百九十九幕 作戦会議・相談②
「ちょっと!アイテムぶつけてこないで!」とテレビ画面の前で三人仲良く一つのソファに身を寄せ合い、騒ぎながらレースゲームを行う彼女達を後目に、ベランダに出た唯菜と香織は並んで外の景色を眺めながら話を交わしていた。
「なるほど、つまり唯菜ちゃんはリーダーとしてのアドバイスが欲しいのね」
「うん……ごめんね。仕事終わりで疲れているのにこんな相談に乗ってもらって」
「大丈夫。むしろ、私なんかで良ければ何でも相談に乗るよ」
「ありがとう、香織ちゃん」
感謝を口にする唯菜に対して香織は柔らかく微笑む。
「と言っても、私からアドバイスすることなんて殆どないよ。それに唯菜ちゃんが思うほどリーダーなんて素質ないし」
「そんなことないよ。私からすれば香織ちゃんは理想的なリーダーだよ」
「唯菜ちゃんからすればそうかもしれないけど……実際、私がSCARLETのリーダーっていう感覚はあまりないかな。リーダーって立場も私がセンターだからいつの間にか春乃と柚野が勝手に決めていただけだし。リーダーなら私よりも春乃の方が向いてる」
「そうなの?」
「うん。そもそも私はリーダーなんて器じゃない。小さい頃から率先して何かをやるのは私じゃなくて兄の方で……私はどちらかというとその後ろを付いて行く側だったの」
「それは意外かも」
「正直に言えば……小さい頃の私は兄の背に隠れているような人見知りで臆病な性格。一人だと怖くて何も出来なくて一歩も前に踏み出せないくらい弱気な少女。多分、今もそんなに変わってないかな」
『そんなことはない』と唯菜は直ぐに否定できなかった。
そう語る香織の自己に対する評価が正しいものであるのだと思ってしまったから。
実際、香織のライブをずっと客席で見続けてきた唯菜にとって今の話に出てきた幼き頃の三津谷香織という少女の面影は今もまだ薄っすらと残っているような気がした。
「ちなみに言っておくけど、決してお兄ちゃんっ子だった訳じゃないから。両親が共働きで昔から家でお兄ぃと二人で過ごすことが多いから結果的に頼ってただけだからね」
「う、うん……そうなんだ」
お兄ちゃんっ子だと思われないように香織は懸命に弁明を図るも、唯菜はそれほど意識してはいなかった。
「だからね。私がこうして自信を持ってアイドルをしているのは春乃と柚野のお陰かな。二人が傍にいて支えてくれるから私も歌える。二人が信じてくれるから私も真っ直ぐ進める」
「それって香織ちゃんを二人は信じてるから香織ちゃんはSCARLETを引っ張っている、って意味じゃないの?」
無論、人によってリーダーシップの定義は様々で見方によっては変わってくる。
唯菜にとって今の話はまさに自分の理想とするリーダーシップそのものだった。
「引っ張っているって感覚もないよ。正直に言えば、私は自分がやりたいようにやってる。どちらかというと二人を巻き込んでいるが正しいかな」
「やりたいように……」
「うん。私は多分、我儘なんだよ。小さい頃からずっと自分がしたいことを他人に押し付けて一緒にすることを求めて楽しもうと迫っていた」
「それって三津谷君にも?」
香織は頷く。
「だから、ウザがられたんだと思う。お兄ぃってば自分の時間を大切にしたいマイペースな人間だし」
陽一が香織の兄だと知った当初の反応を思い出せばあの時見せた陽一の反応が単なる照れ隠しではなく本当のことだったのだとようやく理解した。
初めて、二人が話している所を目の当たりにした際、言っていた程の仲の悪さには映らなかった。
お互いに素直になれない兄と妹。
二人の心は向いていないようで向いている。
そんな甘酸っぱい兄妹の関係に少しばかり羨ましさを唯菜は抱いていた。
「この話はさておき、リーダーシップの話だよね。ちなみにだけど、唯菜ちゃんはどうしたいの?」
「どう、って言われても……」
何をどうすべきか。
自分がどういうアイドルとして貫きたいのかイマイチ想像が掴めない。
それでいてどうリーダーシップを発揮してグループを率いていくべきなのかも……検討がつかない。
「難しく考えないでいいんじゃないかな」
「え?」
「多分だけど、私が思うにポーチカは唯菜ちゃんがしたいことをしていけば良い方向に進むと思うよ」
「私がしたいこと?」
「そう。それが何か私には分からない……けど、ポーチカの中で唯菜ちゃんが一番アイドルに対して情熱を持っている。足りないのは多分……色々な自信」
「……!」
その指摘通りだと唯菜は認めた。
いくら情熱があっても決して思い通りにアイドル活動は出来ず、自信喪失の日々が続き……いつの間にか自信のない熱意だけが心に残っていた。
