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二百十三幕 ヒカリと唯菜②

 マイクを手にして勢いよく自己紹介をしてみたものの……上手く場を繋げるか不安でしかない。


 唯菜が戻ってくるまでの間、どうにかして場を繋ぐ。

 その上、唯菜が作り上げたこの空気感を如何に冷めないようにするのかが重要。

 でも、その前に先ず……


『皆さん、今日はお集まりいただきありがとうございます。初めましての方もいると思いますので、先ずは改めて私の自己紹介をさせて下さい』


 この場にはこの期間で唯菜のファンになった人達や今日初めて来てくれた人もいる。

 その人達は私の登場に困惑している。

 先ずは先に私が誰かを明かす必要がある。


『私は唯菜と同じアイドルグループ『ポーチカ』の三ツ谷ヒカリです。この路上ライブでは撮影係として同行していましたが、急遽唯菜が場を離れなければいけない事情が生じてしまいましたので戻ってくるまでの間、少しの時間ですが私が代役を務めさせて頂きます』


 唯菜は戻ってくる。

 そのことも含めて自己紹介兼事情説明に多くの人が拍手で反応してくれた。

 私を知る何人かのポーチカファンは『何を歌うのー?』と声を掛けて、代役として立つことを受け入れてくれる。


 それは凄く有難い。

 でも、歌うことよりももう少しトークで場を繋ぐ手段を取りたかった。

 クリスマスライブの宣伝や告知も入れつつ場を和ませればそれでいいかと想定していたけど……皆は私が歌うことを望んでいる。


 事前に詩音からそう言われたから思い込んでいるだけなのかもしれない。

 でも、ここは路上ライブという一種のステージ。

 トークよりも歌を聴きにわざわざ来てくれている。


 故に歌わないという選択肢はなく、こうして迷っている時間もない。

 だから、ここは覚悟を決めて歌おう。


『それじゃあ、唯菜が戻ってくるまでの間に一曲か二曲を披露させて頂きます』


 一応、持ち曲があることにはある。

 唯菜が歌っていたのポーチカの曲をバラードっぽくアレンジしたものをこの二週間かなり聴いていたから何となく覚えている。

 その中で一つ歌えそうなものをピックアップしてタイトルを伝える。


『聴いて下さい。【あなたと一緒に】】


 マイク越しで間接的に彩香さんへ指示を送る。

 一瞬のアイコンタクトで選曲を流してもらうよう促し、ゆったりとした前奏が響く。

 

 この曲は前奏が少し長い。

 ポーチカで歌う時は歌唱パートに入るまでに五人がメロディーに合わせながらゆっくりと移動して、それぞれ立ち位置に着いたタイミングで一斉に声を重ねて歌い始める。

 だから、この曲も同様に十数秒の前奏が入る、


 その間に私はこの弾け飛んでしまいそうな心臓をどうにかしようと深呼吸を繰り返す。


(落ち着け私!いつも通り歌えば大丈夫。絶対に大丈夫!)


 猛烈な不安に駆られる心に何度も言い聞かせて落ち着かせる。

 ゆっくりと瞼を開け、観衆の方に目を向ける。

 その彼らの視線が一同に向かれていることを改めて感じ、萎縮してしまいそうになる。

 

(ははっ、やっぱり凄いよ。唯菜は……)


 私だったらやりたくない。

 その理由がまさにこれ。

 大勢からの注目をたった一人で受け止めることに気後れしてしまうから。


 多分元々、人前に一人で立つことは好きじゃなかった性格なのだろう。

 初のステージ前でも酷く緊張し過ぎて体調を崩しかけたのも少しだけ懐かしく思える。

 

 それ以降三ツ谷ヒカリとしてアイドルの経験を積み……少しずつだけど場慣れしてきた。

 五人で立てばもう不安には感じない。

 誰かとなら自信を持って人前に立つことが出来るようにはなった。


 でも、一人で歌うとなるとまだ自信は持てない。

 ポーチカでも一人で歌う場面は殆どなく。

 常に誰かと背中合わせか、肩を並べ、声を重ねることでパフォーマンスを披露してきた。

 だから、一人だと不安だ。

 

 けれども、それは唯菜も同じだった筈。

 本当は一人で人前なんて立ちたくはなかった。

 この路上ライブも出来れば二人でやりたかった。

 二人でなら安心して歌えるから。

 

 でも、一人じゃなきゃ成長しない。

 甘えてばかりじゃ駄目だ。

 私が殻を破るには私が挑戦しないことには始まらない。

 

 失敗してもいい。

 後悔してもいい。

 恥をかいてもいい。


 そう気持ちを強く持って破れかぶれでも前に進もうとしていた唯菜を私は間近で見ていた。

 ただ凄いと思い、成長を喜ぶことだけの気持ちを抱いていた訳じゃない。

 

(私も唯菜みたく成長しないといけない。いつまでもずっと隣で並び立つ存在であるために……)


