二百〇一幕 特訓・ヒカリの部屋での二幕②
「うがああぁぁぁぁぁぁぁ!なんで、聴いもらえないのぉ!!」
ソファの上で前傾姿勢になった唯菜は悔しさを露わにする。
マンションであることに気を遣って枕に顔を埋めながら声があまり響かないように叫ぶ。
悔しさのあまり枕カバーにかじりつく唯菜の頭を撫でながら「お願いだからかじらないで」とヒカリは宥める。
唯菜の反応から見てわかるように……路上ライブ初日は失敗に終わった。
18時から約一時間弱の間、新宿駅の南口で路上ライブを行ったものの、唯菜の歌を聴こうと足を止めてくれた通行人は五人と少なく、そのうちの二人は同じクラスメイトの名雪と夏美である。
実質、三人しかちゃんと聴いてもらえなかったことに唯菜は肩を落としていた。
「はーあ、勿論分かっていたけど……正直、かなりショック」
歌を聴いてもらうどころか、興味すら持ってもらえない。
そんな厳しい現実を唯菜は今までもライブの経験を通じて味わっていた。
それでも、グループでステージに立つ時と比べて個人で路上ライブを行うとなると話はまた別。
「私、一人じゃどうにもならない。今回を通してよーく分かった気がする」
「ネガティブになるの早過ぎるって。まぁ、気持ちは分からなくもないけど」
ポーチカではなく唯菜の個人用アカウントを通じて路上ライブでの歌唱をライブ配信する際の撮影役を担い、目の前でずっと周囲の様子を確認しながら聴いていたヒカリも垣間見た現実を振り返って同情する。
「あんだけ人がいたのにたった三人だよ!しかも、その三人ってたまたま通りかかった私のファンだよ!!もう実質ゼロに近いじゃん」
「そ、そうだね。でも、何人かは興味を持ってくれてたと思うよ。一曲だけ聴こうと足を止めてくれた人もいるし。唯菜の歌っている姿を見て可愛いって言ってた人もいるし」
「それは有り難いよ。でも、私は純粋に歌で評価されたいの!アイドルだからビジュアルも評価されないといけないけど!!」
食い気味にそう答える唯菜を落ち着かせる。
「まぁまぁ、今日が初日で、始まったばかりなんだし。次、頑張ればいいじゃん」
「勿論そのつもり……なんだけど、どうすればいいのかな~」
もっと人を集める方法。
その具体的な取り組みについて唯菜とヒカリは再度練り直す。
「彩香さん的な歌の評価はどうだったの?」
音響機器の操作を介して路上ライブを手伝う役兼歌唱顧問を務めていた唯菜の師匠である彩香からのフィードバックはこうだ。
「緊張し過ぎ、ポーチカで歌っている時みたいにもっと堂々としろ。あと、あんまり周囲を気にするな……って」
強い口調を真似ながら完膚なきにまで指摘された課題を復唱する。
「彩香さんに言われた通りだよ。一人だけの路上ライブだからいつもより凄く緊張したし、歌に専念するあまり肩肘張ってたのもそうだし……なによりお客さんのことを気にし過ぎた」
アイドルとしてお客さんに視線を向けながらパフォーマンスを披露することが求められる。目の前にいるファンを楽しませることがアイドルの役割のであれば気にしない訳にはいかない。
自分という存在を歌やダンスの中で見せるちょっとした仕草や表情を介してファンに観てもらうことを日頃から意識していた唯菜にとって気にしてしまうことは当然である。
もはや習慣や癖になりつつあることことが路上ライブでは仇となっていることに反省する。
「でも、それって唯菜の悪い所じゃなくて良い所だよね?」
「私の良い所?」
「ファンの目線に立ってライブを進めることは悪いことじゃないし」
「それはそうだけど……路上ライブじゃあまり通用しないからさ」
いくら気に掛けた所で人が足を止めて見てくれるとは限らない。
なら、いっそのこと周囲の存在なんて気にせず歌に専念した方がいい。
