百七十四幕 KIF/月下の再会㉒
頭上を見上げれば手の届く距離に月が輝いている。
悠々と夜空を照らす大きな照明に私は照らされるも……私自身がステージで輝く意志はもうない。
それどころかステージを降りようとしている。
アイドルを辞めて、一般人へと戻って今まで通り普通の生活を送る。
その決心も時間が経つにつれて固まってきている。
だから、私は最後に立てるステージを求め、誰もいないこの場所までやってきた。
何か特別なことをする訳でもない。
ただ、一人きりになれるステージに立ちたかった。
厳密に言えば、一人きりになれる時間と空間。
それがいつだって屋上に用意されているのは……皮肉にも好都合であった。
そして、私が屋上に居る時……それは何かから逃げている時だ。
現実が嫌になって、忘れたくて、目を逸らしたくなって……逃げた先が屋上。
人が決して中々入り込めない上に人に見つからない場所。
私にとっては色んな意味で心を落ち着かせることが出来る場所。
それでいて不思議と安心出来る場所でもあった。
けれど、今は違う。
安心とは程遠く……不安で一杯だった。
多分、私は辞めることを躊躇っている。
自分勝手で我儘な理由からグループを脱退することを深く後ろめたく感じている。
恐らく、今頃ルーちゃんや唯菜ちゃんに凄く迷惑を掛けてしまっている。
優しくも思い遣りの精神を持った彼女達や面倒を看てくれるジルさん達のことを考えると今すぐにでも戻った方がいい。
だから……辞める決心は全然固まってなどいない。
時間が経つにつれて、揺らぐ一方であった。
私はやっぱり意志が弱いままだ。
それでいて正直になれない。
自分がしたいことは何か分かっているのに……決まっていつも曲げている。
あの時だってそう。
私は躊躇った。今の彼が新たな友人達と楽しそうに過ごしているのを見て、邪魔しないようにと気を遣って自分の気持ちを伝えられなかった。
多分、あれが一番最大のチャンスだったと言うのに……見過ごして、呑み込んだまま後悔した。
「一体、私は何をしたいんだろう……」
言葉に出して自問自答する。
今一度、自分という人間を見つめ直し……再確認する。
「……好き。私は陽一君のことが……」
「それって本心?」
背後から突然届いた声に私はゆっくりと気付く。
聞き覚えのある低い声……それが誰であるか分かった途端、慌てて振り向く。
そこには……
「うそ、なんで……」
そこには彼が居た。
私が知る三津谷陽一という男の子が気まずそうに立っていた。
♢
案の定、小春はここに居た。
悩み事があると何かと屋上に行く癖は向こうの世界で会った小春と同じ。
もし、向こうに渡っていなかったら恐らくここには辿り着けなかったかもしれない。
あの経験は無駄ではなかったことに少々嬉しさを覚えつつ、俺は背を向けたままステージに立つ小春に近付く。すると……彼女の独り言として出た告白を俺は不覚にも聴いてしまった。
ジル社長が言った通り、どうやら俺に対して好きという感情を抱いているみたいだ。
直接聞くまではあの言葉を信じないつもりではいたが……流石に認めざるを得ない。
しかし、それは果たして本当の気持ちなのだろうか。
そう疑問に思った矢先、思わず自分でそう尋ねていた。
「どうしてここに?」
「お前が居なくなったって聞いたから慌てて飛んで来たんだ」
「そう、なんだ……でもどうして?」
「そ、それは……」
なんて言い訳をすればいいだろうか。
話す内容云々よりもどうして陽一がここに居るのかという疑問を解決する回答を用意しておくべきだったと深く後悔する。
「もしかして、今日イベントスタッフで参加してた?そのTシャツって運営の人が着てる専用Tシャツだよね?」
ここに来る前に着替えとしてジル社長に手渡されたこのTシャツはイベントに参加する一般者と見分けるべく多少のアレンジが施された運営委員会用のTシャツという説明を思い出す。
