二百二十七幕 香織の決意
「あれ、いないの?」
玄関のドアを開けると待っていたのは暗がり。
廊下を抜けて部屋の電気をつける。
「ただいま~……って、うわ!お兄ぃ!?どこで寝てんの」
視界の端、ベッド傍の床のフローリングにうつ伏せのまま寝ている兄の姿に一瞬目を疑う。
暖房が付いているから床で寝ていても辛うじて身体は冷えていないのだろうが寝方があまりにも倒れて気を失っているように見えて心配にはなる。
「ねぇねぇ、床は身体冷えるから寝るならベッドにしなって」
昨晩もルーチェがやってきてベッドから蹴落されていたことを知っている。
今朝方、その様子を確認するも特に気を遣わず見て見ぬふりをしたが帰ってきても今朝と変わらぬ状況を前にすると些か無視はできない。
しかし、声を掛けても兄が起きる気配はない。
念の為、首元に触れてみるも……脈や体温は正常。
本当にただ寝ているだけのだと理解して少し安堵する。
「これで死んでたら洒落にならないから……てか、このままだと本当に死にかねない」
兄の身体をベッドに移すべきなのだろうが、生憎と香織自身に一人でベッドへと移す力はない。
誰かの手を借りようにも部屋には誰も居らず、隣人もどうやら出ている様子。
「めんどくさいから布団でも体にくるめておけばいっか」
短絡的で且つ実行しやすい案が浮かぶ。
早速ベッドの布団を床に敷き、寝ている兄の身体を転がす形で布団の上に置く。
あとは身体に布団を巻く形で転がし……人間巻きが完成した。
「これだけ邪魔しても起きないってどういうこと?」
ふぅと息をついて一旦、冷静になって考える。
兄は普段、寝ている際はあまり邪魔されたくない
無理やり起こそうとすれば多少なりとも寝ぼけながら嫌がり、ご機嫌斜めな対応が反ってくる。
これだけ身体を動かせば何かしらの反応を示すかと期待していたが、それも全くない。
「熟睡ってレベルじゃないよね。これ」
あまりにも深すぎる眠り。
自身の姿に戻ってからまだ本調子ではない兄の様子からも省みるにかなり心配にはなる。
「ずっと眠ったままとか勘弁してよ」
ポツリと不安を漏らす香織はふとカレンダーに目を向けた。
今日の日付は12月23日。
ポーチカがクリスマスライブを行う日は24日。
そう明日。
それまでに兄が再びヒカリに変身できるよう戻るのか。
目を覚ましてくれるのかも分からない。
もしも、このままだったら……そう考えるだけで妙な焦りが胸の内から込み上げる。
「私が気にする必要はないのに……ね」
私にとってポーチカのクリスマスライブは無関係に等しい。
自身が決して出演者として出る訳でもない。
しかし、他人事のようには思えなかった。
いや、他人事では済ませたくない。
ポーチカというグループに以前、三ツ谷ヒカリを装ってステージに立ったことがあるからか。
あるいは彼女達のグループメンバーと物凄く懇意に親しみを持っているからか。
私の中でポーチカというグループは決して他人事では済ませられない関係を個々やグループとしても築いてしまっている。
だから、余計な不安を抱いてしまう。
このままヒカリがいない状態でのクリスマスライブを迎えることが決して良い筈がないと分かっているから。
「最悪の場合はまた私が……」
ヒカリとして出る。
自らの意志で成り代わってファンの前に立つ。
そうする方がその場凌ぎの解決にも繋がる。
しかし、それは私が想い立って無断で実行すべきことではない。
話の筋を通して然るべき人達の許可を得なければしてはならない。
仮にこの案が一番の妥協策であるなら私と似た考えを持つ人が自らお願いしてくるに違いない。
そう思い、スマホのメール欄を開くも想像した人物からの連絡は一切ない。
「ジルさんはヒカリがいない状態で進めるつもりなの?」
ヒカリや唯菜ちゃんの話しから察するに今回のライブはポーチカにとって絶対に成功したいイベント。
参加者のキャパ数や期待値を考慮すればかつて自分達が通ってきた乗り越えるべき壁であり、成功した暁にはレーベル会社を含む音楽関係者からの注目を集め、メジャーデビューする好機も充分繋がる。
ジルさんも必ず掴み取りたいチャンスであり、ポーチカもステップアップできるまたとない機会にもなる。
そのためにはヒカリの力が必要不可欠。
ヒカリを含めた五人でライブこそが成功への大きな鍵であり要因とも足り得る。
欠けてしまうことが失敗を招きかねないくらいジルさんも分かっている。
であれば、もしもの事態を想定して何か策を講じる……と香織は踏んでいるが依然と連絡はない。
「ジルさん……考えが読めるようで読めない。まるであの人みたい」
麗華さんの代わりに一時期、SCARLETのマネージャーを担当していた謎の男性。
不思議なカリスマ性とコネを有し、無名でデビュー経験のないSCARLETを有名な音楽フェスへの参加をねじ込み、私達をデビューへと導いた。
