三十五幕 デビュー/ライブ(前半)③
ステージに立つのは人生の中で今日が初めてではない。
別の意味でのステージ……例えば小学校の頃の演劇祭、中学・高校で毎年恒例行事の合唱コンクールetc…が含まれる。演技や歌、踊りを披露するのもそこで何回か経験している。
その定義に当てはめれば初めてではないのかもしれない。
しかし、そこに付き纏う緊張感は全然比べ物にはならない。
それらは全て、一クラス三十人以上いる生徒の中の一人であり、全体に目が向けられる。だから、サボっていても決して大きく目立つようなことはない。
だから、大抵の場合は個を主張とせず、目立たないよう溶け込もうと努力する。
それは日常生活においても同じ。
注目を寄せ付けない。寄せ付けても直ぐに冷める様に振舞い、全体の一つと化す。
それもひっそりと息を潜めるように存在を希薄させ、陽一という名前とは真逆で陰の中で存在する。
妹との比較に悩まされ、自らの可能性を自らの意志で断ち切って以降はずっとそうやって過ごしてきた。そうすることが楽な方向に逃げれると感じたから。
才色兼備な香織に対して尋常一様な陽一。
努力する以前にスタートの立ち位置が違う。
追いかける陽一は常に香織の背中をがむしゃらに追い続けた。そんな双子の兄を気にした香織は立ち止まり、振り返って手を伸ばしてみせるも、陽一はそれを拒んだ。
そんなのは要らない。お前からの情けなんて必要ない。
自分の足で、自分の力でそこに辿り着くことに意味がある。
香織を超えるという願いが叶うのだと思っていた。
現実には厳しいことに才能と凡人には平等な成長速度や機会を与えてはくれなかった。
もっとも、性別の違いという観点からそもそも勝負にすらなっていなかった。
それに気付いた時には、既に足を止めて眺めていた。
端的に言えば、諦めた。
これ以上やっても無駄だ。
意味がない。
楽しくない。
つまらない。
辛い。
苦しい。
逃げたい。
限界を迎える頃にはもう何もかもを諦めていた。
別に父や母、誰かからそう言われて諦めたのではない。
さっきも言った様に自分の意志で諦めた。
自分自身に絶望し、努力して香織に追い付くことを不毛であると己に言い聞かせて足を止めて……止まり続けていた。
そんな中、陽一は唯菜と出会った。
自分と同じ人物を追いかけようとするもう一人の挑戦者。
彼女はアイドルという舞台の上で、遥か前を往く香織を目標として奮闘している。
その姿はまさに幼き頃の自分と重なった。
だから、興味を抱いた。
クラスでの唯菜は陽一とは比べものにならないくらい絶大な人気を誇る注目の的。
人を惹きつける何かを持つ唯菜と香織を同一視し、容姿といった面でも陽一には決してない要素を備えた彼女であれば……香織と並び立てるのではないか。
そんな期待を勝手に押し付け、応援しようとした。
その直後に陽一は三ツ谷ヒカリになったが、その意志は変わらなかった。
近くで応援し、見守り続ける。あるいは近くからサポートする。
それが陽一の出来るせめてもの手助けだと考えていた。
しかし、唯菜と関わっていく事で自身の心境に大きな変化が生まれたのもまた事実。
ずっと立ち止まって眺め続けていた状態から再び動き出し、今度は三津谷陽一ではなく三ツ谷ヒカリとして追い駆けることを決意した。
そして、あの雨の日。唯菜の心へと触れたことで彼女の人柄を深く知った。
唯菜も陽一と同じく自分の力で手を伸ばすことに拘り、ひたすらに努力を続ける。
悩みを自己解決することがさも絶対条件であるかのような頑固な一面。
自分の足で、自分の実力で追い付かないと意味がない。
不器用で他人を頼る事を知らない点がそっくりそのまま。
それが別に悪いことだとは思っていない。かつての陽一が通った道であったが故に否定すら出来ないまま、唯菜であれば同じ轍は踏まないと勝手に決めつけていた。
かつての自分と一色単にしたくない気持ちから。
だが、それはただ勘違いでしかなかった。
唯菜も陽一と同じで香織の持つ才能には敵わない。
いくら香織を真似て寄せようとも……その努力は無駄で意味を成さない。
それどころか、観る者にとっては無駄な足掻きで猿真似に等しく……目障りな光景にしか映らないのかもしれない。
なぜなら……白里唯菜は決して三津谷香織にはなれないのだから。
だが、それは当然と言えば当然。
誰しも努力すれば必ずしも成りたい人間になれる訳ではない。
