百八十幕 序章⑬
その日の午後、俺はジル社長に腕輪の状態を確認してもらった。
「見た感じ、異常はないかな」
腕輪開発者の父から借りている簡易用検査機器を通しても大きな不具合や異変はないと判断されるも……
「当然、納得はできないよね」
「はい。異常がないなら戻れない理由が一体何か分からない訳ですし」
元に戻れない。
詰まり、腕輪の中に搭載されているこの複雑な機能そのものに異常があることを意味する。
「済まないが、僕にはどうしようもできない。君の身体を今すぐにでも戻す方法を知っているとしたら父さんにほかならないからね」
「じゃあ、暫くはこのままだと?」
「そうなるね。今回は入れ替わりではなく元の姿に戻れないという点ではまだ不幸中の幸いと言うべきなのだろうけど……君の姿を元に戻す術が分からない以上は暫くその姿での生活を強いられるね」
「本当にどうにか出来ないんですか?」
正直に言ってかなり困っている。
今は夏休みのような長期休暇期間ではない。
明日から週末明けの授業が当然の如く始まる。
しかし、陽一の姿に戻れないようでは登校するのは無理だ。
夏休み明けと同様に再び欠席し、特別補習を受けざるを得なくなってしまうが……その手はもう二度も使うことは出来ないことを以前、担任の西森先生から言い渡されてしまった。
その上、これ以上の欠席はかなり成績や進級にも響きかねない。
故に、どうにかしてでも元の姿に戻らなくてはならないが……
「すまないが、これに関しても僕にはどうにもできない。何度も検査してみても、その腕輪は正常に機能していると判断されるからね」
「え、でも……」
「戻れないということは任意での変身解除機能が誤作動をきたしている。ということなのだろうが……それも正常に働いていると測定結果が表示される」
……つまり?
「今の姿こそが腕輪は君、本来の姿だと認識している……ということなのだろう」
「いや、完全に誤りでは?」
バリバリ異常な感知の仕方をしている。
俺は三津谷陽一、16歳。
産まれてから今に至るまで男としての生を受け、男として生きてきた。
それは間違いなく記憶が証明している。
「勿論、その通りなのだが……どうしてそう認知したのかは腕輪に聞いてみないと分からない」
「聞けるんですか?」
「無理だね」
少しだけ期待を馳せた俺が馬鹿だった。
腕輪に意志があればこうして悩んだりはしない。
「でも、君の姿を元に戻す手段は一つだけあるにはある」
「なら、それを……」
「その手段を取ったら最期……君はもう二度と腕輪を使えない。三ツ谷ヒカリにもなれない」
「……!」
「僕が言うのもあれだけど、流石にこの手段は出来れば取りたくはない。勢いに乗りつつある今の現状は君が居ないと先には進めないからね」
ジル社長の言う、最期の手段を取れば……実質的に三ツ谷ヒカリはアイドル引退へと確実に追い込まれる。その選択肢だけは俺も出来れば避けたい所ではあった。
「本当にすまない。原因究明は父さんにこのデータを送って急ぎ進めるので暫くはその姿のままで過ごして欲しい」
「そうしたいのは山々なんですが……何分、平時は学校もありますし」
「学校かい?……それは何とかなるかもしれない」
「何とかなるんですか?」
ジル社長の権限を使って欠席回数をどうにかしてくれるとか?
