四十幕 沖縄②
二時間に渡る空の旅を終え、東京と沖縄を結ぶ窓口を担う那覇空港へと到着した。
夏休みシーズンだけあってか、空港内の人は多い。
家族連れから団体客、休みに入ったばかりの大学生らで荷物の受け取り口は人でごった返しになっていた。そんな人だかりをすり抜けて荷物が運ばれるベルトコンベアーまで進んで待っていると……
「あのポーチカの三ツ谷ヒカリさん……ですよね?」
直ぐ横で同じく待っていた女性の方にそう尋ねられ、思わず「え、はい。そうです……」と答えた。
「あの!明日のライブ、楽しみにしてます!」
歳は俺よりも少し上、幸香さんと同じ大学生くらいの若い男女のカップル。
見た感じポーチカのファン……ではなく、SCARLETのファンであるのは鞄に付けてある缶バッジから一目瞭然。
この人達は今回のイベントに参加するのを目的にわざわざ東京からやってきたのだろう。
本命のグループではないにしろ、『楽しみにしてます!』ってわざわざ声を掛けてくれたんだ。
そのことにせめて感謝は伝えよう。
「あの、ありがとうございます。応援よろしくお願いしましゅ……噛んだ……」
最悪だ。
こんな台詞言い慣れていない上に初めてのファン対応に緊張して呂律が上手く回らなかった。
あまりの恥ずかしさに思わず顔を赤く染めながらも再度、小さく言い直す。
優しい彼女達は温かい励ましと応援している事を告げて、直ぐに立ち去る。
姿が見えなくなる直前でこちらへ振り返って手を振ってくれるファンの二人に苦笑いのまま同じ様にぎこちなく手を振って返す。そんな塩対応に我ながらもうちょっとマシな返し方が出来なかったのかと呆れた。
強いて言い訳をするのであれば、これは初めての経験だったのでびっくりした。
『ヒカリ』という名をメンバーやジル社長を含めた関係者以外から呼ばれることはなかった。
ましてや、こんな一般人も居る公共な場で芸能人さながらな扱いを受けることもない。
いつかはそういうことが来る日もある。そんな事を唯菜が言ってたが、それは意外にも早く何の前触れもなく起きる。
『折角、わざわざ声を掛けてくれた訳なんだからしっかりファンサービスをちゃんと考えておかないとダメだよ』
もしも、今唯菜が隣に居たらそんな風にダメ出しされそうだ、と思いながら二人分の荷物を取る。
それから来た道を戻りながら俺は二人が待つ待機椅子へ向かう。
「あ、ヒカリちゃん……荷物ありがとね」
「いいって。それより体調は?」
「ちょっとずつ楽になったよ」
初めての慣れない飛行機にどうやら激しい乗り物酔いを覚えたらしい。
今日は上空の風が強い影響か、いつもよりも機内が激しく揺れていた。それに加えて、高所による気圧の負荷が頭にかかり、耳抜きの仕方がイマイチ掴めない唯菜は離陸の数十分から着陸に至るまでの期間、その二つがダブルパンチで身体に作用したのが原因として挙がる。
しまいには……
「本当にごめん。私達が起きなかったばかりに飛行機に乗り遅れちゃったし」
俺達は本来乗る筈だった便に間に合わず、四十五分後発の那覇空港行きの便に乗ってここまで来た。
結論から言えば、二人は起きれなかった。
朝六時に起床した俺は二人をあの手この手を使って起こそうとしながら顔を洗ったりして出掛ける準備を進めていた。それでも二人が起きなかったのは、何が何でも行きたくない気持ちで寝ながら度々鳴り続けるアラームを消し、途轍もない腕力で布団に絡み付いて意地でも起きようとしないルーチェによる妨害行為が大きな原因。
刻一刻と出発時間が迫る中、ルーチェとのやり取りで騒がしくしていれば唯菜も目を覚ます……と思いきや全く起きず。二人を起こすのに三十分以上奮闘した。
どうにかして先に唯菜を起こして、急ぎ支度を進めさせたものの、怠惰の魔王は七時ギリギリまで俺と無駄な起床戦争を行った末に嫌々ながら起きた。
俺はもうその時点で察した。
絶対に間に合わない。
取り敢えず、身支度を済ませた唯菜と寝起き同然のルーチェを二人で着替え、歯磨き、顔洗いをさせて急ぎ部屋を飛び出して羽田空港へと向かうも……間に合わず。
ナイルさんを空港へ残して俺達三人以外のメンバーは予定通りの便で飛んだ。
予め乗り遅れることをジル社長に伝えていたため、次の便で四人分の席が確保されていた。
その便で俺達はそれでここまで到着した。というのが今に至るまでの経緯である。
