ニ百二十六幕 信頼
「はい。そこまでー」
善男の手拍子と音楽が止む。
ライブで披露する三曲を連続で通した四人の額から若干の汗が滲んでいた。
「お疲れ様。今日はここまで」
時刻にしてはまだ五時前。
ほんの数分前まで夕刻が見上げた空も今は夜の帳が降りている。
「あーようやく終わったぁ。早く帰ってゲームしたいぃ」
「今日って配信予定?」
「18時から。一応、クリスマスライブが明日あるから告知しとけって兄貴が五月蠅くて」
「告知も大事だよ。私も帰ったら参加するね」
「頼んだわよ、小春。今日こそあの憎き邪魔者に制裁を食らわせてやらないと……」
昨日、配信中にゴースティングを仕掛けてきた迷惑プレイヤーに対して激しい憤りを覚えていたルーチェは頼もしい味方と共に今日こそは返り討ちにすると静かに復讐心を燃やす。
「暴言とかやる時間は程々に。小春ちゃん、その辺りの監視お願いね」
「は?無理に決まっているでしょ。あいつら前にしたら怒り爆発で感情を抑え切れる訳が……」
「では、隣で私が宥めてあげる。どうかな、ルーチェちゃん?」
「幸香さんが居なくても大人しくやるから大丈夫です」
幸香に詰められると直ぐに大人しくなるルーチェにやれやれと唯菜は息を吐く。
しかし、その溜息の原因はもう一つある。
「ヒカリちゃん、大丈夫かな?早く風邪が治るといいけど……」
小春の言葉に唯菜は自信なく「うん」と頷く。
ヒカリのレッスン欠席理由を四人は病欠であると聞かされていた。
伝えた善男と今朝方、本人と会っているルーチェや何となく事情を察した幸香の三人はそれが真実ではないと知りながらも黙っていた。
「お見舞い行った方がいいかな?」
「唯菜ちゃんが行くなら私も……」
「むしろ、逆よ。行かない方が良い」
「そうね。今は大事な時期だもの。お見舞いに行って私達に風邪でも移ったら本末転倒ね」
ルーチェの言葉に幸香がフォローする形で二人を説得する。
「あの、ヒカリはただの風邪なんですよね?」
「ジルからはそう聞かされているわ」
善男の返答に唯菜は納得がいかなかった。
レッスンが始まる直前、ヒカリに『大丈夫?』という旨のメッセージを送っても未だに返信どころか既読すらついていない。
返信が遅いのはいつものこと。
遅い場合は一日以上寝かせられるのも分かっている。
しかし、今はその返事が一向にないことをもどかしく思ってしまう。
出来ることなら会いたい。
会って確かめたい。
彼女が本当にいなくなっていないか。
不安で仕方がない。
「ごめんなさい、唯菜ちゃん」
「え?」
「これはジルに言わないよう伝えられていたのだけど……敢えて言うわね」
顔を挙げ善男の言葉に耳を傾ける。
「最悪の場合、ヒカリちゃん抜きで明日の本番を迎えるかもしれないわ」
そう告げた唯菜の瞳には激しい動揺が宿る。
「今、ただの風邪って」
「風邪は風邪でも多分だけど重い症状かもしれない。たった数日で治る保証はないわ」
「……!」
「そうなった場合、四人でステージに立つことになるわ。以前のように」
それを聞いた途端、唯菜の中で急激に不安が生じた。
四人でのポーチカという過去の自分達。
その時の成功体験はほぼないに等しい。
いくらライブをこなそうとも一向にファンが増えない燻っていた暗黒期。
あれやこれやと手探りで集客を試みるも失敗続きで評価されない現実に自信喪失しかけていた。
唯菜に限らずそれは他のメンバーも似たような気持ちを少なからず抱いていた。
「ヒカリちゃん抜きでのライブ……大丈夫かな?」
「まぁ、四人での実績なんて殆どないし。全然大丈夫じゃないでしょ」
「その割にはルーちゃん、気楽だよ?」
「別にプレッシャーを感じる程ではないでしょ。第一、アイツがいなくとも問題なくやっていけると私は思ってる」
ルーチェの自信に満ちた意外な台詞に唯菜は「どうしてそう言えるの?」と訊く。
「四人での実績はなくても、個々の実力は前に比べて上がっている。少なからず唯菜や春は前より自信を持ってパフォーマンスしてる。それに段々と自分達のファンが増えてきてるんだし……努力が報われて評価もされている。そう私は少なからず感じてるから」