そう彩香のアドバイスを捉えていたが……ヒカリは違った。
「多分だけど、彩香さんはいつも通り歌えって言いたかったんじゃないかな。ポーチカでのライブ時みたく、普段通りのありのままの唯菜として」
「そう……なのかな?」
「そうだよきっと。だって、今日の唯菜はオドオドした生まれたての小鹿みたいだったし」
周囲の様子を伺いながらキョロキョロと歌に集中出来ず、人が寄ってこないことに心配と不安を募らせた表情でいる姿が妙にそう見えたヒカリは思い出してクスクスと笑う。
「もう!笑わないでよー。ヒカリのバカ」
「ごめんごめん。なんだか新鮮で……」
「ったく、人の努力を笑うなんて失礼だなー」
ヒカリに対して軽く怒りをぶつけるも……
「……でも、ヒカリの言う通りだよ」
認めざるを得なかった。
「一人だとやっぱり凄く緊張するし、聴いて欲しいのに聴いてもらえないことに不安になって私らしく歌えていなかった。これじゃあ、わざわざ聴きにきてくれた名雪や夏美ちゃんもロクに満足してもらえないよね」
終わった後に優しい夏美は『良かったよ』と声を掛け、『あんたガッチガチだったじゃん』と軽く笑いながら名雪は感想をくれた。友人だったから小一時間程付き合ってくれたが、そうでなければ彼女達も最後まで聴いてはくれない。
不完全燃焼な路上ライブであったことは痛いくらい思い知らされた。
「あ~~やっぱり悔しいぃ!」
「ま、その気持ちがあるなら大丈夫でしょ。何事も経験が大事だって言うし」
「気楽でいいね、ヒカリは」
「私は唯菜のサポートだし。歌はちょっと自信あるから代わりに歌ってあげようか?」
「おーおー、言ってくれるねぇ。歌えるもんなら一人で歌ってみなよ、人見知りさんがぁよぉ!」
「……ごめんなさい。調子乗りすぎました」
いざ駅前に一人、マイクを持って放り出されれば自ずと自分もまた小鹿の如く緊張に震えながらオドオドする姿が容易に想像でき……謝罪する。
「二人で歌うのもアリっちゃアリだけど……私の為にはならないから今回は撮影役をお願いね。あと、部屋にも泊めてくれてありがとう」
「それはいいんだけど……まさか、路上ライブない日もずっと泊まるつもり?」
てっきり路上ライブ後にレッスンがあって帰りの遅くなる日のみ泊まる予定なのかとヒカリは思っていた。しかし、部屋の隅に置かえたかなり大きめなキャリーバックを見る限り何日も宿泊するつもりな気がしてならない。
「そうだよ」
「そうだよって……まぁ、別にいいけどさ。ここに暮らしているの私一人だけだし」
「うん。迷惑はかからない」
「いや、いるだけで迷惑だよ」
「とか言いつつも本当は嬉しいくせにー」
そう指摘する唯菜の言葉に若干顔を紅潮させたヒカリはそっぽを向く。
「おやおや、赤くなってるじゃな~い」
「なってない」
「なってるから。ツンデレさんですか?」
唯菜の揶揄いに少しだけイラッとした反動で「はー」と溜息を吐き、ヒカリは心を落ち着かせる。
「とりあえず、唯菜も自分の部屋の様に使って構わないから」
「唯菜もって他に誰かいるの?」
「香織はたまーにやってくるし。ほら、そこのベッドで寝てる隣人とかはいつもいるし」
「え?」と驚いた唯菜はバッと振り返ってベッドの方を見詰める。
すると、真っ白なシーツと布団の間からサラサラの銀髪が垣間見えた。
「ルーチェちゃんなの?」
本人かどうか確認すべく恐る恐るベッドの方に近付いて顔を覗き見るとそこにはスースーと寝息を立てながら大人しく眠るルーチェがいつの間にか熟睡モードに入っていた。
「え、いつの間に?」
「多分、そこの窓の鍵開けたまま出たから……不法侵入されたんだと思う」
「てか、なんでここで寝てるの?」