「まぁ、仕方ないよ。それよりも立てそう?」
「……もう少しだけ、休ませてもらってもいいかな?」
落ち着いてきてはいるが、まだ無理っぽい。
「無理して動く必要はないでしょ。リハまで全然時間あるし」
今日は明日のイベントに向けたリハーサルを行う。
その時間は割と夕方くらいで早くはない。
今から会場に向かっても真夏の炎天下に晒されながら待つだけで余計に体力を消耗するだけ。
ジル社長もそれを踏まえて先に会場付近のホテルでチェックインを済ませて、時間までゆっくりと過ごすという旨を話していた。
「時間までに会場へ着けば、ゆっくりでいいって言われているからこっちはこっちのペースで行けばいいよ」
現状はそれがベスト。
ここで唯菜を無理に動かして体調を悪くするよりも回復を様子見ながら動く方がいい。
会場は空港から車で三十分行った先の宜野座市内である。
今から先にホテルに向かっても二時間は休めると思うが……まぁ、ゆっくり動くでいいか。
「それにしても喉乾いた」
空港内はエアコンが効いていて涼しいが、機内で陽の当たる窓際席だったため少し前から喉が乾いていた。それに慣れない空の旅や朝の奮闘で疲れて体調不良なのはこちらも同じ。
喉を軽く潤わせて気分転換しよう。
「何か飲み物いる?」
「お茶で、お願いします」
リクエストを聞き、売店で飲み物を買いに向かうと「私も~」と言いながらルーチェも後に付いてくる。
「あ、ちんすこうある……」
沖縄名分の菓子でクッキーに似た食感で、サイズも一口、二口で食べられる。味のレパートリーが多いのは勿論のこと、小麦粉の中に砂糖が多く含まれているためプレーンでも中々に美味しいから何個もパクパクといける。
前に来た際、好んで食べたいたのを思い出すと小腹をみたすように何個か籠に入れ、唯菜と自分の分の飲み物も籠に含めてレジへと向かおうとした次の瞬間……。
「みっけ」
耳の近くで声を発し、背後から胸部を思い切り両手で鷲掴みにされる。
そして、二回揉まれた。
「んっ……」
胸部から走る妙な感覚に思わず変な声が出てしまうも、男の矜持を維持するべく腕を振り払う形で背後の変態野郎へと振り向いて睨む。
「誰だっ…って、あれ……」
背後から突然襲ってきた人物は意外にも見知った人物であったことに驚く。すると「ごめん、ごめん~」と笑いながら手を振るう彼女の名を口にする。
「春乃さん」
「やっほーヒカリちゃん。偶然だね、こんな所で」
少しギャル系な派手めな白いTシャツにダメージの入ったハーフパンツに特徴的な桃色髪のツーサイドアップの上から黒い帽子を被ったSCARLETの安達春乃さんと思わぬ再会を果たす。
「偶然も何も背後から襲ってきた時点で偶然じゃないでしょ。春乃」
その後ろから白いワンピースに身を包み、麦わら帽子を被った上品な淑女を思わせる格好をした香織が『確信犯でしょ』と鋭い指摘を入れる。すると、こちらに向き直って家内では絶対に見せない、外での貌で挨拶を交わす。
「お久しぶりです。三ツ谷ヒカリさん」
「お、お久しぶり……です。三津谷香織さん」
実際には一昨日の夜に家で話しているのだが、この姿で香織と話すのはこれが二回目。時系列的に横浜アイドルトーナメント以来となるため、約二週間振りの再会となるだろう。
変な敬語で挨拶しているのも、二人の登場に思考が追いついていないのと記憶を遡っているからであった。
そんな挨拶を不思議に思ったのか、香織はクスリと笑ってみせる。
「この間とは随分、雰囲気が違いますね。前はもっとこう敵意を剝き出しにしてたような」
「今回のイベントはあの時みたく対戦形式ではないですから、ライバル関係なのもあの日だけです」
「本当にそうですか?」
「え?」
「あの時の三ツ谷さん……いえ、この話はまた今度にしましょう」
一瞬真剣な顔になったかと思えば、途中で言うのを止めてしまう。
「それよりヒカリちゃん!あの子どこ?」
「あの子?」
「銀髪碧眼美少女のルーチェちゃん!」
あ~その子ね。
あれ、さっきまで後ろにくっついていた気するけど……どこに行ったんだ。
「多分近くに居ると思うけど……(いた)」
首を回して探すと……真横にひっそりと息を潜めながら様子を伺っていたルーチェがいた。
お土産のコーナーとコーナーの間で屈んでいるため、目の前に立つ二人からは見えない。
魔の手が襲いかかってくることを逸早く察し、何も告げずに俺を生贄に捧げたルーチェが『黙ってなさい』と口で示す。
