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二十九幕 特訓②

「だぁ~疲れた……」


 一人きりで気が休める空間へと帰宅した俺は見た目とは全然可愛くのない濁音ボイスで溜まりに溜まった精神的疲労感を一度に口から吐き出す。

 開いたカーテン越しから差し込んだ月灯りに照らされた薄暗いリビングルームの床には男性用と女性用の服がそれぞれ散乱している。もしも、誰かにこの光景を見られればヒカリが男と同居していると勘違いされかねないだろう。


 無論、誰かにこれを見せるつもりは一切ないが……流石に段々と部屋が汚部屋と化していく様子を放置しておく訳にはいかない。いい加減、そろそろ部屋の掃除や……


「洗濯しないといけないな」


 部屋の中には一応洗濯機もある。しかし、あの複雑な女性用の服をどう洗えばいいか分からないため、まだ一度たりとも使用していない。

 ちなみにどう洗濯しているかと言うと、週に一度、ルーチェの服を洗う為に回収しに来るナイルさんに俺の分も渡して一緒に洗濯をしてもらっている。見た目とは裏腹に意外と家事や洗濯が出来るナイルさんには本当に感謝しかない。


 だが、レッスン着は別だ。これは同じ物を週に二度は使用するため、二日に一回のペースで近くのコインランドリーで洗ってはここで干している。

 流石に家に持って帰って洗濯籠に入れでもしたら、洗った後に香織の部屋のタンスに収納されて返ってこなくなるのがオチ。加えて、身に覚えのないレッスン着を香織に気付かれて変な疑念を与えかねない。


 故に洗濯はナイルさんに任せるか、レッスン着のようにコインランドリーへと持って行って簡単に洗える物しかしない。


 そして、今日は近くのコインランドリーで洗濯をしに行かないといけない日ではあるのだが……レッスンでの疲労が精神と身体をベッドの上に縫い付ける。


 洗濯の前に一眠りでも……睡魔に駆られて目を閉じ掛ける。

 ここ寝てしまえば最後、起きるのは夜中。

 コインランドリーは24時間営業中なので問題はないだろうが、深夜に出歩けば警察に補導されかねない。ちゃんとした身分証や保護者がいない以上、警察に捕まるような面倒事は避けなければならない。


 そのリスクを解消すべく、直ぐに身体を起こした俺は眠気を覚ますべくに風呂に入る。

 無心のまま女性用の下着を脱ぎ、一糸纏わぬ姿で冷たいタイルの上を裸足で踏む。

 長く伸びた自身の黄色髪をシャワーヘッドから流れる温かい水で濡らし、ぼんやりとした思考を徐々に加速させる。


「今日も白里の足を引っ張ってたな……俺」


 新曲の練習を始めて早数日。

 今までタムタムと行っていた基礎レッスンと並行して、白里とダンスや歌唱練習を中心に行っている。

 

 しかし、あまり良い内容とは言い難かった。

 この身体にも声帯の出し方と共に徐々に馴染んできた。日常生活から意識的に使い分けるのはかなり苦労しているが、慣れれば大したことではないと感じる。


 だが、ダンス経験が一切のない俺ではまだ白里の様な軽やかなスッテプやリズミカルな動きを並んで表現するには至らない。今の段階ではサビに入るまでの振付を間違わずに歌いながら踊り切れるかどうかというレベル。

 曲のリズムを肌で感じ、それを上手く合わせて身体で表現出来る白里のレベルには足元にも及ばない。むしろ、足を引っ張っているとしか思えない。 


 前半は各々のパート練習に別れ、後半は合わせで二人が出来るまでのラインを仕上げる。

 そのラインも俺がダメダメなせいでまだ序盤しか出来ていない。

 白里は全体の動きをある程度掴んだのに対して、俺は辛うじてサビの前まで。


 その後はタムタムと白里を交えながら出来ない部分を分かりやすいように見本を示してくれるだけではなく、一緒に踊って動きを確認してくれることまで付き合ってくれた。

 そんな優しい白里の対応に深い感謝を抱きつつも、その一方で白里が俺に割いてくれる時間の有難みを内心で申し訳なく感じていた。

 

「しっかりしないといけない……な」


 鏡の中に写る自分の貌を見ながらそう呟くも、心底『俺』という一人称が今は似合わないと痛感した。その中で口角を上げて笑顔を作ってみせるも、不自然体で傍から見れば不気味でしかない。

 学校や事務所で会う白里の表情を参考に真似てみるも顔が良いだけのただのブサイク。

 見るからに無理してやっている感が強い。

 いっそのこと笑わないクールキャラを演じる方がまだ幾分かマシ。 


 いや、正直な話。それで通す気でいた。

 日常の対人会話から作り笑いを浮かべるまでもなく、机に突っ伏して我が道を往く俺に白里の様な自然な笑顔は不可能に近い。

 実際的な話。学校で机に突っ伏している時間は以前よるも多くなった。


 単純に言えば、疲れが翌日にも影響していると言えよう。

 ここ数日間、放課後は毎日学校終わりにマンション、事務所へと足を運び、そこから二時間半のレッスン。終了後には一旦マンションへと戻り、汗を流してから帰宅するルーティンを繰り返している。早くても本来の家に着くのは九時過ぎ。


