百九十五幕 父と母
ステージ裏の控室。
ライブ後に約一時間半に及ぶ特典のお渡し会を終えた五人はようやくゆっくりした時間を迎えた。
いつも以上に人と対応したルーチェはげんなりした様子で横に座る幸香の太股に頭を乗せ「ぢゅがれだぁ~」とソファに寝転びながら「明日は働きたくなーい」と駄々を捏ねる。
そんなルーチェの頭を撫でながら宥める幸香を見た唯菜はヒカリの座っているソファへと移動し「労ってあげようか?」と膝をポンポン叩いて頭を乗せるよう促す。
そんな突拍子もない仕草にイマイチ意図を掴めなかったヒカリは反って警戒を露わにする。
「何が目的?」
「私も幸香さんみたいなことをしてあげようかなって」
「膝枕を?」
「うん」
「いや、大丈夫。それに膝枕を必要としているのはどっちかというと春だし」
ヒカリの肩に寄れかかっていた春は今すぐにでも眠ってしまいそうな様子。
普段よりも大勢のファンと対応した春もまた慣れない経験に疲れていた。
『余力を残す私や唯菜よりも横になって休息を取った方がいいよね』と考えたヒカリは春の頭を優しく自分の膝の上に乗せ、暫し休息を取らせてあげる。
いつもなら動揺して遠慮する春も今日だけは素直に受け入れ、膝の上で心地良さげに目を瞑る。
「なぬっ!?あの春ちゃんがこうも容易くヒカリに籠絡されるとは……」
『もしや、他人を虜にする魔性の太股なのでは?』と短パンの丈下から露わになる細く綺麗な太股を撫でるようにサワサワと触れる。
「なんかその触り方おじさんみたいで嫌だ」
「誰がおじさんじゃい!でも、スベスベしてて心地良いからこのまま触らせておくれよ~グヘへ」
「手付きが変態みたいで嫌なんだけど……」
「いいじゃん、減るもんじゃないし」
言っても止めない唯菜の手を無理矢理振り払う。
「セクハラで訴えるよ」
「ちょっとしたいたずらだから本気にしないでよ。もう……」
と言いつつも、さりげなく手を伸ばして触ろうとする唯菜に「しつこい」と払う。
「ゴメンゴメン。冗談だからー」と笑う唯菜にヒカリは少しだけ溜息交じりに「止めてよね。本当に」と呟く。
「それよりさ、ヒカリ……私、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
気まずい顔で何かを尋ねよう言葉を発したタイミングで、控室の方に会場での仕事を終えたジルが入って来る。もう一人少しばかり小太りで背丈の高い銀髪の中年男性を連れて……
「みんなお疲れ様。今日も凄く良かったよ」
「ありがとうございます。……それでジルさん、お隣にいらっしゃるのは……」
誰よりもテンションが高く元気一杯の返事をする唯菜は気になった隣の人物へと視線を向ける。
「あぁ、この人は僕とルーチェの父さんさ」
「初めまして皆さん、私がジルとルーチェの父。ダリル・ゴロウィンです。以後お見知りおきを」
ジルに流れるロシアの血筋を示すか如く顔は確かに整ってはいるものの、小汚なさを感じる髭面にぱっつんぱっつんに着たルーチェ推しをアピールするTシャツといった外見から交わされる丁寧で穏やかな雰囲気を纏った挨拶に三人はどことなく違和感を覚えた。
「確かにジルさん達のお父さんっぽいけど……」
「似てるようで似てない」
「そう。それ!」
顔を近づけた唯菜とヒカリはひそひそと話をして伺う。
身体的な特徴及び雰囲気は隣で並ぶジルと同じモノを感じる。
その一方で、服装や小汚い髭面といった面ではどこか誰かとそっくりな適当さを覚えた。
「ん……あれ、パパ?」
騒がしさに気付いたルーチェはゆっくりと目を開ける。
「ルーニャ!そうだよ、パパだよ!」
微睡な表情で見詰めてくる娘を前にしたダリルはパァっと顔明るくする一方で、ルーチェの表情はどんよりと暗くなる。
