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五十一幕 沖縄/アクシデント/決意⑬

 なんてこった……やらかした……


 浜辺から少し離れた沖合。

 ある物を失くしてしまい、そこまで深くない海底の中をゴーグル越しで探すも見つかずにいた。

 一旦、足の着く岩場へと移動して首から下は海に浸かったまま一息入れる。


「どうしよ」


 水着イベントで起こる王道のアクシデントが今まさにに災いとして俺の身に起きていた。

 アニメやゲームで女の子との海デートイベントでたいていヒロインや一緒に来ている女の子達の中の一人は絶対にやらかすエッチなアクシデント。


 それはポロリ。

 水着の紐を緩く結んでしまい、波に水着が流されてしまい半ば半裸状態に陥ってしまう水着イベントであれば典型的なアレ。


 まさか、自分が体験する側に回ろうとは思いもしなかった。

 同時に流された時のヒロインの気持ちが痛いくらい分かる。

 浜辺に戻ろうにも周囲の目があるせいで容易に戻れない焦燥感に恥辱感。それに加えて、俺は水着を流されたことに少し屈辱感を抱いていた。


 いや、今は先ず流された水着を探さないとだな。

 まだ流されたばかりだからここら辺を隈なく探せば見つかる可能性も高い。

 それに周囲には俺しかいないからバレることはな……

 

「こんな所で何してるの?」


 音もなく忍び寄り、海面から顔を出した香織が同じ岩場に立つ。

 またもや、最悪なタイミング。

 簡単に足が着く岩場であるにもかかわらず、しゃがんだまま海面を平行に見詰める視線の意図に香織は状況を整理して俺がここでうずくまっている理由を指摘する。


「まさか、水着流されたの?」

「……」

「えぇ~もうなにしてんだか」

「うるさい」


 呆れた口調で「やれやれ世話のかかるお姉ちゃん」と楽しそうに笑ってみせる香織に返す言葉もなく、しゃがんでいる他ない。


「香織、一つ頼み事がある」

「一緒に探して欲しいんでしょ」

「え……あぁ、そうだな」


 意外にもあっさりと受けてくれたことになんだか拍子抜けする。

 もっとこう意地悪く「お姉ちゃんの為に水着を探すの一緒に手伝って」とか言わされたりするかと思っていた。

 

「それでどの辺りで流されちゃったの?」

「多分この辺だと思う」


 足の着かない所で何度も素潜りを繰り返して海の中を夢中になって散策している内に胸の紐が勝手に解けてどっかしらで漂っているのは間違いない。

 ポロリに気付いたのもほんのちょっと前。まだ遠くには流されていない筈……なのだが、中々見つからなくて困った。

 岩場で数段高い位置から香織が周辺を見渡すも、それらしきものは見つからないようだ。

 

「一回、浜辺に戻ったら?幸い男の人はあの社長さん以外いないし」

「俺も男……」

「今は女の子でしょ」

「それよりも、悪いんだけど浜辺に戻るは却下で」

「なんで?」


 その疑問に答えるのを憚った俺は明らかに視線を逸らして微妙な面立ちで下の方を向いた。

 先程からずっとうずくまったまま立ち上がらない本当の理由に気付いたのか、香織は「噓でしょ……」とドン引きレベルの顔で尋ねる。


「まさか、流されたのって……下も?」

「……うん」


 我ながら情けない。と言いたいが、気が動転し過ぎて泣きたいレベルで震えている。

 こうしてうずくまっているのは今の俺が一糸纏わぬ姿のままだからであった。

 未だ誰にもこの裸は見せたことはないし、見せる気もないのでこのまま浜辺に戻るのは断固として拒否させてもらう。いや、それ以上に上下両方共海に水着を置き去りにしてきたという恥じを晒したくないのが本音である。


