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二百六十七幕 遠征/夜⑭

 ここは……


 気が付くとそこは知らない空間だった。

 真っ暗で何も見えない。


少し硬い敷布団の上で温かい布団に身体を包まれ、横になっていた。


 寝てたのか?


 寝る前の記憶。

 最後に覚えているのは部屋に戻った直後だ。

 窓ガラスの前に立っていると急に意識が遠ざかって……

  

「そうか。アイツにまた意識を……」

 

 その事実が本当であるならヒカリはやはり消えていない。

 あれだけ消える覚悟を決めておきながら彼女は俺の中で残り続けたようだ。

 勝手に意識を刈り取って身体を操るのは些か恐怖を覚える。


 自分の知らない所でもう一人の自分が過ごしている。

 その間の記憶はなく、気が付くと見知らぬ場所でこうして寝ている。

 前後の記憶が齟齬をきたすばかりではなく、変な記憶障害でも起きているのではないかと不安にもなる。

 これを医者に相談すればどこか精神を病んでいるとも思われかねないので我慢するほかない。

 

 一先ず、近くにあるスマホを手に取り、時刻を確認する。

 

「月曜日の2時ってことはそんなに時間は経っていないのか」


 ヒカリの意識は僅か数時間程度で途切れた。

 その間に何をしていたのか詳しくは分からないが、食事、風呂などを済ませたことは何となく分かる。

 そして、恐らくこの部屋は……


「唯菜達が寝てる部屋か」


 元々過ごしていた部屋とは別の四人が寝泊まりしていた部屋。


「はっ、身体は……」


 再び意識を取り戻したことで元の身体に戻っている……なんてことはなく、ちゃんとないものはない。

 そして、ないものが二つほど胸についていた。


 そのことにほっ……と息を吐く。

 

一先ずは安心。

元の姿で寝ていたら俺は単なる変態だ。

大問題になる前に音を立てずに退出及び脱出する緊急ミッションが追加される所だった。


「ヒカリ、何をしてるの?」


 スマホ画面の明かりで顔を大きく照らされた唯菜の顔が暗がりに突如現れる。


「うわっ」

「しっ、声デカいよ」

「ご、ごめん……」


 手からこぼれ落ちたスマホが隣で寝ていた唯菜の顔に向けられ、その光で目が覚めてしまったのだろう。眩しそうに目を細めると自ら手を伸ばして電源を切る。


 静かな暗闇の中、再び唯菜と目が合う。

 何を話せばいいのか少し考えていると……


「その……私、反対向いててあげようか?」

「……どうして?」

「だって、ヒカリ……さっき自分の身体を触ってたみたいだから……その……」 


 気まずそうに唯菜は視線を逸らして伝える。


「一人でエッチな気分になってたのかと」

「はい?」

「違うの?」

「違いますが」

「そうなんだ。てっきり、そうなのかと……」


 もの凄く勘違いされた。

 自分の身体をベタベタ触って確認していたのをそういう風に見られていた。

 唯菜の横でムラムラする自分が完全にいないことはないが、中身は生粋な男子高校生の俺でも周囲に人が居る中でそういう行為は流石にしない。


 しかし、変な誤解を受けたのは事実。

 何か誤魔化さねば……


「た、多分……変な夢を見てたからかな」

「夢?」

「そう。自分が……男の子になってた夢……みたいな?」


 咄嗟に出た言い訳が現実の逆パターンであった。

 それ以外、良さげな言い訳が思いつかない。


「そういう願望あるの?」

「夢だから、願望と結びつけないで」

「それは……そうだね。ごめん」


 納得すると小声で謝罪する。


「でも、ヒカリが男の子になったらどんな姿なのか想像してみたい所ではあるね」

「しなくていいよ」


 されても困る。


「三津谷君みたいな感じかな」

「カッコよくはないけど」


 自分で自分を貶める。


「そうかな。外見は二人に比べると本当に血縁なのかな~とか思ってたりもしたけど」

「……」

「三津谷君は紛れもなく香織ちゃんのお兄ちゃんで、ヒカリの従兄妹だよ」


 それがどういう意味なのか。

 詳しく知りたくなった。

 こういうやり方は卑怯なのかもしれない。

 だが、本当の姿では聞けないことを聞ける。

 その好奇心に負けて再度尋ねる。

 

「そのままだよ。二人と同じくらい優しい人で思い遣りがある。あと、面倒見が良いとことかはお兄ちゃんだな~って思ったよ」


 それはマネージャーの仕事をしている時の自分なのだろう。

 お兄ちゃんだから面倒見が良い。

 香織を昔からよく意識して面倒見してきた覚えはないが、兄貴気質なのは事実なのかもしれない。


「なんだか顔、緩んでるよ」

 

 そう評価されたことが内心で素直に嬉しかったのか。

 意識せずに頬が緩んでしまったようだ。

 好きな相手から率直にそう言われれば誰だって嬉しいと思う。

 だが、顔を見られるのは恥ずかしいので布団の中で顔を半分隠す。

 

「やっぱり、ヒカリも三津谷君のことが好きなんだね」


 それは大きな誤解だと指摘したい所だが、弁明すると面倒なことになるので軽く受け流す。


「ふふっ、なんだかこう話してると修学旅行の夜みたいだね」

「修学旅行って……」

「そう言えば、もう学校には戻ってこないの?あんな短い期間だけの登校だなんて寂しいよ」


 と、言われてもなぁ。

 この身が二つに別れれば解決する。

 しかし、この体に意識が2つあっても実体が分離することはない。

 それにあれは欠席を防ぐための特別措置であって、そもそも三津谷明里なんて生徒は存在しない。

 唯菜達が過ごしていた生徒は幻の存在であり、もう二度と学校で会うことはないだろう。

 

「ごめん。やっぱりもうないかな……こういう場合もあるから毎日は通えない」

「なら仕方ないか。てか、そういうってことは戻ってくる気になったってこと?昨日の件、今ここで答えを出してくれてもいいんだよ」


 ん?何のことだ?

 記憶がないのでさっぱり分からないが、一先ず保留にしておこう。


「それはまた後で……」

「約束は約束だからね。明日……てか、今日の松島観光終わりにちゃんと話してよね」

「そ、それは勿論」


 その言葉に納得した唯菜は大きな欠伸を掻き「じゃあ、おやすみ」と言って再び眠りにつく。

 直ぐにスースーと寝息を立て、気持ちよさそうに横顔を向けながら寝ている。

 まるで付き合っているカップルの気分……とはならないが、不思議と落ち着く。

 

 この姿で唯菜と傍に居る時は元の姿とはまた違った視点で彼女を見てしまう。

 仲の良い友人とも言うべきなのだろうか。

 安心して傍に居られる。

 そんな温かな気持ちが妙に心を落ち着かせていた。


「けど、約束って何のことだ?」

 

 さっきの話。

 頭の中で思い浮かべてもさっぱり分からない。

 何かスマホのメモに書き残していないか、そう思って頭から布団を被り、光を遮るように暗がりでスマホに触れる。

 

「あった」


 メモアプリの一番最近の更新履歴。

 やはり、そこにはヒカリが残しであろうメッセージが綴られていた。

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