「……そんな髭面なオッサン知らないわ。てか、人前で『ルーニャ』って呼ばないで」
ツンを極める娘の反応に対して分かり易いくらいダリルはショックを受けた。
「暫く見ない間に愛しの娘がこんなにも美奈のようなキツイ性格になっているなんて……」
「いや、元からこうだったと思うよ。父さん」
「馬鹿言え!私の知っているルーニャはもっと天使みたいに笑う子で『パパ大好き』といつも愛を囁いてくれていた筈だ!」
「捏造しないでクソ親父」
「カハッ!反抗期……なのか?」
「見ての通り絶賛反抗期の真っ只中さ。終わりの見通しが立たないくらいね」
「うぅぅ……時間とはなんと残酷か。いつの間にか娘が……美奈みたいになっているではないか!」
演技抜きの本気泣きに傍から見ていた四人(騒がしさに春も目を覚ましていた)はドン引く。
愛する娘の変貌に悲観し、床に涙を垂らす父に対して恥ずかしさを覚えたジルはやれやれと首を振る。
「すまないね。見苦しい光景を見せてしまって」
「いえ……あの『美奈』さんというのは…」
「母さんの名前さ。ルーチェみたく多少口が悪い所があって……特に父さんには当たりが強くてね。そんな母さんの様にルーチェがそうならないか心配していたみたいなんだ」
その心配は現実となり父の心をズタズタにする娘が既に誕生していたことを四人は気の毒に思う。
「それより、父さん。予定より早い到着だったけどまさか今日のライブに参加するために早く来たのかい?」
事前に伝え聞いていた到着日は週末明けの月曜日だった。
しかし、ダリルはジルやルーチェには内密でライブチケットを入手し、一般客と混じってペンライトを振ってポーチカのライブに参加していた。
「勿論、そうだが……明日のジャパンカップを観たくて早めに来たんだよ」
「ジャパンカップって……最近CMでよく番宣している競馬のやつですよね?」
11月最終週の日曜日、東京競馬場で行われるG1レースが明日開催される。
ダリルはそれを観たいがためにわざわざ指定席を確保し、早い便で日本へとやってきた。
「そうだとも、私は日本の競馬が好きでね。昔はよく日本に来ては競馬をして遊んでいたよ」
「母さんとの出会いも馬関連だったよね?」
「そうだとも」とダリルは頷く。
「美奈の両親は北海道にある牧場の厩務員でね。その牧場を偶然にも訪れた際にお手伝いとして働いていた美奈とその時に初めての出会ったんだ。ルーチェと同じように小柄な身体で、長い髪を後ろで一つ結びにしてせっせと懸命に働く姿はとても愛くるしく……まるで天使のベールを纏ったポニーの様に見え、一目惚れしたのを思い出すよ」
独特な例えに一同は若干の困惑を覚える。
「話かけてみるとこれまた強烈な性格でね。言葉には常に棘が帯び、『優男っぽい顔が気に食わない』と言われて何度告白を断わられたことか……おまけに跨った馬に追い回されて後ろ脚で蹴られかける始末で……本当に大変だった」
ダリルはそのことを思い出しては軽快に笑い飛ばすも、決して笑い事では済まないような命の危機に関わる光景が頭の中で浮かぶ。
それでも、こうしてジルとルーチェの二人を授かっていることからダリルの根気強さが結局は実を結んだというハッピーエンドであることは間違いなかった。
「とまぁ、私の話はもういいだろう。それよりジル、お前の言っていた例の人物は……」
「そこにいる彼女さ」
直ぐ右横で春に膝枕をしているヒカリに視線を向ける。
「ほう君が例の……ふむふむ、中々に面白い逸材じゃないか」
至近距離に顔を近付けられたヒカリはビクッと肩を震わせる。
「あの……」
「いや、失礼。ここでは話し辛い内容だったね。詳しいことは週明けに話すとしよう」