「自分のベッドよりもこっちの方がいいんだって。ここ最近はずっとこうしてベッド占領されているせいでずっとこのソファを倒して寝てる。おまけに、夜中に起きてゲームしようとか迫ってくるから……朝がしんどいです」
ここ最近、ヒカリが授業中に寝ている姿を隣で目撃していた唯菜は彼女の寝不足理由を理解し……深く同情した。
「いっそのこと一緒に寝れば?」
「毛布全部取られて寒いから別々で寝ないと風邪引く」
意外にも寒がりな少女は布団を全身に包み、頭の一部だけ露出している。
「こういう所は可愛いよね」
「見た目通りの可愛いさではないからなぁ」
天使の様な見た目をした生粋の悪魔。
もしくは、堕天使に近い。
堕の文字も堕天ではなく駄々っ子の意味が含まれた駄天使。
「てなけだから、私はソファーで寝てる」
背もたれ機能を解除し、足元下の収納口から布団を出して簡易的なベッドにして見せたことに「おー、凄いソファだね。相変わらず」と自分の部屋にも欲しいと感心する。
一方で、唯菜はふとある疑問を抱く。
「……じゃあ、私はどこで寝ればいいの?」
ベッドはルーチェに占領された以上、残った選択肢は一つ。
「……一緒に寝る?」
「そうしよっか。別に初めてって訳じゃないし」
「う、うん……」
「じゃあ、先にお風呂借りるね。あと、バスタオルも」
「……どうぞ」
ヒカリの提案をあっさりと呑んだ唯菜は嬉しそうな笑みを浮かべてリビングを後にした。
残ったヒカリはベッドの横で自身の胸辺りに触れ、心臓の鼓動が少し早いことに気付く。
「……なんでだろう。唯菜と一緒に寝ることなんて初めてじゃないのに……凄くドキドキしてる」
少なからず唯菜は部屋に泊まることを楽しみに感じていた。
友人が自分の部屋に泊まって共に一夜を過ごすことは何か特別感があってワクワクしていた。
けれども、今は不思議と違うワクワク……というか変な気持ちを抱いていた。
自分が性的な何かを意識している感じ。
「ただ、一緒に寝るだけなのに……なんでこんなに……性的な興奮を覚えるのかな?」
同性なのに不思議とそう意識してしまう。
その最たる理由は……
「ま、無理もないか。私のベースは男の私なんだもんね」
自分にそう言い聞かせ理性を御する。
「私は彼を知らないけど……」
ルーチェは眠り、唯菜はシャワーを浴びている。
誰にも聞かれていないのと思い込んで独り言を漏らしていると……壁越しから部屋に響くシャワー音で目が覚めたルーチェは片耳で言葉を拾っていた。
複雑なヒカリの気持ちを推し量り、少しばかり同情するも……寝心地の良いこのベッドだけは絶対に譲らないことを決めて再び眠りについた。
♢
風呂場から出るとリビングの方からうっすらと音楽が聴こえる。
曲調からしてクリスマスソングを連想させる。
その割にはなんだか明るい。
一先ず、濡れた身体を拭いて髪の毛を軽くドライヤーで乾かす。
部屋着でリビングの方に戻る。
すると、机の上に置かれた携帯式のスピーカーからその音楽が流れていた。
「クリスマスソング?」
「うん。今、流行りの……ってそこまで流行ってはいないかな」
「どっちなの」
「Mtubeは見てるよね?そこで、私のオススメにあがってきた曲で、今月アップされたばかりなのにもう10万回も再生されているの……まぁ、映画やドラマの表題曲でもなんでもないから知る人ぞ知るのかな。でも、その割には結構な再生数いってるし、ネットでは割と話題になってる!」
「へぇ~」
あまり流行に関心がないヒカリは本当に知らない。
「あ、ゴメン。音大きかったりする?」
「いや、このくらいなら大丈夫だと思うよ。ベッドにいる子は煩いから布団に包まっているけど」
顔も足も全身を布団で覆い隠して寝ている。
ダンゴ虫のような光景を目の当たりにするだけで煩いオーラが滲み出ている。
「いやぁ、あまりにも静かだし少しだけBGMが欲しいな~って」
