五十幕 沖縄/素直になれない私⑫
「いいな……」
海の家のにあるテラス席から香織は海辺に映る二人の影がどこか輝かしく見えていた。
(私も素直に兄の手を引いて振り回せばあんな風に楽しく笑い合うことができるだろうか)
(根は優しい兄の心に漬け込んで嫌々ながらも無理矢理誘えばきっと私も同じようにして遊ぶことは出来るかもしれない)
でも、そう簡単には上手くいかなかった。
三ツ谷ヒカリを兄だと意識してしまった以上、香織自身が彼女を三ツ谷ヒカリと認識出来なくなっていた。だから架空の従姉妹と設定し、三ツ谷ヒカリを疑似的な姉として据え置いて接すると決めていた。
しかし、中身が兄の陽一まんまであるせいか、話すといつもの兄妹での会話になってしまう。今さっきみたく、話していると段々感情が抑えられなくなり、いつも通り兄に感情をぶつけては……強制終了の流れに突入してしまい、中々思うようにいかない。
(私って本当に素直じゃない)
この解決方法は簡単な話、香織が素直になればいいだけ。
無邪気に気軽に手を引いて、唯菜みたく積極的に関われば済む話……なのだが、そうはいかないのが現実であった。
「おやおや、また羨ましそうにあの二人を見ている人がいる~」
ピンク色のフリル付きワンピース水着を纏った春乃が更衣室から出てきて、意地悪く突っかかる。
昨日もそうであたが、春乃は香織がこうも私的な感情を露わにしているのを見て楽しんでいた。
そして、香織が何に悩んでいるのかも既に分かっていて知らん振りを続けている。
(本当に狂った性根してるよ。春乃は……)
今更ながら呆れた香織は溜息を吐いてムッと睨む。
そんな可愛くもいじらしい様子に春乃は「ごめんって~」と軽いノリで謝る。
「そう睨まないでよ。香織もヒカリちゃんと仲良くしたいんでしょ」
「……別に」
「もう素直じゃないな~」
「うるさい」
「それで、香織とヒカリちゃんってどういう関係なの?」
「どうって……」
「私の見立てだと二人は姉妹か何か。おそらく血縁関係にあると踏んでみた」
(相変わらず鋭い洞察力)
身体的特徴面でヒカリと香織は共通点が多い。間近でヒカリを目の当たりにした香織からすればよく出来た瓜二つの顔のドッペルゲンガーに等しい。
そんな自分でも容易に気付けたのであれば、洞察力に秀でた春乃が気付いていないことはない。
「伊達に人間観察が趣味と言い張るだけはあるのね」
「いやいや、二人って双子の姉妹ですか?っていうくらい滅茶苦茶似てるから誰だって勘付くって」
「柚野も?」
「柚野はニブチンだからね~言わないと気付かないって」
「じゃあ、唯菜さんは?」
「気付いているけど気付いていない。まぁ、多分唯菜ちゃん凄く性格が良い子だから内面で個人を判断してるんじゃないかな」
香織も唯菜を詳しくは知らない。
けれども、春乃の言葉には妙な説得力が含まれており、自然と納得がいく。
(やっぱり人をよくみてる)
可愛いビジュアルが売りで明るくチャーミングで元気な所をファンの前でアピールし、時には考えなしの能天気な発言をする場面があるものの、それも全て春乃は計算して話していると香織は密かに感じていた。
こうして、口を開くと弾丸の嵐みたく次々と見た目不釣り合いな言葉と行動が露わになり、最初の時はずっと口を閉じていて欲しいと思うくらいうざかった。でも、春乃は他人をよく観察した上で周囲と溶け込みやすくするのが得意な性格。
軽快でおバカそうなキャラを演出しているも、SCARLETの中では誰よりも計算高く、周囲がしっかりと見えているお調子者なお人好し。
そんな裏表がはっきりしている所に香織は信頼を預けていた。
「ちなみに同じメンバーとして二人はどう思うっているの?」
その後ろからちょうど出てきたポーチカの二人。
長い銀髪をハーフツインテールにして両サイドに靡かせ、胸の辺りに白いフリル付けたボトム水着を着たルーチェと同じ髪型で黒を基調としたソリッドフリル付きのトップスにボーダー柄でスカートタイプの水着姿の春達に春乃は無理矢理話を振る。
「げっ、変態……待ち構えてたの?」
「違う違う。そう警戒しないでほしいかな……って無理か」
そそくさと春の後ろに隠れた銀髪の妖精は背中から顔を覗かせて警戒心剝き出しのまま構えながらも、再度尋ねる。
「それで……何の話?」
「そうそうあの二人について、ルーチェちゃん達はどう思っているのかな~って」
「あぁ、そういうこと。別にどうもこうもしないわ。中身が中身なだけによくもまぁ仲良くやっているわって感心するレベルね」
「え?何の話?」
「え……いや、何でもないわ。単に引くレベルで仲が良いから感心しただけ!」
二秒前。自分が何を言ったのか思い出したルーチェは慌てた様子で言葉を付け足す。
(この子、もしかして三ツ谷ヒカリの正体が兄であると知っている?)
