二百十六幕 ヒカリと唯菜⑤
「ねぇ、なんで私より胸がデカいの?」
自分の胸の大きさとヒカリの胸の大きさを比べ、不服そうに尋ねるも……
「いや、知らないよ」
と、答えるしかなかった。
ヒカリからすれば自分の胸が大きいと感じたことはあまりない。
それに目の前に見える香織のも大きさと比べてもお互いにそこまでの差異はないと思えた。
「一応、双子みたいなもんだし。体型も似てるからそんなに気にする程じゃないって」
「気にするから。女の子になったお兄ぃに胸の大きさで負けるとか個人的にかなり腹が立つ」
「理不尽……てか、そもそもなんで一緒にお風呂入ってるわけ?」
二人は身体を向き合う形で同じ湯船に浸っていた。
最初はヒカリが入っていたのだが、その直後に香織も気にせず入ってきた。
「いいじゃん、別に」
「狭いんだけど」
一人部屋用のバスであるため、二人で入るとかなり狭い。
脚を伸ばす所か、折って体育座りのまま互いに向き合うしかない。
「後に入ったら温くなるでしょ。我慢して」
「いや、でも……」
ヒカリは目のやり場に困っていた。
香織の裸をなるべく見ないよう不思議と意識してしまう。
「なんでさっきからソワソワしてるの?」
「ソ、ソワソワなんてしてないけど!」
「それとも何、今の今まで実はヒカリとしてずっと演技してました、とかだったら怒るからね」
「それはないと思うかな。現にこうして香織とお風呂に一緒に入ることって私にしてみれば初めての経験だから」
平然とそう答える様子に香織は調子を狂わされる。
「じゃあ、なんで意識してんの?」
「うーん、端的に言えば私は香織を性的な目で見てるのかもしれない」
自分ではオブラートに包みつつも理解を得易いように伝えたつもりが、香織本人はドン引きだった。
「変態」
「ごめん、少し直球過ぎたから訂正させて。多分だけど……私が元々、男の子だったからその名残……みたいな」
上手く言葉で言い表せないヒカリに代わって、香織は何となく理解を示す。
「つまり、お兄ぃの記憶が影響して自ずと意識しちゃうってことでしょ。まぁ、当然っちゃ当然よね。第一、お兄ぃと唯菜ちゃんが一緒のお風呂に入る訳が……」
そこで香織は『ん?』と疑問を抱く。
「ねぇ、唯菜ちゃんとかと一緒にこうして入ったりしたことあるの?」
突如、浮かんだ素朴な疑問を香織は投げる。
「うん。あるよ」
と、平然とヒカリは答える。
「それってつい最近のこと?」
「そうだね。唯菜が暫くここで住んでた時に何回か入ったことはあるかな」
「うん。まぁ、それはノーカンだから良いとして……それ以前の時はないの?お兄ぃがヒカリに変身してる時の記憶内で」
陽一であれば必ず答えない。
この機会に色々とヒカリに問いただし、後で使えそうな脅しネタとして懐に納めておこうと画策する。
「うーん、私の記憶にはないかな。沖縄で同じホテルに泊まっていた時は別々でシャワー浴びてたし。それまでも特に誰かとお風呂っていう展開はなかったと思うよ」
「うわ~そういう部分はしっかり弁えてるよね、お兄ぃって」
兄らしい一面を聞いて少し安心感を覚える反面、使えそうなネタがなくてガッカリする。
「お風呂はないけど、何回か一緒には寝てる。横浜でデビューする前に初めて唯菜がここに来て、色々と話したこともあったかな」
「へぇー、それは面白いね」
その頃の陽一は唯菜との関係性はないと否定していた。
今になって思えば、その否定すら噓に等しく、興味はあるが決してその気はないと自分に言い聞かせて、あくまでも同じクラスメイト兼アイドルグループのメンバー同士という関係を保とうと努めていたのだと香織は判断する。
「それで他に面白いネタとかないの?」
「ネタって……後で悪いように使うつもりっぽいからここまでにしとく」
ついそう口走ってしまった自分の台詞に香織は後悔する。
そんな風に話に付き合ってくれる妹にヒカリは感謝していた。
「ありがとうね、香織。色々と気を遣ってくれて」
「気を遣う?なんのこと?」
「私が一人で湯船に浸かって考え込んでも何も解決しないことを分かってるからこうして気を紛らわせてくれてるんでしょ」
「さぁ、私は誰かさんが絶対に長風呂して、お湯が温くなるの嫌だからお邪魔しに来ただけだし」
「素直じゃないなー。でも、ありがと」
「別に礼なんて要らないから。それに、その事で色々と話しておこうと思ったのは事実だし」
少し時間は経って、ヒカリもようやく落ち着いた。
部屋に戻ってもジルからの連絡はあったものの唯菜が今日は自宅に戻るという言伝だけで、詳しい内容は特に明かしてもらえていないままであった。