これがあれば関係者としてスムーズに建物へと入れる他、一般人が決して足を踏み入れられない場所に入ることも可能なパスポートの様なもの。このビルに入る前もそれで大いに役に立った。
「あ~そうなんだよ。ジル社長に頼まれて、今日一日中スタッフとして会場内のヘルプに入ってたんだ(噓)」
咄嗟に出た大嘘でどうにかこの場を凌ぐ。
自分で聞いた小春もその噓にあっさり納得する。
「じゃあ、私のことも……」
「ジル社長から聞いた。居なくなったって心配してたぞ」
「そうだよね……ごめんね」
「別に俺に謝らなくていい。それより、ここで何を?」
俯き加減のまま小春は答える。
「私ね。今、アイドルしてるの……陽一君は知っているよね?」
頷く。
「なら、話は早いね。私はアイドルを辞めようって思っているの」
意外にもあっさりと披瀝した。
「私の性格上、アイドルなんて向いてない。これ以上、続けても私が苦しいだけ」
同じだ。
あの当時と同じく小春は自分の言葉を苦々しく伝える。
「それは本心……じゃないんだろう?」
少なからずその言葉は本当の気持ちから出たものではない。
うわべだけの気持ちを取り繕って粉飾しただけ……の様に聞こえたのは気のせいではない。
その指摘に小春は少し驚く。
「正解。なんで分かったの?」
「ただ、何となく」
普段の彼女を見ていれば分かる。
例え、アイドルが向いていないと分かっていながらも地道な努力を小春は続けている。
それにアイドルが言うほど苦じゃないってことも限りないファンとの付き合いを傍から見ていれば……その言葉の真意が自ずと明らかになる。
しかし、この根拠を口に出すことは出来ない以上『ただ、何となく』という直感でしか答えられないのは少しもどかしくも思う。
「そういう部分は相変わらずだね。人に興味ない様でよく見てるとことか」
「それは褒めてるのか?」
「褒めてるよ。その優しさが君の魅力だって知ってる……けれど、私はその優しさに気付けなかった。むしろ、否定したんだよ」
「……前も言っただろ。もう気にしてないって」
「でも、私は気にしてるの!後になって気付いて、否定したことに後悔して、傷つけたことをずっと謝りたいって思ってた」
「なら、尚更この話は終わりだ。お互い様ってことであの時にもう……」
「それでも私の気が済まない。私の所為で陽一君はあの後、酷い目に遭ったって聞いたから」
ん……酷い目?
小春の転校後に俺が経験した嫌なエピソード……暫し脳内で検索するも該当記憶は発見出来ず。
それどころか、心当たりがない……訳でもない。
もしかするとあれのことを言っているのだろうか?
「私ね。野乃から聞いたんだ。私がいなくなった後で色んな人から蔑まれたって」
あ~やっぱりそれのことか。
端的に回想するとこんな話だ。
小春が転校した後の夏休み明け……誰かの告げ口か分からないが屋上に度々足を運んでいたことを教員に知られ、生徒指導に呼ばれた。そこで屋上の鍵は回収され、あの屋上には行けなくなった。
それ以降、教室で過ごすことを余儀なくされた俺は一人寂しく机に突っ伏す時間が増えた。
そのタイミングと同時にクラス内で一時期、小春の転校に関する話が少し広まった。
なんでも、小春が転校したのは俺が告白したことに原因があったと噂された。
意味不明な因果関係を付けられ、その手の話で『俺が小春に強く迫って彼女は嫌がり転校した』『あまりに好き過ぎて何度も家に押しかけ、挙句の果てにはキスまで迫った』などと捏造されて冷やかしを受けた。
それで学校に通いたくなくなるほど心に傷は負ってはいない。
むしろ、その噂を広げた人物を知ってムカついたのは覚えている。
根も葉もない噂を流したのは小春に対してイジメを働いていた望月野乃。
小春がいなくなった直後、彼女はグループ内で直ぐにその話をでっちあげて笑い話に変えたらしい。
彼女の周りにいる友人達も面白がって受け入れ、本当の部分は歪められ、隠されてしまった。
