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百八十五幕 変化

 外での一仕事を終えて事務所のスタジオへと赴いたジルは先にストレッチを開始していたヒカリと唯菜達を見つけた。

 仲睦まじく身体を密着し合って入念にストレッチを行っている。ジルの目には一見そう映るも……実際は「ムリムリムリ~ムリだから!」と本気の叫び声で訴えかけるヒカリの声が断末魔の如くスタジオに響いていた。


「本当に毎日ストレッチしてるの?硬すぎるからこれ」


 60度以上も中々開かない足の内側を唯菜は鋭く指摘を入れつつ両足で押して広げさせ、伸ばした両手を半ば強引に自分の方へと引っ張って前屈させようとするもヒカリの身体はなかなか前に倒れない。それどころか、上体を起こそうと必死の抵抗を続けてくる。


「いいから力を抜いてってばぁ~」

「だから、ムリだって。これ以上は本当に限界なんだってぇ!」


 圧倒的に体勢が不利であるにもかかわらず、持ち前の体幹と力のみでギリギリのラインで身体を保つもそろそろ限界を迎え掛けていた。


「三十秒だけでもいいから我慢してよ~」

「我慢出来ないから無理って言ってるんだってぇぇぇ」


 結局のところ、二人はストレッチしているようで全くストレッチになっていなかった。

 五分以上続くこの状態に言葉通り、体力の限界を迎えたヒカリの力は緩む。

 その隙を見逃さなかった唯菜「えい」と力を入れて両足を更に広げさせ、身体を前に引っ張る。

 

 直後、悲鳴の如し断末魔が響き唯菜はゆっくりと三十秒を数える。


 そんな様子を暫し見詰めていたジルは苦笑いを浮かべながらスタジオ内に入る。

 鏡越しでジルに気付いた唯菜は軽く会釈を交わし、1.5秒程の間隔で30を数え切った。


「はい。終わり」

「~~~っっ」


 開放されたヒカリは言葉にならない声でゆっくりと股を閉じ、恨みがましい顔で睨みを利かせる。


「可愛い顔が台無しだよ」

「誰の所為だと思ってる」

「これも全部、ヒカリの為だよ。身体が硬いとダンスのキレはいつまでたっても良くならないから」


 ダンスに関してはヒカリよりも圧倒的なレベルの差を誇る唯菜のド正論には言い返す言葉もなく受け入れる他なかった。

 一息を入れつつ、顔を挙げたヒカリはそこでジルの存在に気付く。


「あれ、ジル社長いつからそこに?」

「今し方だよ。それより、まだ二人だけかい?」


 広いスタジオ内には二人を除いて他のメンバーの姿がまだない。

 その理由を唯菜は説明する。


「春ちゃんは電車が遅延している影響で遅れてくるみたいで、幸香さんとルーチェちゃんは更衣室にいます」


 実質、来ていないのは春だけ。

 そう判断したジルは唯菜に「春ちゃんが来たら後で教えて欲しい」と声を掛け「それと暫し、彼女を借りるよ」と付け加えて、ヒカリと共に五階の自室へと上がった。


 部屋の灯りを付け、ソファにスーツの上着を置く。

 台所からカップを二つ取り出し、茶紛をまぶしたカップ内に保温性の高いポッドでお湯を入れ、温かい緑茶をヒカリへと提供する。


「二人でイチャイチャしてる所を邪魔してすまないね」

「あれのどこがイチャイチャに見えるんですか?」


 人が涙目を浮かべながら「ヤメテ!」と叫びながらストレッチしている光景をイチャイチャしてたと表現されることにヒカリは苦言を呈する。


「僕の目には少なからず嫌がっているようには見えなかったよ」

「どう見ても嫌がってましたよね?」

「そういう意味で言ったつもりではないけど……まぁ、この話はいいか。それよりも、無事に三津谷明里として編入できたかい?」


 何かしらの不満を帯びた目を向けることをジルは予想していたが、ヒカリは落ち着いた様子のまま目つきを変えずに答える。


「ジル社長が事前に西森先生へ話を通してくれたお陰でなんとか無事に乗り切れそうです」

「感謝は多分、僕があの人にするべきかな。こんな面倒な事を受け入れてくれる西森先生には頭が上がらないよ」

 

 陽一が抱えていた出席と成績という問題の解決に差し当たって、ジルが取った解決方法は主にヒカリを三津谷明里として学校に登校させ、三津谷陽一に代わって出席して授業に受けてもらうことでなんとか陽一が学校に通っていると認めさせることにあった。