 もう一度、大きく深呼吸をして……ゆっくりと瞼を開く同時に背筋を伸ばす。

 周囲の目はなるべく気にしない。

 最初は耳を澄ませ、しっかりと音を拾うことに集中する。

 そして、私は穏やかなメロディーを優しく触れるように歌い始めた。

 静かで重みのある第一声。

 その歌を耳にした途端、観客の殆どがヒカリの歌を聞き入る。

 途轍もない衝撃がドクンと走り、視線も歌い手へと縫い付けられる。

 

(流石ですね……)


 ヒカリの持つ武器は歌唱力。

 曲に合わせた適度な声量と歌声が快適に聴こえる。

 

 それだけ言えば、単に歌が上手なだけとも捉えられる。

 だが、ヒカリの歌に魅了された者が惹かれた要素はそこだけではない。


(歌を介した高い表現力。やはりその辺りは香織さんよりも上手)


 まるで何かを告白するかのような歌声。

 歌詞に込められたメッセージと歌い手の想いが合わさり、独特な世界観が歌を介して脳裏に築かれていく。


 これは恐らくヒカリに対する唯菜への想い。

 肩を並べ、共にライブを盛り上げる仲間として一緒にいるだけではなく……これからもずっと一緒に居たいという誓いの言葉……それから、そんな彼女の支えでありたいという密かな願い。

 

 しかし……この関係はいずれ終わってしまう。

 虚像たる自分がいつか彼女の前から消えねばならぬ運命であり、抗えぬ未来である。

 その切なさを嚙み締めつつも、最後まで必ず彼女の傍で歌い続けるという意志と誓い。

 

 それは曲と歌詞が内包する創造性豊かな世界を表現しているのか。

 はたまた、歌い手が心の内に潜めている想いなのか。

 その真偽を詩音は見抜けない。

 

 だが、普段とは違う何か哀しみのベールを被ったヒカリの歌からは両方とも真実であるように思えた。

 

(ヒカリさん、あなたは一体……)


 集中して聴けば聴く程、分からなくなる。

 仮に彼女の想いが本当であるとしたらそれは詰まり……三ツ谷ヒカリというアイドルは初めから存在しないことを意味するのだから。


 最前列で感傷的にヒカリの曲を聞き入っていた詩音とは別に、人集りから少し離れた場所で一人、黒い唾付き帽子を若干深く被り、様子を窺うようにして聴いている香織がいた。

 帽子の奥から覗かせる瞳は真っ直ぐヒカリを捉えるも徐々に集まる人の陰に隠れて見えなくなる。


「前、行った方が良かったかな……」

 

 そうポツリと漏らし少しばかり溜息を交えると手元のスマホの画面に視線を移す。

 開きっぱなしの動画アプリの画面にはポーチカのチャンネルが表示され、画面の奥でヒカリが一人歌っている様子が映し出されている。

 その下のコメント欄は物凄い勢いで色々なコメントが書き込まれ、同接数も軽く五百人を突破しかけていた。


 ヒカリを批判するコメントは一切なく。

 歌を評価する旨が多数書き込まれていく。

 その中の一つに『従姉妹の三津谷香織より歌は上手いんじゃないか?』というコメントを見つけ、直後に『それはないだろ』と誰かが否定する意見が流れて思わずクスリと笑ってしまう。


「いずれ、決着をつけたいと思うけど……今はこのままの方がいいかな」


 ギクシャクして喧嘩してた時よりも……今の関係の方が心地良い。

 昔の時みたく真っ直ぐ相手してくれる方が嬉しい。

 

「もしも、私が勝ったらお兄ぃはまた口利いてくれなくなるかもしれないし」


 なんて口では言ってみたものの、決してそうならないことも目に見えていた。

 何せ、あそこで歌っている兄でもあり、姉でもあるヒカリは想い人にしか心が向いていない。

 今までずっと問い詰めてもそんなんじゃないと否定しながらも、歌では赤裸々に自分の気持ちを素直に表現する。


 そして、同時に悟った。

 例え、外見や中身が異なっても……ヒカリと陽一が根本的な部分で同じ。だから、目の前の人物が兄ではないと主張しても、兄の様な存在であることに変わりはないのだと。


「あ~変に心配して損した」


 しかし、戻ったら戻ったで兄の心はより唯菜へと向くかもしれない。

 今は同性だからその辺り、仲の良い友人感覚でしか見ておらず、芽生えたばかりの恋心も成長が止まっている。

 うっかりと告白をしてしまったが故にその気持ちを偽ることはもう出来ない。

 元に戻れば次第にその気持ちは加速し、今よりももっと大きくなる。


 その際、兄がどうアプローチしていくのかかなり気になる所ではあるが……二つの顔を持つ以上、どう唯菜と接していけばいいのか分からず、有耶無耶にしていきそうな未来も容易に想像できる。


「その時は私が背中を押してあげるから、早く戻って来なよ。お兄ぃ」

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