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二百十幕 ヒカリへの意識

 帰り道、ふと夜空を仰いだ私は春乃ちゃんに言われた言葉をなぞるようにつぶやく。


「香織ちゃんを意識しない方がいい……かぁ」


 その言葉は私の心に深く刺さったようで……刺さっていない。

 改めて、今の私は果たして本当に香織ちゃんを意識しているのかと問われればそうでもない……のかもしれない。決して香織ちゃんへの熱が冷めたとかではなく、今も変わらず目標としている。


 でも、私はもっと別の人物をずっと意識している。

 初めて会った時からずっと……私はヒカリを意識している。


 何をどう意識しているのか。

 そう問われれば、私の中でも思う所は色々ある。

 

 特に一番意識していることがあるとすれば、それは……ヒカリの成長スピードが著しく早いこと。


 出会った半年前は歌はともかくダンスに至っては素人同然。

 スッテプや基本的な動き方もままならず、どこかぎこちなさを帯びたかつての私と同じような動きに親近感が湧いた。その上、容姿も良く、笑うと愛想も良い。

 何より顔が好みだった。


 けれども、横浜のデビューライブでセンターがヒカリにも任され、歌唱パートも多く割り振られると分かった途端……彼女が少し特別な存在なのかと思うようになった。


 その後、偶然にもルーチェちゃんからヒカリが加入した経緯を聞いてしまった。

 ジルさんが直々に声を掛け、半ば強引にグループへ入れたアイドルが私と同じ普通な訳がない。

 その疑念はやがて、現実へと変わり……ヒカリは歌の才能を秘めていた。

 田村さんから徹底的に指導を受け、歌唱力はかなり磨かれていた。


 それも短期間。

 その時点で私は歌唱力でヒカリに抜かれてしまった。

 だから、歌割もヒカリに多く割り振られるのは当然のこと。

 仕方ないことだと割り切ろうにも……悔しさがこみ上げた。


 それから、私の意識は少し変わった。

 同じグループのメンバーで、新人でありながらもポジションを競い合うライバル的な存在として少しだけ捉えてしまい……ほんのちょっとだけ距離を置きたくなった。


 でも、ヒカリと交流を重ねるにつれ……特にあの雨の日に、私自身の弱い部分をヒカリに曝け出し、温かく励ましてもらった出来事を境に私はヒカリをとても近しい存在に感じ、良き友人として思うようになった。

 ヒカリの優しさは裏表なく、心の底から寄り添ってくれる。

 そんな温かさがあの時の私の心には深く染み……今でも心に刻まれている。

 

 それから、ポーチカのメンバーとして正式に加入し、一緒に歌って踊りながら心を通わせた私はヒカリを心の底から信頼の置けるパートナーだと思えるようになり、グループ内でも果敢に交流が増え、彼女を知っていった。


 優しく、頼りがいがあり……不思議と傍に居てくれると安心する。

 まるで恋人のような存在。

 女の子同士だからそうなることは有り得ないけど……私はヒカリにずっと隣に居て欲しいと願っている。どこまでも一緒に私の夢を叶える手助けをして欲しいと強く想っている。


 同じメンバーや親友として、同じ立ち位置で、同じ視線で、同じ場所で共に助け合っていきたい。

 

 そうやって私達はこの半年間、一緒に成長してきた。

 

 でも、成長のスピードは圧倒的に異なった。

 同じレッスン量、同じ場所で同じ回数の公演を重ねているにもかかわらず、ヒカリはぐんぐんと成長を続ける。


 従姉妹の香織ちゃんを追い越すことを目標にして、ライバルの良い部分を自分の中に吸収して力に変えていく。その上で、常にアレンジを繰り返して自分の武器に変えていく。

 

 ヒカリのそれは良い意味で個性を出すアピールにも繋がり、ファンの注目も惹く。

 何事にも一生懸命に楽しんでいる気持ちが直に伝わる。

 時折、ライブ中に見せる抜けている部分もアレは完全な天然だからファン受けは良く、不快感がない。


 やはり一番の魅力は……可愛い見た目なのにパワフルな印象があることだろう。

 透き通った綺麗な歌声も時には熱を帯び、会場のボルテージを上げる。

 

 香織ちゃんが曲の入り前に使う『行くよ』という合図。

 それに似た意味合いをヒカリの声から時折感じる。

 『行くよ』なんて優しいものではなく『行くぞ』と強く働きかけ、黙って観ていることを許さんとするばかりの強引な呼びかけ。


 そこで私達とファンの間にある距離は一気に縮まり、観てくれる人達もライブに集中しやすくなる。香織ちゃんの場合、マイクを通じて伝えることでライブの始まりを象徴とするルーティンみたく感じるけど、ヒカリの場合は意図的ではなく素であるように思える。


 楽しすぎるあまり途中から気持ちを前面に押し出し過ぎてしまい、ヒカリの声を聞くとあたかもそう言っているのか如く頭の中で三文字がはっきりと浮かび、ヒカリの楽しいという気持ちが直に伝わる。


 だから、私も楽しくなれる。

 ふと隣で振り向けばすぐそこ笑っているヒカリがいて、熱く優しく声を重ねてくれる相棒がいる。

 本当に頼もしく、頼りがいのあるキラキラと輝いた存在。

 

 本当……眩しいくらいにその輝きは増している。 

 