 そのため、表向きには三津谷明里を転校生として通わせ、実質その学校での授業を通した成績評価は最終的に全て三津谷陽一の成績へと加算される……といった無茶な要求をかつての恩師であり、今は陽一と唯菜に担任である西森に願い出た。

 

「ちなみに、西森先生は何か言ってかい?」

「お前も災難だな……と、同情されました。それと上手くどうにか誤魔化しておくと言われました。あと、飯奢れと」

「先生らしい回答だね。僕の方からも後日、ちゃんとした場を設けて感謝を伝える所存さ。まぁ、だから君の学業に関する不安はどうにかこれで払拭できそうだよ」

「色々と取り計らって頂きありがとうございます」」

「当然のことさ。君の姿が元に戻れないのもこちらに責があるのだし」


 ジルがヒカリをここに呼び出したのは今の確認とあともう一つ。

 

「やはり、依然と反応はないまま……のようだね」

「そうですね」

「その姿のままになって変わったこととかはあるかな?」


 以前の様な中身の入れ替わり現象は起きていない。

 ただ『三津谷陽一たる本来の自分に戻れなくなった』という異変以外に何か生じていないか。

 その辺りを質問意図に含ませてジルは尋ねた。


「最近、妙な夢……を見るようにはなりました」

「夢?」

「はい。起きる度に夢の内容が薄れて消えていくので表現は出来ませんが……なんか同じ夢を繰り返し見てることだけは何となく覚えています」


 流石にその情報だけではジルもそれが陽一の身に起きた異変と何か関係があるのかについて判断するのは難しい。


「他に何か身体での直接的な異変とかはないかい?」


(まぁ、あったら困るけど……)


「身体面ですと……なんか前よりも肩が凝ったりとか、足が浮腫んだりします」

「……え?」


 その報告を聞いた途端、ジルはある可能性を頭の中で思い浮かべ……まさかの展開を予想してしまった。

 

「以前はそんな風に感じなかったんだよね?」

「はい……」


 それもその筈。

 陽一がヒカリの姿になっている現象は女体化ではなく変身に近い。三津谷明里という架空に近しい少女の存在たる情報をコピーして外見に張り付けただけだ。


 むしろ、腕輪はその影響が陽一の身体に決して及ぼさないように機能を制限されていた。女性と化した際と元の姿での差異を最小限に抑えるべく、出来る限りの負荷を与えない設定が施されている。 


 故に、変身際に身体の直接的な影響が前面に現れることは絶対に有り得ない。

 出てしまえばその腕輪は文字通り……TSリングとしての機能を持ってしまう。

 この腕輪はあくまでも一時的に陽一を女の子とさせることを目的に置いているのであって、決して性別そのものをトランスさせることは目的とされていない。

 

 そして、今し方聞いた報告から判断するに……女体化の兆候は紛れもなく出ていることは明らか。

 その状況を客観的に踏まえた上でジルは冷静に告げる。


「陽一君、落ち着いて聞いて欲しい。今の言葉を聞いて僕は恐らくだけど……君の姿が戻らなくなった原因がわかった」

 

 どう説明すべきか。

 前置きしたタイミングで言葉を少し考え、ゆっくりと先ずは結論を切り出す。


「君の身体は今、女体化を迎えている」

「……でしょうね」


 驚くこともなければ落胆することもなく……意外にも簡単に理解を示した。


「自分の身体ですから、その辺りの違和感は何となく分かります」

「ならそれを早く言って欲しかったよ」


 だが、早い段階で気付けたのは不幸中の幸いだった。

 このまま腕輪の効力が浸透し、身体だけではなく心までも女の子となってしまっては再び入れ替わり現象に似た何かが起こり得る可能性もある。

 そうなれば、今度こそ手遅れに近い状況に陽一は追いやられ……二度と元の自分には戻れなくなる危険性もあった。


 ジルにとって一番困るのは自分が手を出してもどうにもならない状況まで進んでしまうこと。

 手が出せる範囲内であれば解決方法はいくらでも取り得る。

 しかし……


「先日、調べてみてもその辺りの機能は正常に作動していた。だから、そういった影響が身体には出ない筈なのだが……正直、僕もよく分からなくなってしまったよ」


 完全にお手上げ状態。

 考えた所で解決方法は思いつかない。

 勿論、今直ぐにでもこの強制的なTS状態を解決する方法は一つある。

 だが先日、陽一にも伝えたように……その手段だけは決して取りたくはなかった。


 かといって、このまま経過観察に徹する訳にもいかない。

 外見的な変化はともかく、女体化に伴う内面的な変化や身体構造の変化による影響が陽一の生活に大きく支障をきたす可能性も十分に考慮出来る。その上、このまま時間が経てば経つほど元の姿に戻れる保障もしかねる。