結局、小春がいなくなっても状況は何も変わらないまま。
傷ついた者達は救われず、傷つけた者達には何もお咎めなし。
告白を受けた当事者はもう居ない以上、その真偽が当事者達以外で定かになることは決してなかった。故に有耶無耶のまま、残った俺に被害が飛んでくるのも仕方がないことだと割り切っていた。
それにその手の話は冷めやすい。
一時だけ面白半分で話題に挙がるだけで後はもう次の話に変わっている。
特に俺なんかをいじった所でクラスの男子が楽しめる反応なんか返ってきやしない。
当時は香織が同じクラスだったこともあったからかクラスの男子連中も良い顔を見せようとしてあまり深くは追求してこなかった。
そんなこんなで小春が言うほどの酷い目に遭った訳ではない。どちらかというと、香織に告白された事実を知られ、家でウザイくらい揶揄われたことの方が酷かった記憶がある。あの一件で俺は香織を更に嫌ったしな。
だから、それ程……
「気にしてない」
「……」
「蔑まれることなんて中学時代はしょっちゅうだったし。あれくらい揶揄われた程度だから……小春が全然気にすることじゃない」
手の届く位置に近付き、そっと肩に触れる。
俯いて一向に顔を挙げようとしなかった少女はようやくこちらに目を向ける。
涙目になりながらも震えた唇を緩め、そっと笑みを浮かべる。
「やっぱり優しいね」
「あれ以降、俺も反省したんだよ。もっと気遣いをするべきだって……だから、少しずつ丸くなれた」
性格的に……という意味で。
「うん。そうみたいだね……でも、私は何も変われていない。陽一君みたいに前向きになれない。だから、ずっと過去を引き摺ったまま今もこうして……」
「変わったよ」
「……え?」
「多分、変わってる。じゃないとアイドルやってる姿なんて想像つかないしな」
「それ、バカにしてない?」
「してない……けど、見せて欲しいとは思ってる。アイドルとしての楢崎春っていう小春を」
すると、小春は視線を再び下げて胸の辺りを見詰める。
ジル社長に辞めることを伝えてしまっている手前、自分からアイドルとしての居場所に戻りたくても戻り辛いと思っているのだろう。
ま、そうなることも想定済み。
そして、ベストタイミングなことに既に準備は整っている。
後は左手で合図を送れば……作戦通りだ。
直後、足元から眩い光が俺達を包み込むように一瞬で点灯する。
突然の輝かしい光に目を瞑った小春はゆっくりと再び目を開け、周囲を確認する。
「ステージが……なんで?」
照明の落ちていた暗がりの会場。
それがたった一瞬で月下に輝くスカイステージへと変貌した状況に大きく目を見開く。
そう驚くのも無理はない。
だから、その説明を簡単にする。
「ライブ、見せてくれるんだろ?」
「うん。でも、私一人だけじゃ……」
「何言ってんの、春」
小春の背後から届いた声に慌てて振り向く。
そこには声を掛けたルーチェを始めとした唯菜、幸香さん……ヒカリを始めとしたポーチカの四人が立っていた。
「みんな、どうして……」
「これからここで配信ライブするんだって」
「配信ライブ?」
「今日の現地で観られなかった人達の為に生配信でライブを披露するの。春ちゃんが居るこの場所でね。まぁ、目に見える観客は彼しか居ないから少し寂しさもあるかもしれないけど」
「我慢してね」
冗談交じりで場を和ませようとする唯菜の言葉にちゃっかり乗っかるヒカリに「おい」とツッコミを入れる。
「そんな訳だから春……辞めるなんて言ってないで、コイツに私達の凄いとこ見せてやるわよ。度肝を抜かすくらいね」
「ふふっ、ルーチェちゃんが珍しくやる気になってる」
「ですね。いつもこんな風にしてくれれば私も文句はないんだけどなぁ~」
「今日は特別よ。そうでしょ、春」
四人の思わぬ温かな歓迎に少し戸惑っているのが背中越しで伝わる。
