。二度目の沖縄への家族旅行でやってきたこの水族館で俺と香織は大喧嘩をしたことが原因だった。

 その喧嘩の原因が一体何だったのか、元を辿るとそれは俺の心が弱かったことが大きな要因。


 結論から言えば、情けない話……俺は四年前のここで香織に酷い八つ当たりをしたのが始まり。

 何が原因で俺は感情を爆発させたか、それには大きな要因がいくつかあった。


 中でも一番のきっかけは中学受験の失敗であった。


 父方の祖父や親戚の勧めで優秀な香織には教育で有名な私立中学校に行くべきという声が寄せられた。 その当時、まだ芸能活動も始めてなくただの一般人であった香織の将来に馳せ、両親は中学受験を念頭に置くも俺の気持ちを考慮してその話は親元だけで留めていた。

 ある親戚の集いで俺はその話を耳にしてしまい、自分の優秀さを香織に劣っていないことを証明するべく自ら香織と同じ私立中学への受験を両親に希望した。


 単に香織と同じ学校に通いたいのではなく、自分が香織同様に優秀であり劣ってないと証明するために俺は挑戦の意志表示をした。

 本人たっての希望ともあり、子供の挑戦する意志を尊重した両親は俺と香織を塾に通わせて私立中学校の受験を成功するための道を用意してくれた。

 それに応えるべく、何よりも香織に負けたくない一心から一生懸命勉強に取り組み、その学校へ入学するための努力を俺は香織よりも多くこなした。


 その結果が功を奏したのか、模試ではかなり良い判定結果が取れ、模擬面接でも面接官の良い評価を得るなどして受験に向かって好調に進んでいた。


 しかし、本番。激しい緊張感のあまり持ち前の気丈さを活かし切れず、問題に対する冷静さを欠いてしまい入試の結果は散々な形で不合格に終わってしまった。

 その一方で香織は見事、合格。

 春からは合格した私立中学校での生活が確約され、不合格となった俺は家の近くにある市立中学校に通うこととなった。


 悔しさのあまり、俺は暫く香織と会うことすら出来なかった。

 香織がどんなに気に掛けても心が頑なまでに拒絶する。


 止めてくれ……


 今は顔も見たくない……


 荒んだ心が唯一無二である妹の存在を否定し、関わることが余計に辛い気持ちへとなっていく。

 だが、中学校に入ればお互い違う学校で違う生活になる。

 香織と比較されることも一緒になることも少なくなる。


 それならまだ……やっていけるような気がした。 

 そんな心苦しさが徐々に晴れていく頃には、桜が咲く春になっていた。

 新年度、新入生としての切り替えが全然出来ていないにもかかわらず、入学式を迎えた日。

 久し振りに玄関で香織と顔を合わせる。


『おはよう、お兄ちゃん』


 挨拶を告げる妹を無視して、一人で中学の入学式に向かおうとするも香織は並んでついてきた。

 

『お前……その制服』

『やっと気付いた?私もお兄ちゃんと一緒の中学校に通うんだ』


 その制服はよく見るとこれから通う中学校の制服であった。

 三月に一度、母さんと仕立て屋で作ってもらう際に他の生徒が着ていたから見覚えがあった。


『受験した学校は?』

『辞めた。お父さんとお母さんには納得してもらった』

『は、なんで?』

『お兄ちゃんは知らないと思うけど、私ね。芸能活動始めるんだ。あの学校だと芸能活動出来ないからやっぱり普通の中学校に通うことにしたの』


 いや、意味が分からない。

 芸能活動……なんだよそれ。

 そんなものやるなら始めから受験なんてするなよ。

 俺はお前と同じ学校に通うためにあんな努力して失敗した。


 逆に合格を掴み取ったお前はなんで容易に捨てられる?

 それも芸能活動なんてより選ばれた者しか出来ないステージになんで簡単に立てる?

 どうしていつもいつも、俺の隣に立とうとしてくる?

 才能があるなら初めからそっちの道に進めばいい。

 俺なんかに合わせずドンドン進んで行けばいい。

 わざわざお前が俺を気に掛ける必要なんてない。


 頼むから……俺の前から消えてくれ。


 胸の内から這い上がる黒い感情が晴れかけていた心を再び真っ黒に染める。

 それからか、俺の心が香織を本格的なまでに拒絶するようになったのは……


 そして、中学一年生の夏休み。

 部活動は長期休暇に入り自習練もせず暇時間を持て余していた中、父さんと母さんも仕事で休みを取れ、香織もまだそこまで売れないタレント活動に明け暮れていた時期であったため、家族旅行で二度目の沖縄に行くこととなった。


