五十四幕 沖縄/デート⑯
大きなジンベエザメを観に、多くの観光客で賑わうことで有名な沖縄の水族館。
それが本日のメイン舞台であった。
麦わら帽子をかぶり、花柄のワンピースを纏った香織は公園内を突っ切り、指定された待ち合わせ場所にあるというジンベエザメのモニュメントが置かれた場所へと到着した。
ホテルから一緒に行くのではなくわざわざそこで合流しようと提案してきた人物を見渡して探すも……周辺は多くの人だかりが生じており、このモニュメントにも数名の人が同じように待ち合わせ場所として使用していた。
(いないの?)
視界を左右に揺らし、見える限りの範囲で探してみるも見つからない。
痺れを切らし、メッセージアプリで『どこにいるのか』と問うも『そこのオブジェの近くにいる』と返ってくる。添付された写真を見ても、映ったオブジェが目の前にあるものと同じなのは一目瞭然。
しかし、肝心なヒカリの姿が見えないことに香織は蒸し暑さから少しずつ焦燥感に駆られる。
「もう、どこに……」
「香織」
オブジェの真横。
普段はストレートで流した黄色髪の片方を編み込みでヘアーアレンジし、白を基調とした肩空きフリル付きトップスに細い素足をよくみせるスキニーデニムを履いた少女がスマホ端末から顔を挙げて名前をぼそりと呼ぶ。
そこでハッと気づいた香織は首を横に振ってようやく視界に入れる。
すると、視界の端に映っていた凄く爽やかな少女が自分の兄であることに驚く。
「変?」
「いや、変じゃないけど……凄い驚いた」
一体どこでそんなオシャレコーデを習ったのか。
素体の良さを活かすことも覚えようとしなかった兄の矜持は揺らいでしまったのか。
そう問いただしたくなるも、諸々の答えが同室の唯菜にあるのではないかと悟る。
「デートだと思って気合い入れて着飾るように尽くしてくれたのね」
こうしてわざわざ現地で待ち合わせするように凝ったのも唯菜のアドバイスであると考えれば自ずと納得がいく。
「それで、唯菜さん達はどこ?どうせ、春乃達も一緒に来てるんでしょ」
二人で出掛ける予定ではあったが、結局いつもの三人にヒカリ、唯菜を足した五人でのお出掛けになったのだと香織は思い込むもそれは単なる勘違いに終わる。
「いや、二人だけ。約束したろ……っていうか、お前が言い出した話だろ、今日のこれは」
「そうだけど、唯菜さん達を誘ったんじゃ?」
「むしろ、逆だって。今日は二人で出掛けさせてほしいって頼んだ」
「え……なんで?」
「約束だろ、二人で出掛けるって」
腕を組みながら照れくささを隠そうとそっぽを向いて伝える。
そんないつもとは違う素直な印象に香織はポツリと現れた嬉しい気持ちに思わず顔を緩める。
(私って……単純だな)
「そろそろ中に入らないか?ここ暑いし、それに……なんか注目されてて居づらい」
ヒカリの言葉に改めて周囲を目だけで見渡すと確かに視線がここに集まっていた。
アイドルグループのSCARLETである三津谷香織が居る……と、気付かれたのではなく観光客の目に留まったのはヒカリの方であった。
華奢なスタイルに合ったモデルさながらの服装に一目で目立つ色の明るい黄色髪。
それに惹きつけられたのか男女問わずかなりの人達から注目を浴びている。
『あの子、めっちゃ可愛くない?』
『モデルかな。スタイルいい~』
『なぁなぁ、お前声かけてこいよ』
『馬鹿、無理だって』
そんなヒソヒソ声が全てヒカリに向けられている事に俯瞰して気付いた香織はニマニマとした表情を浮かべる。
「私、なんだか悔しくもあって嬉しくもあるなー」
「いいから。一先ず、中に入るぞ」
あからさまな煽り方に付き合う気もなく、手を掴んで水族館へと香織を連れて入っていく。
入り口でチケットを二枚購入し、直ぐに涼しくて薄暗い館内へ入ると落ち着いたように息を吐く。
そのまま、薄暗い建物の中に入った二人はゆっくりとした足取りで順路を進む。
特に何も会話はない。
お互いに何を話せばいいのか分からないまま魚やペンギンに意識を割きつつも、ポツリとヒカリの方から会話を切り出す。
「水族館にして正解だった」
「ここなら魚に目がいくもんね。でも、何回も来たじゃんここ。どーせなら行ったところじゃないとこが良かったー」
「俺はまだ一回しか来た事ないし。それも小さい時だったからあんまり覚えてない」
「いや、物凄い噓吐くじゃん。中学の時に来たし。それも今回で三回目」
「……そうだったな」
「お兄ぃってば魚に興味あんの?」
「あるよ。だから、来てるんだろ」
国内最大級のジンベエザメや多種多様な魚が飼育される。魚に興味がなくともかなり楽しめる場所だと陽一の中で記憶している。
しかし、本当の目的は違う所にある。
それを成す為には香織と陽一の思い出深いこの場所が最適であった。
「ウソウソ。私もジンベエザメとか見たかったし。ここで全然へーき」
「なら素直にそう言ってくれ。それと『お兄ぃ』は禁止な」
わざわざ顔を近づけてした指摘に香織は「なんで」と小さく尋ねる。
「唯菜や春乃さんが尾行してるとも限らないから」
「いるの?」
「分からない。行き先は知ってるだろうから付いて来てもおかしくない」
