百七十八幕 エピローグ/ドンデンガエシ⑨
「ねぇ、いいの?」
一足先に中に戻った小春とルーチェ。
やや外の方を気にしながらルーチェは小春に言いにくい表情で尋ねる。
「だから、その……アイツまだ外にいるよ」
ルーチェは『話さなくていいの?』と暗に聞いている。
そんな気遣いに察した小春は笑顔で答える。
「うん。今はいいの。陽一君にはちゃんと伝えたから」
「そうなの?」
「みんなが集まる前にね」
「なーんだ。気を遣って損したぁ~」
「……ごめんね。ルーちゃん、色々と迷惑をかけちゃって」
小春の謝罪にルーチェはやれやれと首を振る。
「小春が一つや二つ、迷惑をかけた所で誰も咎めやしないわよ。私なんてしょっちゅう迷惑かけてるからもう罪悪感とかないし」
「それは流石に持った方がいいと思う」
「そうですよ。ルーチェちゃんはもっと自分の行動に責任感を持つべきです!」
後からやってきた幸香の指摘には小生意気なルーチェも横柄な態度を取らずに少しばかりしょぼんとした様子で受け入れる。
「あの、幸香さん……」
「大丈夫よ。春ちゃん、ルーチェちゃんが言った通り、誰も気にしてないから」
「ですが……」
「それよりも彼にアプローチ、しなくていいの?」
「幸香さん、意外にもグイグイ押しますね」
それには小春も同感だった。
「これは先輩からのアドバイスなんだけど……行く時に行かないと振り向いてもらえないこともあるから気を付けてね。じゃないと手遅れの時にはもう……」
「ん?……幸香さん、それって……」
ルーチェがそう言い掛けた瞬間……バッと振り返った幸香は腕を掴む。
刹那、ルーチェは形容も出来ない恐怖を感じ、開いた口を塞ぐ。
にこやかに笑んだ幸香と相対し、「な、なんでしょうか。幸香さん……」とビビりながら尋ねる。
「ルーチェちゃん、そう言えば望月さんとの対人戦の時に色々と暴言吐いてたよね」
「え、いやあれはいつもの癖といいますか……だってあいつは前に春をイジメてた奴で……」
「春ちゃんを想って感情が突っ走るのも分かります。でもね、そろそろその言葉遣いは直した方がいいって思うの」
「そうね。ジル相手ならともかく、たまにファンの方に対しても勢い余って言っちゃう時あるから私も心配。たまに昔の姉さんを思い出してひやひやするわ~」
いつの間にか幸香の説教に加わっていた善男も深く賛同する。
「ですので、今日から一週間、私の家でマナーを学んでもらいます」
「え!?なんで……」
絶望に瀕した顔が大きく露わになる。
あまりにもリアルでとても大袈裟には見えない様相に若干幸香は内心で傷つきつつも、これもルーチェの為を想い……半ば強引に持ち帰る……ではなく連れて帰ることに決めた。
「ごめんなさい。一応、ジルの頼みでもあるから……」
「あのクソ兄貴ぃぃぃぃ!!」
妖精の如き愛らしい面相と不釣り合いな言葉を吐くルーチェの対してマナー面の教育的指導が改めて必要だと認識した幸香はジルの手配で既にエントランス前に停めてある車にルーチェを抱きかかえるように連れ、二人で一足先に帰宅していった。
「だ、大丈夫かなルーちゃん……」
「幸香ちゃんなら心配ないわよ。それより、春ちゃんはいいの?」
「何がですか?」
「彼と話さなくて」
「……」
「ごめんなさい。余計なお世話だったかしら?」
「いえ……」
それには若干の躊躇いを覚えていた。
なにせ彼は……
「多分、私のことなんてもう……好きではないです」
直接、その真意を確かめた訳じゃない。
単なる憶測で勝手な思い込み。
「当然ですよね。フラれた上に目の前から何も言わず去っていった相手のことなんていつまでも想ってたりもしませんよ。普通」
嘘だ。
「中学生の恋心なんて時が経てば自然と消えていくものです」
期待などしていない。
「だから、聞かなくても分かります……」
今更、彼が告白を受け入れてくれる。
なんてことが現実的じゃないことくらい分かっている。
(でも……私は心の何処かで期待していた)
遅い。
今更。
無意味。
最低……だと分かっていながらも小春は信じていた。
今度はこっちから告白して受け入れてもらえると心の奥底では信じていた。
時が経って身体も精神面も成長し、中学生の頃と変わってしまった彼と再び相対しても……三津谷陽一を象徴する芯たる優しさは変わってなどいない。その上、一方的に抱いていた未練もまた少しばかり双方に通じるものがあった。