ルーチェは社長兼プロデューサーであるジルの妹。それなら少なからず正体を知っていても別におかしくない。というよりこの反応を見る限り恐らく知っていると香織は推察した。
「じゃあ、春ちゃんは?」
「私は……とても良いと思います。唯菜ちゃん、ライブ中に前よりも凄く明るくなったし……ヒカリちゃんと居るととても楽しそうだから」
「そうね、春に同意見。てか、見れば分かるでしょ。あんな笑顔で楽しそうに遊んでいるんだから」
本当にその通りだ。
あんなにも仲睦まじい光景を見せられては羨ましい気持ちも中々抑えれられない。
「それよりもう行っていい?ここ日向で暑いから早く移動したいんだけど」
「引き留めてごめんね~」
「それともう一人はうちの馬鹿兄貴が様子見てるから遊んでてだって」
ルーチェの言うもう一人とは柚野のことを言っている。
今朝のバイキング形式での朝ご飯を沢山食べて、お腹を壊した上にこの島に来る途中の船酔いでとどめを刺された柚野は現在横になって休んでいる。
着替えて外に出る前に様子見で柚野の所に行くともう一人、近くのソファで少し俯きながら具合悪そうにしている人がいた。
それはポーチカのマネージャー兼プロデューサーのジル。
ジルも昨日の二日酔いと船酔いのダブルパンチから生じた体調不良が原因で、午前中は暫く動けないほど身体が気怠いことを皆に伝えて海の家で休んでいる。
「お兄さん大丈夫なの?」
「放っとけばへーきでしょ二日酔いなんて。酒に大して強くもないのに無理するから……自業自得」
「ルーチェちゃんが介護してあげたら一瞬で治るんじゃない?」
「は?あんなの放っとくのが一番の治療よ。それに昼過ぎのマリンスポーツには参加したいとか言ってたからその内、どっかしらのタイミングで顔出すでしょ」
兄に対して強烈に辛辣な態度を取るルーチェに香織は少しばかり親近感を覚えた。
「で、午前中は各自自由に過ごす感じでいいのね?」
「はい。構いません」
「じゃ、私達は私達で遊ぼ」
「そうだね」
唯菜とヒカリ同様に仲の良さはこちらもまた同じ。
マイペースなインドア派同士、気の合う部分が多そうな二人は海辺へと向かった。
「それで香織はいいの?ヒカリちゃんと仲良くしたいんでしょ。てか、結局のところ二人ってどういう関係?」
「従姉妹。母も双子であの子は姉の叔母さんの子供。だから似てるの」
予め考えていた設定を自然と口に出す。
「へぇー、まぁそれなら納得かな。でも、最初見た時に気付かなかったの?」
「前に会ったのはもう随分と前だし。髪色もあんな派手じゃなかった」
「私が言えたことじゃないけど、ヒカリちゃんの色は目立つよね~」
(本当に何であんな色にしたんだか)
目立つことを基本避けてきた兄のこういう目立ち方には理解に苦しむ。
(それにヒカリって名前も……陽一という名に関連して自分で付けたのだろうか)
香織は以前に兄が女の子だったらどういった名前を付けていたか、母から聞かされたことがあった。
男の子だったら陽一、女の子だったら明里。
父と母はそう決めていた。
(兄はおそらくそれを知らない筈。男として生まれ陽一という名を授かった兄がもしも、自分が女の子だったらなんて疑問を抱いて名前はどんな風に付けていたかをわざわざ両親から聞くような真似は絶対にしない……と思う)
「それで従姉妹のお姉ちゃんをが取られちゃってさびしいよ~って顔している香織さんはどうしたいのかな~」
「別にそういうんじゃ……」
「香織って自分の事となると本当に素直じゃないよね」
「……悪い?」
「そうやって素直に認めるのも嫌いじゃないよ~」
「こら、ひっつかないで」
抱きついて肌を密着させてくる春乃を無理矢理引き剝がそうとするも嬉しそうに抵抗してくる。
