三十五幕 デビュー/ライブ(後編)④
初めてかもしれない。
こんなにも歌うことが……いや、ライブをすることが楽しいと思えたのは。
私の歌が下手なのは恩師である彩香さんの指摘から痛いほど知ってる。
どれだけ練習しても元がへたっぴでセンスがないから……天性の才能を持つ香織ちゃんの様に想いを真っ直ぐ歌に乗せて届けるなんて芸当は私には出来ない。
歌じゃなくてダンスやその他のパフォーマンス、誰よりも明るく振る舞うことで少しでも近付こうと努力してきた。何度も香織ちゃんのライブ映像のアーカイブを見直しては研究・分析を繰り返し、最高のファンに至る目的と並行して私自身のパフォーマンスにその要素を取り入れていた。
けれども、努力はそう簡単に実を結ばなかった。
ライブが始まる前から既に私達に興味を示してくれる人は少なく、観てくれても評価してくれる人は殆どいなかった。
そのせいか次第に私はステージに立つことがいつしか楽しいと思えなくなってしまった。
明転して客席がはっきりと見えた瞬間、帰らないで……いなくならないで……と怯えるように願いながらマイクを握り締めるようになっていた。その時点でもう楽しいと思う気持ちは完全に消え失せ、自分の心に偽りのベールを被せたまま笑顔を貼り付けてライブをしている。
スカスカとなったボックス内で散り散りになって観ているお客さん達の反応を伺うようにして。
そんな風にライブを繰り返しているうちに……分からなくなってしまった。
自分がどう進むべきか。
憧れたアイドルに近付くには一体どうすればいいのか。
一人で思い悩んでは止めて……結局、我が道を往く選択を取り続けていた。
諦めたくない一心から。
好きな気持ちを体現したい一心から頑なにも私は彼女になろうとし続けた。
無駄な足搔きだと分かっていながらも。
猿真似と罵られようとも。
周りからは否定されようとも……自らで肯定し続けてやってきた。
努力を積み重ねればいずれ、彼女みたくなれると信じて。
でも、いい加減に現実と向き合えと怒られてしまった。
私みたいな人間じゃ三津谷香織の様には到底なれないことを自覚しろと……
だから、ジルさんに飽きられてしまったのだろう。
進展しないアイドルに見切りを付けて、私より顕著な才能を持ったヒカリちゃんをセンターに据え置くことで私に夢を追うことを諦めさせようとした。
『一人よがりなライブをし続けようとするのはもう辞めよう』
そんな言葉を遠回しに伝えてきたのだと、SCARLETのライブが終わった後、その旨を伝えられた……そう思い込んでしまった。
しかし、実際には違った。
ジルさんは新たな可能性を私とポーチカに提示したのだった。
三ツ谷ヒカリという歌に光る才能を秘めた少女と歌以外では誰にも負けない努力をしてきた私の二人をセンターに立たせることで……二人で三津谷香織を再現しようとした。
いや、香織ちゃん個人だけではなくグループでSCARLETを再現しようと試みた。
私の意に沿っての策なのか……これが対SCARLET用のライブ戦術なのかも分からない。
でも、熱狂的なSCARLETファンの私にはSCARLETの再現としか捉えられなかった。
現に前半戦はそう進めて、かなり良い反応を相手方のファン達から得て……注目がかつてない程に集まり出している。
楽しい。
嬉しい。
熱い。
感じたことのない高揚感に身体中が満たされいつも以上に曲へと集中出来る。
それに凄く安心感があっていい。
止まることのない勢いで私達を引っ張っていく存在。
そんな頼りがいのあるメンバーが一人居れば余裕が生まれる。
その余裕が安心へと変わり、心の安定にも繋げてくれる。
インカムに音楽がよく響く。
隣からは少女の透き通った声が届き……同時にある想いを私へとずっと伝えてきてくれる。
『一緒に歌おう』
温かくも優しい想いが言葉になって私の心には響いている。
『一緒に超えよう。二人で』
背中を追い続ける私と違ってヒカリちゃんは超えると言った。
その意味が一体何を指しているいるのか、今はまだ分からない。
でも、いずれ知ることになる。
彼女のことはこれから嫌という程知ればいい。
長い付き合いになるのだ。
相手の考えなんて関わりを重ねれば知り尽くしていく。
ただ今は私の新しく芽生えた大好きな想いと彼女の想いに応えるべく……気持ちを歌に込めて重ねる。
彼女の綺麗な声に自分の声を重ねて歌詞を紡ぐ。
真っ直ぐな想いを突き付ける彼女の声に自分も真っ直ぐな想いを返しながら力を合わせる。
私達の目標を超える為に……
♢
「あれ、ああああああああ!あの子!」
ステージ袖でファン同様にポーチカの曲をノリノリで聴きながら、推しのルーチェを愛でていた春乃は見覚えのある髪色の少女に気付き、彼女を正面から捉える映像モニター越しで顔を確認する。
「やっぱりあの子だ!」
「あの子?春乃の言ってた、渋谷で会った子?」
「あ~はるのんが言ってたかおりんに似た可愛い子」
「そうそう!気付いてたら言ってよ、香織~」
「春乃の反応を見て思い出したの」
「って、言いながらもかおりんずっと新メンバーの子ばっか見て気になっている風だったよ~」
「それは……ちょっと気になって」
今朝、吐きそうになっている所を目撃した少女。
今にも海に落ちて消えてしまいそうな儚げな後ろ姿に見過ごせなかった香織は自身の苦い経験を活かして、その少女を手厚く介抱した。
それがまさか、春乃の言っていた渋谷の子でポーチカの新メンバーだったことには驚かされた。
いや、それ以上に驚いたことはあった。