(久しぶりに再会して話した時……彼は私を覚えていてくれた。それでいて、あの時のことを気にかけていてくれた)
忘れずに向き合っていてくれた。
その事実が小春の中の想いを忍ばせる拠り所でもあった。
けれども、現実はそう甘くはない。
あれから約四年も経つ。
あの時と大きく成長した彼の心に残っているのは未練などではない。
私に対するのはただの気掛かりに過ぎない。
恋心ではなく、ただの気遣い。
むしろ、その気持ちは変わってしまっている。
そう。彼が好きなのは私なんかじゃない。
それをステージで彼を見詰めていた時に気付いてしまった。
不思議とはっきり言葉や態度に表さなくても直感で分かる。
「陽一君は唯菜ちゃんのことが好き……だと思いました」
「どうしてそう思ったの?」
どうしてか。それが確信に迫ったのはつい先程、二人の話す姿を遠くから目撃した時……
「唯菜ちゃんと話す彼がなんだか楽しそうに見えて……」
そう思えた途端、小春はとても顔を出し辛くなった。
邪魔しては悪いと思い……遠慮した。
本当は遠慮なんてせずに話しかければいい。
二人は煙たがるような目で見ないことくらい分かってる。
それでも……小春にそんな勇気はなかった。
「悔しいのね」
張り裂けそうな胸を抑えながら小春は泣いていた。
善男の悔しいという一言で自分の気持ちとしっかり向き合って認める。
私は失恋……したのだと。
「ごめんなさい。別に春ちゃんを追い込もうとした訳ではないの。ただ、素直に成り切れない子を見ているとオッサンは口を出したくなるの」
温かな言葉に小春は「いえ……」と薄く返す。
「でもね、春ちゃん。その涙が出るのなら、あなたはまだその気持ちを折らなくてもいいと思うわ」
「……え?」
「さっきあなたに伝えた幸香ちゃんの言葉……決して忘れちゃダメ」
「でも、陽一君は……」
「大丈夫。彼はちゃんとあなたに向き合おうとしていた。それは分かっているのでしょ」
ステージでの光景を思い出す。
確かに陽一は二曲目の際に小春から一切目を離さなかった。
それはステージ上からでもよく伝わった。
「あんな誠実な男の子、簡単に逃すのは勿体ないわ。それにまだ、諦めるには早いんじゃない?」
「でも……」
「恋はね。争奪戦よ、その気持ちが本当でまだ手の届く位置にあるのなら……諦めちゃダメ。諦めていいのはあなたにその気がない時よ」
「……!」
「だからね、私はまだ早いと思う。それに彼の気持ちもまだ曖昧模糊なまま……春ちゃんの影が完全に消えてはいないわよ」
「どうしてそう言い切れるんですか?」
他人の気持ちを推し量る根拠なんて具体的に言えばない。
それなのに、善男は自信を持ってそう告げる理由は……
「乙女の勘」
性別は男。しかし、心は乙女を自称する田村善男、年齢……推定40代後半。
そんな彼から告げられた励ましの言葉に若干の疑問を抱きつつも小春はニコリと受け入れた。
「ま、彼もジルと同じく不器用で鈍感な人間だから……」
「直接、伝えないと分からないし……振り向いてはもらえないですよね」
小春はようやく顔を挙げた。
少しばかり自信の付いた様子に善男もホッと安心する。
「田村さん、ありがとうございます。私、この気持ちは諦めません」
初めての力強い宣言に善男は細く笑む。
それを伝えた小春は一礼をして直ぐに屋上へと戻って行った。
その背中に少しばかり懐かしきある少女の面影を重ねた。
「小春ちゃんは諦めないことを決意したわ。あなたはどうするの、幸香ちゃん……」
♢
時刻は既に八時を過ぎ、早朝から参加していたKIFの参加者達はイベント終了と共に帰宅の帰路に就き、あれだけ人で溢れかえっていたこの芝生の公園も気付けば誰一人として残っていない。
約一名、芝生の上で仰向けになりながら寝そべっている者を除き……
「あ~寒い」
十月の寒空の下……半袖短パンで芝生に寝そべっているバカは俺しかいない。
寒いという言葉が出るのも当然であって、寒い以外に考えられなくなるのも自然の理……などでは決してなかった。
むしろ、先程まで芝生の上を高速で転がりまくっていたせいか……少し暑い上に汗も掻いた。
そのせいで身体には芝屑が多く服や頭にくっついている始末。
自分でも何をやっているのやらと思い……一旦は冷静になって大の字で寝転がっているものの、思考は全く落ち着かない。
