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四十一幕 沖縄③

 那覇空港から車で約二十以上走った宜野座市に位置する海浜公園。

 劇場、ビーチ、体育館、野球スタジアム、テニスコートを有する大きな海浜公園の中に今回行われる野外ステージがある。

 ヤシの木が並び、潮風のする方を真っ直ぐ向かう。途中案内所の地図に従い、噴水広場から海側へ直上する形で進むとステージの裏側部分が見えてきた。


「ようやく……着いた」


 吸い込んでも暑い空気が口の中を含まれるも、体内で減少した酸素を一杯に繰り返し取り込む。 

 額から汗が瞼に流れ込み、目が染みる。それを拭くためのタオルを用意し忘れた上に渇いた喉を潤す水もない。身体中汗まみれでTシャツと下着もぐっしょり濡れ、一向に汗も止まる気配がない。

 完全に準備を怠っていた……というか沖縄、舐めてた。


 夏の沖縄……しんど。


 会場に着いたら日陰で涼みながら身体を休めたい。

 てか、服と下着を変えたい。

 冷たい飲み物が欲しい。


 そんな一心で会場に辿り着いた俺は顔見知りが待っている黒いテント内に二人を引き連れて行く。

 

「あ、ヒカリちゃん」 


 こちらに気付き、小さく手を振るう名を呼ぶ主の元へ近づく。

 顔を見ると直ぐに少し慌てた様子でテント内の奥に向かってしまうも直ぐに戻ってきた。 


「ヒカリちゃん……これ、使って」


 目の前に差し出された白いタオルと冷たいスポーツ飲料に目が往くと直ぐにペットボトルのキャップを開け、身体の不足した水分を補う。「プハー」と豪快に飲み干し、そのまま顔と上半身を中心に汗を拭く。


「助かったよ。楢崎さん」


 その二つをわざわざ持って待っていてくれた女神様にお礼を告げる。


「ううん、大丈夫。それよりも、唯菜ちゃんとルーチェちゃんは……」


 背中合わせのままテント内でぐったりと俯いた二人を楢崎さん心配そうに二人分のタオルとスポーツ飲料を用意する。


「二人共、この暑さにやられたっぽい」


 今日の那覇市の最高気温は三十三度。

 午後三時を回った現在はその最高気温をとっくに迎え、舗装されたアスファルトの日向を歩くと上下からジリジリと熱された空気感を肌で感じた。


 一方で東京はまだここまで暑くはなく、今朝も二十度くらいと涼しい気温だった。

 それ故に急激な寒暖の差に身体がついていけず……唯菜とルーチェはバテてしまった。


 唯菜の場合、寝不足や飛行機での乗り物酔いによる影響もある。ルーチェは元から暑さに苦手らしく慣れない環境下に身を晒されたのが原因らしい。

 この厳しい暑さに身体がまだ慣れずにいるのは俺もまた同じ。

 気を強く保っていないと二人みたく俯いて座ってしまいかねない。


「この後、リハーサルあるけど……唯菜ちゃん、大丈夫かな?」


 リハーサルまでに体力は回復する……けれども、体調面が元通りになるとは言い難い。

 ここまで憔悴し切った唯菜は初めてだし、ルーチェに関してはもう梃子でも動かぬといった具合で疲れ果てて俯いている……フリをしながらスマホでアニメか何かを観ている。


 恐らく昨日の深夜に放送していたアニメの見逃し配信でも観ているに違いない。

 面白いシーンに思わず口角が上がって少し笑っているのが垣間見えた。

 あの様子ならルーチェは問題あるまい。メンタル面を除けば。


 しかし、二人を心配している程の余裕がないのは俺もまた同じだ。

 1、2時間程度、休憩を挟まなければリハーサルなんて挑めたもんじゃない。


 着いたらジル社長の元まで来るように伝えられていたし、二人の状態を考慮してもらってリハーサルの時間を陽が落ちる時間帯まで伸ばせないか交渉してみるしかあるまい。


「暫くはこうさせてあげといた方がいいと思う。それより、ジル社長はどこにいるか知ってる?」

「運営の人と打ち合わせしていると思うよ」

「ってことはステージ裏のテントのどれかにいる感じかな?」

「ううん。多分、客席側かも……」


 客席側……となるとステージ脇を通って向かう必要がありそうだ。


「分かった。それと、暫く二人を見といてもらってもいいかな?」

「うん、任せて」


 意外にも面倒見が良い楢崎さんに二人は任せて俺はジル社長が居るであろう客席側へと向かう。

 この野外ステージは赤レンガ倉庫で行った横浜アイドルトーナメントみたく一から機材を運んで舞台を造るのではなく、コンクリート製の四角い形状した劇場型ステージから見て客席側は扇状に広がっており、高低差のある席配置で比較的ステージに近い印象を受けた。