髪型が異なり、横顔の輪郭が髪で隠れているから他の人には気付きにくいかもしれない。
しかし、香織は直ぐに気が付いた。
そこにいる少女が自分とそっくりな顔であった事に。
双子あるいはドッペルゲンガーの類かと。あまりにも似すぎて困惑する部分も多かったが、こうして彼女を目の当たりにしていると段々と自分との違いが如実に見えてくる。
歌もダンスも素人同然。
振り付けだって覚えたての付け焼き刃みたいなぎこちなさもある。
こういったライブに慣れていないのだろう。
ファンの顔ではなくライブに夢中になってしまって……一人を除いて周りが見えていない。
だけど、彼女なりの一生懸命さがよく見える。
相手のグループのファンを虜にして味方に付ける。あるいは、ファンなんて関係無しに会場に居る全員でこの曲を盛り上げる……どちらかというと後者な意図がライブから伝わる。
そして……隣で共に歌う彼女と一緒にステージに立つことを心の底から楽しんでいる。
そんな明るい笑顔が……不思議と妙に魅かれてしまう。
それに加えて、目を離してはいけない気がしてならなかった。
「あの子、やっぱり香織に似ていて……ちょっと違うんだよね」
「声とかかな?」
「うーん。当事者としてはどう思う?」
回答権を無理矢理委ねられた香織は思った事を告げる。
「あれは私じゃないけど……何だか、挑戦状を叩きつけられている気がする」
それはヒカリの隣で歌う唯菜が居るからそう思えるのではなかった。
前を向いて、客席側に歌を届けているものの、声から発せられる想いが二人一緒だと思えた。
唯菜はともかく、ヒカリとは今朝が初めての出会いだった筈。
なのに、何だか初めてではない気がした。
懐かしくて、聴いていると何だかムカムカするけど嬉しくなれるこの感じ。
あの子はまるで昔の……いや、ただの気のせいだ。
「ま、取り敢えず今はこれを観よ!そんで、ヒカリちゃん達と後で写真とーろっと」
気ままに純粋な心でイベントを楽しむ春乃の気楽さを見習いたいと思った香織は再びステージに集中する。
♢
曲は終盤。
はじめに感じていた緊張感はいつの間にか、どこかに吹き飛んでいた。
今はもう、自分の発する声と歌で会場内を熱気に満たしていくのが楽しくて仕方がない。
それ以上に、白里と声を重ねながら歌うのがとても心地良い。
心は熱く、けれども頭は冷静に耳で曲を聴き取りながら音程を外さないように声のトーンも変化に応じて合わせていく。
二人で同じ歩幅だが、徐々に走る速度を早める二人三脚で残りの距離を駆け抜ける。
それに付いてくる形で後ろの三人もまた支えてくれるように歌って踊っていた。
メインは二人だが、五人で一つのパフォーマンスに仕上げる。
当初、ジル社長が掲げていた理想を今は現実のものとしている。
会場もそれに応える形で応援してくれる。
一緒に声を出して、身振りで盛り上がってくれる。
これがアイドルの作り出すステージからの光景。
厳密に言えば、一から自分達で作りあげたものではない。
SCARLETの勢いに乗っかるように、今だけは自分達のファンだと主張するかのように。
香織が作り上げた景色を俺は共有していた。
でも、今はそれでいい。
こうする事が最善だというのは分かっている。
策略家なジル社長がこのイベントで何を目的に準備を進めていたのか、理解した上で付き合った。
それが結果的に俺や三ツ谷ヒカリの、白里の、ポーチカのためになると信じていたから。
現に四人はかつてないくらいステージを楽しんでいる。
人前に出る事が恥ずかしい楢崎さんも一生懸命に歌いながら振りを大きくしようとしている。
自堕落でいつもは力を抜いたパフォーマンスをするルーチェも今はゲームする時と同様に楽しんでいる。
年長者でグループの殿を務める幸香さんも両隣のフォローを欠かさずに全体の形を整えるようサポートしながら自らも楽しんでいる。
そして、リーダーの白里は俺と同じだった。
もっともっと熱狂させたい。
自分達の色にもっともっと染める。
二人で熱いステージを作り上げる。
しかし、それももう終わり。
この曲の最大の見せ場を披露し終え、最後のポーズ決めに入る直前で互いに一瞬だけ視線を交わす。
嬉しさが隠し切れない白里の表情に思わず口角が緩んでしまうが、それはあちらも同じ。
兼ねてより決めていた二人のポーズを決めるべく背中合わせで腕を交差し合うと開いた片手をくっ付け合い、小さな蕾から小さな花が咲いたことを想起するようなポージングで終えた。
深い息継ぎで肩が上がっているのが伝わるが、それもお互い様。
五人全員で一同に中央に集まり、小さな蕾を表現した所で会場内から大きな拍手喝采が沸き起こった。
そんな思わぬ反応を予想だにしていなかった白里は額から流れる落ちる汗を気にせず、真っ直ぐな瞳でこの光景を目に焼き付けているようだった。
これは一歩目だ。
俺とポーチカが始めるアイドル活動における最初の一歩。
その一歩が生み出した光景に概ね満足する自分がいる一方で香織達……SCARLETの様なトップが有する実力とはまだ程遠いと感じてしまった。
目の前に居るファンは数百人。
いや……厳密に言えば、数十人しかいない。
SCARLETの頂きに立ち、超えるにはそれよりも数十、数百倍のファンを味方付けなければならない。果てしなく途方もない……理想的な数字だと言えよう。
しかし、不可能ではない気がした。
トップの頂きへと立つことは決してゼロではない。
なにせ、ポーチカの可能性が十分広がるのはたった今、始まったばかりなのだから……