それどころか、時間が経つにつれて今後……どうするべきかを真剣に考えてしまう。
「ぬあぁぁぁ、どうして俺はあんなことを~」
今更、頭を抱えても遅い。
時が戻らない以上、あの台詞を撤回することは出来ない。
次会う時まで、告白に対する返事をただじっと待つしかない。
果たして「いいよ」と言ってくれるだろうか。
俺と唯菜の仲は決して悪くない。
クラスでもかなり頻繫に話す間柄な友好関係は築いている。
しかし、問題なのは……唯菜が俺を恋愛対象として見なしてくれるかどうか。
友人という格付けから恋仲とグレードアップすれば晴れてこのうっかり告白は成功する。
だが、正直な所……そうはならない可能性の方が高い気がしてならなかった。
唯菜は真面目だ。
アイドルという立場である以上、容易に異性との恋愛なんて出来ないと理解している。
学校では決してその身分を自ら明かしてはいないが、他クラスの男子からの告白も過去に何回か断っているという話もヒカリの姿越しで聞いたことがある。
それに唯菜は……
「俺じゃなくてヒカリが好きなんだよな……」
勿論、知っていた。
唯菜がヒカリに対して特別な感情を向けていることは沖縄の時から気付いていた。
そう確信になったのは水族館で二人きりになった時、温かな膝の上から唯菜の告白とも取れる言葉を受け取った。女子同士の友達としての『好き』や香織の事が『好き』だという推しの感情ではなく、本気の好きという気持ち。
好きである事に大した違いはない。
けれども、あの耳元で囁かれた言葉は今でも胸の奥で響いている。
彼女が三ツ谷ヒカリを好きであるという安心感として残り続けている。
しかし、それが今は不安材料で仕方ない。
これが事実である限り……唯菜が決して異性に振り向かないという確信が今は逆に怖い。
考えれば考えるほど、この恋が実らない気がして怖すぎる。
「……あぁもういっそのことヒカリのままで過ごしたい」
本格的に性転換するのも悪くない。
むしろ、望む一方なのがなんとも言えない複雑な気分であった。
週末明けの平日に……陽一は突然、性転換の現象を迎えて三津谷明里として登校する。
そうなれば唯菜も同性と見なしてあの告白をなかったことにしてくれる……なんてことは絶対に有り得ないことではないが、断固として却下だ。
女になったらなったで後々がめちゃくちゃ面倒になる。
だがしかしだ……陽一のままだとドン詰まり状況に変わりはない。
月曜日にどんな顔をして会えばいいのかやら……。
それに平然を装うのは無理だろうな。お互い……。
席に着いて顔を合わせた途端、気まずい雰囲気になる未来は確定している。
「はーあ、どうしたものか……」
深々と天に向かって溜息を吐く。
すると、近くから芝生を踏む音が届き、ゆっくりと目を開く。
そこには私服の小春が立ったままこちらへと不思議そうな面持ちで伺っていた。
「なに、してるの?こんな所で……」
当然たるその質問に俺は「昼寝」と適当に答えた。
明らかな噓だとは吐いた瞬間にバレているだろう。けれども、小春は……
「昼寝かぁ、陽一君らしいね」
そう言ってクスリと微笑む。
俺が何か悩み事を抱えていると暗に察してくれたのか、簡単に言葉を鵜吞みにする。
そのまま芝生の方に腰を下ろすと小春も横になって夜空を仰ぐ。
「別に付き合わなくていいけど」
「私が付き合いたいだけだから安心して」
「じゃあ……お好きにどうぞ」
ん……なんだろう。このやり取り……自然と中学時代みたいになったな。
「ねぇ、陽一君って好きな人いるんでしょ」
「……なんで」
「教えて欲しいな~って思って。ちなみにだけど、その相手が私じゃないっていうのは知ってるよ」
勝手にそう結論付ける小春の言葉が妙に怖い。
何か意図を孕んでそうで……
「……いや、なんか怖いな。何が狙いなんだよ」
「単に興味本位」
「こっちには教える義理もないと思うけど」
「私にはあるかな、告白の返事をまだもらってないし」
……やけに積極的な詰め寄り方に違和感を覚える。
いつもの大人しくて遠慮がちな姿勢はどこにいったのやら。
しかし、これが本来の小春であるように思える。
「じゃあ、私が当てるね。ズバリ、唯菜ちゃんだ」
いつまでも答えようとしない俺に痺れを切らしたのか、ドンピシャで当てにくる。
「……誰かに聞いただろ。絶対に」
俺が唯菜に対してうっかり告白をした時、あの場に小春はいなかった。
