百九十四幕 ライブ
週末の土曜日、渋谷区のライブハウスにてポーチカの単独公演が行われていた。
五か月前の時点では、10人と満たないファンしかいなかったのに対して……現在は床のタイルが人で埋め尽くされ、後方のドリンクサーバーが置かれている辺りまで溢れかえっている状況。
定期公演を行う回数を重ねるにつれて、集客数は徐々に増し……今日もまた過去最高記録を更新する勢いであった。
「最近、調子が良いわね」
「むしろ、良過ぎるくらいで……色々と悩みの種も増えている所さ」
ステージから見て左側。
関係者スペースの中でポーチカのライブを見守る善男の言葉にジルは嬉しさ半分、悩ましさ半分の感情を込めて返した。
収容定員数の引き上げに伴い新たな規模の大きいライブスペースを確保しなければならない。
都内中心に位置し、数百人規模のライブスタジオを借りるとなるとそれなりに苦労する。
候補を見つけても容易に予約が取れない所か、先々まで埋まっている始末。
普段から週末の定期公演で使わせてもらっているこのライブ会場もオーナーには良くしてもらい、優先的に借り受けている上に何かと都合よく使えることが最大のメリットとして気に入ってはいる。
しかし、会場の規模感で言うと最大収容定員が二百人くらい。
現在、ポーチカを応援するファンクラブ会員の人数は三百人を先日の金曜日の時点で超え、一般でライブチケットを購入する人はおろかファンクラブ会員ですら入手困難な状況が先月から続いている。
そうなれば、当然の如く『会場を大きくしろ』『定期公演の場所を変えろ』『対策を講じろ』といった文句交じりの要望が事務課の電話担当者であるナイル達に寄せられていた。
「新しい場所は見つかったの?」
「いくつかは候補は見つけたよ。どれも交渉中の段階さ」
「早く見つけないとナイル君達が可哀想よ」
「分かっているさ」
護衛能力で培ったストレス耐性が高いと言えども人出が不足している上に本業とはかけ離れた事務作業やクレーム染みた電話対応にナイル達も流石に疲れを感じていた。
新たなスタッフを募集し、人手を増やしていくことも検討しなければ組織として回らなくなりつつある。それもまたジルの悩み事でもあった。
「だから、僕はまだ社長という責務を果たす所かプロデューサーとしても未熟であると常々思っているよ」
どれだけジルが賢く、要領上手く仕事をこなしても……やはり一人で出来ることに限界はある。
なんでもかんでも自分一人で仕事を回せると別に勘違いして自惚れていた訳でもない。
それぞ事務所を立ち上げた頃は自分一人でどうにかなる程度の仕事量であったために今よりも人手が欲しいと思うことはなく、問題なくそう出来ていた。
しかし、ポーチカの急成長に伴い……舞い込んでくる仕事も倍増していった。
特にKIFが終わって以降はアイドル雑誌を製作する編集部からポーチカの特集記事を作りたいという声がかかり、中ではグラビアモデルの仕事に挑戦してみないかという打診もあった。
以前からモデル誌で活躍していた幸香はともかく、唯菜を始めとした四人は一切経験がない。
その上、積極的に参加してもらいたい人物の名で多かったのがグラビア系仕事は一切NGのヒカリである。
当人に確認を取るまでもなく断りを述べ、他の二人……ルーチェを除いた唯菜と春には一応、本人に仕事の意志を受けるかどうか確認を取った次第で返答している。
無論、唯菜も春もグラビアには少しばかり抵抗感があるらしく、水着系以外の仕事は極力参加しない意向を示していた。
他にもKIFを通じて新たな仕事と成り得るビジネスチャンスは多く寄せられている。
それもグループでというよりも個人での案件も多数寄せられているが故に、マネージャー業務をこなすのも中々に厳しくなりつつあった。
「五人同時に面倒を看るのも大変だよ。約二名に関しては付きっきりでみないといけないからね」
「そうね。でも、その責任を請け負ったのはジルなんだからしっかり面倒看るのは当然よ」
「勿論、最後まで責任は果たすつもりさ。それが彼との間に交わした約束だからね」
二人は話に区切りを付けたタイミングで流れていた音楽が終わり『ありがとうございました!』と元気の良い挨拶がステージから放たれる。
唯菜のお礼と同時に五人は並んで一礼すると大勢のファンから拍手や声援が送られる。
中には『ルーニャぁ!!最高に可愛いよぉぉ!!』といった野太い声が様々なファンの声に混じって立見席の中心部から挙がる。ジルの方からだと背中を向けているため顔は見えない。声からして中年男性であることは予想できる。
一方で、自分を『ルーニャ』と呼ばれたことに気付いたルーチェは一瞬だけギョッとしてその方を向くも、直ぐに視線を逸らして知らない人のフリをする。
その行為が明らかにおかしく映ったジルと善男は今し方、そう叫んだ人物の方を見詰め……特徴的な銀髪に着目した。
「ねぇ、あれってもしかして……」
「多分予想通りの人だよ。ちょっとこっちに連れてくる」