限りなく近しい形に近付けるだけで同一人物には成り得ない。
遺伝子レベルではほぼ同一人物であると言えるヒカリであってもそれは不可能。
そもそもの話、二人はまだ近づけてすらいない。
三津谷香織というアイドルの背中はまだずっと先……それこそ、手が届かないくらい遠い。
むしろ、距離が近いのは自分達であった。
同じ高見に手を伸ばす者同士。
気付けば同じ距離で、同じ場所で、同じ物を追い求めている……似た者同士。
手を伸ばせば直ぐ近くに居る者同士。
どうして手を取り合って進まないのか。
不思議とお互いにそう見つめ直すと……自然に二人は一人で進むことを止めた。
一人で進むのではなく二人で進もう……と今度はお互いに手を取り合う。
どんな困難にも一人では立ち向かわず、その隣にはもう一人……信頼を預けたパートナーである唯菜と肩を並べ、力を合わせて加速する。
一人の力ではなく、二人の力で香織に立ち向かう。
これは俺・私だけの戦いではない。
俺・私達の戦い。
その初陣が今、始まろうとしていた。
♢
暗いステージの下からリフトで持ち上げられたヒカリは眩い熱を帯びた陽光を浴びて初めての表舞台に並び立つ。
新メンバー登場に即して拍手で迎えられる中、ヒカリはゆっくりと瞼を開けて景色を共有する。
真横に立つ唯菜と後ろの三人、阿吽の呼吸で五人体制初のポーズを取ると同時に二曲目が……ヒカリのデビューライブが……五人でのライブがスタートした。
♢
新曲の始まり。
拍手が鳴りやみ、ゆったりとしたメロディーが流れる会場内は凪いだ草原の如く騒めき一つもないままステージ中央でマイクを近づけたヒカリに注目する。
音が良く耳に響く。
隣に唯菜がいる事で安心感を得たヒカリは程よい緊張感で独唱に入る。
ゆったりとした滑らかな歌声が透き通った風となり聴く者の心を刺激する。
歌い手の緊張感や安心感。それらが歌声となって表現される。
それに伴って送られる、ある明確なメッセージ。
彼らは当然の如く、ある三文字を頭に思い浮かべた。
『いくぞ』
聞き慣れた激しいメロディーと黙って観ていることを許さないとする歌い手のメッセージ。
それが自然と客席で観る者の心をステージへと縫い付け、腕を動かしていた。
一人、二人と……曲と声を聴き、自分達が何の曲を聴いているのか。頭ではなく身体と心で気付き出した彼らは初めて耳にするポーチカの新曲のリズムを身体で刻んでいた。
♢
その様相をステージ袖で静観していたジルはライブの入りと客席の反応を確認して、一先ず安堵する。
「良い出だしを切った」
曲の入り方としてはジルが予想していた以上に良かった。
「新曲を彩香ちゃんにあれ程リテイクさせていたのはこれが狙いだったのね」
「ここにいる客の殆どがSCARLETのファンだ。いきなり知らないグループの新体制且つ新曲を披露されてもファンは盛り上がりに欠けるだろうから……敢えて寄せたのさ」
曲の作り手によって曲調はそれぞれ違ってくる。
SCARLETの場合、麗華お抱えの三名の作詞・作曲がそれぞれ担当している。
バラードからポップな曲調まで幅広い楽曲を提供しており、どれも良質で人気のある楽曲のため本番でどれを披露するのか予想するのはかなり至難である。
しかし、SCARLETには定番の表題曲とも言える歌が存在する。
それはデビューライブの曲である。
それはここ赤レンガ倉庫のステージで披露され、SCARLETの始まりの場所として知られる始まりの曲とコアなファンの間では語られている。
その時に楽曲を制作した人物は『SAYAKA』。当時、シンガーソングライターとして活動していた松前彩香がSCARLETのために作詞・作曲したものであり、後にも先にも彩香はこの曲以外はSCARLETに提供していない。
当時の彩香はデビューライブで心許ない彼女達にある武器を持たせ、観客も彼女達に眼中がないことを予想し、一泡吹かせてやろうという想いを込めて曲を作った。
『暑い炎天下でもより熱く燃えるような魂が籠った曲で冷めた心に再び炎を灯す』
『客席に居る全員から期待されなくとも……期待してしまうような印象を与えればいい』
『その小さな身体で逆境を変えろ!』
そんなイメージで想定して彩香は提供し、見事に香織達は逆境に打ち勝って見せた。
その感動に心を打たれた者は唯菜同様に多く、それがSCARLET伝説の始まりだと一部のファンは騒がわれている。