 だからこうして、かなり焦って流された上下の水着を探してたのであった。


「下の方って確か、パンツのやつでしょ。アレを流されたって言うの?」

「いや、実はアレの下に上と同じ紐タイプの水着を着てて、パンツだと泳ぎにくかったからさっきTシャツの横に置いてきた……」


 はは……消えたい。泣きたい。

 上下纏めてどっか流されるとか勘弁して欲しい。

 そのポロリした所を妹に見られるとか……もういっそのこと泡になりたい……。


「はぁ……そうやって意気消沈していると余計遠くに流されちゃうんだから早く探すよ」

「手伝ってくれるのか?」

「当たり前でしょ。私はあっちの方探すから逆側をもう一回探して」

「香織……ごめんな。お前のこと悪魔みたいな妹だとばかり……」


 今だけは天使に見える。


「ふーん。私のこと、そんな風に思ってたんだ」

「いや、今のは兄なりのジョークと言いますか……」

「じゃあ、これで貸し一つね。それと私が水着を両方見つけたら明日……半日だけ付き合って」


 それを伝えた香織は直ぐに岩場からジャンプして海に飛び込む。

 小学生の頃に習っていた水泳教室でトップ記録を叩き出したクロールでドンドン遠くの方に向かって泳いでいく。

 

「あいつ、なんだか嬉しそうな顔をしてたな」


 素早く腕を掻いて進む香織はどこか嬉しそうな顔でいたようであった。

 午前中にぷんすか怒っていた時とは違って、今の香織はどこか大人しく見える。

 いつもは露わにする感情も少しは抑えて……なんだか気を遣っているように思えた。


「ま、それはそれでいっか。楽だし」

  

 さて、俺もそろそろ水着を探さないと……って、あれ。

 遠ざかっていた香織が段々と近づいてくる。

 片手にはオレンジ色の何かが握られており、数秒で岩場へと到着すると「はいこれ」と言って手渡す。 


「え、もう見つけたのか?」

「そこに二つ漂ってた。本当に探したの?」

「一応……」

「はぁ……ほら、そこに座って背中向けて。結んであげるから」


 先に下の方を履いて結んだ後、岩場へ腰掛けた俺は届かない背中の紐を香織に結んでもらう。


「最初に着替える時に自分で結んだの?」

「……やってもらった」


 唯菜に……とは敢えて言わなかったが、全部お見通しだった香織は紐をきつく結ぶ。


「でしょうね。お兄ぃがこんな水着一人で着られるわけない」

「俺だって別に着たくなかった」

「はいはい。それはもう聞いたって」

 

 バランス良く背中と首の辺りの紐を結んだ香織はそのまま背中へと顔を押し付けた。

 後ろから手を前の方に伸ばして肌を密着させるように絡みつく。

 突然にそんな風なスキンシップをしてくる香織に俺はもう訳が分からないと困惑した。


「……どうしたんだ。今日はいつもより一段とおかしいぞ」

「今は二人だけで居られる時間なんだから少しは付き合って」


 我儘っぽく構って欲しい妹感を今だけは前面に出す。

 岩場の角度からだとちょうど浜辺からは死角になっており、誰にも見られないことを悟った香織はこれ見よがしに素の自分を曝け出す。

 