 思春期真っ只中な俺は家族三人に行くよう勧めるも、家に一人で残すわけにいかないと主張する父さんとの口論の末に付いていくことを決めた。

 当然、その当時は既に俺は極力香織との間で距離を置くようにしていた。

 会話も自分からはせず、話す際は目も合わせないくらい尖っていた。

 そうすれば香織は勝手に離れていくと思っていたから。


 しかし、俺の思惑とは別に香織はしつこいまで関わってきた。

 半ば強制的に海へ連れてかれ、どこ行こうにも必ず行き場所を尋ねては付いてくる。

 跳ね除けようとも意固地なまでに香織は俺を気に掛けようとした。


 だが、反ってそれが俺の中では鬱陶しさを増す要因と化し、この水族館でイルカショーを観に行こうと手を引っ張ってくる時に我慢の限界へと達し、払った直後に喧嘩となった。


『もういい。頼むから俺を気に掛けないでくれ!』

『気に掛けるよ。そんな悲しそうにして、一人で落ち込み続けてるとこ見てたら心配なんだよ!』

『それがおせっかいなんだって言ってんだよ!この分からず屋!』

 

 柄にもなく人目を憚らずに当時の俺は鬼気迫る表情で怯える香織に罵声を浴びせ続けた。


『そうやっていつもいつも!不出来な兄に気を遣うのがそんなに楽しいか?』

『違う。私はお兄ちゃんと……』

『はっ、内心ではお前も思ってんだろ。双子なのに馬鹿な兄だって』

『思ってない!』

『いや、思ってる。だからお前は勝手に憐れんで、いつもそうやって足並み揃えて寄り添おうとしてくる……そんな優しさはいらないんだよ!惨めに思うならほっといてくれ!』


 こう言えば香織は退く。

 けなして突き放せば涙目を浮かべてどっかに行く。

 そして、案の定香織は涙を流して悔しさを露わにする。

 だが、一向に退く気配は見せない。

 負けず嫌いを発揮し睨み合いを続ける。


『くっ……うぜぇ』

『ウザイのはこっちだよ!私は仲良くしたいだけなのに、お兄ちゃんは全然私を見てくれない!』

『俺はしたくない。お前の仲良しごっこにいつまでも付き合う気はもうねぇんだよ!』

『……それ、本気で言ってんの?』

『あぁ本気だ!』

『あっそ……なら、もういい。勝手にして』

 

 顔を俯かせ静かにボロボロと涙を流しながら香織は背を向けてその場を後にした。

 離れていくその背中に清々する思いで俺も踵を返し、一人になる時間を求めた。

 怒り心頭で香織の涙に対して微塵も同情の余地が湧かなかった。

 もうこのまま、二度と顔を合わせなくていい……そう思った直後、ドンと背中に誰かがぶつかった。

 

『なんで、追いかけてこないの』


 嗚咽交じりの声で香織は異常なまでのしつこさを発揮する。

 

『……マジでウザイ』

『お前がウザイ』

『ウザイから離れろ』

『お前がウザイ』 


 背中に顔を押し付け、汚い鼻水を俺の服で拭おうとベッタリ離れない香織に更なるウザさが増す。

 泣かされた恨みを晴らすべく敢えて俺の下に戻り、離れないことでイライラさせようという姑息な手にかかる。


 ここで矛を収めれば俺の負け、どうにかして剝そうとするも肝心な所で手が出せない自分がいた。

 香織も分かっていてそうしている。

 俺が手を出さない前提でこの膠着状態を仕掛けにきている。


『いいから離れろ。服が伸びる』

『イヤだ』

『このブラコン』

『黙れシスコン』


 シスコン要素を見せたことが一度でもあったかと問いただしたくなる。

 だが、そんな束の間……俺達を探してやってきた母さんが『何やってんの、あんた達……』と啞然とした様子で仲裁に入る。それを聞き、一旦顔を挙げた香織が今度は引っ付く先を母さんに選び、大泣きっぷりを見せる。


『あの馬鹿お兄ぃがぁぁぁ』

『あんた、香織を泣かせたの?』

『コイツがしつこいから』

『うわあぁぁぁぁぁん』

『はぁ……ったく、あんた達ときたら……』

 

 ようやく身軽になった俺は二人を置いて別の方に向かって歩く。


『どこいくの?』

『一人にさせて』


 俺の気持ちを理解してくれていた母さんは何も言わずに香織を宥めるのに専念する。

 柄にもなく遠くでワーワーと泣く香織の声に目も暮れず『あー清々した』と気分が晴れ晴れしたと言い聞かせるも、ちっとも気分は晴れなかった。

 気分はむしろ、その逆。

 

『……最低最悪だな。俺』


 香織を泣かせるのが俺の望みだったのか。

 違う。

 単に放っておいて欲しかっただけ。

 だけど、香織があまりにもしつこいからつい俺は自分の八つ当たりを全部ぶつけてしまった。

 香織に非がないと分かっていながらも、香織が与えようとする優しさが荒んだ俺の心には違う何かに映ってしまった。


 あぁ……心がとても痛い。


 遠くから聞こえる香織の感情を含んだ泣き叫ぶ声が俺の心をひどく締め付ける。

 それから逃げるように俺は聞こえない所まで離れて行った。


 ……以上が、俺の犯した過ちである。


 それを思い出した所で今更どうにもなるとは思っていない。


 だが、始まりを思い出さない限りこれは終わらないと思った。

 全て過去の弱かった自分が蒔いた種。

 その種を蒔いてしまった甘さと向き合い、非を認めて許しを請うのがせめてもの償い。


 それを果たそう。

 もう、妹に寂しさだけを与え続けるのは止めにする。

 例え、それが叶わずとも。

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