四十三幕 沖縄/夜道⑤
温かいシャワーを浴びながら唯菜はリハーサル時を回想していた。
「ヒカリちゃん……何だか、浮かない顔だったな」
その異変に気付いたのはリハーサルが始まる前。
到着したことを知らせて戻ってきたヒカリはどこか浮かない顔でいた。
(疲れているのかな?)
朝から色々と面倒をかけさせてしまい疲れているようにも捉えられる。
そんな風に少しばかり心配そうに見つめているとヒカリは直ぐに悟られないように笑顔を貼り付ける。
『体調悪いの?』と声を掛けても『大丈夫の』一点張り。
その後も普段通りにリハーサルを完璧にやり遂げた。
しかし、時折に見えたその表情はいつもと違って曇っていた気がした。
その要因が何なのかは唯菜も分からない。
それ以前に、唯菜はヒカリという人間を詳しくは知らなかった。
出身地や経歴、家族が何人居て、何でアイドルを始めたのか……過去に数度、尋ねてはいるが有耶無耶に流されてまともに知ることはなかった。。
個人情報であるからして、本人が言いたくないのであればあまり聞くべきではない。
別にそんな情報がなくとも、唯菜はヒカリを信用して、信頼している。
自分が打ち明けた悩みにしっかりと向き合って、一緒にそれを解決しようと力を貸してくれる。
言葉だけじゃなく、全身全霊で現実に応えてくれる。
それは横浜アイドルトーナメントで同じステージに立った際に証明された。
そんな優しさに触れれば、ヒカリの謎に包まれたプロフィールなんて大した問題ではない……とは言い切れなかった。
やはり気になってしまう。
唯菜はヒカリを信頼すればするほど、もっとヒカリの事を知りたくなる。
香織に憧れた時みたく、どういう人柄なのか気になってしまうし、何が好きで、どういう趣味があるのか、どうやったら笑ってくれるのだろうetc……知らないという事実が唯菜の中でより興味心を駆り立てる。
その内の一つにヒカリの迷い。という項目が新たに追加された。
(自分の悩みを向き合ってくれたお礼も含めて、今度は私がヒカリちゃんの相談役になる)
「よし!」と意気込んだ唯菜はシャワーヘッドのノズルを止め、ホテルのバスタオルが置いてある棚から取り出して、華奢な身体や栗色の髪に付く水を素早く拭き取る。
濡れたバスタオルを身体に巻いて扉を開き、思い切って話しかける。。
「あのね、ヒカリちゃん!……って、あれ?」
さっきまで布団の上で寝ていたヒカリの姿はどこにもない。
部屋の死角にも居ない様子に困惑した唯菜はスマホアプリを開いて何かメッセージが送られていないか確認するも、何も届いていなかった。
「どこ行っちゃったんだろう」
音もなく姿を晦ましたヒカリを案じた唯菜は『どこ行ったの?』と送信。
すると、間もなく部屋の何処からか通知音が鳴り響く。
ベッドの布団に少しばかり埋もれた所に黄色のスマホが無造作に置かれてあった。
「あれ、スマホ忘れている」
スマホを持たずにどこへ行ってしまったのだろうか。
行き先を尋ねようにもその唯一の連絡手段である道具がここに残されている以上、ヒカリの帰りを待つ他ない。
「くちゅん」
温まった身体がエアコンで冷えた部屋の空気に晒され、急速に冷えていく。
風邪をひかない内に着替えるべく、急いでスーツケースの中から下着寝間着類を取り出すのであった。
♢
遠い海岸線から吹き抜ける夜風に当たりながら昼間に香織と話した内容を回想し……ほんの少し過去を振り返っていた。
香織を嫌いになったのはいつからだったか。
小学校?
中学校?