 早急な対策を何か打つ必要がある……そう結論に至ったジルはふとカレンダーの方に目を遣り、頭の片隅に置かれていたある事を思い出す。


「いや、どうにかなるかもしれない」

「……本当ですか?」

「必ずとは言えないが……来週から父さんがこっちに来るんだ。だから、専門家に診てもらえば少しは一安心かな、と」

 

 年に一度、父は仕事の都合が空き次第訪日し、暫くは休暇として日本に滞在する。

 北海道にある母の墓に訪れたり、普段は会えない家族との時間を過ごすべくやってくる。ちょうど、先週辺りにその予定で日本に行くことを伝えきいたジルはタイミング的にも幸運だと判断した。


「これに関しては腕輪の開発者である父さんが直接みてもらわないと分からないことの方が多い。それでも、時間は要すると思うから暫くはその姿のまま三津谷明里として過ごして欲しい」

「はい……」

「それと何か他に悩み事とかはないかい?僕はてっきり制服のスカートに対する文句を言ってくると覚悟していたけどね」


 今更になって掘り返すその話題にヒカリは「文句はありますけど、別にもういいです」と投げやりに切る。


「嫌であればズボンも用意してはいたけど必要ないみたいだね」

「ズボンは学校だと反って浮きますから」

「それに唯菜ちゃんも反対するだろうね。なんだったら衣装もスカートに変更しても構わないよ」

「断固として拒否します」


 予想通りの回答に反ってジルは内心で安堵する。


「それで転校初日はどうだったんだい?唯菜ちゃんと上手くやれていたのは先程の様子をみていれば分かるけど、君の感想も聞きたいな」

「それならご想像にお任せします」


 茶を飲んで一息入れたヒカリは毅然とした態度で話を打ち切る。

 頑なに学校でのことは語ってくれなさそうな雰囲気を感じ取ったジルは諦めて話題を変える。


「それにしても、君は本当に上手くやっているね。妹の香織ちゃんには正体がバレたと言えど、唯菜ちゃんや春ちゃんはどちらもの君も受け入れている。特に唯菜ちゃんとはかなり好意的に接しているにもかかわらず、一切君の正体に勘付いていない」

「それは単に唯菜が鈍いだけかもしれませんよ」

「それもそうかもしれないが、前も言ったように僕は君の姿を上手く演じ分ける能力の高さにはとても評価している」


 告白した女の子の前に突如として彼女の好む容姿と三ツ谷ヒカリという存在で学校に転校し、隣の席で学業を共にして、日常生活を共有する。

 陽一自身、学校での唯菜との距離感と三ツ谷ヒカリに変身して唯菜と過ごす距離感は全くもって違う。心の距離から身体的に触れ合う距離間まで男と女ではまるで違う。


 そこの分別を性別の違いから適切に測り、三津谷陽一としての自分、三ツ谷ヒカリとしての自分と個々のキャラを演じ分ける能力は非常に高い。それも正反対の性格を有したキャラを演じるのではなく、どちらにも共通する部分を主軸として自然体を装って過ごしている。


 だから、変に取り繕っていると感じない。

 逐一、言動に気を遣って三ツ谷ヒカリを演出するよりも素の自分を適度に出すことで気を楽にしている。


「今後もそのままでいてもらえると助かるよ。あと、身体に引っ張られて心までも外見の様にはならないで欲しい。ま、仮に成ったとしても本来の自分を見失わないように気を付けてくれ」


 外見は可憐な少女であっても目の前で会話をすれば中の人間が紛れもなく三津谷陽一であることは間違いない。陽一に至ってはその辺りの心配事は薄い……が、念には念を入れて伝えておく。

 そして、そのタイミングで唯菜から他の三人がスタジオに揃った知らせがジルの端末に届く。

 

「では、話はここまでにしてスタジオの方に戻ろうか。先日、既に話した方針を皆に伝えないといけないからね」


 立ち上がったジルは照明を落とし、タブレット端末を片手に玄関へ続く廊下へと進む。


 薄暗がり中、少し遅れてヒカリもまた後に続き、廊下の壁に敷き詰められた長方形の鏡の前でふと足を止めた。鏡に映った姿を軽く見詰め……


「もう手遅れなんだけどね」


 と薄く笑みを浮かべ、鏡の前を後にした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] まさか、ヒカリの人格に乗っ取られつつあるのか  続きが気になりすぎます…
[一言] 陽一くん、ちょっと堕ちてきてる……? それはそうとヒカリちゃんと唯菜ちゃんの絡み最高に尊いですありがとうございます
[良い点] 鏡を見てる時の顔、最高に好き……(妄想)
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