「結局のところ、私は何が唯菜を傷付けていたのか正直よく分からないよ」
そもそも、傷付けていたことに実感がない。
一緒に仲良く過ごしていた間で不和が生じるような亀裂は少しばかりもなかったように思えた。
もしかしたら、自身の知らぬ所で唯菜を少しずつ追い詰めていたのかもしれない。
それでも、何が原因なのか検討も付かない。
唯菜の口から直接聞かない限り、自分では気づけないものである以上、考えても仕方ないことだとヒカリは結論付けた。
「分からなくて当然と言えば当然でしょ。でも、傍に居るからこそヒカリは気付いてあげるべきだったのかもしれないね。唯菜ちゃんの抱える悩みに」
「……」
「私がどうこう言えた義理ではないけど、多分ヒカリも唯菜ちゃんもお互いを理解しているようで全然できてないんだと思う」
核心を突く、香織の言葉は深くヒカリの心に突き刺さる。
「性格や好み、癖とかっていう部分は日常的に接していれば自ずと分かるものだけど、心の奥底に抱える想いや考えは当人にしか分からない。いくら分かっていた気になっていても実際の所、検討違いだったりして……知らず知らずのうちに傷付けてることなんて割と有り得る話」
有り得る所か……実際に遭った話。
兄に振り向いてもらおうと必死に頑張っていたことがいつの間にか、兄を追い込んでしまい、疎まれてしまった苦い思い出。
「こればっかりは謝っても何も解決しないよ。お互いがしっかりと向き合って話さない限り、いつまでもズルズルと引き摺るだけ」
「だから、話し合って理解しないと……ってこと?」
「まぁ、そんな上から目線に言うつもりはないけど……経験者からのアドバイスってとこかな」
大きく身体を伸ばしながら香織はそう答えると立ち上がって、湯船から上がる。
「もう上がるの?」
「私、長時間お風呂浸かるの苦手なの」
自宅では基本的にシャワーで済ませる香織にとって慣れていない長風呂はのぼせる要因となり兼ねなかった。軽くシャワーで身体を洗い流し、椅子に腰掛けると少し顔を赤く染めながらちょっとした我儘を言ってみせる。
「ねぇ、髪洗って。お姉ちゃん」
「え、ヤダよ。もうそんな歳じゃないでしょ」
素っ気ない返答でムキになった香織はシャワーノズルを捻って水をかける。
「うわ、冷たっ!ちょ、なにする……」
「いいじゃん。一生に一度のお願いなんだからさ!中身がお兄ぃだったら絶対にこんなこと言わないから!」
「それは勿論そうだけど……流石にねぇ」
「なんでそんな意識してる訳?女同士なら別にそこまで気にしないんでしょ」
「……ぅぅ、分かったよ~」
観念したヒカリもまた湯船から上がる。
シャンプーボトルを持って背中の方へと回り、膝を着いて長い髪の毛に触れる。
「美容室の人ほど上手くはないからあまり期待しないでよ」
自身の髪を洗うのですら割と適当過ぎて以前、唯菜から注意を受けたことを思い出したヒカリはその時に学んだ方法を香織の髪で実践する。
(確か、シャンプーをなるべく広がるよう頭皮に馴染ませるんだっけ)
言われた内容を頭の中で振り返る。
実際、唯菜に洗ってもらった時の感触を脳裏に過ぎらせながら再現を試みる。
「ヒカリも洗うの上手だね」
「人にしてもらったことを再現するのは得意なのかも」
肌で感じたこと、身体で感じたことは特に頭の中に染み付きやすく、それを直ぐ実践に起こせる能力がヒカリには備わっている。
(いや、ヒカリというよりもお兄ぃが持っている能力なんだよね。これ)
自己肯定感の低さから陽一は自分を普通だと思い込んでいる。しかし、それはあくまでも優秀な妹を持って幼少期から比べられていたが故の劣等感であり、周囲の普通と陽一が考える普通の基準はかなり異なる。
香織自身、幼少期の頃から兄をずっと見てきているがこと吸収力という点においては人並み以上の素質を備えていると思っていた。
教えられたこと、見聞きしたことを直ぐに実践に起こし、自分の力へと変える。
何かを始めるスタートが遅くとも、教授されたことの吞み込みがかなり早いが故に直ぐに追い付いてしまう。
それはある意味で非凡な才であると香織は自負していた。
そして、当の本人はそれが才能であることに気付いていない。
その吞み込みの早さが自分の持つ最大の武器であることを認めない。
(自分に厳しいのか。自己分析が足りてないだけなのかよく分からないけど)
その事実を今更ながら実感した香織はゆっくりと口を開き、さっきの話の続きをする。
「唯菜ちゃんが気にしていることの一つ。それはヒカリの成長だと私は思う」




