百八十三幕 紹介
四限が終わり、お昼の時間になったタイミングで私は席を横に移動させた。
「お隣、いいよね?ヒカリ」
「明里だって。それと構わないけど、わざわざ机を移動してまでくっつけなくてもいいと思う」
勿論、その通りではある。
席を移動させずとも明里の机に椅子だけ移動してお昼を取ればいい。
けれども、それだと……
「なんか明里、逃げそうだな~って思って」
「逃げる?」
なんで?と言わんばかりに首を傾げる。
「だって、明里ってば人目につくの嫌がるから私とお昼食べてくれないかな……って思って」
普段は誰も絶対に一番後ろの窓際の席になんて目も暮れない。
向けるとすれば私や彼の仲の良い友人である新城君や中原君くらい。
なのに、今はクラス内のありとあらゆる場所から視線を向けられ、少々居心地の悪さを私でも覚えている。だから私は……意外にも人見知りする明里が逃げるように教室を出て、コッソリ独りで昼食を取る……光景を想像してなんとか留めようと先手必勝で試みた。
「別に逃げたりはしないって。それにここが私の席なんでしょ?」
「う、うん。そうだね」
「なら、ここで食べるよ。移動は面倒だし」
明里は思っていた以上に視線を気にしてはいないようだった。
それどころか、以前からこの場に馴染んでいるかのように自然と鞄からお弁当箱を出しては机の上で広げていた。
「……弁当、あるんだ」
一人暮らしのヒカリという印象から料理というイメージは全くと言って結びつかない。
それどころか、会ったばかりの頃は洗濯や掃除もまともに出来ないくらい家事でのポンコツっぷりを発揮していた。最近では人を部屋にあげることが多くなったのか、こまめに掃除しているようだけど……依然として料理は出来ないままだと思っていた。
果たして本当に出来るようになったのかと……半信半疑で料理箱の中身を拝見する。
すると、色鮮やかな採食弁当の光景が待ち受けていた。
「明里、それ自分で作ったの?」
「いや、違うけど」
うん。そうだよね。
明里がこんな風に栄養価のバランスを考えた弁当を作れる訳がないと『うんうん』と頷く。
だとすれば、一体誰がこの弁当を作ったのか?
それは恐らく……
「それ、香織ちゃんの手製弁当?」
「そうだけど」
「なっ……!?」
SCARLET最推しの香織ちゃんが一から真心を込めて丁寧に作ったお弁当。
中身はかなりシンプルなのに……見るだけで喉から手が出るほど、食べてみたくなる。
はっきり言って羨ましい。
「涎、垂れかけているけど……」
その指摘でハッと意識を戻す。
思わぬプレミアム弁当を前につい理性を失いかけた。
「ねぇ、明里」
「やだ」
「まだ。何も言ってない」
「弁当ならあげない」
「え、いいじゃん。ちょっとくらい!」
不思議とけちん坊なことを言い出しては頑なに拒み続ける。
「唯菜のちょっとはちょっとじゃないからな~」
それには言葉が詰まる。
確かに、私は時折、ヒカリが食べているものを味見したくてもらったりしている。けれども、あまりの美味しさ故に一口だけではなく、二口、三口といったりしてしまうことがある。
その度にヒカリは怪訝そうな顔で何だかんだ言いながらも少しくれる。
「お願い。今回は一口だけでいいから!あ、なんなら私の弁当と交換でもいいよ」
「……それ、唯菜が作ったやつ?」
「ううん。お母さんが朝に作ってくれた」
「……なら、いやだ」
おや、おやおや……それってつまり……
「明里は私の作った弁当なら食べたいってことかな?」
「……そこまで言ってない」
相変わらず横顔を向けたまま正面を向いてはくれない。
けれども、こうして図星なことを言い当てられるとヒカリはムキになって少し顔を背ける。
カワイイ奴め。
「仕方ないな~。なら、明里の為に明日は私が直々にお弁当を作ってあげようじゃないか」
「別に要らないし」
「照れないでいいって。本当は食べたいんでしょ~」
「……」
めんどくさそうに明里は無視して弁当に手をつける。
ムスッとした表情でパクパクと勢いよく惣菜やご飯を口に運ぶ。
そうすれば私に多少なりとも精神的にやり返せると思っているのだろう。
まぁ、少しダメージはある。
貴重なお弁当をもっとゆっくり味わいながら食べなよ……と心の中で思ったりはしている。
けれども、今は明里が私の手製お弁当を望んでいると知れただけでもかなり嬉しかった。
「お~凄いデレデレしてる」
