二百七十五幕 久し振りの訪問
レッスンが終わり、ヘトヘトな状態でマンションまでの短い帰路についていた。
並木通りの木々に蕾が芽吹いている。
外も次第に暖かさが増し、コートを羽織らずとも歩ける。
「もう三月か……」
あと一週間も経てば春休み。
二月末の期末試験も無事に乗り越え、残る試練は横浜アイドルトーナメントのみ。
それも終われば四月となって、晴れて高校三年生を迎える。
「来年から受験か……今で色々と精一杯なのに、問題が山のように積み重なるのかぁ」
考えるだけで憂鬱な気分になる。
先月の試験結果はそこまで悪くはなく、今の成績を維持はできる。
来年度も今と変わらず成績を維持できるなら志望校の推薦権は取れると担任は言っていた。
だからだろうか。
学業での心配はあまりない。
学業の方は……
「問題はこっちだよなぁ」
ヒカリとの二重生活。
高校を卒業してもアイドルを続けるという選択肢はあるのかは分からない。
先の事をあまり考えないようにしていたが、そろそろ考えないといけない時期にある。
「大学生になっても続けている自信はないな」
そうは言っても成り行きで続けている自分が容易に想像つく。
その理由は簡単。
俺……三津谷陽一は非常に流されやすく情に厚い人間だから。
大学生でもこの生活を続けていたらまともに就職活動はできないだろう。
最悪の場合はジル社長の下で働くしかない。
あの人も歓迎するとは言ってくれているから、就職先の確保は安泰?だったりもする。
そんな未来のことよりも今は違う方での心配もある。
ヒカリがアイドル業界で売れればそのうちこの辺りに記者が張り込むなんてことも……
「あのぉ、三ツ谷ヒカリさんですよね?私、○○新聞の者なんですけど……」
そう思った矢先、マンション近くで信号待ちしていると突然横から新聞記者を名乗る者に話しかけられた。驚いて振り向きそうになるもグッと首を動かすのを堪えて前だけを向く。
待て、直ぐに返事はするな。
今は帽子被って姿も偽っている。
髪色は元の黄色に戻したと言えども顏はマスクで覆っていてバレていない筈。
ここは黙って人違いですと誤魔化せば……って、あれこの声。
「……なんだ、唯菜か。変な風に話しかけないでほしい」
「ごめんごめん、驚かせようと思って」
「洒落にならないから。その驚かせ方」
早まる鼓動を息を吐くことで落ち着かせる。
「そう言えば、なんでここに?事務所に戻るつもりだった?」
「ううん。どちらかというとヒカリに用事があったかな」
自分を指し示して確認を取ると『うん』と頷く。
「とりあえず、部屋来る?」
「いく」
即答で返すと二人で横断歩道を渡り、部屋へと戻った。
何か用があってのことなのだろうが、外では教えてくれなかった。
中に上がり、ソファに座わらせてから再び尋ねる。
「それで用件は?」
「用事がないと遊びに来ちゃダメなの?」
「そうとは言ってない。来る時はいつも前もって聞いてくるからまた何か悩み事でも抱えているのかと」
「うーん、悩み事というよりも最近あまりヒカリに会ってないな~って思って」
「え、そうだっけ?」
「そうだよ!仙台以降、私達全然会えてないどころか話せてない!」
普段学校で話しているからあまりそう感じたことはない。
だが、それはあくまでも二重生活をしている俺がそう感じるだけであって唯菜本人は違う。
言われてみればここ暫くヒカリの姿で唯菜達とはあまり話していない気がする。
活動復帰の準備に向けた取り組みでほぼ個人で動くことの方が多く、全体でのレッスンも週に1回か2回と少ない。土日はほぼ定期公演や対バンの予定が入っているため遊びに行くこともなかった。
まぁ、隣の部屋で過ごしているルーチェを除けば会ってないことは事実か。
「といっても、この間の木曜日にレッスンで顔合わせたでしょうが」
「けど、こうして二人きりの時間は全くなかった!」
「……ぅ」
「それに、前みたくここに泊まらせてはくれなくなったし」
腕を組んで顔をプイッと横に背ける。
「不貞腐れた感じでそう言われても困る。第一、ここからだと自宅よりも学校通うの遠いでしょ」
「それはそうだけど、別に遠くてもいいし。なんならヒカリも一緒に通えばいい」
「事情は前にも説明した。それはできないんだって」
「家庭の事情でしょ。分かってる……ヒカリが平日、忙しいことも分かってるつもりなんだけど、なんか全然会おうとしてくれないのが少し腹が立つ」
何故か分からないが少しお怒りだ。
まぁ、この原因に心当たりがないことはない。
メッセージアプリを通じて夜にやり取りしている時とかたまに寝落ちしたりして既読スルーしてしまったり、ルーチェのゲームに付き合わされて返事が遅くなっていた。
たまに通話をしようと言われてもその場所が自宅だったりするので断ってもいた。
だから、唯菜の怒りや不満が爆発してここにやってきてのも察しはつく。
「はぁ……分かった。今日は唯菜の気が済むまで部屋にいていいよ」
「ホントに?泊ってもいい?」
「明日、朝早いんでしょ。ならダメ」
日曜日の明日はお台場で行われる小さなライブイベントにポーチカが参加する予定だ。
午前中からお昼頃まで開催するため朝の入りは早い筈。
ここに泊まっているとルーチェが嗅ぎつければ、夜通しでパーティーゲームをしようと言い出し、一夜漬けで過ごし兼ねない。
明日の体調面やパフォーマンスにも響く。