「うん、満足」と言って腕が疲れてきた所でようやく離れた春乃をキリッと睨む。
「もう、何なの!」
「香織、ちょっとは肩の力抜けた?」
「余計に疲れが溜まったわ」
「まぁまぁ、肩肘張らずにもうちょっと気楽に接すれば?それともあの二人の中に混じっていく自信がないの?」
春乃の言う通り。
ヒカリと積極的に関われないのはそれが理由でもあった。
(唯菜さんが邪魔だと言う気はないけど、あの二人が楽しそうにしている空間に私が入っていける余地を見出せずにいたのも事実)
「私は唯菜さんがちょっと羨ましい」
「……ふふっ」
「何がおかしいの?」
「いや~だって、唯菜ちゃんは香織に物凄く憧れていて、香織は唯菜ちゃんを少し羨ましがっているのが第三者の視点からだと面白く見えてね」
「私はあんまりそういうのは気にしたことがないから分からない」
「香織はそうかもだけど、私は唯菜ちゃんの気持ち痛いくらい分かるな~。香織には私達が欲しくても手に入らないものをたくさん持っているからね」
意地悪な言い方。
でも、その気持ちが分からない香織ではなかった。
現に……唯菜に対して抱く感情が今から口するものと同じ。
「私になくて唯菜さんにしかないものがある……持ってない者からすれば持っている人のそれはとても輝いて見える」
煌めく太陽の下ではしゃぐ二人の姿が香織には物凄く輝いて見えた。
手が届きそうで届かないもの。
あの中に自分が入っても同じ様にして輝きを保つことは出来ないかもしれない。
むしろ、入っていくことで余計に汚してしまうかもしれない。
そんな懸念が香織の身体をここに縛り付け、あの二人から遠ざけようとする。
(出来ることならあまり見たくない)
(なんでかな見ていると……物凄く悔しい気持ちになる)
唯菜をライバル視したい訳じゃない。けれども、あの隣が自分じゃなくて唯菜であることがとても悔しかった。気に入らないとまでは言わないが、良い気分にもなれない。
そんな偏屈な自分を少し嫌いになる。
「香織はヒカリちゃんが大好きなんだね」
「……そんなんじゃない」
「本当に素直じゃないな~。でも、私はそういう香織も好きだよ」
「告白?」
「うん告白。私が男の子だったら絶対に告白してた」
「こんな面倒な女、止めといた方がいい」
「自分で言うんだ」
「自覚はしてるつもり。素直じゃないってことや不器用だってことも」
自覚していて、理解していてもそれを変えようとするのは難しい。
特に香織の場合は後先考えずに行動する春乃とは違って、思考が身体を自制してしまう。
「相変わらず堅物な性格~」
「お気楽人間に言われたくない」
「でも、振り回し役は必要でしょ。私も唯菜ちゃんみたく香織を振り回してあげよっか?」
「必要な……」
「よし、せっかくの海なんだから四人で遊ぼ~!」
プライドが邪魔して拒む前に春乃は腕を取って砂浜へと駆けだす。
春乃はいつだって香織の気持ちを理解して、素直じゃない香織を振り回す。
その時に限って言葉では拒むようなことを言いつつも内心では受け入れる。
まさにツンデレ。
(でも、それが凄く有難い。言葉にしなくても、春乃には勝手にいつもみたく伝わっている……私が本当はどうしたいのか。誰よりも理解している)
そう思い込んで……香織は春乃に甘えていた。
そして、感謝していた。
こういった感情も恐らくは春乃には伝わっている。
でも、言葉や気持ちは口にしないと伝わらないこともある。
だから、今だけはちゃんと伝えておこう。
斜面を二人で駆ける春乃の背に向かって届く声で香織は伝える。
「ありがとう春乃」
突然の感謝に春乃は少し驚くも、二ヒヒと無邪気な笑顔を浮かべては……
「どういたしまして」
……と返して、二人は両手を繋ぎながら斜面を下った。