仮に直ぐ近くに居たとしても、声の大きさからあの三人以外には聞こえていない筈。
だから、ジル社長辺りが口を割ったと俺は判断したが……小春は否定した。
「何となくだよ、そんな気がして」
「何となくってお前な……」
まるで自分の恋心が顔に出てしまっていると勘違いしてしまいそうになる。
まぁ、元から気持ちが顔に出やすいタイプだとは指摘される。
ステージで密かに唯菜を見詰めていたのが普段の俺と違うと小春は感じたのであればその『何となく』もある意味では通った理屈として受け入れられる。
果たして、それは小春にとって受け入れていい理屈なのかは分からないが……
ゆっくりと俺は身体を起こし、背中越しに聞く。
「いいのか?それってつまり俺は……」
「いいよ」
「……」
「私はそれでも構わない」
強い意志の籠った声に俺は横を振り向く。
その直後、お台場に吹く強い風と共に温かな感触が唇に宿る。
突然の出来事に俺は思考を停止するも……直ぐにそれが現実だと理解する。
差し迫った小春の顔は妙に赤く火照っている。
瞳を重ねつつも大胆な自分の行為に若干恥じ、下に逸らしてしまう。
そして、ゆっくりと顔を離した小春は今にも蒸発しそうな勢いで紅潮する。それもキスされたこっちが心配になるくらい……いや、どうやら平気そうだ。
持ち直した小春は半ば恥ずかしさを隠しながらもこう宣言する。
「急にごめんなさい。でも私、諦めたくない……だから、これは……うぅぅぅ……」
更に顔を真っ赤に染めて疼くまる様子に少し大丈夫かと本気で心配になる。
一旦、落ち着こうとバッと立ち上がった小春は大きく深呼吸をして平静を取り戻す。
「あはは……慣れないことすると恥ずかしいね」
「それは……そうだろ」
キスなんて……恐らく小春にとっても初めての経験な訳だし。
激しく動揺するのは無理もない。
「でもね、今のは本気だよ。私は陽一君を振り向かせてみせる……そう決めたから覚悟してね」
その言葉に一切の迷いはない。
恥ずかしい台詞だと分かっていながらも、伝えるべきことを伝えることに揺らぎはない。
そんな意志の込められた強い瞳に心の底から本気でそう言っているのだと深く感じさせられた。
「じゃあ、またね。陽一君」
懐かしき影を纏った少女は大胆な行為と共に想いを告げ、芝生の公園から去って行った。
その背中を横目で追いつつも、ドクンドクンと心臓が……いや、心の鼓動が高鳴っていることに気付く。
それは冷めていた心に再び微熱が灯った感覚に等しい。
新たな熱と感情を帯びて……
「ぬあぁぁぁぁぁ、どうしろって言うんだよぉぉぉぉ!!!」
閑散とした公園内で苦難に満ちた叫び声が響き渡る。
身悶えながら再び芝を転がる。
色んな感情で滅茶苦茶になった頭が寒空に吹く冷たい風で一瞬にして冷静になる。
たった今、頭を悩ませる種が新たに一つ大きく加わったことにより、俺の脳内は限界を迎えている。
心身ともに疲労を酷く感じた俺はふと、一番楽な逃げ方を天に向かって強く願ってしまった。
「もうヒカリとして生きていたい……」
それが最も楽な現実逃避の選択肢であり、男らしくないヘタレな自分の答えでもあった。
しかし、この悩みから逃れる手段としてはあまりにも現実的で……理想的であると自分でも思った。
♢
しかし、陽一は後に大きく後悔することになる。
このたった一言が己の存在危機を招く最悪の事態になるとは露も知らず。
この回をもちまして、四章は完結となります!
長々とお付き合いいただきありがとうございました。
小春や陽一の過去と現在における恋の心情描写に関して少々内容が薄いと思いますので、追々改稿の方を進めていく所存です。ノリと勢いで描いている部分も多々あるので、お話の矛盾点がもしもあったら教えてください。(多分ない、とは思いますが……)
そして、五章に関しましては……本編の第一部集大成として完結編に進んでいく予定です。
どういったお話しになるのかは、五章の序章辺りで流れを掴んでもらえると幸いですが……少しだけ予告をしますと、五章はTS要素を前面に出していく展開を予定しております。どうなるかはお楽しみに……
最後になりますが、ここまで読了頂きありがとうございました。
本編はまだまだ続きますので、これからもよろしくお願いします。出来れば評価や感想、レビューetc…もお願い致します。




