五十三幕 沖縄⑮
「失礼します」
静かに入った香織はそのまま奥へと進む。
椅子に腰掛けた麗華がテーブルに向かったまま電話しているのが分かり、終わるまで近くのソファに腰掛けて待つ。
「ごめんなさい。仕事絡みの電話で」
数分後、電話を終えた麗華は立ち上がって冷蔵庫から二本の缶ジュースを取り出す。ラベルにシークワーサージュースと記載された冷えた缶を受け取る。
「今日は引率出来なくてごめんね。幸香の写真集は私が先方に取り次いだからどうしても付き添わないといけなくて」
「いえ。ジルさんが面倒をみてくれたので」
「ま、あいつは暇してたみたいだし。面倒の一つや二つ押し付けた所で私が貸してある分は全然チャラにならないのだけどね」
麗華とジル。この二人の間で過去に一体なにがあったのか香織にとって知る由もない。
それについて詳しく……特に陽一が付けているTSリングという件について何か知っているのではないか、という憶測から麗華に尋ねようか迷うも、今は呼ばれた件について尋ねる。
「それよりも、急な話とは一体なんですか?」
「別に急を要するわけではないのだけど、あなたには先に伝えておこうと思って」
その案件に一つ思い当たる節があった。
「八月下旬の週末の日曜日。そこで香織と春乃……二人でのユニットライブが決定したわ。それもあなた達二人での単体公演」
「そう……ですか」
「やっぱりまだ納得いかない?」
「はい。私は三人でのSCARLETを大事にしたいと考えてます。それなのに新ユニットって……」
これはもう決まった話。
それを今更とやかく言うのは筋違いと分かっていながらも香織は奥歯を嚙み締めた。
この話は今年の四月頃の話。
SCARLETメンバーでの新ユニットの結成あるいはソロデビューを行うという話が挙がった。
会社側……主プロデューサーの麗華としては三人のうち二人だけの新ユニット結成よりもソロ曲を新たに作ってソロライブを行う方がベターであると香織や春乃、柚野の三人に提案していた。
ソロに関してデビュー出来る人数は今のところ一人だけと決まっており、音楽を提供するレーベル会社や事務所の意向により香織が内外からも含めて推されていた。
提案とは名ばかりで実質、ソロデビューの枠は香織に決まっていたようなもの。
麗華はその事実を伏せて三人に新ユニット結成の話を知らせたものの、香織は事前にその事実を知ってしまっていた。
三人での活動で大きな波に乗りつつある段階で二人を出し抜くようにソロでデビューする。
(私がもう一段、ステップアップするにはその提案に乗るべきなのかもしれない)
しかし、当時のSCARLETが置かれた情勢……何よりも二人の気持ちを優先した香織はソロでのデビューを辞退する意向を会社側に示した。
そこで出たもう一つのプランが新ユニットの結成。
こちらは初耳で、聞かされた時は耳を疑うレベルで会社や麗華に対して懐疑心を抱いた。
三人でのSCARLETなのに一人だけを外して新ユニットを組むというふざけた話。
訳が分からない、と香織は珍しくも感情を露わにして抗議した。
すぐにそのプランは中止するべき。
新ユニットは必要なく、三人であれば大丈夫だと、そう強く主張した。
だが、麗華すらも知らぬ所でどうやらその話は勝手に進んでしまっていたらしく。
ファンサイトの方で近々新しい動きがあるといった趣旨の内容を告知が流れ、その情報は瞬く間にファンの間で拡散し、香織のソロデビューという噂が連日賑わっていた。
そんな背景もあり、三人に提案した時点でその二択を選ばないという選択肢はなく、そしてほぼ一択に絞られているも同然な状況であったことに香織は激しい憤りを覚えかけた。
(そこまできたらもう会社が……大人が選べばいいのに)
私達が選択をしないといけない。
大人が勝手に盛り上がって進めてプランの最終決定権を私達……特に私に委ねてきた狡さがとても気に入らない。
