一幕 序章/下校①
夕陽が差し込む閑散とした教室。
ホームルームはとっくに終わり、時計の短針があと半分も回れば五時を指し示す時刻。
この時間帯、部活動以外で教室に残る生徒は殆ど居ない。
居たとしても男女が大した中身のない談笑を交わしているか、教室を自習室として利用する受験生くらい。
そのまたあるいは……ホームルームが終わった事にも気付かず、机の上でぐっすりと熟睡に耽る『バクスイオー』と揶揄される、一人の生徒くらいであろう。
そんな彼はふと意識が覚醒し、あまりにも静か過ぎることに違和感を覚えて徐に顔を上げる。
♢
「……誰も居ない」
意識が床に就く前はまだ六限目だった。
古典教諭の難しい和歌の話に眠気をそそられ、呆気なく自主的に屈した後の記憶はない。
気付けば既に授業はおろか……ホームルームから随分と時間が経ってしまっているようだ。
「もう夕方か……どんだけ寝てたんだ、おれ」
立ち上がると椅子と床が擦って生じる鈍い音が静寂の空間に響く。
あいつら、起こしてくれなかったのか?
教室内に友達がいないことはない。
男女比率が四対六のクラスに少なくとも二人の友達がいる。
いつもはその二人と一緒に下校しているのだが、彼らは薄情なことに起こさないまま二人で先に帰ったようだ。
ん……いや、起こそうとしたけど起きなかったらしい。(おれが)
その証拠にスマホのメッセージアプリを開いた受信欄の一番上に『起きないから先に帰るわ。おやすみ』という内容が綴られ、もう一人の方からも『バイバイ』と一言添えられていた。
更にその下には妹からだろうか『可愛い妹のために夕ご飯お願い。お兄ちゃん』という文面が顔文字と共に送られていたが、見なかったことにする。
それにしても全く本当に薄情な奴らだ。
自業自得だから責められないが。
再び誰もいない教室を見渡し、さっさと下校することを決めた俺は机の横に掛けた鞄を持ち、引いた椅子を机の中に入れ直す。
すると……
「うわぁ!びっくりしたぁ~」
音に驚いたのか、それとも誰もいない筈の教室に人が残っていたことに驚いたのか。
教室のドア付近から突然、声をあげた女子生徒が開きっぱなしのドアの横で固まるようにしてこちらを見ていた。
少女の名は白里唯菜。
栗色の長い髪に大きな二重の瞳。細長い手足と身体、顔のパーツに至るまで小さくコンパクトに収められ尚且つバランスよく取れたビジュアルを有する。
その上、性格面も優しく、誰に対しても気さくに話しかけてくれることから見た目通りな柔らかな印象が強い。『笑った時の顔が超絶可愛いくて見ていて癒される』という理由で学年中の男子生徒から注目の的。
白里とは席が隣同士……ではあるが、日頃からそんな頻繫に話す間柄ではない。
俺と白里は席が隣同士なだけの顔見知り。
言葉を交わした回数も数回しかないような単なるクラスメイトの関係である。
だから、こうして顔を合わせた所で特に話すことなんてない。
教室のドア付近から一瞬だけ目を合わせて直ぐに自身の机まで移動した彼女も鞄の荷物を整理して帰り仕度に移る。
無言の空気感に少し堪えれなかった俺は鞄を持ち、帰ろうとすると……
「ねぇ、三津谷君はこんな時間まで何をしてたの?」
自分の席の前に立っている白里が再び話しかけてきたので、鞄を持ったまま彼女の方に顔を向けた。
三津谷とは俺の名前。
一応名乗っておくが、俺は三津谷陽一。ここ、中原学園高校に通う二年生と自己紹介しておく。
そして、その質問に俺は「寝てた」と素っ気なく返す。
クスッと笑みを浮かべた彼女は「通常運転だね」と答える。
どうやらいつも授業中に居眠りしているのがバレているらしい。
それもそうか、お隣さんだし。
「そういう白里さんこそ、こんな時間まで何してたの?」
「え?えっと……ちょっと呼び出されて……」
呼び出し?そんな悪いことをしているイメージはないが、答えにくい表情で少し目線を斜め上に向けているのが気になる。
「三津谷君も帰る……よね?」
「そうだけど」
「じゃあ、一緒に帰らない?」
一瞬、聞き間違いかと思った。
彼女の方から一緒に帰るという提案をしてくるとは思ってもいなかった。
むしろ、こうなると一緒に帰る意図を疑ってしまう。
「どうして俺と?」
「同じ居残り組だから、っていうのは建前で……私、三津谷君に少し聞きたいことがあったし」
『三津谷君、彼女とか居るの?』とかいうシチュエーションから始まる青春恋愛物語の序章みたいな1ページがこれから起こるのではないのだろう。
単に俺にまつわる話で聞きたいことがあるから『途中まで一緒に帰ろうよ』と提案しているだけ。
それなら「別に構わない」と返事をする。
幸いにして、この時間はまだ大半の生徒は部活動に勤しんでいるため他の生徒との下校も重ならない。だから、他の男子生徒からヘイトを買わずに済むし、友人二人は先に俺を置いてとっくのとうに下校しているから二人並んで帰っている所を知り合いに見られる心配もない。