 幸いなことに両親は二人共出張中で暫く家にはいない。

 香織も帰宅は夜遅くなため、夕ご飯は各々でという形であったのも功を奏したと言えよう。

 そんな具合で家に帰らないことで家族に心配されるような懸念は一切ない。どちらの自宅に帰っても夕ご飯の準備や家事・洗濯は必須。本来の自宅であれば料理は俺が、洗濯は香織が担当するためそこまで困る事はない。


 しかし、今は料理や家事を各々の分は各自でやる形になっている事や次の前期期末試験の勉強もしないといけないため、自宅に帰っても寝る時間以外に休む暇がなかった。加えて、二週間近く前から始まった急激な生活変化や多忙さに身体がついていけず、我ながら心身ともに疲弊し切っている状態だと認めざるを得ない。

 故に詰め詰めな時間に少しでも余裕を持たせるため、制服の予備を自宅から持参して二日に一回のペースでマンションの方で寝泊まりするようにしていた。

 

「早く慣れないとな、この生活やこの身体にも」


 今回の新曲。ジル社長は歌を俺に、ダンスを白里にメインの見せ場と示した。

 その分俺の歌唱パートも四人と比べれば多く歌っていることになるだろう。ダンスが未熟な俺に配慮したパート分けなのかは定かではないが、デビューライブを行う上での最善策は確かだと言えよう。

 この際、人前に出て歌うのは凄く緊張するなんて情けない臆病心は捨てる。

 それを緩和するためにジル社長は敢えて俺の直ぐ横に白里を置いた。安心してパフォーマンスが出来るようにと。


「はぁ。結局のところ、俺が白里にサポートされてたら本末転倒なんだけどな~」


 自嘲気味にそう自分に言い聞かせるも、先ずはやれるべき事から一つずつこなしていく。

 その内の一つとして今も俺はこうして実践していた。

 歌唱パートの練習に合わせ、タムタムからなるべく多くの時間を三ツ谷ヒカリとして過ごし、日常生活から声帯に慣れておくべきだと言うアドバイスに従い、マンションで生活する時は変身を解かずに過ごすこととしている。

 トイレでは流石に元に戻るが、風呂の時は復習がてらそのままの姿で歌いながら入っている。


 これがまた楽しい時間で、今までは男性の声で歌えなかった女性アーティストの高音域も軽々と出すことが可能なため思う存分に声を出せる楽しさを新たに実感した。

 故に毎日、レッスン後にここに帰宅してシャワーを浴びながら長い時間、水道料金も気にせず歌っている日が増えたのは唯一の利点であった。


 水道料金だけ恐らく凄い金額をジル社長に払わせているという点の目を瞑れば……。


 一先ず、シャワーを浴び終えた俺はバスタオルで全身の水滴を拭き取り、全裸のまま廊下に出る。すると、リビングの明りが付いていることに気付く。


「電気……ついてる?」


 入る前は消していた筈の電気が何故かついていた。

 直ぐにその理由に検討がつき、そのまま中へと入る。

 するといつの間にか、またいつもの様にベランダから侵入したルーチェが勝手に部屋の中で居座っていた。


 最近彼女のマイブームとも言える携帯機器で行うレーシングゲームにドハマりしているらしく、高レート帯への昇格を目指して寝る間も惜しんでプレイしているとか。

 現に今も人のベッドの上で勝手に寝転がりながらレート戦をしている。


「何をしに来たんだ?また、特訓とか言って次はそのゲームをやれとでも?」

「そうは言わないわ。それにあんた、最近割と疲れているみたいだし無理に付き合わせる気はないって」


 正直に言えば、凄く身体が疲れている。

 今すぐにそこの占領されているベッドを奪い返し、眠りに就きたい。

 ここ暫くはルーチェのゲーム配信に付き合う余力も起きない。まぁ、どうしてもと言うのなら一戦くらいは付き合ってやらんでもない。


「今日はそうじゃない。あんたに一つ、聞きたいことがあって」


 充分満足のいく成績を迎えたルーチェは一旦ゲームを終えると上半身を起こす。

 

「てか、いつまで裸で居るつもり?」

「……あ」


 女の子同士だから見られて困るものがない油断か。

 あるいは、男としての無神経体質が表れたのかは分からないが、少し赤くなった顔を横へと向かせたルーチェの指摘で自分の格好に気付いた俺は急ぎ部屋着用の短パンと半袖シャツに着替える。


「あなたも随分と気に入っているのね。その姿」

「どちらかというとそうかもな。二重生活には少しばかり辟易しているが」

「同情はしてあげる。そんな面倒な生活……私だったら願い下げだし」


 こっちだって御免だ……と返したくなるも、返事よりも先に服に着替える。


「で、何の用だ?」

「今日は帰らないつもりなんでしょ」

「そうだよ。一応、練習着とか洗わないといけないし」

「あそこのコインランドリー行くんなら一緒に付き合ってあげる。その代わりにその後の夕食にも付き合ってよね」

「なんだよ、その提案」

「つべこべ言わずに従いなさい。今日は私が奢ってあげるんだから」


 鼻高く手に持つブラックカードを見せつける。

 それが誰の物か、直ぐに分かる見え透いた嘘だと指摘したくなるも、余計な言葉は挟まずに大人しくタダ飯にあやかるとした。

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