二百〇四幕 特訓・自信③
小さい頃から歌が苦手だった。
声に出して音程を取る才能が乏しく、音楽の時間はいつも声を小さくして歌っていた。
でも、歌うことは好きだった。
音楽を聴いて好きな歌手の歌声を真似て、自分もこんな風に歌ってみたいと思いながら練習していた。けれども、思ったように歌うことは出来なかった。
身体でリズムを感じながら歌っていても、どこか一音ずれてしまう。
高い声の出し方や息継ぎの仕方といった歌に関する基礎が脆く、一向に上手くならなかった。
そんな悩みを抱えたまま自習練をしていた際に、彩香さんと出会った。
歌の先生として厳しくも鬼のレッスンをしてくれたお陰でどうにか自分の歌に辛うじて自信を持てるようになれた。
人前で歌っても恥ずかしくない歌を披露できるようになった。
でも、やっぱり歌で人を魅了させることはできない。
ファンの人達も声が良いね。
ダンス、凄い迫力あってカッコよかった。
唯菜ちゃんの持ち味はやっぱり笑顔とダンスだよね。
って、歌意外の部分で褒められることは多く、そのことには強い自信を持てていた。
でも、やっぱり私は歌でも褒められたかった。
アイドルとして歌でもダンスでも多くの人達を満足させたい。
何より……私自信が一向に満足できない。
だからこそ、路上ライブで経験を積むんだ。
私、一人だけの実力でお客さんを集めて見せる。
だからもっと……自分に自信を持て『私』!
そう強く息込んだ少女は視界を開き、再び駅前で自身の歌を披露する。
♢
『ありがとうございました!』
駅前で大きな声で感謝を述べた唯菜に颯爽と一部から拍手が送られる。
それに続いて数十人以上の人達もまた一斉に拍手を送る。
先日と比べて倍の数の人が足を止めて唯菜の歌に耳を傾けていた。
最初の十分は人も少なかったが、曲を重ねて歌を披露するにつれて一人、また一人と足を止める見物客が徐々に増え、一時間で約30人が集まっていた。
加えて、歌に対する評価も良い。
一曲毎に唯菜の歌に感心を覚え、穏やかで透き通った声がバラード風な曲調と合わさり、聴いている人達の心に安らぎと癒しを与える。
そんな印象を傍から聴いていた彩香も感じた。
「唯菜ちゃーん、ライブでもその歌を披露してねぇぇぇ!」
「次の路上ライブも観に来るよー!!」
「頑張って!!」
路上ライブに集まった人の中に唯菜のファンも勿論いる。
ゲリラライブとして告知なしで挑んでいたものの……初日の時点でファンに気付かれてしまい、新宿駅前で路上ライブを行っている事実が一瞬にしてポーチカファンの間で流れた。一部のファンはここ三日間、今日と同じ時間帯に立ち寄って様子を窺い、一早く駆け付けれる準備を整えていた。
そんな熱狂的なファンの存在にも感謝しつつも歌を聴いてくれた全員に笑顔で手を振り返す。
今回の人数は若干、唯菜のファンが多いものの……それを抜きにしても新規の見物客は明らかに多くなっていた。特に唯菜と同じ世代の若い女の子達や会社帰りの人達といった具合である。
『あまり騒ぎになるといけないので事前告知は出来ませんが、観に来てくれたファンの皆様もありがとうございます。それから、偶然立ち止まって聴いてくれた方も本当にありがとうございます。この曲は私達、ポーチカが行うクリスマスライブでも披露する予定ですので。是非、興味があれば12月24日の日比谷公会堂に足を運んで下さい!』
感謝と宣伝を上手く行う唯菜に再度、大きな拍手が送られる。
都会の喧騒にも劣らない喝采が周辺に広がり、行き交う人達も唯菜を中心とした人集りに目を向ける。その光景を中央で目の当たりにしていたヒカリもベレー帽の下から笑顔で拍手を送った。
路上ライブを終えた唯菜とヒカリは片付けをナイル達、撤収班に一通り任せ……時間も押してしまったため慌てて電車へと乗る。ホームドアが閉まり、動き出したタイミングで二人はお互いに息を整える。
「ふぅ~、危うく逃す所だった」
「まぁ、いいんじゃない。人気過ぎてファンに対応するあまり時間を押すことなんて売れてる証拠じゃん」
「それ揶揄ってる?」
「別に揶揄ってないって。あくまでも良かったねって話」
「うん。今日はかなり満足したかな」
ドア付近の近くに立った唯菜は軽く路上ライブでの光景を振り返る。
「自信持って歌ったらいつもより声が出たし、はきはきと緊張せずに歌えた」
「最初の入りは緊張してたでしょ」
「そりゃ、そうだけど……後から自信がしっかりと付いてきて、私らしく歌えたのは事実。ちゃんと音を集中して聴けて、自分の声も上手く出せて、音程もしっかり取れてた……よね?」
「そこ最後までちゃんと自信持ちなって。ちゃんと出来てたから」
「なら良かった」
自分の勘違いじゃないことを知ってホッと安堵する。
路上ライブ後に聞いた彩香のフィードバックも唯菜が聞く限り過去一番で褒めていた。
『あんた、そんなに歌えるなら初めからそれをしなさいよ』と何故か怒られたくらい。
それでも嬉しかった。
歌に厳しく彩香がそう強く評価できるほど自分を認めてくれたことに……そして、背中を押し続けてくれた彩香の期待にようやく応えれたことにも。
「それにしてもたった二日でこうも変わるとは思ってもいなかった」
