百九十幕 ルーチェと出遅れ
学校帰り、マンションの自室前でヒカリは廊下で項垂れる銀髪の少女と遭遇した。
その少女は部屋の鍵をつい最近まで暮らしていた家の中に忘れたらしく入れずに困っていた。
そんな少女を横目に気配を薄くして部屋に入ろうとすると……
「なに、サラッと自分だけ中に入ろうとしてるのよ。声くらい掛けなさいよ」
いつの間にか横に付くと文句を添えて一緒に中へと入る。
「だぁ~やっと解放されたぁ……」
疲弊し切ったルーチェはソファの枕に顔を埋めるや否や茶を出せと要求する。
言葉には覇気がないものの、顔はそこまでやつれてはいない。
むしろ、前よりも肌艶が戻り、どこからどう見ても健康的であった。
「幸香さんの所でなにしてたの?」
ここ暫くの間、ルーチェは幸香の家で暮らしていた。
ルーチェの荒い言葉遣いやゲームに依存した生活習慣を直すべく、幸香は家に連行して徹底的な指導を施していた。四六時中、監視の目が張り巡らされた空間で過ごしていたため逃げ出すことは出来ず、愛して止まないゲームに触れられない時間を憂いている一方で、かなり疲労していた様子もヒカリや唯菜の目に度々レッスン前で映った。
「まぁそこまで厳しい指導とかじゃなかったわ。単純にゲームから遠ざけられてただけだし」
「じゃあ、ルーチェ的には結構退屈な時間を過ごしていた……って感じには見えないけど」
疲弊しているのも不思議とゲームが出来ないことによるストレスが溜まってのことではない。
違う要因で疲労感が溜まっていた。
「そうね。幸香さんの家でずっと将棋をしてたわ」
「……将棋?幸香さんと?」
「いえ、お兄さんとよ。あんたは知らないと思うけど幸香さんのお兄さんはプロ将棋士よ。しかも現役最強とも謳われる若きタイトル保持者『竜王』と呼ばれる程のね」
「りゅ、竜王!?」
兄がプロ将棋士……それも『竜王』というパワーワードにヒカリは内心でかなり驚いた。
ヒカリ達が以前聞いた話だと幸香の家庭はかなり裕福で家も広々とした豪邸。
父は資産家で、母は女優、そして今し方知った兄のプロフィールは有名なプロ棋士……とタレント一家であることは間違いない。
「正直に言えば、結構充実した時間だったわ。やることなくて暇な私を相手にお兄さんが将棋の対戦にずっと付き合ってくれてたし。家のお手伝いさん達は優しくて、美味しいおやつを頼めばポンポンお腹いっぱいに食べれて……もう天国な時間だったわ」
「疲れているのは将棋のし過ぎで頭使ったからということね」
「そうね……それに幸香さんが将棋でお兄さんに勝てれば家に帰ってもいいとか言うから死に物狂いでこの一週間ずっと戦い続けてようやく解放されたってわけ」
それは詰まる所……
「プロ将棋士を相手に勝ったってこと!?」
「私の将棋レベルはアマ同然だから流石に飛車落ちで挑まさせてもらったわ。平手じゃかないっこないもの」
「ルーチェは前に将棋してたの?」
「少しだけね。一時、何かのアニメの影響を受けてひたすらネット対戦に明け暮れていた時期があったから。一通りのルールや戦い方は身に付けたつもり」
「それでも凄いよ」
将棋でプロ棋士相手に勝つことをヒカリは到底想像できなかった。
いくらハンデがあるとは言えども、相手は現役タイトル保持者『竜王』の名を冠する有名なプロ棋士の一人。その人の強さが本物であることは誰もがテレビやニュースで見聞きしたことはある。
その人を相手に勝てば家に帰れるという幸香の鬼畜な条件を突破して、こうして家に帰ってきたルーチェが途轍もなく凄い存在に映る。
「やっぱりムダに才能を持て余しているだけなことはある」
「ムダって何よ……それに30回以上やった中での1勝なんて別に大して嬉しくはないわ。勝負するなら私は絶対に勝たなきゃ満足できないから」
枕の隙間から覗かれた瞳には負けず嫌い特有の闘志が目に刻まれていた。
アイドルとは似ても似つかない戦いの世界で生きる者の目。
恐らくルーチェはアイドルという世界よりも頭脳を介した知略と戦略が張り巡らされた盤上の勝負にこそ向いている。有り余るゲームの才もその方面で活かせばかなり上の実力者として有名になれるに違いない。