「三津谷君は電車?」
「そうだね。そういう白里さんは?」
「私も電車。駅までは同じだね」
その少し強調された『だね。』を聞いた瞬間、俺の凪いでいた心に漣が揺れた。
声のトーンもさることながら、彼女が見せた笑みもまた百点満点の札を出さざるを得ない。
夕陽が差し込む誰もいない教室。青春ドラマや映画のワンシーンで、男子高校生が恋に落ちる瞬間を体現している。
俺も一介の男子高校生であり、恋愛の『れ』文字も未だに知らない非リア。
こんなちょっとしたことで大きく勘違いし、心を揺れ動かす単純な生き物。
うん。悪くない。
むしろ、最高の彼女を持った気分で高揚感が高まる。
先に帰ったあの二人にも見せてやりたいが、見せたらもう一方の彼女持ちじゃない同類による制裁が待っているので今日の出来事は墓まで隠すことにしよう。
と……まぁ、内心で勝手に盛り上がるのを止めて、現実へと向き直る。
「じゃあ、帰ろうか」
一緒に昇降口の前まで降り、下駄箱から靴を取り出す。
そのまま暫くの間、無言の状態が続いたまま正門へと出る。
学校に隣接した公園を横切って大通りに出るべく、並木通りを二人で並んで歩くもまだ会話がない。
……気まずい。
お互いに話を切り出すタイミングを伺って黙ったままでいることに耐えられなかった俺は話の火蓋を切るように尋ねた。
「それで白里さんが聞きたいことって?」
「その前に、私を呼ぶ時にわざわざ『さん』付けしなくてもいいよ。お隣さんなんだし、呼びやすい言い方でどうぞ」
「じゃあ、白里で」
「おーけー、私は三津谷君って呼ぶね」
俺だけ何も変わっていないんだが。
まぁ、いいや。それよりも白里の用件とやらを再度訊く。
「私ね。実は芸能活動しているの……三津谷君は知っているかな?」
「……まぁ、噂で聞いたくらいかな。ちゃんと知ったのは今だけど」
別段驚く話ではなかった。
彼女みたいな顔面偏差値が七十を超え、同性からも憧れるモデルのようなすらっとしたスレンダーな体型の持ち主が芸能活動をしていると言われても『あぁ、やっぱり』と容易に頷ける。
「ちなみに、どういう芸能活動しているんだ?」
「アイドルだよ」
「へ~意外。モデルとかかと思った」
「それはそれで……嬉しいかな」
褒め慣れていないのか、少し嬉しそうに頬を緩める。
「アイドルってことは結構有名なグループとか?」
テレビの音楽番組で観るような大手レコード会社や有名なプロデューサーが手掛けるアイドルグループ。そんな中で輝しくセンターを務めているのが想像出来る……しかし、実際には違った。
「ううん。私の所属するアイドルグループを分類で言えば、所謂地下アイドルっていうの」
地下アイドル。
俺はその響きで白里が出したこの話題の意図を何となく察した。
「三津谷君は……知っているよね?」
「まぁ、少しは」
知っている前提で訊いたということはもう白里は気付いているようだな。
「最近、テレビにも出るようになった【SCARLET】って言うグループが界隈だと凄い注目されてて、そのグループのリーダーを務める三津谷香織ちゃんって子がいるんだけど……それって三津谷君の……」
名前まで出されてしまってはもう誤魔化しようがないな。
白里も明らかに核心を突いて聞いているのが分かる。
「妹」
「やっぱり!苗字が同じだし、双子のお兄さんがいるって言ってたから。ここ最近、ずっと聞こうか悩んでたんだ~」
「まぁ、よくご存知で。もしかして、白里も香織と同じグループなのか?」
「ううん、違うよ」
違うんかい。
「同じアイドル界隈で今、一番売れているグループのセンターでリーダーだし。私も実は結構ファン……だったりして……」
納得。理解した。
「まさか、三津谷君が香織ちゃんのお兄さんだったのは意外だったなぁ」
「よく言われるよ。お前の妹がこんな美少女なわけないとな」
「そうは言ってないよ」
「いや、こっちの話」
双子の兄妹であろうと俺と香織は全く似ていない。
ブサイクではないが平凡的な顔とモデル並みの端正な顔をした美少女の妹。
入学したばかりの頃、友人の二人にこれが妹なんだと、事務所の宣材写真を見せたものの彼らは一向に信じず、『夢は寝て見ろ』『つまんねえ噓だな』と軽くあしらわれた。
故に他の人にも自分に妹がいるとはあまり公言してこなかった。そもそも、香織とは高校が違う。高校進学を境に別々の学校へと各々が通い始めたことから、この学校で香織を知る者が居ない。
だから、中学の頃に比べるとそう尋ねられたことはほぼ皆無であったが……まさか、同じクラスで隣に座っている白里からその言葉を口されるとは思わなかった。
「いいなぁ。私もあんな妹ちゃんが欲しいよ」
「あげるよ」
あんな我儘で、外では猫被っている女。