無論、泊まったとして来ても全力で泊めようとは思うが元マネージャーの立場からそこはノーと言わせてもらう。
「むー、ケチ」
「その代わりと言ってはなんだけど、夜までならなんでも付き合うよ」
「今、何でもって言ったね」
「限度はあるから」
「分かった。じゃあ、ここに座って」
ぽんぽんとソファを叩いて横に並ぶよう指示する。
何を要求されるのやらと少しばかり不穏に思いながらも従う。
その直後、唯菜の頭が膝の上に乗る。
「頭、撫でて」
どんな顔でそう要求しているのか。
少しだけ見たくもなるが、少し赤く染まった耳から何となく察する。
「はいはい」
綺麗な茶髪にゆっくりと触れ、ゆっくりと上下に手を動かす。
「こんなのでいいの?」
「こんなのでいいんです」
甘えたい年頃なのかは分からない。
女子高校生の間でこういうスキンシップが流行っているのだろうか。
そう言えば、新城も前にこんな風なことを彼女としたと言っていた。
試験で良い点数を取ったご褒美に膝枕してくれたと惚気話を聞かされた。
たかが膝枕に何を求めているんだと、強がって返すも実際に新城は俺よりも高い点数を取っていたのでそれは単なる負け惜しみでしかない。
はっきり言って羨ましかった。
その気持ちに尽きる。
それにこの手の場合、普通は彼女の膝の上に男が頭を乗せる方が普通なのではないかと思う。
あくまでも男性目線且つ個人的な願望含みの考えだが……今は女子同士なので関係ない。
唯菜もこうして素直に甘えようとしてくるのも珍しい。
最近、かなり気を張っているようだったし少しばかり甘えてリラックスする時間も必要か。
「頑張り屋だな……唯菜は」
聞こえないくらいの声で小さくそう呟く。
すると頭を180°回転させ顔を腹部へと埋める。
なんと言うか凄い絵面だ。
「あの~、唯菜さん?今度はなにを?」
「ヒカリ成分の補給」
狂ったことを突然、言い出したかと思えばなんか凄い勢いで息をスーハーしてる。
「いつの間にそんな変態になったの?」
「ち、違う!これは……推し成分の補給というか……」
顔をバッと上げ、赤面のまま否定する。
「推しって……香織じゃあるいまいし……」
それに対して唯菜は真剣な表情でこう告げる。
「ううん。私にとってヒカリは推しだよ。一番の推し」
それがどういう意味なのか。
何となくだけど分かる。
香織に対する推しの気持ちとヒカリに対する推しの気持ちは似ていて異なる。
言い換えるなら、同じ好きでもニュアンスが違うのと同じ。
「そういうヒカリの推しは誰?」
「え……それは……」
顔を近づけて逃がすまいと腕を握る。
無意識に顔を背けてしまうが答えさせようとする圧に根負けする。
「唯菜だよ」
「……」
「ステージで、初めて観たあの時からずっと唯菜のことを推してた。ポーチカに入ったのも大方それが理由みたいなもので……って、自分で言うのも恥ずかしいからこれ以上は言わない」
対する唯菜はというと大層ご満悦だった。
物凄い満面の笑みを浮かべて嬉しそうだ。
「えへへ、ありがとう」
「……なんか調子狂う」
「まぁね。ヒカリってばいつも本音隠しているからこういう機会ないと話してくれないじゃん」
「秘密事が多くて悪いね」
「そういう所、三津谷君と同じだよね。どんなに表情を観察しても何を考えているのか掴めそうで掴めない所とか」
時折、横から猛烈な視線を感じたりすることは気付いている。
学校であろうと変な疑いを掛けられても大丈夫なよう平常心を装い、本音は常に隠している。
だが、こういう場面になると流されて話してしまうのは悪い所だと自覚している。
「でも、私はヒカリのそういうミステリアスな部分とか好きだよ」
「興味持ってもいいけど、詮索は勘弁かな」
「そうする。だけど、秘密に気付いたら……私から聞いちゃうかもしれないけどいいよね?」
その時は今更、嘘を言っても意味はないだろうから仕方なく答えるだろう。
「その時があったら」
「うん、分かった」
そうクスリと微笑み、唯菜は立ち上がる。
自分の用も済んで帰る……そう思った矢先……
「じゃあ、お風呂借りるね。今日のライブで汗掻いちゃったから先に入らせてもらうね」
「泊まる気満々じゃん」
持ってきたトートバッグもやたら大きい。
寝間着はここにある物を使うとして明日の服を持参してきたのだろう。
顔の前で両手を揃え、お願いと頼み込んでくる。
「分かった。今日だけ……」
「やった!優しいね、ヒカリは」
そういって直ぐにお風呂場へと直行していった。
気付けば外も暗く、時刻は六時を過ぎていた。
「甘いし、チョロいな俺って……」
口ではダメと言ってはいるが、正直唯菜と泊まれることに嬉しさも感じてはいる。
好きな子と一緒に寝泊まりする。
健全な男子高校生なら何かを期待して興奮もするだろうが、生憎とその期待はハナからない。
なにせ、今は同性同士な上にこの姿で手を出す勇気なんて微塵もないからな!
無論、元の姿でもそうだが……まぁ、そんなことは割とどうでもいい。
ただ一緒に同じ時間を二人で過ごす。
久し振りに体験できるその貴重な時間に俺は喜びを感じ……
「唯菜、いるんでしょ。遊びに来たわよ」
ガラガラ、パン!と部屋のガラス戸の開閉音と共に子悪魔がゲームソフトのパッケージとコントローラーの入った箱を片手に軽々と部屋に侵入する。
時は既に遅し。
ガクッと項垂れた俺は部屋のカーテンとガラス戸の鍵を閉めていなかったたことを深く後悔した。