デビューの場を用意しただけではなく楽曲やダンスの振付師も自ら手配し、完璧なまでのプロデュースを果たした。
確か当時の麗華さんは私達に彼を新人のマネージャーと紹介した。
だが、今になって思い返せば新人マネージャーができる範疇を超えている。
後にそれが新人マネージャーとして行き過ぎた行為とされてクビとなった訳だが、彼はあまりにも有能なマネージャーでプロデュース力が高い。
担当マネージャーとしてなるべく会話していた私からすれば言葉遣いは少し荒く三人に対して過度な期待を抱いていない様子に見て取れたが、先を見据えた用意に自身が持てるカードを駆使して最大限のサポートを行っていた変な人という印象。
それは私の知るジルさんとやり方はある程度似ていて……深く通じるものが多々ある。
「やっぱり、ジルさんがあの人なの?」
その予感を一度は捨てた。
しかし、麗華さんとの接点や当時の振付師であった田村さんとの面識という点も考慮すれば合点はいく。
その時に感じた態度や印象という点では異なる部分は多いものの、特別なノウハウを持つという点でその予感はほぼ確信へと変わる。
「まさか……ね。でも、有り得ない話ではないか」
そう結論付けた香織は一旦深呼吸をして考えを改める。
「仮にジルさんがあの人だとしてもやることは変わらない」
『君たちに過度な期待は抱かない』
『どうか、俺の期待を裏切ってみてくれ』
初めて会った時、それからデビューライブの直前に言われた少しカチンともくる冷たくも想いの籠った言葉。それを思い返せば自ずとジルさんの思惑が読める。
ジルさんは期待している。必ずヒカリがステージに立つと信じている。
何を根拠にしているのか。
それは分からずともいい。
ただ、分かったことは一つ。
私の力を必要としていない。
三津谷香織が三ツ谷ヒカリに成り代わって出る必要性を感じていない。
だから、何も連絡してこない。
あるいはその逆……
「私が勝手に動くと思っているか」
麗華さんはジルさんに多くの貸しを作っていると言っていた。
KIFで私が代わりに出た時も『今後はこんなことさせないで』と釘を差していた。
ジルさんが麗華さんに頭が挙がらないという事実や今回の出来事が急な解決を要する必要がないとジルさんが判断したことを踏まえると今回は私が勝手に動くことを求めているとも捉えなくもない。
こんなのは私の勝手な憶測であり、検討違いも甚だしい。
正直に言えば、単に私がヒカリとしてポーチカのステージに立ちたいことへの言い訳作りをしたいだけ。
あまりにも身勝手で我儘で都合の良い方法ではあるが……それがどうにかなる方法の一つであり、私ができる最大限の恩返しでもある。
ジルさんがあの人だとすれば少なくとも私達をSCARLETとしてプロデュースしてくれた恩がある。加えて、唯菜ちゃんにはファンとしていつも温かな声援や熱の帯びた嬉しい応援に対する感謝をしてあげたくも思う。
「それに……ヒカリが積み上げてきた努力をこんな形で無為にしたくはない」
要らぬお世話であっても好きな人達のためにできる限りのことをする。
勿論、それで全部が解決するとは思っていない。
だから、出来る限り場を繋ぐ。
後から絶対に来るのだから。
「早く起きてよ。お兄ぃ……ヒカリ」
布団に巻かれながらスヤスヤと眠る暢気な兄の額に一発デコピンを食らわせた。
お久しぶりです。
著者の小原です。
不定期の更新となってしまい申し訳ございません。
毎日ちょくちょく書き続けていますので、このままの形で暫くは更新となるかもしれません。(ごめんなさい)
(近況報告 ※どうでもいいので読み流してもらって構いません)
毎週の如く続くG1シーズンに突入し、毎週末は競馬場に通う日々……推し馬の応援に京都(秋華賞)に行き、三冠牝馬誕生の瞬間を見ることができました。(推し馬はドゥーラです。惜しかった……)
今週末も菊花賞と来週末は天皇秋と続き、X(旧Twitter)でアイコン表示にしている愛馬のジャックドールも天皇賞秋にて出走します!(相手は強いが頑張って欲しい!)
今年の大阪杯、安田記念、札幌記念と続き今回も現地にて応援にいきます!
どうか、これを読んでいる皆様も応援して頂ければ幸いです。
近況報告は以上で、最後にここまで本作品を読んで頂きありがとうございます。
この場にてレビューを書いて下さったユーザー様にも感謝をお伝えさせていただきます。
ありがとうございます。
長々と続く五章もそろそろ終盤です。
六章(最終章)に向けた重要なストーリーでもありますので、今後ともどうか読んで頂けますと幸いです。
※本章を改稿していくにあたっていくつか変更点がでます。
自分でも改めて考え直したのですが、時間設定(主に話数毎の日付)を少しばかり変えよう思います。
時間設定が曖昧な部分があると感じるユーザーが多いと思われますので、後ほど修正していく所存です。
それでは、またどこかの後書きで




