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二百四十一幕 エピローグ

 人のいない外のトイレで直ぐに着替えた俺は周囲の目がないことを確認しながらサッと外に出る。

 

「危なかった。危うく変身が解ける瞬間を誰かに見られる所だった」


 ひび割れて粉々になった腕輪の残骸を片手にホッと息を吐く。

 ヒカリとして過ごせる時間はもう殆ど残っておらず、このクリスマスライブまでが限界だった。

 一刻の猶予を争うため強引な活動休止宣言であったことは否めないが、今はこうする他なかったと自分に言い聞かせる。


「遺恨残りまくりだな……」


 何もスッキリとしない。

 モヤモヤした気持ちが心の奥にギュッと留まる。

 最悪な気分としか表現できない。


 クリスマスライブの楽しかった思い出も悦に浸っていた気分も今は全て吹っ飛び一転した。

 それでも後悔はない。

 いや、後悔しようにもこの腕輪の残骸を見ればどうしようもなさが勝る。


「ホント、何だよコレ」


 腕輪だったそれは今では単なる石ころのように見える。

 完全に色褪せ、硬く重い石へと突然の変貌を遂げた。

 まるで効力を発揮し終え、力を失ったかのように……


「それは不思議な力を宿した石でね。私はその研究をずっと行っているんだ」


 ゆっくりとこちらに歩み寄り、話しかけたその男性に意識を向ける。


「ダリルさん……」

「やぁ、陽一君。素晴らしいライブだったよ。日本のアイドル文化というのはイマイチ理解し難いが……その場にいるお客さんと共に盛り上がり、君たちを熱く応援したくなる気持ちは競馬と同じで理解し易い」


 いや、競馬と同じように捉えられても困る。

 アイドルホースなんて言葉もあるのだからニュアンスは似ているのかもしれないが……一先ず、楽しんでもらえたのなら何よりだ。


「ありがとうございます。それで、この石みたいなものなんですけど……」

「それは回収させてもらうよ。貴重なサンプルなのでね」


 受け取って残骸を回収する。

 こんなのが貴重なサンプルって一体この腕輪の基はなんだなんだ。


「君はこの不思議な体験が夢だったと感じるかい?」


 意図が掴めないその問いに対して首を横に振る。


「そうは思いません。俺が体験してきたことは紛れもなく現実です。じゃないとこんなにもモヤモヤした気分のまま舞台を降りません」

「なら、その気持ちを忘れないで欲しい。忘れないことが新たな道と続くだろうからね」


 左側のポケットを漁り、ある物を手渡す。


「これは……!」

「新しい腕輪さ。前と同様に効力を発揮するかは分からない……だが、これを君に渡しておきたい」

「あの、そもそもこれは一体……」

「説明すると長くなるので、端的に伝えると……これは十数年前に落ちた隕石の一部。触れた対象者に不思議な現象を与える力を宿した謎の物質なんだ」


 原理や理屈はともかくありのまま受け入れる。


「その石は万人に応えない。適正を持つ者だけに応え、特別な何かを授けるといった具合の仕組みらしいが詳しい原理や理論は解明できていなくてね。依然と観測を続けてデータの収集を続けている」


 困った顔でダリルさんは淡々と続ける。


「しかし、その研究も進退の繰り返しでね。君も気付いての通り、効力には時間制限がある。その時を迎えたら最後、石は砕けて効力を失い……二度もその者に与えはしない」

「なら、俺に与えても意味がないのでは?」

「そうだね。でも、意味があることを私やジルに証明して欲しい。ジルが君に期待を抱くと同様に、私も君にこの研究を先に進める新たな希望として捉えている」


 ジル社長もこの人も俺を買い被り過ぎだ。

 だけど、これは俺が望むところでもあるのかもしれない。

 俺がヒカリへと戻れる可能性の希望。


「だから、どうか私やジル……ポーチカやファンの方々へ見せて欲しい。三ツ谷ヒカリの復活を」


 復活。

 そんな言葉が聞けるとは思っていなかった。

 活動休止なんて発表をしたが、三ツ谷ヒカリはこのまま消える存在になると覚悟していた。


 腕輪は砕け散り、変身も叶わなくなってしまったのであれば俺もヒカリも用済みに等しい。

 復帰復活はおろか俺はこのまま唯菜達の元からいなくなる運命を辿るしかなかった。

 

 だが、こうして新たな腕輪を受け取ることで希望の兆しが見えるのかもしれない。

 あるいは希望を掴めないまま消えるしかない。

 この二択にどう転ぶかはやってみない限りは分からない……だから、俺はやる。


「すみません。また、これをお借りします」


 すんなりと覚悟を決めて受け取る。


「意外にも答えが早い。もしや、ジルから予め聞いていたのかい?」

「いえ」


 ジル社長からは何も聞いていない。

 新しい腕輪があるのなら早く言ってほしいかったくらい。

 何せ俺は……


「諦めたくなかったんですよ。このままで終わりたくないって」


 こんな中途半端で急な終わらせ方を誰が望む。

 当事者の俺からすれば一か月近く別の誰かに身体の意識を乗っ取られて戻った挙句、戻って直ぐに『もう時間がない』的なことを伝えられて急なエンドロールを迎えるとか不完全燃焼にも程がある。

