三十一幕 特訓/雨の日④
時は少し流れ、忙しく新曲練習の日々に明け暮れているうちに七月へと突入していた。
今日は日曜日。イベント開催まであと一週間という期間しかない。
新曲披露に向けた取り組みは他のメンバーも同様に集中的に行われる。
だが、ポーチカのライブは次のイベントだけではない。先週の週末や今週の土日にも白里達は他のグループとの対バンが控えている。その中での既存曲と新曲の両方を練習するため、いつもよりも長くレッスンをこなしていた。それに伴いルーチェの不満も高まり、彼女の逃亡劇が何度繰り広げられたことか。
週三日のレッスンもイベントが近づくにつれて緊張感も高まり、白里の表情も次第に険しくなっているように感じられた。まるで焦っているようで余裕がない感じ。
「はい、一旦そこまで」
その回想を他所に置き、音楽が止まった合図と共に動きを止めて一休み。
「何か考え事?顔が険しくなっていたわよ」
「そうですか?」
鏡で自分を見詰めると確かに強張っていた。
「真剣に取り組むのは良いことよ。それだけ集中しているのも分かる。でも、笑顔は大切よ。練習で笑顔を作れなければ本番でも出来ないのだから」
「はい……」
「それとも、なにかしら。唯菜ちゃんのことで悩み事?」
「えぇ、まぁ……って、なんで分かるんですか?」
「乙女の勘」
色々とツッコミ所が多い台詞ではあるが今は話を進めよう。
「白里は本当に納得してセンターを譲ったのがずっと疑問で……正直、最近ずっと横で白里を見ているとなんだかまだ気持ちの整理が出来てないような気がして……」
憧れているSCARLETとの対決。
そのステージで自分がセンターとして立って戦いたい。
その気持ちは少なからず残っている筈だ。
加入したばかりでダンスや歌もままならなければ、ステージに立った経験が一切ない素性不明のアイドル……そんな奴がいきなりグループのセンターに立つことに気持ちで割り切れていたとしても、到底納得し難いだろう。
白里は優しい。
例え、そういう気持ちを抱いていたとしても決して顔には出さない。
教室で見せる時より笑顔で明るい表情でヒカリの俺に接してくれる。
だから、時折見せる彼女の険しい表情が少し気掛かりに映る。
「今回の件に関して言えば……正直、ジルの判断は少し間違いだと思うわ」
「……」
「グループに入ったばかりの新人を経験も積まずにいきなりセンターをやらせて、大きな舞台に立たせて注目を集めてもらおうだなんて相当のスター性がないと無理だもの。それこそ、三津谷香織ちゃんのような素質を秘めた子じゃないとね」
「……!」
「でもね、ジルは多分だけど……そういうのを求めているんじゃないと思うの」
「それはどういう……」
「ここからは私の口では言えないわ。言ってしまったら意味がなくなってしまうかもしれないから」
タムタムはジル社長のことをよく理解しているのだろう。
その考えに従って俺たちに色々と指導をしてくれる。
「私も唯菜ちゃんの表情が時折、険しくなっていることは知ってる。けれど、それはセンターがどうこうという話ではないと思うわ。唯菜ちゃんの場合はね」
「……それも教えてもらえないんですか?」
「ふふっ、なんでもかんでも教えたらそこで終わっちゃうでしょ。人間を知るには先ず、自分から関わらないとダメ。受け身で知り得ても仲を深めるにはならないし……根本的な問題は解決しないわ」
ぐうの音も出ない程の正論だ。
俺も白里に色々と気を遣ってしまっているせいかあまり踏み込めずにいる。
いや、それはお互い様なのだろう。
白里もあまり俺について聞いてはこない。
この微妙な距離感のまま本番を迎えるのは少し不味い気がする。
どこかで一度、腹を割って話す機会を作らないといけない。
「とにかく、一旦休憩にしましょ。土曜日の朝からずっとこんなに練習していたら疲れて当然」
「いえ、最後に一回だけ通してやらせてください」
一旦、考えを止めてレッスンに集中したかった俺はその意志を伝える。
『無理は禁物』と注意されるかと思ったが、すんなり許可を出したタムタムは再び音楽をかけた。
何百回も繰り返し聴いて、身体で感じ取った音楽を集中して表現力に変える。