「ねぇ、何でアイドルなんて始めたの?」

「最初はジル社長に無理矢理この腕輪(リング)を付けられたのがきっかけだった」

「唯菜さんのためだったからじゃないの?」

「それもあるかもしれない」

「ウソ。私は初めて三ツ谷ヒカリの歌を聞いた時にこう言われた気がした。『お前を倒してやる』って」

「……」

「ずっと考えてた。あの日からずっと……三ツ谷ヒカリを見るとなんでこんなにも懐かしいって感じるんだろうって。だから、少しライバル視してた」

「お前が俺を?」

「うん。初めて歌を聴いた時、私は少なからず感動した。歌に込められた想いが沢山詰まってて聴いているとなんだか惹きつけられる気がしたから」


 歌に込められた想い……あの時の俺は色々な事を思い浮かべながら一生懸命に歌った。


「負けない、頑張ろう、楽しい……直接言葉にしなくてもヒカリの気持ちが私には伝わった。私だけじゃなくて会場の人達や隣に居る唯菜さんにも」

「俺が唯菜に特別なメッセージを送っていたと?」

「もしかして無意識?君が好きだって告白しといて」

「そんな風な事は思ってない」

「でも、ちゃんと言ってたよ。二人なら大丈夫だって」


 口から出任せ。

 何を根拠にあの時の気持ちを代弁してペラペラと話しているんだか。


 しかし、それを素直に受け取ってしまう自分がいた。

 デビューライブで何を想って歌っていたかなんてそこまで深く覚えていない。

 ただ必死に約三分半に渡るステージで今出せる全力全霊のパフォーマンスをする。


 一人じゃなく、二人で会場の雰囲気を変えにいく。

 そんな気持ちで歌っていた気がする。


 けれども、その傍らで俺は無意識のうちに自分がまだ気付いていない気持ちを声に出して、歌に乗せて表現していたのかもしれない。

 それが香織の言う、メッセージだとすれば俺は唯菜の事を……


「好きなのかもしれない」


 徐々に傾きつつある太陽に向かって何げなくそう呟いた。

 静かなさざなみが岩場を打ち付けているも自分の声が透き通って聞こえた。

 当然、後ろにいる香織にも聞こえていたに違いない。


「友達として……でしょ」

「ん、まぁそうだな」

「私も今の状態でお兄ぃが唯菜さんに手を出すなんて本気で思ってないし。それにまだあの時の失恋を根に持っているんでしょ」

「うっせ」


 その失恋の原因が少なからず香織にもあることを自覚して欲しいものだが、その事実を頑なに伏せている時点で意味のない恨みだ。


 それに今の俺には当分の間は恋愛なんてするつもりはない。


 最近では陽一よりもヒカリとして過ごすことの方が多いせいか、異性に対する価値観が少しずつではあるが自分の中で変化が訪れていた。今もこうして香織と密着していて、俺と同じくらいのサイズ感で弾力のある胸を押し付けられている感触が背中越しで伝わっているが、全くといっていいくらい欲情する気が起きない。


 兄が妹に欲情する時点で少しどうかとは思うが、陽一のままであったらしてた。確実に。

 そもそもの話。陽一だったら俺はここにもいないし、二人でこうして夕焼けの海を共有する時間なんてものもなかったに違いない。仲睦まじく昔みたいに……

 

「なぁ、俺からも聞かせてくれ。一昨日に言ったアレ、仲直りしたいとかいうあの件……今はどう思っているんだ」


 まだ香織がヒカリをヒカリだと思い込んで言った時の言葉。

 『私はもうちょっと兄さんと仲良く話してみたいんです。昔みたく一緒に……』

 その願望を口に述べ、香織は『諦めている』と自分の望みを捨てるように呟いていた。

 あの後の晩にヒカリの正体を知って、それから二日。

 少なからずヒカリを兄だと思い込んで接してきた香織がそれについてどう思っているのか、俺はそれがずっと気掛かりでいた。


「……変わらない」

「……」

「私はお兄ぃと仲良くなりたい。いや、仲良くしたい。顔を合わせる度に喧嘩して、全然私を見向きもしてくれない不貞腐れた態度なんか止めて仲良くして欲しい」


 俺はただ黙って聞いていた。

 香織の秘めた本心を真っ直ぐと受け止めるために。

 

「でも、無理だと諦めてる。その言葉も変わらない」

「……」

 

 背中から伝わる温もりが離れ、肌寒い潮風が背中を擦る。


「先に戻るね。あんまり姿見せないと心配されそうだし」


 先に浜辺へ戻ることを告げた香織は海の中を泳いで岩場からいなくなった。

 一人、小さな岩場に取り残された俺は寂しさを抱きながら青い空を仰ぐ。


 自分が蒔いた種であるのに寂しい……か。


 その寂しさを香織に与えていたのは俺だ。

 それが今更、自分に返ってきたことでこんなにも心が痛いと感じるには都合のいい話。

 今の俺と香織との関係性は全て俺が悪い。

 勝手に嫌いになって、勝手に避けて、身勝手にも香織の気持ちを知った上で距離を置いていた。


 最低な兄貴だ……俺は。


 香織はただ昔と同じように仲良くを保ちたいだけなのに。

 だからなのかもしれない。

 香織が俺にお姉ちゃんとして接するように要求してきたのも。


「これも全部、過去の俺がしてきたことだ。今更仲良くしようなんて虫のいい話かもしれないが……」


 せめてもの償いをしよう。

 俺が香織に与えてきた寂しさを少しでも埋める償いを。

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