 その背後に広がる潮風を感じながらステージ中央で運営のスタッフと話すジル社長を見つけた。


「取り込み中か」


 話しを遮ってまで急を要する用件ではない。少し待つか。


 どこか日陰は……ないな。


 周囲を見渡しても客席側で日陰になる場所はどこにもない訳ではない。ステージ直ぐ傍の最前列付近が日陰に位置するであろう。

 しかし、そこはスタッフさんが忙しく動き回って準備中なので暑さを凌ぐ場ではない。

 

「俺も日傘、持ってくるべきだった」


 客席の中央にて黒い日傘を差した女性スタッフと打ち合わせを行うジル社長に目をくれながら、改めて準備を怠っていたことを後悔する。


「アイドルなのに陽に当たっているとか……意識低いって思われそうだ」

 

 念の為に帽子を被って頭部を紫外線からケアし、首回りに冷やしたタオルを巻いて首焼けを注意してはいる。だが、それでも肌が露出している部位にはジリジリとした陽光に焼かれているに違いない。

 そんな暑さに少し我慢して待っていると突如足元に影が現れ、蒸し暑さが少し和らぐ。


「日焼け対策はしておかないと肌に悪いですよ」

「香織……」


 アイドルとしての自覚が足りない。

 そんな風に注意を促した香織は俺の隣に並んで立つと日傘で直射日光から防いでくれた。

 無論、香織は俺を陽一だとは知らず、三ツ谷ヒカリという知り合いの少女として接する。


 同性同士だから距離が近づくことに躊躇いのない香織は出来るだけ二人の影が傘の影に入るように肩を寄せ合う。

 

「沖縄は初めてですか?」

「初めてではないけど……久し振りだから暑さ対策とか忘れてた」

「見た感じ、日焼け止めのクリームとか何も付けていないようで」

「すいません。女子力低めなもので……」


 中身は男なもんでね、女子力なんて磨いたことないんだよ。


 内心ではそう開き直るも、香織の言っていることは一ミリも間違っていない。

 この姿で沖縄に行って肌がこんがりと日焼けしました……はアイドル洒落にならない。

 後々、東京に帰って気付いた所ではどうしようもならない。その前に事前の対策はしろと俺よりも百倍女子力の高いタムタムに口をすっぱくして言われていたのを思い出す。


「あの、三ツ谷さん」

「はい?」

「ヒカリさんと呼んでも構いませんか?私を香織と呼んでも構いませんので」


 呼称の交換条件を持ち掛けてくるも、「別に構わない」旨を伝え返す。

 三ツ谷さんというのは俺も呼ばれ慣れていないし、妹を苗字で呼ぶのも何だか落ち着かないからそうした方がお互いに楽だ。


 もっとも、正体を隠しながら香織と直に話すことに一種のスリルを感じて全く落ち着かない。


「ヒカリさんって兄妹とかいますか?例えば……血の繋がった隠し妹、あるいは姉とか」


 ……何なんだ、急に。


 突然、そのように詮索してくる香織に妙な気配を感じ、引き気味に答える。

 

「い、いないけど」

「でも、ヒカリさんが知らないだけで本当は居るかもしれませんよ」

「いや、いないって」


 居たら困るって。

 それはどの道、俺と香織の異兄妹に当たる人物。

 そんなのが発覚したら父さんが母さんにしばかれる所じゃすまない話だぞ。


「そうですか。少し残念です」

「……どうして?」

「私とヒカリさんは顔がそっくりなので、もしかしたら姉妹なのかな……なんて思ったりしてて」


 そういうことか。

 姉妹という点ではある意味正しい。

 DNA鑑定をすればヒカリと香織は血の繋がった姉妹であるという結果が出るに違いない。


 仮にそれを知らぬ所で香織が興味本位で行ったとしたら、間違いなく先程の様な解釈に至りかねない……というか絶対にそう解釈する。

 全く身に覚えのない父さんと母さんの前に(ヒカリ)は引っ張り出され「私の隠れたお姉ちゃんです」なんて紹介されたら最後……三津谷家は混沌と化す。


 そうなる前にどこかのタイミングで香織には正体を明かして事情を説明しよう。

 無論、香織が何かしら勘付いたらの場合でだ……。

 