彼氏にしよう者が現れるなら肩を叩いて激励したくなるわ。『大変だぞ』って。
その事実を伏せて、適当に返すも白里は「やったー」と嬉しそうに言う。
「でも香織ちゃんって凄いよね。私、SCARLETのライブを観て凄く感動しちゃったんだ」
「感動ね……」
同意を求めてきているのだろうが、俺には分からない。
「三津谷君もライブを観たことあるよね?」
家族なんだから一回はあるでしょ。と、さも当然の如く聞いてくるが答えはノー。
「ごめん、ない」
「ないのかぁ~……えぇ!ないの!?」
「ないよ。母さんや父さんは時折、観に行っているけど俺はないかな。あんま興味ないし」
「冷たい残忍なお兄ちゃんだ」
酷い言われようだが認めざるを得ない。
誤解されたまま印象悪くしたくないので、それっぽい言い訳で弁明を図る。
「もしも、会場で身内バレしたら凄い嫌だし」
「え、何で?私ならちょっと嬉しく思うよ」
まぁ、そりゃ白里は顔がいいからそう思われるかもだけど……俺は別だ。
見たら全員落胆するに違いない。
実際、SNSの間でも香織の内情を簡単にまとめるサイトで既に家族構成が記載されている。
過去に一度、俺があげた誕生日プレゼントとかの件で『お兄ちゃんからもらいました』みたいなことを呟いた結果が原因だ。
そこの返信欄にファンの間で俺が美少年化されているのは少し嬉しいと感じた一方で、絶対に香織のライブには赴かないことを心の中で誓った。
「でも、別に行ったところでバレないと思うよ」
「万が一があるかもしれない」
「まぁ、私が知っちゃったんだし。もういいんじゃない?」
「いや、良くないから。頼むから絶対にネットで呟かないでくれ」
「う、うん。了解しました」
呟くような人じゃないのは分かっているが、念の為に釘刺す。
「それにしても勿体無いなぁ。香織ちゃんのライブ本当に凄いんだよ!いつも大勢のファンから人気あって、それに歌もダンスも上手い上に可愛いくて……もう香織ちゃんなしじゃ生きていけないよ~」
身体をモジモジさせながら凄く大袈裟に言っているが全く理解は出来ないが、白里がそう高く評価するくらいアイドルとしての香織が凄いことは何となく分かった。
「私はね、香織ちゃんに憧れているし、目標にもしてる。私もあんな風に注目されたいけど……私達はまだ知名度はそこまで高くないし……ファンも……全然いないし」
「へ~意外。もっと知られてもいいと思うけど」
何を根拠に言ったのか自分でも分からないけど、白里はお世辞でも嬉しそうに笑う。
「本当に?それは嬉しいかも。でもね、私も一応学校ではアイドルやっているってこと隠しているからそのつもりでね」
「じゃあ、お互いに秘密ってことで」
そんな会話をしているとあっという間に駅に着いてしまった。
初めて彼女とまともに会話をしたが意外にも楽しんでいた自分がいる事に否定できない。
もう少し話したくも思ったが、どうやらこの後にレッスンがあるらしい。
渋谷行きの電車に乗るため、駅の改札口で別れる。
「じゃあ、香織ちゃんによろしくね」
「よろしくねって……何を伝えればいいんだ?」
「ん~色々?」
何も考えていなかったことを誤魔化すように言うと彼女は急いで改札口に入っていく。
その後ろ姿を見送った俺は彼女とは別の市内を走る電車乗り場へと向かおうと一歩を踏み出した次の瞬間、突然視界に真っ黒な生地のスーツを纏ったスキンヘッドの大柄な男性にぶつかる。
硬い甲殻の如く鍛え上げられた身体にぶつかるもびくりともしない彼の顔を見上げ、謝罪する。
「すいません……」
チラリと顔を見て、予想通り焦げた肌にサングラスをした何処かのSPにさえ思える風貌の男性。
少しビックリしたものの、関わらないが吉と本能で感じ取ると直ぐ横から抜けようとする。
しかし、新たに来た二人のSPに進路を阻まれ、もの凄く嫌な予感を抱く。
その異様な光景に駅を行き交う周囲の目線が痛い。
俺……なんかしたっけ?
黒いスーツの三人組に囲まれる理由。そんなものは心当たりにない。
何も悪いことはしていない……はず。
「ボスがお呼びです」
低音の渋みがある声を発した一人がそう告げる。
「え、ボス?誰ですか?」
「どうぞ、こちらへ」
「へ?」
意外にも丁寧な対応を取ったスーツの男に導かれる形で俺は彼らの言うボスがいるであろう駅に併設されるカフェテリアへと案内された。
初めまして、作者の小原ワタルです。
地下アイドルについて、詳しい知識はあまり持っていませんので……だいたい偏った見方でお送りするかもしれません。この作品はなろう系ではないと思いますが、独特な設定や世界観、キャラ同士の面白い掛け合いを意識して書いている作品ですので、興味があれば是非とも読み続けて下さい。
~~定期~~
是非、この作品に興味頂いた方は感想、レビュー、ブクマ、評価、いいねをお待ちしております。
それではまたどこかの後書きで。