多分、その辺なのだろうがいつだったかはハッキリと覚えていない。
そんな回想に耽りながらホテルから歩いて数分のコンビニへと向かっていた。
東京よりも人通りが全くなく、しんと静まり返った道。
車通りもなく、通り過ぎる人もいない閑散とした夜道を少女が一人で歩いている。傍から見れば危険極まりない空間を俺は自分が女の子だというのも忘れて歩いていた。
「きっかけってなんだっけ」
不仲になったきっかけ。
お互いにあまり話さなくなったのは何だったか、思い当たる節がない。
香織の事を自然と嫌いになった。
そう考えてしまえばこの問題は永遠に解決されない上に自分自身の人間的な感性を疑う。
人を嫌いになる時、人は何らかの理由で嫌いになる。
俺と香織の場合、何が理由で、何がきっかけで妹と顔を会わせたくなくなったのか。
それが分からない限り、俺はこの問題の解決策を見出せないのはおろか……香織と仲直りも出来ない。
「はっ……つか仲直りってなんだよ」
そう吐き捨てた途端、黒い道の前から淡い光を帯びた何かが立ち阻む相手が嫌悪感を向けてくる。
『勝手に嫌っといて、勝手にあいつを避けておいて今更、仲直り?笑える』
嘲笑いながら彼は改めて問う。
『そもそも、お前は今の時点で妹をどう思っている?』
そこには俺が立っていた。三津谷陽一たる本当の姿の俺がヒカリとなった俺に問う。
『妹の凄さを改めて身に染みて、今度は別の姿でまた背を追いかけて……兄妹だという事実を伏せて仲を深めるつもりか?』
「そんなつもりは……」
『ないとは言い切れないんだろ。現にお前は正体を偽って香織とは正面から向き合わず、自分だけ一方的に香織を知ることで関係性を改善する意図口を探っている。小賢しいやり口でな』
「違う!」
『違くない』
はっきりと自覚を促す口調で俺は核心を衝いてくる。
『他人や白里に振り回されるのを言い訳にしてお前は香織を知ろうとしている。自らの意志ではなく、連れてかれて仕方なく香織のライブを観て、偶然にもアイドルなんて役目を負わされ、同じ舞台に立つ者同士だから嫌でも知ってしまう。いつものように受け身に徹してな』
「……っ」
『図星なのは当たり前だ。言われて怒るのも当然』
嫌悪感の正体はこれだ。
『俺はお前だ。可愛い姿で女になっていても中身は変わらない。それとも何だ、中身まで乙女と化したか?』
「黙れ」
『なら、黙って聞いて自覚しろ。お前がしっかりと向き合うべき相手は自分ではなく香織だということにな』
淡い光が薄れていく。
影もなく実体もない俺が消えていく。
『自問自答はこれで終わりだ。少し冷めた頭でもう一度考え直してみろ……』
何処から吹き流れる潮風と共に虚空の彼方へと跡形もなく消した。
あれは自分が勝手に描いた妄想体。自分にしか見えない幻。
周囲の人がこれを見ていたらビックリしてドン引いてしまうくらいの痛々しい自問自答の仕方。
「誰も聞いてない……よな」
周辺に人はいない。
声に反応した野良猫が細く吊り上がった鋭い眼光で石垣の上からこちらを見詰めているだけ。
「猫ならいっか」
再び足を動かした俺はコンビニがある場所へと向かおうとするも、果たして自分が進む方向にコンビニがあるのか不安になる。
パーカーのポケットからスマホを取り出そうとするも肝心な物は持っていない。
あれ、置いたまま来ちゃったのか。
だが問題ない。ズボンのポケットにもう一個のスマホがある。
因みにこれは陽一用のスマホで部屋に置きっぱなしにしているのがヒカリ用スマホ。最近は唯菜との連絡を取るため、スマホをそれぞれ分けて使用するようにしていた。そのため、常日頃から二つのスマホを持ち歩くようになっている。
だからか、もう一個を部屋か何処かに置き忘れてしまうことが時折生じてしまう。
両方持って管理するのは本当に面倒ではあるが、流石に遠征中に四日間も手放していると音信不通で知り合いから不安がられる可能性も否めない。
「あれ、電源消したままだっけ」
一昨日辺りに使用して最後、充電の消耗を懸念して電源を落としたままのスマホを再起動させる。
すると案の定、友人の中原や新城、母といった頻繫に連絡を取り合う相手からメッセージが届いていた。
それも送られてきたのが昨日の午後と今日の午後。
前者の二人はゲームしようせという内容で、後者の母からは「お土産よろしく」の一言のみ。
どちらも早急に返す案件ではないので、適当に一言それぞれ打って返す。
それに加えて、途絶えていたスマホゲームのログインボーナスやらを取得してちゃっかり期間限定の夏イベントが開催されているゲームシナリオを少し進める。
「おっとつい……」
面白くてつい、こんな場所で夢中になって進めてしまう所だった。
期間はまだあるし、遠征後でもギリギリ終わるくらいの内容。
お楽しみは家に帰ってから存分に堪能すべく、アプリを落としてコンビニの位置を再検索……すると、たった今新しいメッセージが届いた。
送り手は香織。
家に関すること以外で連絡を取り合ない香織から突然送られてきたメッセージに思わず既読を付けて中身を拝見した瞬間……電話がかかってきた。
「え……何で?」
よく分からないが、香織が電話をかけてきた。
既読を付けたのを見られたからだろうか。
ともかく、ヒカリの姿では電話には出られないので一旦変身を解除……したくないな。
人がいないと言えども、ここは外だ。
変身している瞬間を誰かに見られでもしたらアウト。
万が一も兼ねて、ここは電話に出ない対応でやり過ごすしかない。
音信不通になったら『今は出られない』と一言送っておけば問題ない。
よし、それで通そ……
「何で出ないの?」
う?
その声は電話を通してからではなかった。
小路を下った先にある電灯の下に現れた少女から発せられた声。
こちらに気付くや否やゆっくりと顔を斜めに上げ、薄く口元を緩ませた少女が挨拶を告げる。
「こんばんはヒカリちゃん……それとも今はこう呼ぶべきかな?」
そこに立っていたのは昼前にも見た時と同様に白いワンピースを纏った同じ顔の少女……
「お兄いちゃん」
妹の香織だった。




