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二百十二幕 ヒカリと唯菜①

『ありがとうございました!』


 大きな挨拶に応えるかの如く、大きな拍手が一帯で鳴り響く。

 たった三十分間で百名近く集まった観衆に唯菜は大きく目を見開いて、思わず嬉しさを露わにしながら深々と頭を下げる。

 

「すごいですね。こんなにも人を集めるとは……思ってもいませんでした」

「動画配信での同時視聴アクセスも三百人は超えてるから、かなりの人が唯菜の歌を聴いてくれている。本当にすごいよ」


 自分事のようにヒカリもまた嬉しそうに返す。

 唯菜を真っ直ぐに見詰め、誰よりも明るい笑顔で拍手を送る。

 そんなヒカリを横目に詩音はふと疑問を口にする。

 

「ヒカリさんがアイドルをしてる理由って唯菜さんのため……ですか?」


 「え?」と一瞬、どう答えるか迷う。

 けれども、素直に自分の心に従って答える。


「うん。そうだよ……私は唯菜のためにアイドルをしてる。幻滅した?」

「いえ、ヒカリさんらしい回答だとは思います。現にそう言われると分かった上で訊きました」

「もしかして他の人にもそう見えてる?」


 詩音は当たり前のように「はい」と笑顔で返す。


「むしろ、皆さん気付かれていると思いますよ。お二人が物凄く仲が良くて、ヒカリさんが唯菜さんのことを凄く好きなのは重々承知かと」


 SNSを基本的にやらないヒカリは知らない。

 ポーチカで自分と唯菜がファンの間でどう持ち上げられているのか。

 仲良し二人組という関係に留まらず、密かに二人で交際関係にあるのではないか。

 なんて憶測も裏では飛び交っており……その憶測を詩音と春乃は何気に楽しんでいたりする。 


「なにそれ、凄く恥ずかしいやつじゃん」

「可愛いらしいと思いますよ。だからこそ、ヒカリさんを唯菜さんの元から引き剝がして私の手元に置けていたらどんな反応をするか少し楽しみではありました」

「笑顔で凄いこと言うね。詩音って意外にもS気質?」

「名前がSから始まりますので」


 『Sだけに』とちょっとしたジョークを言って見せるも「笑えないよ」とヒカリは呆れる。

 そんな二人が話している間に唯菜は軽いトークを終わらせ、次の曲に入ろうとする。


『次の曲に入る前に、一つだけ気になっていることがあるんですが……あの、さっきから目の前のそこ二人が何か楽しそうにお話ししているのが物凄く気になるんだけど……』


 不満気な表情を浮かべながら妙な威圧感を示す唯菜にヒカリは『ごめんごめん』とジェスチャーで誤り、詩音も『すみません』と申し訳程度の笑みを返す。

 そのタイミングで唯菜と視線が合ったヒカリはどうしてわざわざマイク越しでこんな文句を言ってきたのか疑問に感じた。

 

 この路上ライブはあくまでも唯菜個人の開催によるもの。

 ヒカリは撮影役兼任のアシスタントスタッフという立場でしか同行しておらず、このライブに三ツ谷ヒカリとして参加することはない。唯菜もそれを承知した上で、路上ライブ時はなるべくカメラマンたるヒカリには話しかけないことを努めてきた。

 

 最終日たる今日も同様に、一人での路上ライブを行うと打ち合わせの段階でも話していた……筈なのだが……


『ねぇ、ヒカリ?』


 そう名前を呼んで正体を明らかにする演出を突然にも加える。

 それには周囲に居たポーチカもわざとらしく驚くようなリアクションを取り、噂されていたサプライズゲストとしての登場が確定したことに歓喜する。


 一方で、予定にもないことをする唯菜にヒカリは内心で嫌な予感を膨らませる。

 

(ちょ、本気なの!?)


 視線でそう訴えかけると唯菜のは小さくコクリと頷く。

 それと同時に唯菜は逆三角形を手で形作り示す。


(あれって緊急事態の合図……)


 路上ライブが始まれば二人がお互い言葉を介した意志の疎通は図れない。

 そのため、何らかの合図やサインを用意して意志の疎通を図っていた。

 その中の一つが、逆三角形による緊急事態の合図。


 見た感じ唯菜に起きた異変はない。


(わざわざ名前まで呼んで合図を出したあたり……直接話さないといけない何かってこと?)


 そう判断したヒカリは「ごめん、少しの間だけカメラマン代わってもらってもいい?後でお礼はするから」と詩音に告げて唯菜の下にサッと向かう。

 近くに寄った二人はサッと背中を向けて数秒間話す。


「で、どうしたの?」

「ごめん。ヒカリ、少しだけ場を繋いでもらえない?」

「え、なんで!?」

「ずっと我慢してたんだけど……漏れそうなの」

「……トイレ行きたいってこと?」 

「(うんうん)」


 焦った表情で素早くそう頷く。

 緊張感と身体が寒さで冷えたが故に限界を迎えてしまった。

 路上ライブの時間はもうあと三十分はある。

 その間を堪えるのは酷な話しで、最悪の場合は事故も有り得る。


 自分の威厳と尊厳を守るべく、どうにもならないその状況を解決するにはヒカリの力を借りるしかない。そう判断した唯菜の気持ちを察し「分かった」と了承する。

 

「本当にごめん、後は少しだけ色々と任せてもいい?」

「大丈夫。だから、早く行ってきな」

「うん。ありがと、ヒカリ」


 緊急の打ち合わせを終えた唯菜は訳を話さないまま颯爽とフェードアウトし、急ぎ建物の中に入る。無事に戻ってくることを願いつつも、マイクを手に持ったヒカリは被っていたニット帽とメガネを外し、観衆の前に姿を晒す。


 そして、改めて周囲を見渡し……一同の視線が自分に集まっていることを確認したヒカリはすぅーっと息を吐いて、アイドルとしての自分を見せる。


『皆さん!代わりまして、三ツ谷ヒカリです!よろしくお願いします!』

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