 

 例え、三ツ谷ヒカリという自分が虚構から生まれし存在であっても……ヒカリが関わり交わってきた人や出来事は決して噓ではない。

 唯菜を始めとした多くの人にヒカリの記憶は鮮明に残っている。


「それに決めてるんです。もしも、本当に終わりを迎えるのであれば今みたく遺恨なくスッキリと終わらせるって」


 でないと永遠に後悔し続ける。

 それにこんなの俺の性分と合わない。

 

「だから、続けます。三ツ谷ヒカリの存在が必要となくなるその日まで……アイドルの三ツ谷ヒカリとして」


 その使命感は果たして本当に俺の意志なのか。

 ヒカリの記憶が混じった今の俺は少なからず彼女の意志を受け継いでいる。

 少し前の俺ならこんな風に諦め悪くアイドルの自分であり続けることに拘らなかっただろう。

 今こうして強くそう思えているのはヒカリの記憶が影響したものと言えるのかもしれない。


 しかし、それでもこれは紛れもなく俺の意志であった。

 ヒカリの記憶がどう影響しようともヒカリの意志を形成した基は俺だ。

 なら、女になった自分だろうが関係ない。

 俺は自分の意志に従ってそう決意する。


「君はホントに真っ直ぐで優しい……まるで彼女みたいだ」

「……?」

「いや、何でもない。こちらの話さ。それと今後、腕輪の件で何かあったら私に何でも相談して欲しい。また暫くロシアへ戻るが、春先から夏前までこちらに留まって君の経過観察に取り組むつもりなのでね」


 その具体的な滞在期間に思わず疑いの眼差しを向ける。

 

「競馬ですか?」

「来年のクラシック二冠と宝塚はどうしても気になってね」


 競馬だった。


「まぁ、今後ともよろしく頼むよ。陽一君」


 握手を求められてそれに応える形で手を取る。

 ブンブンと手を交わし「では、僕は可愛いエンジェルの所に戻るとするよ。折角なのであの衣装で記念撮影をしたいのでね」と意気揚々に関係者用へと向かっていくも、遠くで係の人に止められている声が聞こえる。


 仮に中に通してもらったとしてもオフのスイッチが入ったルーチェは一瞬で着替え終え、帰り仕度を進めているだろう。俺とのこのやり取りの時間が割と記念撮影から遠のいた要因とも言える。


「かく言う俺もこの姿じゃ中には入れないな」


 帰るしかない。


「荷物はジル社長かまだ中にいるであろう香織に持ってきてもらうとして、今日の所は帰ろ」


 その前に貰った腕輪を装着する。

 いつものように慣れた感じで念じてみるも何も反応しない。

 それどころか肌と同色化して見えなくなることもない。


「つまり、これを付けて今後とも過ごせってことなのか」


 おそらくこの腕輪は隕石の一部を加工して造られたものなのだろう。

 肌身離さず付けておくという点では指輪とかイヤリングなどの小物系装飾品類にすればいいと思うが、残骸から察するに少しサイズ感を必要とするのだろう。

 だから、そのための腕輪なのだと勝手に判断する。


「デザインはともかくカモフラージュないと目立つのがなぁ……」


 その辺りは後日、ジル社長に相談するとしよう。

 トイレ付近から離れた俺は行きに来た通りを歩く。

 すると……

 

「あ!」

「……え」


 衣装姿のまま通りを駆けていた唯菜とバッタリ遭遇した。


「ヒカリ!」


 その名前に一瞬ドキッとするも今はその姿じゃないことを確認して落ち着く。


「ヒカリ見てない?」

「え、ヒカリ?見てないけど……」


 惚けてないと疑われない演技力で答える。

 