半年前と比べれば個々に多くのファンが付くようになった。
熱烈に自分達を応援してくれる存在。
握手会やチェキ撮影の際に掛けられた温かな声援は一体何を観て伝えてくれたのか。
それを改めて振り返ると自分達の実力が以前にも増して上がっていることの証明にもなる。
「ま、ヒカリが当日いないことを想定すれば私も多少なり不安よ。場の盛り上げ役は唯菜とヒカリに任せていたから楽が出来ないのは勘弁して欲しいわ~」
「楽って……何だかんだ言ってルーチェちゃんもライブ始まったら割とノリノリでファンサとかするくせに」
「それは一部の行儀良い私のファンのみにだけよ。ウザイ奴にはたまに中指立てて……」
「そんなことしてたの?ルーチェちゃん」
スッと背後から忍び寄り、耳元に圧を含んだ声で囁く幸香に「一回もしたことないです!」と叫びながら全力で否定する。
「ふふっ、でもルーチェちゃんの言う通り。私もヒカリちゃんがいないと少し不安だわ。歌い出しや曲の中で勢いをつけてくれるのはいつだってヒカリちゃんと唯菜ちゃんで……私達は半ばサポートに徹する形だったもの」
それには小春も頷く。
「だけど、今回は全員でライブを成功させる。誰が主役とか脇役とか関係ない。皆が主体となってライブを作り上げる。そういう取り組みを個々人でやってきた。そうでしょ?」
幸香の問いに唯菜はこれまで自身がしてきた努力を思い返す。
路上ライブでの件も色々と思う所があったと言えどもコツコツと積み上げて得たものも多い。
そう何も悲観することなんてない。
例え、ヒカリがいなくとも自分達のパフォーマンスを来てくれたお客さんに精一杯届ける。
それこそが白里唯菜というアイドルのポリシーである。
「うん、そうだね。私達は私達ができることを最大限見せることが重要。クリスマスなんて大事な日にライブに来てくれたお客さんを満足させることを第一に考えるべきだよね」
メンバーに言い聞かせるだけではなく自身にも改めて言い聞かせる。
「それにヒカリは多分……絶対にくる」
その言葉は他のメンバーも同意だった。
「来ない訳ないでしょ。SCARLETのライブにゲスト出演するくらいのお人好しバカなんだし」
「ルーちゃん、言い方……でも、分かるよ。ヒカリちゃんは陽一君と同じで誰かの為に一生懸命力を貸してくれるから」
「そうね。特に唯菜ちゃんの為なら意地になっても飛んで来そう」
「え、それってどういう意味ですか?」
「ふふっ、本人がいない所で言うのもあれだから自分で考えてみて」
クスリと微笑む幸香の言葉が何となく分かるような気がした。
落ち込んでいる時や自信がない時……いつだってヒカリは目の前に現れて力になってくれた。
どうしようもなくて、自分でも解決できそうにない時はたいていヒカリが現れてくれる。
それに頼ることが必ずしも全て良いとは限らない。
(私が目標とする人であれば恐らく全部自分の力で道を模索して切り拓き、他の人も巻き込んで解決しようとする)
(けれど、私にはどうしたってそこまでの力はない)
できることも、したいことも限られる。
誰かの力を借りても自らの問題を主体となって解決するには至らない。
(ストーリーで例えるなら私は決して凄い主人公にはなれない。誰もの憧れであり敬われて頼りになる存在とは無縁かもしれない)
三津谷香織に近付くなんて程遠い。
彼女達が目指すトップアイドルになんて自らでは牽引できない。
そんな悩みを解決する方法を思いついたのに……全て断られてしまった。
(それならせめて頼れる相棒……グループの絶対的なエースとして傍に居て欲しい)
これまでもこれからもずっと……
「どうやら、余計なお世話だったかしら?」
「いえ、伝えてくれなかったら私は不安のままだったかもしれません」
来ない理由がはっきりと分かった今、唯菜はただ待つほかない。
決して逃げたりなんてしない。
身勝手に自分の責任から逃げようとするなんて微塵も想像できない。
それに唯菜は信じている。
「大丈夫です。ヒカリが傍に居ないことなんてないって信じていますから」
その言葉を胸に焼き付け唯菜は目の色を変える。
不安や迷いは消え、ただ真っ直ぐと前を見据え「待ってるから」と小さく想いを馳せた。