正直に言えば、不安で仕方がなかった。
いくら高い理想を掲げてもちっとも現実味は帯びやしない。
不釣り合いまでの目標と現状を叩き付けられたことで……唯菜は自信を無くしていた。
「どうしたらいいのかな?」
「私の場合、春乃や柚野がいてくれたから大丈夫だった。三人一緒ならなんだってやれる気がしたからこれまでもどうにか上手くこなしてきた。自信と信頼を強く持ってね」
自信と信頼。
その二つの単語はSCARLETの根幹を成す上では欠かせない。
仲の良さに関係なく、SCARLETの場合……より強固な絆で三人は結びついている。
双方の強い信頼関係が一人一人の強い自信に繋がっている。
それは今までSCARLETを追っていた唯菜にも正しく理解できた。
「ポーチカも同じでしょ。ライブで見せるあの一体感は自信と信頼を体現してると私は思うよ」
普段はバラバラ。
五人全員が揃うことはグループの活動以外あまりない。
だから、ライブで示すあの一体感は不思議で仕方がならない。
「そうかな、どちらかいうと……みんな優しいから。私に合わせてくれているのかも」
唯菜自身が率先して纏めている訳ではない。
どちらかというと他の四人が付いてきてくれている。
直ぐ隣を向けばいつの間にかヒカリがいて、その直ぐ後ろに幸香、春、ルーチェの三人がいる。
「私はみんなに支えてもらっている。背中を押してもらっている……ただ、それだけだよ」
「なら、唯菜ちゃんが四人を引っ張るくらいでちょうどいいんじゃない?それで上手く成り立っているなら今後もそうしていくべきだと思う。その方がポーチカはずっと良くなる」
簡単に言ってくれる。
でも、単純且つ明確に道を示してくれた。
それでいて背中も押してもらったことで自信も付いた。
「ありがとう、香織ちゃん。そうしてみるよ」
瞳に強く意志を宿し、微笑みながら感謝をする唯菜に香織もまた嬉しく思いながらホッと胸をなでおろせた。
「良かった。これで私もようやく唯菜ちゃんに返せた」
「え、むしろ私の方がもらってばかりで……」
「ううん。そんなことない、私はいつも唯菜ちゃんに助けられた。ずっと前から私のファンとして温かく接してくれる唯菜ちゃんに感謝の言葉しか伝えられないのは友達としても凄く窮屈だから」
そんな香織の言葉に唯菜はクスリと笑む。
「今になって思い返すと何だか面白いね。ちょっと前まで私達ってアイドルとファンの関係だったのに……」
「そうだね。今じゃもう対等でライバルなんだよね」
対等でライバル……その言葉を受け入れるにはまだ早い。
「まだ、対等になれてないって顔だね」
「うん……今の私じゃ胸を張って対等とはまだ言えないよ」
卑屈に返している訳ではない。
主観・客観的な事実を基に実力差があることは明確。
アイドルとしての立ち場は同じでも、立ち位置は違う。
「だから、それはまた今度……私の方から言わせて」
「じゃあ、せめてライバルではいさせてよ。私達はポーチカを格下だなんて思ってない。横浜で初めて観た時から私はポーチカをライバルだって思ってた。唯菜ちゃんとヒカリに勝負を挑まれた時からずっと……」
二人からの挑戦を受けるまでポーチカになんて興味はなかった。
そもそも、香織にとって他のアイドルグループなんて然程関心はない。
初めの頃、一緒に対バンライブを行っていたアイドルグループも次第に交流はなくなり、フェスを介して会ってもいつしか距離が生じていた。
それどころか、嫌味や嫉み、蔑みといった言葉を裏で叩かれることも増えた。
SCARLETの成長に面白くない子達が風評被害をしてくることも少しだけあった。
そしていつしか『人気アイドルグループのSCARLETと対バンするとファンを奪われる』という理由で対バンにも呼ばれなくなり、ワンマンでのライブが中心となっていた。
以降、香織は他のアイドルグループに自ら関心を寄せなくなった。
好奇心旺盛で元々アイドルそのものが好きな春乃はともかく、切磋琢磨し合う相手を探すことよりも目の前にいる自分達のファンに目を向けることの方が重要だと捉え直した。
正直に言って、その方が気が楽であった。
周りを気にせず、我が道を往くことは決して悪いことではない。
アイドルという競合在りきな業界にいる限り、他社を蹴落としてグループの立ち位置を上げていくことは必然的に追求すべき。
けれども、やはり孤高ではありたくなかった。
グループとして仲間がいる限り孤独にはならない。