ここまでの間で歌もダンスも全体的に頭と身体の中に叩き込み、白里と比べても若干見劣りするレベルまでは完成出来てきた。あとの一週間はひたすら反復を繰り返し、本番でミスをしないような自信作りと調整を行うのみ。
「それはそうと良い感じよ。あなたはやっぱりセンスがあるわ」
新曲をたった一つのミスだけで歌い踊り切った俺にタムタムは拍手で称賛した。
「と言ってもまだこれしか踊れないですけど……てか、もしも一回戦勝ったら次のステージどうするんですか?」
今更ながら重大な事実に気付いた。
ここ二週間近く、この曲だけしか練習していない。
他にもあと二、三曲?あるらしいが、それらの音源は一切触れていない。
なんならまだ振付も全然見たことがない。
「そこは地獄の沙汰もっていうやつよ」
「金で解決は不可能では……」
いや、あの大富豪社長ならやれるか。
仮に勝っても次のステージに進めないようにする。
俺達にメリットがあるとは全然思えないが。
「ふふっ冗談よ。でも勝つ気でいるのね」
「それは……」
勝てるかどうかは分からない、
こうして練習していても、SCARLETに……香織に勝てる自信はない。
俺の場合、勝負云々以前にデビューステージを無事にやり切ることしか考えられない。
高みに手を伸ばすのも大事だが、目先の試練を先ずはこなしていく方が重要だ。
かつての俺ならもっと先々を見て手を伸ばそうとしていただろうが、今の俺にそんな器用さがないことはよく知っている。
「その顔を見る限りは大丈夫そうね。勝つにしろ、負けるにしろ……今はデビューライブを意識しましょ」
「えぇ、それにもしも勝利する場合があったら、後はジル社長に任せます。元々はあの人が持って来た企画ですし」
タオルで汗を拭いながら一息を吐く。
その直後、ガラス張りの窓が青白くパッと光った。鏡に反射した青白い閃光に視界が奪われて間もなく天から鳴り響く轟音が身体全身を震撼させる。
思わずビックリした俺は言葉にならない声を出して、反射的に身体を丸めた。
そして、天井の電気設備か何かからバチッとする音が聞こえるとスタジオ内の照明が一斉に落ちた。
「びっくりした~雷か……」
「かなり近かったわね。私もビックリしちゃった」
腕を組みながら仁王立ちで大粒の雨が降りしきる窓の外を眺める姿からは微塵も怖がっている様子が感じられない。
「それよりも平気?可愛い声出していたけど」
「仕方ないじゃないですか……今は女なんで」
「誰にも言ったりはしないから安心して。それよりも今日は一旦ここで終わりにしましょ」
時刻はまだ三時過ぎにも関わらず曇天模様の雲が空を覆い、激しい雷雨が関東圏を中心に襲っている。
電気がないと部屋の中は暗く感じる。
天から放たれる一瞬の眩い青光りを纏った閃光で時折パッと部屋が明るくなるものの、耳の奥を震えさせる轟音と心臓に悪い予測不可能な光のせいで完全に集中力が途切れてしまっている。
このまま続けても意味がないと判断したタムタムは雷が激しくなり、電車が止まる前に帰宅するよう勧めたが……今の雷で地下鉄諸共止まっているに違いない。
スマホアプリを開いて交通状況を確認するも、案の定地下鉄は運行を停止していた。
一先ず、部屋に戻って着替えるべく荷物を纏めた俺は雷が少し落ち着いたタイミングを見計らって大雨の中を急ぎ足で進み、マンションへと戻る。
先程の雷でこの辺り一帯の電気系統が麻痺したのか、他の建物も明かりが付いていない状態。エレベーターが起動しないことから、このマンションも停電状態に陥っている。
幸い冷蔵庫の中は飲み物しか入れていないため、食べ物が腐る心配はない。
電気の他に水も完全に止まっているため、たった数分外に出ただけでびしょ濡れになった身体を温める手段がない。
「へっくち……風邪を引く前に身体を拭きますかね」
洗面所へと向かい、ナイルさんが新しく取り替えてくれたバスタオルで頭と足を中心に濡れた箇所を拭う。ドライヤーも使えないため、ぼさぼさではねた髪のままリビングへと戻ると部屋全体が青白く染まった。
「うわっ……ビクッたぁ……」
部屋のカーテンを急いで閉め、外の雷光を遮断するも一向に止む気配のない落雷が断続的にカーテンの隙間から光が入る光景に全然落ち着けなかった。
俺、こんなに雷が苦手だったけ?