そのやり取りを聞いた唯菜は小首を傾げる。
「それでは先に失礼するとしよう。少し東京を観光したいので夜に伺うよ」
「お酒の飲み過ぎとかで警察沙汰になるのは勘弁してくれよ。父さん」
「大丈夫だろう。善男君とナイルも一緒だから多少ハメを外しても問題はあるまい」
ハメを外す気満々の返答にジルは深々と溜息を交えながら「いってらしゃい」と告げる。
そう軽快は笑い飛ばしたダリルは控室を後にして外で待つ善男達の方へと出て行く。
「いいの兄貴?」
「ナイルがいるなら前みたく泥酔して側溝にハマったまま帰ってこないなんて事態には成りえないと思う」
「ルーチェちゃん、口では酷いことを言いつつもとパパ想いな子なのかな?」
「勘違いしないで。パパの酒癖の悪さを知っているから気遣っただけ」
「おぉ~見事なツンデレ」
唯菜とヒカリに小馬鹿にされたと思い込んだルーチェは「一発殴らせなさい」と若干の怒りを露わにするも「まぁまぁ、二人はルーチェちゃんことを馬鹿にしてる訳じゃなから落ち着こう」と幸香に宥められ、矛を収める。
「それにしてもお父さん、かなり日本語が上手ですね」
「確かにイントネーションの違和感とかなくペラペラ喋ってた」
唯菜の指摘にヒカリも同意する。
「それも母さんと付き合うために行った努力の一部らしいんだ。母さんは何か父さんにいちゃもんを付けては追い返して、告白を何度も断っていたみたいだ」
「それでもダリルさんがめげずに好きな相手の心を掴んだって凄いです!」
「いや、唯菜が想像するようなロマンティック感はないわよ。ママは当時、女優になる夢を叶えるためにパパを利用して付き合ってたみたいだし」
「母さん曰く、当時の父さんは上京して女優として活動するための金づるだったようだしね」
傍から聞けばルーチェ達の母がとんでもない屑女のように聞こえてしまうことに唯菜は微妙な空気感に駆られ、このままマイナスなイメージのまま話を終わらせていいのだろうかと気を遣う。
「それでお母さんの夢は叶ったの?」
「勿論、叶った。父さんの尽力もあって母さんの夢は大成した。田村美奈という名前でね」
「え、その人って前に何かのドラマとかで主演だった方ですよね?」
「そうだね。僕が中学生くらいに」
「私、観てました!確かそのドラマを契機に凄く有名になって映画とかにも抜擢されてて三年くらい話題の女優さんだったのは覚えてます」
「ありがとう。それだけ母を知っているなら言わずも分かるとは思うけど……敢えて伝えておこう。僕達の母、田村美奈は亡くなっている」
その言葉にルーチェは顔を曇らせ、気遣った幸香は頭を優しく撫でる。
それを聞くまでもなく唯菜や春は当時、連日で流れていた『田村美奈訃報』に関するニュースを思い出す。
「ニュースだと病気と報じられてましたよね?」
「母は元々、心臓に持病を抱えていてね。役者としての仕事が忙しくなるあまり、持病が悪化してしまってね。役者業を一時休業して治療に専念したが、一向に回復には転じず亡くなったよ」
世間的にも『田村美奈の訃報』は大きなショックをもたらした。
小さいながらも存在感が大きく、愛くるしくも過激な内面を兼ね備えた女優としてかなりの人気を馳せていた。自身が所属する劇団には彼女を慕う役者も多く、幸香や詩音のようなスクール生にとっては憧れの象徴でもあった。
「すまない、しんみりとした話題になってしまったね。せっかくだから、君達に伝えておきたかったんだ」
「いえ、私達は大丈夫です。教えて頂きありがとうございます」
礼を言われるようなことではないと思いつつも、ジルは敢えて受け取っておくことにした。
「まぁ、僕達の家の話はここまでにして……次の話題に移ろうか」