「それは別に構わないけど、その曲は路上ライブで披露しないの?」
「しないしない。私が歌ったらカバー曲だから許可取らず勝手に歌うのはよくないかなって」
「そう?カラオケっぽくて少しは関心持たれると思うのに。流行りの曲なら」
「流行りっていうけど、ヒカリは知らないじゃん」
「うん、知らないね」
「そもそも、ヒカリってあんまり普段から音楽聴かないよね。なのに、歌が上手なの不思議」
「音感はある方なのかも。なんとなくだけど……」
「いいなぁ。あるだけマシだよ。私なんてほぼ毎日聴いてるのに、初めて歌うとなると音程取れなかったりするし」
現に唯菜は今、流している曲をサビのタイミングから歌い始める。
そのまま軽後半も歌い続け、ヒカリは聴きに徹する。
「どう……聴いてみて……その感想とか」
「この曲は今、初めて歌ったの?」
「ううん。お風呂とかで何回も歌ってる。お気に入りだから」
「へー」
「で、どう感想は?」
「んーなんというか普通。別に下手でもないし、明らかに音を外している感じでもなかったけど……」
「けど……」
「少しだけ重苦しさを感じた」
重苦しさ。
そう表現したヒカリに唯菜は少しだけ視線を下に向ける。
「やっぱりヒカリにも分かるんだ。一生懸命音程を掴もうとするあまりなんだか詰まった歌い方になるって」
そう指摘されるのは今に始まったことではない。
唯菜は常にそう言われ続けている。
「音感のあるヒカリとかは自然にできるのかもしれないけど、私は音感を取れる自信がないからなんかこう意識しちゃうんだよね……だから、流れる音に集中するあまり自分の声が上手く出せない」
声量よりも声質。
歌う際の声の高さを調整するのが苦手。
そういう苦手意識を歌の中持つ人は多い。
「いつも彩香さんから言われてるの。自分の声と歌に向き合いなさいって」
自分の歌っている姿を録音してそれと向き合え。
彩香が口を酸っぱくして唯菜に伝えていることの一つである。
素直な唯菜は言われた通り、レッスン時の自分を録画して頻繫に自分の歌と向き合うよう努めている。
その努力が功を奏して、少しずつ改善してはいるものの……苦手意識が抜けることはまだない。
「私は音楽になるともの凄く不器用で、苦手だと思うところが小さい頃から変わらない。こうして人前で歌うことになれただけでも幼い私は驚くと思う」
(口パクアイドルなら自信を持ってやれたかもしれないけど、何より私が嫌だった)
(歌が下手でも包み隠さず私は自分を表現したい。楽をして騙し騙しにやっても私が目標とする彼女には決して手は届かないから)
(だから、下手でも歌う)
(下手でも練習すればいつか上手になる)
(そう信じて私はこれまでもこれからも頑張るしかない)
そう自分に言い聞かせてきたのもこれで何回目だろうか。
唯菜自身、諦めが悪いことが自分の長所であることを理解してはいる。
しかし、中々改善できないのが短所であり悩みが尽きない要因でもあった。
「唯菜は歌うことが苦手でも、ちゃんと身体で音は取れる。多分だけど……上手くいかない要因は気持ちだけなのかも」
「それもよく言われる」
「大丈夫だよ。私は唯菜の歌が上手なのは本当だって知っている。それは一人じゃなきゃって話かもしれないからこうして一人で挑戦してるんでしょ」
その通りだ。
「なら、明日は少しだけリラックスして歌ってみようよ。そうすれば良くなると思うし」
「とは言っても私は本番でできるタイプではないので、今から少しだけ練習してもいい?」
「好きなだけどうぞ」
「良くないわよ!」
ベッドの方から異論を唱える声があがるも家主権限はないので無視。
なるべくうるさくならない程度で音楽を流した唯菜は繰り返し何度か先程と同じ曲を歌い、明日に備えるとした。