「……」


 気付けば私はヒカリの使うマンションに辿り着いてしまった。

 今日はヒカリが三津谷家に行く用事があるとかでここには帰って来ない。

 私もプレゼントを買ったら自分の家に帰るつもりだったけど……何故か、ここに来てしまった。 


「いるわけ……ない、よね」


 『部屋にいる?』というメッセージを送るよりも先に以前、手渡された合鍵を手にして部屋の扉を開けるも……中は暗がりが広がっているだけで人の気配はない。

 リビングの奥にあるベッドを見ても布団は乱れたままで、誰かが寝ている姿もない。

 

 いつも遊びにくるルーチェちゃんも部屋の灯りがついていないのを知って、どうやら自室に籠っている様子。だから、今この空間に居るのは私だけ。


「やっぱりいないよね」


 家主に断りもなく勝手に部屋に上がる。そんな非常識極まりない行動に私は今更ながらどうかしてると自分を咎め、良心を働かせて直ぐに立ち去るよう言い聞かせる。

 

 でも、帰る気になれなかった。

 不思議とこのまま部屋の中心にあるソファに腰かけながらヒカリの帰りを待っていたかった。

 

「なんだろう……この気持ち」


 胸の奥に引っかかっているモヤモヤとした何か。

 小さかったそれは今やかなり大きさを増し、私が納得して信じられる何かを得られない限り決して晴れない。けれど、具体的な解決策もない。


 一体どうすればいいのか分からない。


 多少なりとも落ち着く方法があるとしたら……それはヒカリと居ることである。

 ヒカリといる時間が少しでも不安を和らげてくれる。

 だから、私はヒカリの居る場所にやってきたんだ。

 居ないと分かっていながらも、彼女の居場所にいればそのうち会えるから。


「……なんだか、重いな私って」


 これじゃあまるでヒカリのことを恋人みたく思っているのと同じ。

 素直にこの気持ちと向き合えば、少なからず好意の中に恋愛感情が含まれていることも認める。

 でも、相手はヒカリ。

 私と同じ女の子で、同じグループのメンバーで仲の良い友達……なのに、何故だか愛おしく思える。出来ればもっと一緒に過ごしたいし、もっとヒカリを知りたい。


 けど、ヒカリは何か私には言えないことを隠していて……それが私の中では絶対に埋まらない溝のように感じてしまう。思い切って飛び込んでいこうにも容易にはいかない。

 ヒカリにだって知られたくのないことの一つや二つは絶対にあるのだから無理に聞くのは良くない。

 

 だから、せめて成長スピードという点でヒカリに追いつき、少しでも近づく努力をする。

 その一つが路上ライブ。

 クリスマスライブに向けたチケット販売を兼ねたグループの宣伝という名目でやってはいるけど、実際の所は私の歌唱力を上げ、ヒカリみたく自信を持って歌えるようになることが目的。

 

 ある意味でヒカリをライバルだと意識しているからか、そこだけは何としても努力していきたい気持ちが強かった。


 そして、その挑戦は少しずつ実を結び、自信を持って歌えるようになれた。

 この挑戦を通じて歌唱力が特段上がった訳ではなく、単に人前に出て『一人だけで自信を持って歌う』ことに慣れたという経験が生きただけ。

 それも実力の内と彩香さんは評価してくれたから成果はあった。

 

 少なからず始まる前と後では私の歌に対する自信はかなり違う。

 明日は路上ライブも最終日を迎える。

 ずっと近くで聴いていたヒカリをあっと驚かせて、私のことを意識させるような歌を届ける策もひっそりと用意してある。


 よし、頑張ってヒカリを驚かせてみせる。

 絶対に!


 そう覚悟を決めた私は『明日は頑張ろうね』と送信し……その後に今更ながら『ヒカリの部屋、泊まってもいい?』と伝えるかどうか迷う。


「どうしよう……ここは素直に帰るべきなんだろうけど……」


 そう葛藤しているとガラガラと窓を開く音が部屋に響き、視界がパッと物凄く明るいライトに晒される。


「ま、眩し!」

「あんた、こんな所で部屋の灯りも付けずに何してるの?」


 スマホのライト機能で部屋を照らしてきたルーチェちゃんが不審者を疑う視線を向けてくる。

 ま、不審者に見えるのも当然だけど。


「えっと……ヒカリに用事があったんだけど、今日いないみたいで」

「あいつなら昨日、実家……じゃなかった香織の家に行くとか言ってたでしょ」

「あー、そうだったよね。私もここに来て思い出した」

「……ま、別にどうでもいいわ。それより、お腹空いたから何か作って。そしたら、不法侵入のことは黙ってあげる」


 ルーチェちゃんは私の噓に気付いていながらも通常運転で部屋に入っては小柄な身体から物凄く鈍い腹の音を響かせる。


「不法侵入って……それ、ルーチェちゃんもでしょ」

「この部屋は私のものみたいなもんよ。元々はね」


 実際の所有者はジルさんであるのだけど、深くはツッコまない。

 それより、先に現時点での暫定家主であるヒカリに『ごめん。部屋を使わせてもらうね』と一度許可を求めて送信。すると、返事は早く『どうぞ』の一言が返ってきた。


 『なんで?』とか『断りもなしに?』とかいう返事ではなく『どうぞ』の一言。

 適当なのかはたまた信頼を置いてくれているのかは分からないけど……なるべく後者の意志が働いていると思うようにした私は少し口元を緩めながらエプロンを纏った。

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