そう恨み節に構えていると沈黙を破った柚野がある提案を申し出た。
『かおりんとはるのん、二人で組むユニットがいいとおもいます』
『柚野!それは……』
『そんな顔しないでかおりん。私はかおりんが私達の為に悩んでいたのは知ってた』
『そうそう。香織ってば絶対にソロでの活動なんて断固拒否するだろうなって思ったから、柚野と話し合ってこれが一番だって決めた』
『でも、私じゃなくていい。柚野と春乃の二人で……』
『大勢のファンが求めているのは私達じゃなくて香織なんだ。悔しいけど、私達だけじゃ普段のSCARLETライブよりも人は集まらないよ』
春乃の言葉に『そんなことはない』と否定する言葉が出ない。
慰めを兼ねた言葉をかけても現実としっかり向き合う春乃には意味のなさないことだから。
『柚野はいいの?それで』
『私は大丈夫。それにね、二人にちょうどピッタリのユニット名が思いついたから』
『私と春乃の?』
『うん。ユニット名は【ハルノカオリ】なんてどうかな』
『まんまじゃん!でも、悪くないね』
『柚野にしてはまともなユニット名ね』
『麗華さん。それ褒めてますぅ~?』
『褒めてるわよ。【ハルノカオリ】今の時期にピッタリな名前でいいわ』
『え、それのデビューってもう決まったんですか?』
『まだ未定よ。今年の夏か秋に予定されているから……春ではないわね』
『なーんだ』
といった流れで私と香織による二人での新ユニット【ハルノカオリ】がその時に決まった。
それから今に至るまで新たな情報は私達の下には入ってこなかったからてっきり有耶無耶に終わってしまったのかと思っていた。
しかし、どうやら水面下でそのプランは進んでいたらしい。
そして現在、ライブ日程と会場も決定したことでそれは正式且つ公式のユニットとなった。
これが良くも悪くもどう転ぶかは香織も判断し兼ねるが、仕事として決まったのであれば仕方なく受け入れるしかないと自分に言い聞かせる。
「楽曲の方は二曲完成してるから、明日の旅行終わりに音源を渡すわ」
「分かりました」
「……楽しい旅行の最中で申し訳ないと思っている。でも、あなたには早めに伝えておこうと思って」
新ユニットお披露目ライブまで残り一か月。
沖縄遠征兼旅行を終え、二日の休暇の後に待っているのは詰め詰めのスケジュール。勢いに乗っている時期であるからこそ今は多くのライブをこなし認知度を高める。アイドルのイベントだけではなく他の音楽フェスにも今年は招致されている。
週替わりであちこちの地域にライブで飛び回る日々に忙殺される。その中での新曲練習や日々の厳しいレッスン……考えただけで疲れてくる。
「まぁ、流石に厳しいスケジュールを組む気はないから。ちょくちょく休暇を入れれるように私も務めるから安心して」
「はい。お願いします」
「さて、せっかくの旅行気分を台無しにするのもなんだし。仕事の話は一旦ここまで」
昨日の飲み会でかなり酷い目に遭ったのか、今日はお酒を飲むのを控えジュースで一人乾杯した麗華はお酒を入れた時さながらの声で息を吐く。
「明日は何かしらの予定は立てているの?ポーチカの何人かとも仲良くしてるんでしょ」
「そうですね……明日は三ツ谷ヒカリちゃんと二人で出掛ける予定です」
自らが提案した事実を伏せて、その話をした途端にゲホッゲホッと麗華は喉にジュースを詰まらせた。取り乱した麗華の口元を拭うよう近くにあったティッシュを渡す。
「そ、そう……いいんじゃないかしら、楽しんでくれば」
「はい……楽しめたら」
色々と複雑な胸中に見舞われ、素直にヒカリとのお出掛けを楽しめそうな気持ちではなかった。
陽一に出したお願い事も香織自身もうどうでもよくなっていて、海であのように言ってしまった手前、ヒカリと会うのも今は何だか気が引けていた。
何をどうするべきだったのか。
自分でも訳分からず、自体の収拾を図れずにいる。