今朝の事やここまでの道中で散々ルーチェに振り回された事を思い出し、軽い怒りを発散すべく俺は春乃さんに視線でルーチェの居場所を伝える。
ニヤッと口元を緩ませた彼女は『了解』とアイコンタクトを取り、こちらへと身体を向けるルーチェの背後へと回って忍寄る。
そして間もなく真横から『ギャアッ~』という断末魔が響くも、目も暮れずにレジへと向かう。
香織も飲み物を一緒に買おうとしていたのか、そのまま後ろへと並ぶ彼女の飲み物をサッと取って「一緒に買うわ」と告げる。
「え?」
その様子に少し戸惑いを見せる香織に気付かないまま、代金を払って商品を手渡す。
「はいこれ……って、ごめん。ついいつもの癖で。ほら、纏めて買った方が早い……みたいな」
気が抜けていたのか、遅れて素の自分を出してしまったことに焦りと気恥ずかしさに駆られる。
いつもの癖、と言ったものの実際は少し昔を思い出したが正しい。
香織とコンビニで買い物をした時は纏めて俺が払う。
そうした方が効率がいいから。そんな理由で半ば強引に香織が買おうとしている物を買っていた。
しかし、今の俺は香織から見ても知り合って間もない同業者。
いきなり物を取られた挙句、男交じりの口調で勝手に代金を代わりに払われれば困惑するのも無理ない……と思いきや、少しキョトンとした顔でジィっと俺を見詰めていた。
「あ……ありがとう。お金払いたいんですけど、今小銭持ってなくて」
スマホアプリでの決済が主流な香織はあまり財布を持ち歩かないんだっけか。
このままだと押し問答みたくなるので、見切りをつけるべく……
「別にいいよ。これは私の奢りで、いいです」
「それは駄目です。奢られるようなことは何も……」
「この間のライブ前に助けてもらったお礼も込めて」
「ですが……」
「それにこっちは勝負を宣言して負けた身だし……その恩人と勝者には少しくらい労ってもいいんじゃない?」
適当に考えた理屈を述べ、飲み物を受け取らせる。
「……分かりました。ありがとうございます、ヒカリさん」
さっきの出来事を有耶無耶にすべく香織を丸め込むことに成功するも……先程から迷惑な声でギャーギャー騒ぐ二人の様子に些か他人の振りをし続けるのが限界だと感じ始める。
可愛いモノを前にして自我を抑えられなくなった変質者も同然と化した春乃さんは販売所の端でルーチェを両手でしっかりと抱き締めながら頬と頬を擦りつけ合って愛でていた。
流石のルーチェも声で抵抗してはいるが、ぐったりとした様子で半ば受け入れている感じだった。
「あれ、どうにかした方がいいよね」
周囲のお客さんの迷惑被る騒ぎ具合に流石の香織も見て見ぬふりで済ませられないと判断したのか、深い溜息を吐いて早期解決へと乗り出す。
お互いの相方を引き離すべく、脇を掴んで同時に引き剝がす。
これ以上、騒ぎになる前に解散した方が良さそうだと判断した俺達はお互い別の方向へとそのまま二人を連れて元の場所にかえっていった。
「あ、おかえり~……って、ルーチェちゃんなんかあった?」
俺の腰にしがみついてブルブル震えて怯えた様子を見せるルーチェについて事情を知らない唯菜が尋ねてくるも「まぁ、色々」と濁しながらビニール袋から飲み物を渡す。
次いでルーチェの分も渡すも「裏切り者!」と叫んで、奪うようにしてジュースを飲む。
「最初に売っといてよく言うよ」
「ふん。それよりあのキモイ変態、なんで私を目掛けて襲ってくるの!」
「春乃さんは可愛い子に目がないらしいから」
言い換えれば、スキンシップが激しい人。極端な程に。
しかし、公衆の面々で理性を失った獣みたく豹変して襲ってくるのでルーチェの言い分も理解出来る。現に俺も今し方被害に遭った訳だ。
……自分でもまだ揉んだことなかったのに!
悔し交じりに先を越された事を内心で吐き捨てるも、考えると余計に疲れる気がするのでもう忘れた。
先程よりも顔色が戻った唯菜に「どう、そろそろ行けそう?」と聞き「大分落ち着いたよ~。色々とありがとうございました」と元気よく礼を返すくらいには戻ったことを確認する。
「どういたしまして。じゃあ、行こうか」
「うん!」
少しばかり元気になって回復した唯菜と機嫌を損ねて頬を膨らませるルーチェ。
二人の引率役を曲がりなりにも引き受けた俺は荷物を持って空港のロビーから出発した。