ライブ以降にCDも発売され、現在でも各種音楽プラットフォームにてSCARLETの登竜門としてその曲は聴き親しまれている。
そのことを良く知るジルは彩香に当時の記憶を辿ってもらいながら似た曲を作らせ、出来る限りSCARLETのデビューライブと同じ条件に近づけ、再現を図る……そんな賭けに出た。
そして、それは上手くハマった。
メロディーとその歌い手と似た高い歌唱力の特徴を活かすことで先ずはファンの心を一時的にSCARLETから強奪し、ポーチカに興味を抱いてもらうことに成功した。
「良い感じね。お客さんが観てくれるという安心感が五人の……特に前二人の力になっているわ」
「あぁ、第一段階は順調だね。本番はこれからさ」
ただ寄せるだけではSCARLETの真似事で終わってしまう。
それだと後々に猛烈なSCARLETファンから目の敵にされてしまう懸念もある。
そう考えたジルは曲の前後半で違いを出したい要望を彩香に伝えてリテイクを求め、彼女はそれに嫌々ながらも応えた。
この新曲は元々、彩香が唯菜を輝かせるために作った曲だった。
影ながらリーダーの唯菜を指導して、歌の技量を向上させていたことも知っている。
グループのメンバー内で今の時点で深く関わりがあるのは唯菜だけであるから、多少なりとも贔屓したくなる気持ちも分かる。
しかし、それでは唯菜の為にならない。
今の白里唯菜にとって必要なことは誰よりも舞台の上で歌を披露して、存在感を発揮すること……ではない。
彩香も唯菜の現状をそう見詰め直した上で……編曲し直した。
実際、審査員として観ている彩香もまたジルと同様な想いでステージをみつめる。
(三ツ谷ヒカリ……ジルが期待を寄せているだけの才能はある)
ポーチカの前に聞いた三津谷香織と持つ物は同じ。
だけど、歌に乗せた想いは全くの別物。
それこそ、誰かに宛てたメッセージ性が強い。
負けない。
一緒に。
追い付く。
これは曲を作った彩香だからこそ明確に理解出来る。
彼女が伝えるようにこの曲は一人だけで歌うものではない。
高い目標を定め、強い意志を持った者同士が肩を並べて前に進む。
そう曲に込めた願いが届くことを彩香は祈る。
♢
前半はヒカリが歌を、ダンスを唯菜がそれぞれメインの見せ所を披露して曲を表現する。後ろの三人は完全にバックアップへと徹してバランスを保つ。
それはSCARLETのライブと同じ形態で、完全に真似事であった。
曲調も表題曲と酷似しているからかパクリ感が否めない。
前列の中央で両手のポケットに手を突っ込み、傍観に徹するファンの一人が嫌悪感に耐え切れず文句を呟く。
「へっ、本当にただの猿真似じゃねーか」
目障りだ。
あの女に言って聞かせてやったというのに、まだ懲りずに寄せようとしやがる。
しかも、メインボーカルを隣の新人に譲って……いや、まだマシか。それ以上にあの女、いい声をしてやがる。歌だけを聞けば、初期の三津谷香織を想起させる。
正直言って、悪くない。
数々の地下アイドルグループの現場を渡り歩き、自身でも認める厳しい評価を色々なアイドル達に下してきた。その中でもとびきり最高と言えたのはSCARLET……特に三津谷香織の発する歌声。
たった一曲。最初の前奏を聞いただけで男の耳は魅了された。
そこからビジュアルの方に意識が吸い寄せられ、目と耳の両方を駆使したステージパフォーマンスに男は初めての推しを香織と定めた。
そして、今まさにその当時の記憶が鮮明なまでに蘇った。
ダンスは未熟。だが、歌には歌い手の信念なるものが感じられ聞いていると意識が自然と吸い寄せられ、久方ぶりに新しい何かを見つけた時みたく心が躍る。
ちっ、認めたくはない……が、いいじゃねーか。
そう感じたのは男だけではない。
彼の周囲で観ている人達もまた少しずつ自分達の推しとの出会いを思い出してはその面影を黄色髪の少女へと寄せる。
♢
観客の目が徐々にヒカリへと向けられていく。
それに応じて、全体的にポーチカへと意識の集中が高まる。
その様相にジルは概ね予定通りだと内心で評し、そろそろ移行するメインパートへ期待を馳せた。
息の合った今の二人で新たな風を吹かせてくれ。
「頼んだよ。二人共」
ここから先は未知の挑戦。
敷かれたレールから外れ、本日の主役たる二人が新たな道を切り拓いて披露する。
「新制ポーチカ。ここからがスタートだ」