「あの、どうかしましたか?」

「いやいや、大丈夫!それよりも香織……ちゃんは兄妹とか居るの?」


 焦って思わずそう聞き返す。

 先程の質問に対する無難な返しだと自負してはいるが……聞くまでもない質問をしたことに何の期待も持てなかった。


「います。私と似ていない双子の兄が一人」


 悪かったな、似ていなくて。

 傘とステージの間に見える空へ視線を仰いだ香織はそのまま(おれ)について語る。

 

「私は兄とあまり仲が良くないんです」

「……」

「顔を合わせればいつも喧嘩ばかり、お互いに家で会う回数も少ないのでしっかりと話す時間もなくて……というか、話そうとしたらあっちはあっちで機嫌悪そうな態度で話してくるので、私もちょっとムキになったりして口喧嘩に発展するといった感じなんです」

「そ、そうなんだ」


 他人事みたく言っているが、全部香織の話している内容に覚えがあり過ぎて顔を直視出来ない。


「私はもうちょっと兄と仲良く話してみたいんです。昔みたく一緒に……」


 それは紛れもなく香織の本音……なのだろう。

 陽一の姿では面と向かって聞くこともない香織が抱える兄妹関係への想いと悩み。

 それを打ち明けた理由が何なのかは分からないが、その伝え方は卑怯にも感じた。


 俺が香織を騙していることへの卑怯さ。

 騙されていることを知らずに想いを告げてくる卑怯さ。

 そう思える要因は全て自分であることは勿論なのだが、普段は聞くことのない妹の本音を知ってしまった以上、心が揺らがないことはない。

 

「でも、それは無理だと諦めています」

「え?」

「私は兄と肩を並べることは出来ない。私が傍に居ると辛い気持ちにさせてしまうから」

「それは……」

「すみません、ヒカリさんには関係のない話でしたね」


 しんみりした口調を戻して向き直った香織は少しばかり笑ってみせるが、あの話を聞いた後では空元気にしか映らない。

 気の利いた言葉を何か掛けてあげるべきなのだろうが……口にする前で止まった。

 『大丈夫。そのうちに仲直り出来ますよ』なんて言葉を俺が言えたことではない。


 あくまでも陽一ではなくヒカリが代弁する。傍から見ればそう捉えるかもしれないが、主体的に判断して口に出すのは自分だ。

 ヒカリが言っても、俺が言ったことには変わりはない。

 だから、躊躇った。

 本音を告げた相手に噓で濁すのは気が引けるし……何よりも香織にはだけは気持ちの面で噓は吐きたくない。昔からそう振る舞ってきたように。

 

「あ、そろそろ終わるみたいなので私はこれで」

「うん。また……」

 

 SCARLETのプロデューサーらしき女性の人が運営スタッフと客席の脇に逸れていく。それを追う形で香織は離れていくと再び暑い陽射しが肩や頭に重くのしかかるように当たる。

 少しばかりヒリヒリする肩に触れながら階段を昇ってくる人物に目を遣る。


「香織ちゃんと何を話していたんだい?」

「……別に」

「兄妹水入らず、いや姉妹だったか」

「そういうのはいいんで。それより、遅れてしまってすいませんでした」

「いやいや。ルーチェをしっかり連れてきてくれたことに僕が感謝を述べたい所さ」

「本当に大変でしたよ。唯菜もダウンしてましたし」

「そうらしいね。まぁ、僕らのリハーサルは陽が落ちた後だ。それまで君も少し休んでいるといい」


 勿論、そうさせてもらうとも。


「にしても、浮かない顔だね。やはり、何かあったのかな?」

「何でもないです。それでは、先に戻ります」


 あまり詮索されたくない。

 今回ばかりは他者から首を突っ込まれたくはないので、この件は胸の内だけに留めておく。

 くそ……聞かなければ良かった。

 晴れることのないモヤモヤを抱えながら俺は三人の居るテントへと戻った。

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