その気になれば周囲に完璧に溶け込むステルス性能を発揮し、完璧な尾行をしてきてもおかしくないという懸念から香織は周囲を少し見渡すも、春乃の特徴的な桃色髪は映らなかった。
「いない……」
心理戦に長けた春乃であれば自分達が油断しているタイミングを見計らって知らぬ間に距離を詰めて観察している可能性も考えられる。
そんな風に警戒しながらヒカリを兄と接するのは些か気が気でないと内心で理解を示す。
「今日はお姉ちゃん呼びで構わない。それに俺もそうやって接するようにする……これも約束だし」
嫌なら別に守らなくてもいいのに。なんて陽一の情緒を介さない発言は自然と出なかった。
わざわざこんな風に可愛くオシャレして、合理的な建前を並べてまで一度は捨てたルールを自ら復活させる。不器用ながら私に気づかれないように仲を深めようとする計らいに嫌だという気は起きない。むしろ、これは私が当初考えていたプランそのものに近い気がした。
理屈はさておき、約束を守ろうと努力することにクスッと笑ってみせた香織はいくつか注意点を述べる。
「なら呼称……俺じゃなくて私。あと言葉遣いもね」
「分かった」
「それと今日はお姉ちゃんがリードしてね。そして、甘えさせて」
我ながらキャラじゃない要求をしていると香織も分かっているが兄の本気度を確かめるべく、これ見よがしに大胆な発言に乗ってヒカリの手に指を絡めて繋ぐ。
ありとあらゆる香織の言動に一切突っ込むのを止め、どこからどう見ても仲の良い姉妹を演じると決めた陽一もまた自然体を装って通路を二人で進んでいく。
「見た?柚野」
「うん。見たよ、今のかおりん。ちょーかわいい」
ペンギンの飼育風景が見られるガラス前から身体を引き離し、通路の奥へと進んだ二人を確認した三人のある少女達がいたたまれない笑みを浮かべていた。
自前の桃色髪を束ねてブロンズベレー帽の中に隠し伊達メガネを掛けて変装した春乃と同じく普段はしない形での髪型に変えてゆるっとした雰囲気をこのために一蹴させた柚野が顔を合わせて感想を言い合う。
「お姉ちゃん、甘えさせてだって。きゃぴかわなんですけど~って、あ、鼻血たれてきた……」
「え、え!?」
二人と同じく違う雰囲気を出すべくヘアピンで髪の分け目大胆に変え、フリルニットに紐付きショートパンツで少しお洒落感を出した唯菜がショルダーバッグから咄嗟にティッシュを差し出す。
「はい、これ!使って」
「うぅ……ありがと唯菜ちゃん」
小さく千切って片方だけに敷き詰めて塞ぐ。
あまりの興奮が抑え切れなかったのか、思いがけず鼻血を出してしまった春乃は館内の涼しい風を仰ぎ熱くなった体温と心を少し冷ます。
「いや~外暑かったからね。身体がまだ火照ってるよ」
唯菜や春乃達が館内に入ったのはほんの数秒前。
香織が周囲を見渡し終え、二人がヒソヒソと聞こえない声で話し出したタイミングで三人はその脇を通ってギリギリ会話が聞こえるであろう位置で盗み聞きに徹していた。
その直後が香織の放ったその台詞だったため、突然の不意打ちに春乃と柚野は悶絶。一方の唯菜はその甘え台詞以上に気になる点があった。
「さっき、香織ちゃん。ヒカリちゃんのことお姉ちゃんって……」
「二人は従姉妹なんだって」
春乃のカミングアウトに「えっ?」と驚きを露わにする。
「ありゃ、唯菜ちゃんはまだ知らなかった?」
「うん。今、初めて知ったよ」
「私も~」
「ん~言ってよかったのか分かんないけどさっき自分の口からヒカリちゃんに向かってそう言ってたし」
いずれ自分の口から伝えるとか前に言ってたけど、二人は聞いちゃってるし……ま、いっか。
短絡的にどうにかなると決めつけ、深く考えずに頭の隅へとおいやる。
「まぁまぁ、それは本人達に後で訳を聞くとして二人の後をつけようよ~」
「柚野。いつになくやる気だね」
「いや~ね。本当は二人の時間邪魔するのもアレなんだけど……今日のかおりんみてるとなんだか見ちゃいけないものを見てる気がしてドキドキするんだよ!」
「わ、私も!もっと色んな香織ちゃんが見たいです!」
珍しく饒舌になって語る柚野の熱意に唯菜と春乃は深く同意した。
普段の香織を知っている分、まだ見ぬ香織がこの先に待ち受けているのだというワクワク感が香織大好き三銃士の好奇心をかなり燻る。
「あれれ~唯菜ちゃんはヒカリちゃんを見たいんじゃないの~?」
唯菜が二人についてきた当初の目的はヒカリを陰ながら応援することにあった。
別行動を取ったルーチェ側に付いていくよりも、ヒカリが気になった唯菜は「尾行するけど一緒にくる?」という春乃の誘いに乗って二人の後をつけることにした。
しかし、今さっき見て聞いてしまった光景に『LOVE香織』の気持ちが抑えきれなくなってしまった。同時にこれを参考にして自分のどの程度ヒカリに甘えることが出来るのだろうか、と探ることを新たに大義名分へと加えた。
「いいかな諸君。二人のデートを見守ろう隊として本格的な任務遂行をこれから決行する」
「ラジャー」
「我々の存在は二人に決して知られてはならない。これは絶対遵守だ。いいかね、唯菜隊員」
「ラ、ラジャー」
「良い返事です。それでは行こう。いざ、未知の世界へ」
二人の影を完全に見失い「あれ、どこ行った?」と焦りながらの三人の尾行が密かに始まったのであった。