最悪の場合はこの事態を学校側に明かし、どうにか出席してもらえるように取り図ってくれるというのがジル社長の考えだと何となく予想した。
「そちらは今日中に学校側と協議しておくから安心して欲しい。確か、君のクラスの担任は西森先生だよね?」
「はい。ご存知なんですか?」
「あぁ、あの人は僕が高校生の頃の担任さ。君達の高校に転勤したのはつい最近になって知ったよ」
「そんな偶然あるんですね」
「ははっ、僕も驚いたさ。でも、君達の担任が西森先生で良かった。あの人は僕の家の事情とかも少し知っているから都合がつきやすい。だから、学校の対応は任せて欲しい」
それを聞いて一安心した。
陽一の欠席という大きな問題を解決できそうなことにホッと胸をなで下ろす。
「ま、折角来てくれたんだし……君には今後の話をしておこうかな」
執務用のデスクから一台のタブレット端末を手にし、再びソファに向かい会って座る。
「これを見てほしい」
端末の画面に映し出されたのは11月から12月末にかけてのスケジュール表。
年間を通してのスケジュールではなく、三ヶ月おきのスケジュールでジル社長は予定表をいつも作成している。しかし、10~12月までのスケジュールは今月にもらったばかりであるが……
「新しいスケジュール表ですか?」
「KIFでの結果を受けてね。少々予定を変更した」
その中身を拝見すると……11月から12月にかけては土日の定期公演を中心としたいつも通りの予定が組まれ、特に変わったようには見えない。一方で12月から年末までは一部で大きく変更があった。
「クリスマスライブ……」
「おや、何か予定があるのかな?」
ニマニマと尋ねてくる様子に俺は無視して答える。
「ありませんよ。それにこのままだとクリスマスまで俺は元に戻れないかもしれないので……あの告白の返事も暫くは直に聞くこともないでしょうし」
「僕としては仮に成立したとしても、こっちを優先させてもらうけどね」
「……分かってますよ。それくらい」
成立するかも危ういがな。
どの道、色んな意味でのあの返答はかなり先延ばしになる可能性は高い。
最悪の場合は忘れた頃に戻って有耶無耶にされたまま終わりそうな気がする。
どの道、今年のクリスマスは去年と違った意味で過ごせることに複雑な心境になる。
「そもそも、なんでクリスマスなんかにライブを?」
「クリスマスだからこそだよ」
「ルーチェが聞いたら後で色々と罵声が飛んできますよ」
『なんで国民的休日のクリスマスに仕事を入れるの?馬鹿なの?アホなの?』とか言いそう。
現にこれは俺の心の中の本音にも等しい。
一部から挙がる不満の声を予測していたジル社長は正直に打ち明ける。
「その日にかなり良さげなライブ会場が取れたことが大きいかな」
「いつもの定期公演で使うような所ではななく?」
「そうさ。収容規模は普段の10倍以上さ」
「10倍!?」
普段の定期公演の収容人数はおよそ200人。
10倍となると約2000人。
果たしてポーチカに2000人を超えるファンが本当に存在するのだろうかと疑ってしまう。
しかし、ヒカリとして入った初めの頃に比べるとファンの数は日に日に多くなり、ここ数か月で数字的には大きな成長をポーチカは迎えている。
最近では定期公演のチケットが中々取れないとファンの間では話題となり、ジル社長も近々規模を拡張した定期公演を行うことを想定していた。故に、このスケジュール変更は良い意味での変更だと言えるのだろう。
「ちなみに、どこで行う予定なんですか?」
スケジュール表には12月24日に『クリスマスライブ』としか記載はない。
多くの人達が誰かと一緒に有意義な時間を過ごす時にクリスマスライブなんて果たして観に来てくれるのだろうかとこれもまた疑わしい。
「場所は日比谷公園の野外大音楽堂。通称、日比谷野音」
その会場名には少し聞き覚えがあった。
「君は知っているんじゃないかな?」
「……確か去年、SCARLETがライブしていました。しかも、ちょうどこの時期に」
何となく覚えている。
去年の12月にSCARLETでライブが予定されており、香織から『来ないの?』と尋ねられても『行かない』と突っぱねて反感を買った記憶がある。
その後、場所の響きが少し気になってどんな会場か調べたことも。
「なら、話は早いね。今度は君達がそこでやる番さ」
「どうしてここに?」
「正直に打ち明けるのであれば……そこしか取れなかった。というのが一番かな」
「……」
「それに今の君達ならギリギリ埋められないことはないキャパだ。ポーチカを試す良い機会というのもあって選ばせてもらったよ」
「12月の真冬でしかも夜の野外ですよ。絶対に寒いじゃないですか」
はっきり言って会場の聞こえは良いが、環境や日程、時間の条件はあまり良くない気がする。
「そこはまぁ……少し目を瞑ってもらえると助かるよ」
ジル社長もそれは承知した上で決めた。
無鉄砲に会場を選ぶような人でないことは知っている。
だから、今回も何か作戦を用意しているのだろう……多分!
「詳しいスケジュールは追々伝えるとして……今日はこんな感じかな」
何か質問があるかと尋ねられるもスケジュールに関して言えば特にない。
他のことであれば色々と質問したいこともあるが、今は止めておく。
この現象も暫くのうちは経過観察で様子を見るしかない。
「じゃあ、俺はここで失礼します」
「わざわざ来てもらったのに何もしてあげられなくてすまない」
「いえ、学校の件だけでも相談に乗ってもらえたので助かります」
「お安い御用さ」
立ち上がって礼を述べた俺は手荷物を持って仕事部屋を後にしようとする。
「あ、一つ言い忘れていた。後で荷物を君の自宅に送るので受け取って欲しい」
「荷物?……分かりました」
何の荷物かは追及しなかった。
特に疑問を抱くこともなく、自宅に直帰した俺は後に後悔した。
ジル社長から送られてきた荷物の中身とメールを拝見し……『あのクソイケメン野郎があぁぁぁぁぁ!!!』と発狂した。