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百七十九幕 序章⑫

 気付けば落ちていた。


 ゆっくりゆったりと沈んでいる。

 周囲には掴むものは何もなければ見えるものも何もない。


 そこに何かあるとすれば……それは暗闇。

 実態を帯びていない靄の様な黒い何か。


 それを把握することはおろか触れることさえ感じない。

 ただの虚無。 


 そこに俺は吸い込まれているような気がした。


 けれども、不思議と恐怖や違和感はない。

 それどころか、俺は何も感じてすらいない。

 その上、思考はぼんやりとしたまま定まっていない。

 

 ただ俺は水面に浮かぶ誰かの遠ざかる背中を見詰めたまま……深い暗がりの底に落ちていく。

 

「ぷはぁ!」


 布団から飛び起きると同時に胸一杯に空気を吸いこむ。

 寝ている間、無意識に呼吸を止めてしまっていたのかは分からない。しかし、生命の危機を感じた身体は強制的に無意識の世界から意識を覚醒させ、呼吸を行う。


「はぁはぁ……何だったんだ、あの夢は……」


 起きる直前まで見ていたあの夢は一体……


「いや、夢だったのかあれは?」


 意識が正常に覚醒するにつれ、夢の中の内容が朧気になる。

 果たしてそれが本当に夢なのかどうかも分からない。


「……ま、いっか。今ので目が覚めたし、久し振りに早起きでも……ってあれ、この声」


 高ピッチな地声に違和感を覚え、ベッドの横に置いてあるスマホで顔を覗く。

 すると、やはりヒカリの顔がそこには映った。

 

「あ~また寝ながら変身しちゃったのか。最近はこの癖も抜けてきた筈なんだが……まぁ、たまに変な夢見たりすると腕輪が勝手に反応してこうなることもあるし、気を付けないと……ってあれ?」


 独り言をぶつくさ呟きながら腕輪に意志を介して元の姿に戻ろうとするも反応はない。

 

「え?なんで?」


 何度もいつもの手順で試みるも全て失敗に終わる。

 ヒカリの身体は一向に変わらないどころか……戻る気配すらない。


「もしかして、また故障か?」


 前回みたいに別の世界線?……的な場所に意識が飛ばされた……様子でもない。


 その証拠に、ここは間違いなく俺の使っている部屋であり、昨日の晩に手を付けた物が変わらないまま置いてあるのも記憶通り。

 間違い探しで一つだけ間違いがあるとすれば、この状態を除き考えられない。


「どうなってんだ、これ」


 反応がない以上……腕輪の機器が故障しているのは明らかだ。

 その問題に対処する知識を持ち合わせていない俺に解決方法はない。

 故に、考えても仕方がないことだと諦め、俺はジル社長にこの案件についてメールで尋ねておく。


「ま、まだ朝だし。返信は来ないだろうからもう一眠りでもしようかね…………いや、起きよ」


 大きな欠伸を浮かべて再び床に就こうとするも……寝ることに恐怖を覚え、ベッドから忌らうように起き上がり、小腹を満たすべくリビングへと降りた。

 既に俺よりも早起きをした香織が私服着の姿でテーブルの上に置いたバッグの中を整理している最中でふとこちらに目を配る。


「おはよ……って、また夢変(むへん)?」

「なんだよ夢変って」

「寝ながら変身してるから、夢変」

「なんか嫌だなその略称」

「なんだっていいじゃん別に。それより、何時までその格好でいるつもり?」

「あ~それが戻らなくなって……」


 「なんで?」と言わんばかりの顔で手を止める。


「原因は俺にもよく分からないが、暫くはヒカリのままで過ごさないといけない」

「あっそ。まぁ、早く問題解決するといいね」

 

 他人事ではあるというものの、あまりにも関心がなさ過ぎる。

 というか……なんか今日はいつもより態度が冷たい。


「なんか、怒ってる?」

「別に怒ってないけど……むしゃくしゃはしてる」

「それを怒っているって言うんだろ」

「はぁ~朝っぱらから私だってこんなにイライラしたくないし。今日のDAY3に控えて早く帰りたかったのに誰かさんの所為で夜遅くまで付き合わされる羽目になって疲れが取れないし!」


 それに関しては弁明しようの余地もない。

 甘んじて文句を受け入れよう。


「てか、やっぱり唯菜ちゃんの事が好きだったんだ」

「……さぁどうかな」

「今更清々しい顔で濁しても無駄だから。マジの本音がポロっと出てたから」


 ごもっともで。


「あぁもう、こんな風に話してる暇ないんだった~。じゃあ、行ってくるね。お兄ぃ」


 リビングの時計を確認し、急ぎ荷物を詰めた香織は早足で家を出て行く。

 昨日に引き続き、今日も登壇がある売れっ子アイドルグループのSCARLETさんはとても忙しい。まだ日曜日の朝の六時だと言うにもかかわらず、慌ただしく電車の時間に間に合うよう準備する姿に尊敬と畏怖を感じざるを得ない。


「……なんか暇だな。寝たくないし、朝っぱらからゲームでもしますかね」


 テーブルに用意されていた四カット入りのバームクーヘンを手にして自室へと戻る。

 ピッと鳴り響くゲーム機器を起動させ、オンラインゲームの朝活を始める。

 すると、その直後……七時間前からずっとオンラインになっているルーチェのアカウントからフレンド登録機能を介してボイスチャットの案内が届く……ことはない。


 たまに取れる日曜日休暇の日であればよくある光景の一つ。

 日曜日が休みであることを受け、寝ずにオールでゲームしているのは割と普通。

 その姿を想像し、連携の取りたいFPSのゲームを一緒にやろうと期待をしていたものの……そう言えば、現在ルーチェは幸香さんの家に軟禁されていたのであった。


 故に暫くは幸香さんと暮らすということでゲームには触れられない。

 ルーチェにとっては過酷であり地獄な時間ではあろうが、彼女が真っ当な美少女に生まれ変わる絶好の機会……色々と考えを悔い改めてあの尖った性格が少しでも和らいで欲しい。


 あれ、そう言えば俺も昨日あれだけ唯菜にうっかり告白したことを悔いていたのに……今はそれをあまり感じずにいる。


 俺の場合、たいていの悩み事は寝ればそこまで悩みではなくなっていることが多い。

 それに今はなんだか頭が軽くて、色々と気が楽であった。

 昨日までの不安や後悔は自然と薄れている。


「ま、いっか。取り敢えず、久し振りにランク上げでもすっかね」


 そう短絡的な思考で俺は早朝からゲームに勤しんだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] うぅ〜お約束ぅ!
[一言] 戻れなくなってるーー!! 陽一くん不在の状態がどれくらい続くのでしょうか……告白っぽいこともしてるし……
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