「そっか。こっちにも居ないならもうどうしようもないか……」


 悲し気な表情に心が痛む。

 唯菜をこうさせた最たる要因は俺にあるのだから。

 しかし、今は何も言えない。

 その心苦しさに逃げたくなった俺は直ぐに足を進めた。


「じゃあ、俺はこれで……」

「あ、待って!」


 腕を思い切り強く掴まれた。

 その事に驚いた俺は足を止めて思わず振り返った。 


「三津谷君、帰ってたんだね」

「あぁ、つい最近」

「そうなんだ、おかえり」

「……ただいま」


 どう返すのが正解か分からず無難に答える。


「あのこんな時に言うのもなんだけど……前に告白してくれたことの件、覚えてる?」


 今更、それを掘り返されるとは思ってもいなかったからか自信なく曖昧に肯定した。


「その時の返事なんだけど……まだ保留にしてもいいかな」

「……」

「決して嫌だとかじゃないよ。三津谷君が私のことを好きでいてくれているのは嬉しいし、その……気持ちにも真剣に答えたいと思ってるの!」

「……!」

「だから、私に少しだけ時間をくれないかな。今は色々と他に考えることや悩むことが多くて」


 考え事や悩み事に関してもそれは俺に責任がある。

 むしろ、唯菜からそう言ってくれるのであれば有難いとも思える。


「俺は全然、大丈夫」

「うん。ありがと、三津谷君」


 身長差があるからか。

 唯菜の表情を今は高い位置から見えることに不思議と違和感を覚える。

 いつも同じ目線で、より近くで見ていたからあまり感じなかったが……こうして男女の感覚だといつも見ていた筈の笑顔がとても新鮮に思える。


「あ、それと出来ればなんだけどヒカリを探すの協力してもらえないかな?」


 彼女から唐突に笑顔が消えた。

 いや、こうして見れば可愛い笑顔のままであるのだが表情の裏から滲み出る怒りのオーラが俺の目に映っている。


「ヒカリの実家とかあんまり知らない方がいいと思うんだけどこの際、乗り込んで直接話しを付けたいな~って思ってるんだよね。三津谷君、従兄妹なんだから当然知ってるよね」


 怖い。

 迫力がいつも数倍増してて怖い。

 会えば必ず捕まえられて白状するまで追求されるんだろうな~。

 それはともかく、どう返すべきか……

 

「悪いがそれは言えないんだ」

「なんで、ヒカリにそう止められているから?」

「それもある」

「なら、三津谷君の家に乗り込んでもいいかな?」

「なんで?」

「私が来ることを警戒してヒカリなら三津谷君の家に行きそうじゃない?何か事情があって実家とかに戻るにしても今日中に帰るとは考えにくいから……多分、部屋じゃなくて私が行きにくい三津谷君の家に戻るかな~って」


 鋭い考察。

 仮に俺がそうするとしたら確実にそうしただろう。

 伊達に数週間の間、一緒に暮らしていただけのことはある。


「俺はそんな話し聞いてないから多分、無駄足だと思うぞ。アイツも裏の裏をかくのは上手いから唯菜がそうすると見計らって部屋に戻っているんじゃないか?」

「一理ある……あれ、今私のこと唯菜って……」


 しまった。

 口が馴染んでいたもんだから癖でつい名前呼びを……誤魔化すか。


「向こうだと名前呼びが習慣だから俺もちょっと染まってつい……」

「あー、海外だとそうだよね」


 その設定でどうにか誤魔化せたことにホッとする。


「でも、あんまりにも呼び方が同じだから一瞬ドキッとしたよ。三津谷君がヒカリみたいで」

「気のせいだろ」

「うん。そうかも」


 これも気のせいではないんだよなぁ……というのはさておき、そろそろ俺は帰らせてもらおう。


「その姿だと寒いだろ。そろそろ戻った方がいいんじゃないか?」

「さっきまで走ってたから温まったけど、今は少し冷えてきて寒いから私も戻るよ」

「じゃあ、また学校で……」

「うん。年明けになったら教えてね、ヒカリの居場所」


 そう言い残して彼女は音楽堂の方へと戻って行った。


 約束はできない。

 一応「分かったら」という曖昧な返事でこの場を脱することに成功する。

 諦めが悪い唯菜であればこんな形でヒカリがいなくなることを決して受け入れはしない。

 探し出して会うまで追及される始末に追われるに違いない。


「面倒だから早くヒカリになって謝りたい所だけど……」


 現実、そう上手くいかない。

 むしろ、今までが上手く行き過ぎた。

 ヒカリになってアイドルやって望んでいた青春とは異なりはしたが色々と順風満帆だった。


 教室でもポーチカでも唯菜とお近づきになって親睦を深め、互いを信頼し合ってアイドル活動を行い、グループ諸共成長へと努めた。

 その過程は非常に充実してて、もの凄く楽しかった。

 陽一であれば経験できない体験を沢山して多くを得た。

 

 香織や春の件だってそうだ。

 ヒカリになっていなければ向き合えないまま俺は子供のままだったかもしれない。

 捻くれた詰らない高校生活を今も退屈そうに過ごしていたに違いない。


 しかし、そんな時間もそう長くは続かないのが現実だ。

 非現実を身体に纏って夢のような時間を望むまま体験し続けるなんて虫のいい話。

 いつかは終わり、現実へと戻されることが普通なんだと改めて知った。


 だけど、まだ終わりではない。

 この先もまだ続く。

 いや、続けさせる。


 そうすることがヒカリとの約束でもあり、俺のしたいことの一つであった。


「なら、最初の一歩を直ぐにでも歩まないとだな」


 次第に雪が多く降り始めた。

 普段からあまり持ち歩かない折り畳みの傘を出した俺はそのことにおかしくなった。

 その気分のままスマホである人物へと電話をかける。


「お疲れ様です。今、少しだけお話しいいですか?」

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