二百二十三幕 正直な想い
事務所のレッスン場に向かう道中、冷たい空気を吸いこんでゆっくりと吐き出した私はムカムカと胸内に渦巻くこの感情を口にする。
「はぁ~、本当にヒカリのバカ」
昨日からずっとこうだ。
言えに帰ってきてからずっとヒカリのことが頭から離れない。
『いずれ居なくなる』という言葉……あれは嘘じゃない。
ヒカリは本心から言っていた。
仮に噓だったとしてもあんなにも哀しい顔はできない。
ここ一か月間、一緒に過ごしてきたから分かる。
ヒカリは自分に素直。器用に自分の想いを隠して誰にも悟られぬよう過ごすなんてこと……不器用なあの子ができる訳ない。
だから、バカ正直に後先考えず私に伝えた。
それにそう言えばあの時の私がなんでも納得するって思われていたのも物凄く腹が立つ。
「あ~ホントにバカ。ヒカリのバカバカ……」
「珍しいね。唯菜ちゃんが怒っているの」
先程、偶然にも駅で会った春ちゃんは意外そうにクスリと笑む。
「喧嘩でもしたの?」
「喧嘩というかなんというか……」
昨日のことはまだポーチカの他のメンバーには伝えてはいない。
ヒカリもまだ私にしか言っていないみたいだったし、まだいなくなると決まった訳じゃない。いや、絶対に辞めさせたりなんてさせはしないけど……兎に角、昨日の件は胸の中に閉まっておくことにした。
「ちょっとした言い合いみたいな感じだよ」
「唯菜ちゃん達ってもの凄い仲良いからあまり言い争いとかしないって思ってたけど……」
言われてみれば初めてな気がする。
ヒカリと言い争いどころか意見の対立や口論なんて今までしたことがなかった。
私からヒカリに対する不満や文句がある訳でも生じる訳でもなく、どこか互いに一線を画しながら尊重し合っていた。
最近ではそんなことを気にする必要もなくなった。
ヒカリも恐らく仲の良い友人として私を捉えて素の自分で接してはくれている。
けれど、ヒカリは絶対に知られたくない何かを私との間に隠している。
お互いにとってそれは最も重要で……明かしたくはない事実。
それが多分、ヒカリの発したあの言葉の真相を知る手掛かりだとは思うけど……話してはくれないだろう。本当に知られたくはないみたいだし、話したくもない様子だった。
それを無理矢理訊くのも仲が良くなったと言えども流石に気が引ける。
でも、知らないと……ヒカリはいずれ居なくなる。
しかし、知ってもどうしようもならないことなら私が知って何になるという話でもある。
恐らくヒカリの隠し事は後者だろう。
他人では解決しようのない大きな問題。
私に話すと変に心配をかけてしまうからと言わないだけなのか。
どうしようもならないと分かっているから諦めているだけなのか。
ヒカリの心情を踏まえるとその両方が当てはまりそうな気もする。
「はぁ~ホント、どうしたものかな」
「本当に喧嘩中なの?」
「喧嘩って訳じゃないんだけど……まぁ、昨日と一昨日は色々あってね」
「そう言えば、センターの件はもう大丈夫なの?」
春ちゃんを含めて昨日の朝の時点で今後のセンターをヒカリに譲るという話は伝え済みだった。
ヒカリを除く三人には了承をもらい、あとはヒカリを説得するだけの流れまで持ち込んだものの……まさか、予想斜め上の話を切り出された挙句、あんな風に逃れようとするとは思いもしなかった。
「うん。結局、私が引き続きセンターをやるよ」
「もしかして、それで揉めたとか?」
「……少しだけね」
否定できない。
実際、揉めかけたのは事実だし。
「だから、喧嘩って程じゃないの」
「なら安心だね。クリスマスライブ前に二人がギクシャクしてたらそれどころじゃないもん」
「グループ内の平穏空気は保つようにするから……」
いや、多少なりとも顔を合わせずらい気持ちはある。
ヒカリの方はいつも通り何事もなかったかのように接してくると思うけど、私の心の中では昨日の件をまだ引き摺ってはいる。それに顔を合わせると多分聞いてしまう。
あの言葉の真意を……
「そう言えば、陽一君ってあれから学校に戻って来てないの?」
「ん?うん、そうだね」
かれこれ一か月近く留学中で、一向に戻ってくる気配はない。
何も音沙汰もないまま冬休みに入ってしまったけど、年明けには戻ってくるのだろうか。
友人の新城君や中原君達も連絡が取れないらしく『分からない』と首を横に振っていた。
唯一知っていそうな香織ちゃんに訊いても帰国の目処は向こうが決めるから分からないとのこと。
KIFでの一件以降、顔を合わせていないからか……彼はもうあの教室には戻ってこないのではないかと思ってしまう。戻って来てもクラス替えの行われる三年時の春かもしれない。
「今暫くは留学を続けるみたいだよ。でも、そろそろ年末だし一旦は帰国してそうだけど」
「そっか……」
春ちゃんは少し残念そうに視線を落とす。
「彼に会いたい?」
「え、いや…そんなんじゃ……」
「照れなくてもいいよ。私はもう春ちゃんの気持ちを知ってるし」
あれだけ恋愛相談に付き合った以上、私にはもう筒抜けだよ。
その照れ隠しも会いたい気持ちが表に出ている証拠……ってそう言えば、私は彼に告白されて……
「ねぇ、唯菜ちゃん。正直に答えて」
「……」
「唯菜ちゃんは陽一君の事が……好き?」
あまりにも唐突で率直な質問を前に私は立ち止まって思考を鈍らせた。
「私は……」
友達として好き。
春ちゃんはその意味で聞いてはいない。
もし、仮に……私が再び正面から彼の告白を再度受けた際、どのようにして返すのか。
先送りにしていた回答を今はここで出して欲しいと求められている。
けど、春ちゃんは恐らく知らない。
私がうっかりだったと言えども三津谷君から告白を受けたことを……
「私ね。KIFの日、陽一君に告白したんだ」
「……そ、そうなんだ」
「そこで陽一君の気持ちも理解したの。だから、気を遣わないで」
それはまさしく逃れられない一手であった。
三角関係の恋愛における終止符を打たんともする流れの一つ。
私の回答次第では最悪の場合、春ちゃんをかなり傷つけることになるかもしれない。
しかし……
「私は陽一君が唯菜ちゃんのことが好きなのは知ってる。唯菜ちゃんは陽一君のことどう想ってる?」
迷った末に春ちゃんの言った「正直に」という言葉に従って告白する。