(明日の件、やっぱりなかったことに……)
「躊躇いがあるなら……進みなさい」
「……」
「周囲に合わせなくていい。傷つけるのが怖くて止めたら、辛いのはあなたよ」
「えっと、ソロデビューの件について言っているのですか?でしたら……」
「違うわ。あなたの心について言っているの」
「……!」
「チャンスがきたら掴みなさい。失敗しても掴む努力は必要よ。それに尻込みしてたら何も始まらないんだから」
それはいつも麗華が香織達の背中を押す際に使う激励の言葉の一つ。
ライブ前や大きな仕事前で尻込みするSCARLETを前へと押し出すための言葉。
「はい……」
「よろしい。なら、明日頑張ってきなさい」
「え……あの、麗華さんもう一つ聞きたいことが」
「ダメダメ。今日は閉店よ。ほら、さっさと部屋に戻って寝た寝た」
まだ十時前にもかかわらず無理矢理門前払いされ、廊下に放り出された香織は仕方なく自室の帰路についた。
その数分後、麗華のドアが再びノックされた。
次なる来訪者を察した麗華は入るように伝えると銀髪の青年がそっとドアを開けて入る。
タイミングを見計らっての訪問。
「あなた、さっきの会話聞いてわね」
「聞かれたくないならベランダの扉を閉めておく事をオススメしておきます」
「別にいいわ。それより、いいの?香織、三ツ谷ヒカリの正体に気付いているみたいだけど」
「あの感じだと大丈夫でしょう。釘を指さずとも彼の身を案じて黙っているみたいですし」
焦った顔を見せるのではなく飄々とありのままを受け止める。
「あなたはいいかもしれないけど、私個人としては勘弁してほしいところよ。これ以上、今の香織にあまり精神的な負担を背負わせたくはないから」
「彼女も真面目な性格なんですね」
「えぇ、よく周囲が見えていて気が回る。でも、そのせいで一歩引いてしまうのが悪い癖」
「確かに……三年前とそこは変わっていませんね」
このまま付き合っていては長話になる。
今日の仕事疲れで早く休みたい気持ちを優先させた麗華は早々に話を切り上げにかかる。
「悪いんだけど、あなたに頼み事があるわ」
もとよりジルを呼びつけたのは麗華であった。
先の新ユニット結成に即してある頼み事をジルを介して行うつもりであった。
「ソロ曲を一つ。彩香に作ってもらいたいの」
「それは構いませんが、彩香が了承するかは別ですよ。それにあの日以降、彩香は頑なに未読スルーしているんで、直接連絡した方が早いかと」
全てジルの自業自得であると責め立てたく思うも、今は彼の持つ力を必要とせざるを得ない。
会社側に彩香の活動をあまり知られる訳にはいかないから。
「麗華さんの頼みであれば勿論引き受けます。但し、返信してくるとは限らないのでご了承を」
「ホントめんどくさいわね。さっさと仲直りしなさいよ」
「無理です」と言いながらもジルはメッセージアプリからではなく、仕事用のメールアドレスから彩香の端末へと麗華からの正式な楽曲制作の依頼仲介するべく話を持ち掛ける。
プライベートでは無視され続けているも、仕事となれば話は別。
いつも通りこっちのメールでは早めに確認して返信をしてくるであろうと踏みつつも、ジルは一つ前の画面に戻り、彩香のメールが登録されている上の欄に記載された『松前綾華』という名前に暫し視線を落とす。
「……諦めた訳じゃなかったのね」
「綾華のことですか?」
「えぇ、思いっ切り見てるからまだ未練があるのだと思ってね」
「ありますよ……勿論」
珍しく憂いを帯びた目を向けたジルの心を悟り、これ以上の詮索を止めた。
連日のマネージャー業務で疲弊し切った麗華は大きな欠伸を浮かべると「ほら、もう用は済んだんだから帰った帰った」とジルを部屋から押し出しつつ、営業終了を知らせる。
「じゃあ、彩香から連絡が来たら教えて。あなたに仲介役は任せるから」
「相応の料金は貰いますよ」
「ホント、可愛くないわね」