昨日は通常のレッスン。
これといって特別なボイストレーニングをした訳ではない。
なのに、今日の劇的な変化はヒカリにとっても意外に映った。
「ヒカリも知ってると思うけど、私あんまり歌うのは得意じゃない」
「いや、知らなかった」
「気付いてよ!ほら、いつもソロパートの時だけ少し声小さいでしょ。ヒカリや皆と合わせている時は結構声出しているけど」
そう言われればという感覚でヒカリも気付く。
「一人だとあんまり声を張りたくないんだよね。音痴なのバレるし」
「音痴?唯菜が?」
「今は彩香さんの指導受けているから音痴とはもうおさらばしたけど……歌の中で声を出すことには苦手意識が残っていたの。私はヒカリみたく声量を大きくしながら綺麗な歌声を保つことは出来ないから」
声を出すあまり時折、音程を外す癖は今も抜けない。
特に一人で歌う時はそれが顕著に現れてしまう。
彩香は『少しくらい気にならない。もっと自信を持って声を出せ』と伝えてはいるが『下手くそだと思われたくない』という唯菜の気持ちが強く働き、意識的に抑えてしまう。
「でもね。今日、ようやく掴めた気がする」
「声の出し方的なコツ?」
「まぁーそれもあるけど……先ずは自信を持って歌うことが大切なんだってこと」
「分かるよ。単純な心構えに過ぎないんだけど……技術的なことよりも気持ちや精神が実際のパフォーマンスに大きく影響するんだって」
練習では上手く歌えても、本番になると実力が発揮できない。
それは誰にでもよくある話。
ヒカリの中にもその苦難や葛藤は不思議と心の奥深くに刻まれていた。
ヒカリの場合も唯菜と同じ。
本番直前になると自分の努力を否定的に感じてしまい、自信を喪失する。
加えて、激しい緊張感が棘の如し胸の中で深く突き刺さり、実力を発揮できずに失敗してしまいそうな恐怖と不安がこみ上げてくる。
(なんだろう……この気持ち。私も唯菜みたいに自信がないのかな……)
自分という核が曖昧である以上、ヒカリにとっては淡い不思議な気持ちでしかない。
「おーい、ヒカリ?考え事?」
「……あ、ううん。何でもない」
「そう、なら早く降りようか。ドア閉まるから」
「え?」
事務所の最寄り駅である原宿駅に着いたことに気付かず、ドアが閉まる直前で慌ててヒカリは降りる。
「あっぶなー」
「ボーっとしてたけど、大丈夫?」
「うん。ちょっと考え事してただけ」
「ならいいけど」
そのまま駅のホームから改札口を抜け、徐々にクリスマスの色に染まりつつある夜の煌びやかな表参道の通りに出る。
「やっぱり寒い……」
「ヒカリって冬は苦手?」
「うん。苦手と言えば苦手……なのかな?爪先とか冷え性っぽいし」
最近は靴下を履いて寝ないと夜が寒すぎて眠れない。
外にいると段々と指先が冷たく感じる。
先のチケット販売で一時間近く手を外気に晒していたからか完全に冷え切ってしまっていた。
ポケットに手を忍ばせることを躊躇い、服の袖で手を隠して寒さを凌いでいると……ふと温かい感触が手の内に広がった。
「うわ!凄く冷たい」
手を握った唯菜がそう驚くも決して手は離さない。
「冷たくないの?」
「冷たいけど、私の体温をおすそ分けしたら温かくなるかなーって」
満更でもなく徐々に手の芯が温まっていく感じがした。
優しく握られた掌から広がって温もりが指の先まで届く。
「……恥ずかしくない?手なんか繋いで」
「何を今更……別に女子同士なんだから恥ずかしくないでしょ。男女だったら……少し思うけど」
頭の中で一体誰を意識したのかは追及しない。
「それに私がこうしてヒカリの手を温めるのは当然だよ。相棒の手を温めるのがバディってもんだからね」
「ふふっ、なにそれ。何のドラマ?」
「ドラマじゃないし。私のオリジナル」
「もっとマシな台詞はないの?」
「思いつかなかったんだからしょーがないじゃん」
「じゃあ、もっと可愛く言ってみて」
「可愛くって……うーん、そう簡単に出てこないかなー」
「ま、唯菜には可愛いよりも明るい方がお似合いだしね」
「それ褒めてるの?」
「褒めてるよ。少なからず明るい唯菜の隣に居ればポカポカするし」
「……ズルいよ。その台詞」
純粋で素直なヒカリの言葉に唯菜は頬を赤く染める。
「だから、唯菜はそのままでいてよ。明るく元気で自信持って挑戦する唯菜が私は好きだし……それが唯菜の持つ魅力なんだからさ」
「どうしたの急に……」
「なんか恥ずかしがっているから褒め倒してみようかと」
「浅はかだな~。一周回って落ち着きましたよ、ったく……」
そう呆れて見せるも軽く溜息を吐いてあっさりと流す。
「そういうヒカリも頼れる相棒でいてよ」
「保証はできないし、約束もできないけどいいの?」
「なんでよ。そこは『約束する』の一言でいいでしょうが」
「……うん。そうだね」
自信なくつぶやくヒカリもまた唯菜の手を握り返す。
願わくばこれからもこのまま唯菜の隣に居たい。
これからもずっと彼女の相棒として頼られる存在であり続けたい。
でも、私が偽物である限り……この時間もまた有限である。
その事実を唯菜は知らない。
だから、自分の言葉には自信が持てなかった。
いずれ、私は……唯菜から離れなくてはならないのだから。