仕事を一旦は放棄してでも行うべき用事を見つけたジルは関係者スペースを出て客席の方に向かった。
三曲をメドレー形式で歌い終えたステージの五人は少しだけ休息を取る。
あがった息を整え、ストローを差した水で水分補給を一時取った唯菜は四人よりも先に照明の下へと戻る。
『今日もポーチカの講演に来てくれてありがとうございます。ここ最近、徐々に来てくれるお客さんが増えてきて、とっても嬉しいです』
『そんなに増えてきてる?』
後から戻ったヒカリの能天気な発言に唯菜はやれやれと首を振る。
『増えてるよ。半年くらい前と比べらたらそれはもう比較にならないくらい』
その当時と比べれば確かに一目瞭然だとヒカリも認めざるを得ない。
しかし、そういう意味で尋ねた訳ではなかった。
『全然、最近じゃないじゃん。直近って言いなよ』
『もう細かいなぁ~。でも、先週と比べても人は増えてるよ』
唯菜とヒカリは客席に向き直って会場内を広く見渡す。
奥の方に目を付けた唯菜は手で数名を指し示す。
『よく見てみなよ、ヒカリ。あそこの後ろ辺りの人達とかは初見さんだよ』
入口付近で遠目からライブに参加する三人の男性ファンに対して唯菜は手を振って見せる。
すると、彼らは少しばかり微妙な反応だった。
『いや、あの人達は多分だけど先週もいたよ』
『え、本当に!?』
『うん。握手会にも来てくれた人達だと思う。私の方で……』
唯菜はもう一度視線を送ると三人は苦笑いを浮かべながら腕で大きく丸を作って肯定を示す。
『ごめんなさい。最近、結構増えているのでまだ把握し切れていなくて……今日は私の所にも来て下さい』
謝罪を述べた後にそう付け加えてアピールをすると彼らは再び大きく丸を作る。
『仕方ないわよ。こんなに多いだもの、覚えられる訳ないから』
『いやいや、ルーチェちゃんは覚える気がないだけだよね?』
アイドルらしからぬルーチェの発言に唯菜は冷静なツッコミを入れた。
『何人かは覚えているわよ。ほら、私の前にいるそこの奴とか……前に死体撃ちしてきた憎きチー……』
『ル、ルーチェちゃん。それはあんまり言わない方がいいから』
白い色のペンライトを灯す小太りの男性に指差しで何か文句を言おうとするルーチェの意図を汲み取った春は慌てて口を塞ぎにかかる。
口を覆われたルーチェは少しばかり気が立って春の手の中で口を動かして暴れるも、見兼ねた幸香が横から笑顔でそっと肩に触れ……ようやく大人しくなる。
『まぁ、私達も皆さんともっと触れ合いたいので出来ればこの後の特典会にも是非、お越しください!』
この話題は色々危険だと判断した唯菜はトークを切って、次の告知へと移行する。
『それでは最後の曲に行く前に……今日は私達から重大なお知らせがあります』
和やかな会場内を緊張感の含んだ言葉で覆う。
ここにいるポーチカのファンですら予期していなかった重大発表という言葉に最前列でいつものようにポーチカを応援する凪と渚もゴクリと唾を呑む。
『この度なんと!12月24日のクリスマスに、日比谷野外音楽堂にて……ポーチカのクリスマスライブ開催が決定しました!!』
発表と同時に最前列の柵前で待機していた数名のスタッフがパパンッとクラッカーを鳴らす。
予定とは聞いてなかったクラッカーを用いた祝福にルーチェとヒカリとはビクッと驚く。
それに遅れて今日一番の歓声が客席から挙がった。
クリスマスという特別な日をポーチカと共に過ごすことが出来ることに観客は一同に喜ぶ。
それを目の当たりにした唯菜達もまた期待されている反応に密かな喜びを感じる。
「ぅぅぅ……やった。今年は推しチャン達と一緒に過ごせる」
歓喜の涙を見せる姉の凪に対して妹の渚は……
「お姉ちゃん、彼氏の人と一緒に過ごさなくていいの?」
「大丈夫。アイドルオタクに理解ある人だから……後日、クリスマスの代わりをしてくれるって言ってくれると思うぅ」
「そ、そうなんだ……」
姉と彼氏のよく分からぬ理解に困惑しつつ渚もまたその発表に顔を緩めた。
顔を挙げて再び自分の推しへ視線を送ると彼女もまたそれに気付いてにこやかに笑む。
他のファンとは違う彼女からの対応に姉の言う尊さを感じ、その日は絶対に予定を明けておくことを誓った。
『嬉しい反応をありがとうございます。当日は是非、私達と一緒に楽しいクリスマスライブを過ごしましょう!』
『おー』と拳を高々に突き上げて盛り上がる唯菜に呼応するようにファンもまた熱く声を出す。
この空気感に上手く誘導したタイミングを見計らい四人はそれぞれの定位置に着く。
『それじゃあ、最後の曲に行くよ!』
唯菜の掛け声に合わせて曲が鳴り響く。
そのタイミングでヒカリと唯菜がステージ中央に並び、二人の激しいダンスが繰り広げられる。
そんな二人に呼応する形でファンの声も次第に高まり、会場はより熱狂さを増し、小さなライブハウスはその日最高のボルテージを迎え……Aメロに入るタイミングでしんと静まり、ヒカリの透き通った綺麗な歌声が落ち着いたメロディーと相まって響き渡った。