もうひと押し、背中を押す言葉の一つでも掛けた方がいいのだろうか……なんてお節介を考えていると小春はこちらに向き直って『ありがとう』と口だけを動かして満面の笑みを浮かべる。
そんな彼女にホッとした俺は自分の役割を終え「楽しみにしてる」とだけ伝えてステージを降りる。無事にグループの輪の中に戻り、五人で配信ライブの最終打ち合わせをステージ上行う様をちらりと伺い、自分が観客として立つべき場所に移動する。
何だか新鮮な気分だった。
本来ならば俺が立つべき場所は観客席である筈なのに、不思議と違和感を覚えてしまう。
「落ち着かないかい?」
ライブの機材準備を終え、フリーになったジル社長は横に並ぶ。
そんな彼の問いに「少し」と答える。
「たった数か月で君も染まったみたいだね」
「言い方……でも、その通りです」
認めたくはないが染まってきている証拠なのだろう。
ヒカリとしてアイドルをする自分は本当の自分ではない。
そもそも、本当の自分ではあそこには立てない。だから、ヒカリとして立っている。
それはおかしなことであって当たり前なことではない……筈なのだが、それが当たり前のような実感に自分の中で変わりつつあることに気付いた。
「俺は陽一でもあり……ヒカリでもあります。今になってヒカリも自分なんだと気付きました」
「そう思うのも無理はない。本来、あの輪の中にいるのは君なのだから」
その通りだ。
しかし、今夜は陽一として俺はポーチカのライブを観賞すると決めた以上、この場から離れることはない。それに代役も任せてあるし。
「しかし、驚いたよ。彼女、よく承諾してくれたね」
「あいつには色々と貸しがありますし……それに一度でいいからポーチカのメンバーとしてステージに立ってみたかったらしいんで、文句言いながらも引き受けてくれましたよ」
現に仲睦まじそうに唯菜と話しているのが見える。
つか、あの野郎さっきからこっちにチラチラと視線を送っては、わざと肩を寄せ合って話したりする光景を見せびらかしてきやがる。
「……ま、正直言って助かりましたよ。ヒカリの代役はアイツにしか務まらないですし」
三ツ谷ヒカリとして遜色なく彼女を完璧に演じているのは妹の香織だ。
ヒカリの髪を模したウィッグを急遽用意し、ステージ衣装共々身に付けさせれば自然とヒカリが完成した。無論、外見は双子同然なため少しの変装を施すだけで俺達は入れ替わりが可能である。
その上、香織に関して言えば持ち前の演技力を活かすことでその人本人に成り切ることが可能。
故に完璧なまでにヒカリを装っている。
唯菜や小春も香織だと一切疑っていないのが何だか少し腹立たしいが……こればっかりは軽い煽りも含めて見逃さざるを得ない。
「はぁ……」
「ははっ、お疲れ様。済まないね、君に頼ってばかりで」
「別に構いませんよ。報酬が見合えば」
俺の冗談にジル社長は「勿論だとも」と快く返す。
「それで、彼女とは話がついたかい?」
「いや、特には」
「そうなのかい?」
「結局のところ、辞めたい動機も何なのかはよくわかりませんでしたし……俺の事が果たして本当に好きかどうかなのも直接は聞けずじまいですよ」
小春の性格を考えれば、自分の気持ちを押し殺したまま言えない、といったパターンの方が多いだろう。不覚にも聴いてしまったあの言葉も何故だか本当であるとは思えない。
「でも、これから聴けると思います」
自分を表現するステージであれば自然と小春の内に秘めた想いを知ることが出来るだろう。
「それに割と楽しみなんですよ。本来なら、こうしてポーチカのライブを観ることは出来ないんで」
打ち合わせを終え、ステージに並び立つ五人。
左側の端からルーチェに小春、右側には幸香さんとヒカリの順に並び、その中央にはリーダーの唯菜が中央に立つ。
各々が準備を終え、マイクを握り締めてにこやかに顔を挙げる。
そして、間もなくカメラマンや音響のスタッフがライブの準備を終え、配信ライブは五人並んでスタートを切った。