外から発せられる自然の嵐に恐怖している自分がいた。
気を紛らわすべくテレビを付け、再度交通状況を確認しようとするも当然の如くリモコンの反応はない。静寂な空間がゴロゴロと鳴り響く音に支配され、余計に落ち着けなない。
こういったマンションでブレーカーが落ちた際の対処法に知識がなく、電気復旧の目処が立たずどうしようもないままスマホに目を落とす。
通知欄に誰かからメッセージが届いているのに気付き、アプリで拝見。
すると、一件だけルーチェから『唯菜、そっちに行ってない?』とだけ綴られていた。
『いや、来てない』と返して間もなく、『分かった。私の部屋のゲーム機器だけ無事か見といて』とルーチェにしては珍しく早い返信がくるが『それは無理だ』と即答。
『この人でなし!』と非難されるが不本意ながらの遺憾砲を放つ。
「にしても……白里の件、少し気になるな」
その辺を聞き返そうかと思った直後、ドンドンとドアを叩く音が玄関の方から聞こえた気がした。廊下のドアから顔を覗かせ、そーっと玄関側に耳を傾けていると再び叩く音が聞こえた。
「来客?」
インターホンも使えないため、音を立てないようドアスコープに近づいて覗き込む。
そこに立っていたのはびしょ濡れな栗毛の女性。
誰か気付いた俺は慌てて扉を全開にする。
それまでどこか深く落ち込んでいた彼女は俺に気付くと直ぐに表情を覆い隠すかのようにいつもの笑みを浮かべた。
「こんにちは、ヒカリちゃん。急に押しかけちゃってごめんね」
言葉が入って来なかった。
白里の髪から滴る水滴がポタポタと床を濡らす。
声や表情で元気風に振る舞っては見えるものの、所々声が擦れていた。
目尻が赤く、唇も真っ青。
こんな白里を見てもこれはただの空元気としか言いようがなかった。
「あの……申し訳ないんだけど、暫く……」
「入って」
強引に白里の手を掴んだ俺はリビングの中へと連れ込む。
身体を冷やさないよう直ぐに予備のバスタオルや替えの下着、部屋着を用意して渡す。
「ごめん。ありがとう」
白里は有無を言わずにそれらを受け取る。
「着替えたら教えて。それまで、廊下で待っているから」
下着も履き替える以上、ここから先の着替えを覗く訳にはいかない。
紳士としての理性に促され、俺は廊下の方へと出ていこうとするも……
「待って」
そう呼び止められ、ドアを開きかけて止まった。
「あの……出来れば一緒に居てくれないかな?」
弱弱しく今にも泣きそうな声でそう告げられると自然にドアノブから手を引いた。
「……っ!」
白里の方をそっと振り返る。すると、彼女がポロポロと小さな雫を溢しながらこちらを向いていた。
突然の涙に戸惑い、なんて声を掛けるべきか迷った。
「アレ……おかしいな。涙が……」
一度流れた涙は止まらない。
自分が押し留めていた感情が外に流れ出ないよう硬く強い堤防で堰き止めれば止める程、決壊したら最期、全てが流れ出るまで止まることはない。
白里は正にその状態なのだろう。
嗚咽を漏らしてバスタオルに顔を埋め、声を抑えながら泣いているのは涙を抑えようとする彼女なりの必死な抵抗であるに違いない。
そんな姿を本当は見ない方がいいのかもしれない。
一人きりにさせて、気持ちが晴れるまで溜まった感情を吐き出す方が楽になれるかもしれない。
でも、何故か目を離せなかった。
白里が何を想い、何が原因で悲しい思いをしたのかは分からない。
けれども、こんなにも悔し交じりの声で泣く彼女を一人で放っておくことなんて出来なかった。
こうなってしまった白里に俺は何をしてあげられるか。
そんな議論を脳内で展開する余地もなく……
「大丈夫。大丈夫だよ……」
そっと彼女の前に歩み寄り、優しい言葉と温かい声色でそっと包み込む。
彼女の心情を知らなくても、何となく理解は出来た。
バスタオルから俺の胸辺りに顔を埋め替えた白里は震えながら両手で背中へと手を回す。
肩を上下させて大きな声で悲しさを全面的に表現する。
どうして泣いているのか。
その理由はその後でいい。
今は先に色々吐き出してしまう方が先。
それが出し終えるまでの間、暫く俺は胸を貸し、無言のまま目を閉じて付き合った。
♢