それでも自分の選択がグループを孤高へと至らしめ、他のアイドルグループから一目を置かれ、距離を置かれることは詰まる所……業界内での孤独を示す。
香織にとってはそれでいいかもしれない。
しかし、SCARLETの在り方を春乃や柚野にも強要してしまっていることを気になっていた。
優しい二人は大丈夫だよ。そう一声掛けて一緒にいてくれる。
楽観的な春乃は『多分、いつか私達の前にライバル的な存在は現れる』と言って根拠のない期待を馳せていた。そして、その予想は思わぬ形で現実となった。
麗華の提案で参加した横浜アイドルトーナメントというイベント。
そこでポーチカというグループに出会った。
唯菜を始めとした五人のアイドルのことは一切知らない。
アイドルに詳しい春乃ですらゲーム配信で知り得ていたルーチェのことしかよく知らず、アイドルとしてもまだまだ未熟でファンもまともにいない無名アイドルグループ。
ライブを進める中で変わりつつある少女達に香織は昔の自分達の面影を重ねた。
けれども、似ているようで似ていない。
ポーチカというグループはSCARLETとはまた異質。
三位一体でSCARLETを象徴する自分達に対してポーチカは良くも悪くもバラバラ。
特にヒカリがまだいない四人でのパフォーマンスは統一感が薄く方向性が曖昧。
リーダーの唯菜は会場の反応を深く気にしながら歌とダンスを披露しているからか自分に一杯過ぎるあまり余裕のなさが所々で垣間見えていた。
その横で並ぶルーチェはやる気を削がれ続けているのが態度に現れ、春もまた徐々に表情に暗さを見せていた。そんな彼女達を年長者の幸香は振り付けの中でアイコンタクトを取って後ろから支えていた。
だから、バラバラだと思った。
まとまりが薄く何をしたいのか……彼女達から見えてこない。
ポーチカとはどんなアイドルなのかライブを観ていてもイマイチ掴めない。
ただ歌って踊るだけのアイドルじゃ観る人の印象として残らない。
彼女達を象徴する何かが見えてこないのでは……アイドルとして致命的と言える。
そんな曖昧な印象を残したまま一曲目が終わった直後、彼女達の中に現れたのがヒカリだった。
新メンバーとして二曲目から加わった彼女が唯菜の横に並び、二人で先陣を切って歌を披露する。
その瞬間、色が付いた。
同時に蕾だった彼女達が花開き、彼女達を象徴する色が見えた。
何かを追い求め、何かを目標と定め、追い抜いていくことを一人ではなく……二人で挑戦し……五人でやり遂げる。
『私達はSCARLETを超えるアイドルになる』
事前に宣戦布告された通りポーチカは食らいついた。
そして、開花して見せた。
例え、五人の個性や考えはバラバラであってもそれぞれの個を主張する形で自分達を主張する。
咲けばどんな色にでもなれる可能性を秘めたアイドルグループ。
それがポーチカなのだと香織は理解している。
「私達のライバルとして切磋琢磨し合える相手。そのリーダー同士だから私は唯菜ちゃんを対等だと思っているの。だから、唯菜ちゃんはもっと高みに手を伸ばして、突き進んで私達を打ち負かすくらいのアイドルになって……胸を張って対等だって言ってね」
茜色に輝く夕陽がベランダに立つ二人の少女を照らす。
優美に微笑む香織の言葉を聞き、唯菜は満開の笑みで「勿論」と返す。
純粋で素直な唯菜の姿勢に香織は横目でゲームをするヒカリを見ながら『そりゃ、好きになる訳だ』と納得した。
「香織~話が終わったならまた勝負しなさい!今度は負けないから~」
部屋の中からそう宣言するルーチェの声が届く。
ルーチェの『香織』という呼び捨てにいつの間にか仲良くなっているのと驚く唯菜の横で香織は「また完勝しちゃうけどいいの?」と煽る。
「いいから早く来なさい。まとめて倒してあげるから」
「ルーチェちゃん、私さっきの試合で勝ち越してるよ」
「うっさい。今度は絶対に勝つんだから!」
やけくそに声を挙げ、ヒカリと交代する形で香織がゲームに加わる。
代わってベランダに出たヒカリは「うーん」と身体を伸ばして外の息を吸う。
両腕をコンクリートの手摺壁の上で組み、橙色に顔を染めながら夕陽を眺める。
「眩しくない?」
「眩しいけどなんか気持ちいい」
夕陽はもう半分も沈み掛け、あと数十分も経てば夜が訪れる。
次第に空気もひんやりと冷たくなり、ブルッと身体を震わせる。
「やっぱり中入ろ。唯菜も風邪引くよ」
「うん。そうだね」
くるりと向きを変えて、ベランダから出ようとする。
するとくいっと服の袖を掴まれた気がしたヒカリは足を止めて振り返る。
「唯菜?」
「あのね、ヒカリ……一つだけ私の我儘を聞いてもらってもいい?」