「よし、負け続けたこの鬱憤をゲームで晴らすわ」
「幸香さんの所にいた意味がないじゃん」
「うるさいわね。私のゲーム依存症がそう簡単に治ると思ったら大間違いよ!」
認めた上で更に開き直るとソファから起き上がってテレビ前の方に移動する。
「ほら、あんたもコントローラー取って。あれやるわよ」
ソファから起き上がって手際よくテレビとゲーム機器の配線を繋げ終えるとルーチェが普段よく行うレースゲームのソフトを起動させ、ソファ横に座ってコントローラーを手に取るよう促される。
「いや、洗濯とか掃除とかあるんだけど」
「後でやって」
我儘姫の要望に従い、ヒカリは仕方なくソファに腰かけてコントローラーを取る。
テレビを直視して間もなく赤・黄・青の順でカウントダウンが始まり、レースがスタートする。
好スタートを決めたルーチェに対して、若干の出遅れで追走する。
暫くお互いに無言のまま集中した状態でプレイしているとルーチェの表情が徐々に険しくなる。
「もう!なんで私にしかアイテム攻撃が集中してくんのよ!」
連続で食らい続けるアイテム攻撃を防御しようともあまりの手数の多さに防ぐ手段は削られ、無謀備な所を他のプレイヤーによって突かれてしまう。
序盤から中盤にかけて、一位で快走していたにもかかわらず、理不尽なアイテム攻撃を前に成す術もなくこのレースは最下位の結果で終わる。
「あ~腹立つぅぅぅ。なんなのコイツら」
「なんかした?」
「なんもしてないわよ!てか、あんたがさらっと二位なのムカつく」
「まぁ、そっちが攻撃受けてくれたから」
前の方にいたルーチェを標的にしていたプレイヤー達の少し後ろでずっと走り続け、ラストスパートで差し切り勝ちを狙っての二位だった。
「身代わりになってくれてありがとう」
「うっさい!次、いくわよ。次!」
怒りを滲ませた声でボタンを押したルーチェは一旦、一息吐く。
「そう言えば、あんた春から告白されたんでしょ」
レースが始まる合間の時間にそう尋ねてくる。
「……なんのこと?」
「惚けても無駄よ本人から確認してないけど、最近妙にあんたのことを気にかけているから何となく分かってる」
「……」
話の途中でレースは始まる。
ルーチェの言葉に不思議と動揺を覚えたヒカリは始まったことに気付かず出遅れた。
「結局のところ、あんたの気持ちは唯菜に向いていて春……小春には向いていない。違う?」
精神攻撃も兼ねてか、ルーチェは会話を続ける。
「告白の返事はした?」
「……うるさい」
しつこいルーチェに怒りを覚えたヒカリは攻撃アイテムを一つ前の順位で走るルーチェに目掛けて放つ。安い挑発に乗ったことを受け、予め用意していた加速アイテムを用いて前に出ると直ぐ横にいた敵プレイヤーに追尾型アイテム攻撃をなすりつける。
「はっ、ざまーないわ。これでも食らってなさい」
更に追い打ちをかけるが如く、自身が所持していた攻撃アイテムを後ろへと放って当てる。
先程のレースで散々自分を痛めつけた相手に対して容赦のない二段攻撃を食らわせ、その間に前の方にルーチェは逃げていき……今度は一位でゴールした。
「ふぅー、なかなかに気持ちいいレースだったわ」
「こっちは全然良くないけどね」
最初に攻撃されたことを根に持たれたのか、ルーチェが攻撃したプレイヤーからとばっちりでヒカリが標的にされた。どうにか最下位は防いだものの着順は後ろから三番目と気持ちの良いレース運びとはいかなかった。
「それで、小春になんて言われて告白されたの?」
「だから、知らないよ」
「あくまでも白を切るつもりね。ま、あんたの口が硬いのは分かってたからこれ以上は聞かないけど」
そう言って、一旦は引き下がったようも見せる。
「いや、だから本当になんのこと?小春から告白受けるって普通に考えておかしくない?」
「おかしくなんてないでしょ。小春はあんたのことが好きなんだから」
再びレースが始まる直前に動揺させようとするも……
「え、だって私……女の子だよ」
ゲーム最中は一度も画面から視線を決して外そうとしないルーチェはその明らかにおかしい言動に対して「……は?」と驚いた様子を見せ、過去最大の出遅れが生じた。