白里が落ち着きを取り戻して直ぐ、マンションの電気系統が復旧し、部屋の電気が戻る。
身体をロクに拭きもせず濡れたまま泣いていたため、泣き止んだ時点で床に大きな水溜りが生じていた。抱き合っていたことで少しは温まってはいたが、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を見兼ねた俺はシャワーを浴びることを勧めた。というより、浴びてもらっている。
湯船を沸かして一緒に温まるという白里の提案があったものの、唇を嚙み締めてグッと理性を保った俺は苦渋の決断の末、後処理があるからという旨を伝えて断った。
流石に床を濡らしたままにしておくのはよくないし、大量の鼻水がつけられた服で居続けるのに気が引けたのもある。それに白里がシャワーを浴びている時間で少し尋ねたいこともあった。
タオルで床を綺麗にし、洗面所の所に替えの服一式を用意した俺はある人物へと電話を掛ける。
『やぁ、君から電話するなんてどうしたんだい……と言いたい所だけど、用件は分かっているさ』
全部言ってますが、とツッコミたくなる気持ちを抑えて時間もないので話を進める。
「白里が今、部屋に居るのですが……何かあったんですか?」
『まだ、聞いていないのかい?』
「今しがた落ち着いて、シャワーを浴びているのでまだ何も」
『そうか……それは良かった。これは唯菜ちゃん本人から聞くのがいいかもしれないが、少しだけ君には事情を説明しておくよ』
白里の身に何が起きたのか。ジル社長は端的に説明する。
『今日のライブで一部のお客さんから酷い言葉を投げられてね。初めはグループ全体に対してだったけど、結果として唯菜ちゃんが集中砲火を食らってしまった』
「……それであんなに」
『その行き過ぎた行動に彼女はかなりショックを受けてしまってね。それが影響してパフォーマンスも最悪の出来だったのが更に追い打ちをかけたようだ』
「なぜ、白里に?」
『彼を知る他の客の話によると先月開催されたSCARLETのライブが原因らしい』
SCARLETのライブが原因?
あの日、俺は白里と一緒に居たが特に他人と問題になるような事はなかった筈。
『どうやらそのお客さんはSCARLETのファンで三津谷香織を推していた。そこでTシャツプレゼント企画での抽選会に当選した唯菜ちゃんを見て、恨みを募らせたようだ』
「卑劣なクソ野郎ですね」
『彼は他の地下アイドルにも詳しく精通しているらしく、ポーチカの事も少しばかり知っていた。それでセンターモニターに映し出された喜ぶ彼女の正体に気付き、雪辱の恨みをわざわざ今日のライブで晴らしに来た。というのが今日の事件さ』
聞くだけで怒りが増すばかりの話だ。
こんなのは恨みもクソもない。ただの八つ当たりだ。
『ライブが終わって間もなく唯菜ちゃんは事務所の方に行ってしまってね。それとさっき善男の方から練習を切り上げたと連絡が入って色々と対応が遅れてしまった。申し訳ない』
ルーチェが先にあのメッセージを送ってきた理由もそれで何となく掴めた。
「別に構いません。それが聞けただけでも良かったです」
『本来であれば彼女のケアは僕達の仕事だけど……すまないが後は君に任せた』
「いえ、それでは失礼します」
シャワーが止まったことを機に通話を切る。
ジル社長から白里の泣いた理由を聞いた俺は怒りが抑えられなかった。
そろそろ白里が戻ってくる。その際に何も聞いていない振りを出来そうにもない。
「ヒカリちゃん、シャワーありがとう……って、もしかして知っちゃった?」
ヒカリ時に使用する予備の寝間着へと着替えた白里が戻ってくる。
窓の外に身体を向け、力強くスマホを握りしめた俺の手に視線を落とす。
電話帳を開いたままの画面を見られ、勘付かれてしまった。
「ごめん。ちょっと気になって……」
「ううん、気にしないで。多分、聞いてくれていた方が話やすいと思うし」
少しだけ塞がった傷を時間も空けずに抉るのは心苦しい。
しかし、話さなければ先に進めない。白里が心の奥深くで秘める悩みの種も解消するには至らない。
それを隠しておく必要がなくなった白里は打ち明けると決めた。
その間に俺はお湯を沸かし、来客をもてなす菓子はないが温かい茶を用意するとした。