いつの間にか横に立ってスマホカメラを構えていた名雪が私のにやけ具合を写真に収めてはクスクスと笑う。
「なんだか、お邪魔だったかな?」
「ううん、そんなことないよ。二人にも紹介しようって思ってたとこ」
「はい、嘘。私達なんて完全に蚊帳の外って顔してたし」
「う……ごめん」
「まぁ、同じアイドルグループの子が突然、転校してきたことにはしゃぐ気持ちも分からなくはないけど」
「あれ、名雪なんで知ってるの?」
「知ってるも何もあんたがいつも私達に話してた子でしょ。三津谷さんって」
そう言えば、そうだった。
二人や三津谷君にはいつも推し語りを聞かせているから知っていても当然だ。
「じゃあ、話しは早いね。ここに居るのが私と同じポーチカのメンバー、三ツ谷ヒカリ!」
大々的に二人に向けて紹介すると賑やかで騒がしかった教室内が一瞬でしんと静まり返り、先程から気になっていた明里の素性を知ろうとクラス一同が聞き入っていた。
「あれ……」
二人だけに紹介するつもりが皆へと紹介した……みたいな絶妙な雰囲気になっている状況に私はどう次の舵を切ろうか迷う。
その間に昼食を取っていた明里は手を止め、溜息交じりにゆっくりと立ち上がって窓際の席から再び挨拶を告げる。
「唯菜のご紹介通り、ポーチカでは三ツ谷ヒカリと名乗っていますが、本名は三津谷明里ですので。皆さんも是非、本名の方で呼んで下さい」
そう付け足すかのように穏やかな口調でそう告げる。
清らかな雰囲気を醸し出す明里にクラスの男子連中は高々にガッツポーズを掲げ「クラスに咲く新たな一凛の華だぁ!」などと訳の分からない表現で歓喜する。一方で、女子の方は「よろしくー」と遠くから声を掛けたり、会釈をして多少のコンタクトをとる。
「へー、なんか見た目通り気品がありそうだね」
「うん。とっても可愛いし、なんだかお淑やかって感じする」
「え、どこが?」
「……」
普段の明里……ではなく、ヒカリを知っている私からすれば気品やお淑やかなんて言葉とは最も縁遠いと性格だと思う。ヒカリは見た目から醸し出される清らかな印象とは違って、かなりズボラで大雑把で面倒くさがり屋な性格。
外見は凛としてしっかりしてそうなのに……色々と抜けている所が多く、段々と知っていくにつれて最初の頃に抱いていた印象とは全く別の人物像が私の中で定着した。
だから、二人の『気品』や『お淑やか』なんて本人に不釣り合いな言葉に疑問を抱いたのだろう。
正直な所『だらしないところもある……けど、意外にもしっかりしている』が私の中でヒカリを表すとこんな感じのイメージである。
なんか誰かさんと似た印象を想起させるけど、そんな性格を含めて私は彼女がとても好きだ。完璧じゃないってとこが好印象。むしろ、もっと抜けててもいいと思っている。
だって、その方が近くに感じられるからね。
「どうしたの、何度も頷いて」
「いいや、何でもない。それより二人を紹介しないとだよね。こっちが……」
「私、小白名雪」
「日岡夏美です。明里ちゃんとお呼びしても構いませんか?」
「じゃあ、私は明里で」
「夏美ちゃんはともかく、名雪は馴れ馴れしいよ!」
「えぇー別にいいじゃん。仲良くしちゃダメな理由あんの?」
「それは……別にないけど」
「誰もアンタの推しなんて取ったりはしないから。せめて、学校だけでも友人でいるくらいいいでしょ?」
「まぁ、それくらいなら」
「なんで唯菜に仲良くするかどうかの裁量が委ねられてるのかは分からないけど、小白さんも日岡さんもよろしく」
改まって明里は畏まって二人とそう簡単に挨拶を交わす。
「なんだか、雰囲気が三津谷に似てるね。まぁ、どっちも三津谷なんだけど男の方に」
「言われてみれば確かに……明里ちゃん、凄く大人しいから」
二人の指摘に私は「そう?ただ緊張してるだけじゃない?」と疑った。
ヒカリと三津谷君が似てると思ったことは一度もない。
けれど、言われてみれば二人の雰囲気は日常風景に重ねると既視感があると言えなくもない。
「今日は転校してきて初日な訳だし。堅いのも仕方ないでしょ」
「うん。少しずつでいいので慣れて下さいね。明里ちゃん」
二人の温かい言葉に明里は「ありがとう」と笑ってみせる。
それは太陽の様に温かく素直な感情を真っ直ぐに向ける普段のヒカリと同じ。
そんな彼女を見ていると私は明里がこの空間に馴染むのもそう長くはない気がした。