百七十三幕 KIF㉑
衣装の上からパーカーを一枚羽織り、ゆっくりと進む銀髪少女の背を追って歩いていると街灯が照らす人気のないベンチを見つけた。そこに並んで腰かけた俺達は今し方黒へと染まった晴天の夜空を無言のまま暫し眺める。
普段なら騒がしいルーチェもこの一時はかなり大人しく、不安に満ちた様子が見て取れる。
それくらい小春のことで余裕がないのだと思えた途端、少しだけ緊張感が生じた。
「なんであんたが身構えるの?別に何かした訳じゃないでしょ。それに春がいなくなったのはあんたの所為じゃない」
意外にも冷静なルーチェの言葉にその通りだと痛感せざるを得ない。
むしろ、聞き出すことがあるとすれば俺の方だ。
「で、何で小春はいなくなったんだ?それにアイドルを辞めるって……」
「アイドルを辞める理由は分からない。でも、いなくなったのは多分、あの望月野乃って女からあんたのことを話された後だった」
ルーチェの言う「あんた」とはヒカリではなく陽一のことを指している。
その意味で通じた俺は詳しく話を伺う。
「望月はなんて?」
「詳しく聞き取れなかったから内容までは分からない。ただ断片的に聞こえた時、あんたの名前が出てた。多分だけど、中学時代のあんたのことについて話してたんだと思う」
中学時代の俺……詰まる所、望月が小春に対してそのことについて何か話していたのだろう。
だが、望月と俺は小春の転校以降……一切の関わりもなければ学校で顔を見た記憶も殆どない。
互いに無関心であったが故に望月が俺にまつわる何を小春に伝えたのかは皆目見当もつかない。
まぁ、どうせ悪口に似た内容だとは思うのだが……
「中学時代の俺について聞いて、どうしてアイドルを辞める結論に至ったんだ?」
せめて、ルーチェが話に耳を傾けていたら分かったかもしれない。
しかし、少なからず小春の失踪原因とアイドルを辞める理由に少なからず三津谷陽一が関わっているのは間違いない。ルーチェもそう考えて二人になるよう誘ったのだろう。
「ごめんなさい。私が話を聞いてれば分かったかもしれないけど」
「……珍しいな。ルーチェが謝るなんて」
いや、初めてかもしれない。
小春のこととなるといつになく違う感情的な側面を見せる。
先程の荒れ具合と言い……友達想いの深さや意外にも思いやりのある心が目立って映る。
その反面、やはり落ち着いているようで余裕がないのは明らかであった。
本能では探しに行きたい気持ちで山々なのだろうが、今は情報収集が先であると同様に考えているのかもしれない。
「そう言えば、あんたは小春がアイドルを始めた理由って知ってるの?」
「いや、知らないけど。そう言うルーチェは?」
「……私も詳しくは知らない。前に聞いた時は何となくで始めたって言ってたけど、何か目的があって始めたんじゃないかなって私は思ってる」
「目的?」
「えぇ、でもそれを知っているのは恐らく……」
「僕だけかな」
図ったタイミングでの登場にルーチェはムスッとした顔を兄へと向ける。
「なんで兄貴だけが知ってるの?」
「そりゃ、友人にも話せない恋心を彼女は秘めているからだよ。僕は彼女をスカウトした際にその恋心を偶然にも聞いたに過ぎない」
「恋心?誰に?」
ジル社長は顎をクイクイと促して後ろに居る人物へと再び振り向かせる。
恐らく該当者であろう俺は自分を指して確認をとる。
「そう……小春ちゃんが恋心を抱く相手は君なんだよ。陽一君」
♢
私がアイドルになろうとした動機は単純。
この性格を変えること。
人前に立って明るい自分をアピールして内気な性格を直す。
アイドルになってそう振る舞う努力を続ければ自ずと変われる。
そんな短絡的な考えを持って私はアイドルになった。
しかし、目的は違う。
私がアイドルになった目的……それは彼との再会であった。
♢
「俺との再会?」
「あぁ、君はSCARLETの三津谷香織の兄だ。同じアイドル業界に立つ者同士、いずれは同じステージに立てるかもしれない。そうなれば、君は客席にやってきて気付くだろう?」
「いやいや、憶測でそんな勝手に話を進められても困ります。そもそも、俺との再会が目的なら同じ学校の香織を介して伝えれば……」
「それだと駄目なようだ」
「……」
「前提として、小春ちゃんが考えている君と再会するには条件には自分が変わらないといけない。ステージ上で自信に満ちあふれた立派なアイドルとしての姿を君に見せることが彼女の目標なのだから」
当事者の主観ではなくジル社長からの客観的な根拠が混じっているせいかイマイチ納得出来ない。
「それ本気で言ってんの?兄貴の出まかせだったらキレるわよ」
「嘘ではないよ。なんなら、後で本人に確認をとってもらっても構わない」
そこまで堂々と言っている様子からして噓ではないのだろう。
ただ、本人が不在の中でそんなペラペラと明かしてしまっていいのか新たに疑問が浮かぶ。
「……で、仮に小春がコイツのことを好きだとして、なんでいなくなって辞めることになるの?」
「僕もそれが分からないから困っている。こればかりは本人に直接問わないと何も分からない」
「結局のところ、小春を見つけないと何も分からないってことね」
「だからと言って探しに行っていいことにはならない。むしろ、現時点では行かせない」
「どうして?」
そう宣言した兄に対して鋭く睨みつけるルーチェの問いに答える前、ジル社長はこちらを一瞥する。
「君は先程、聞いたから分かっていると思うがこの後、ポーチカは配信ライブを行う」
「……!」
「は?小春がいない状況でも?」
「最悪の場合は四人で行う。彼女は急遽出られなくなったことにしてね」
「ふざけないで!小春が居ないなら私は……」
「ふざけているのはどっちだ。僕たちはお遊びでアイドルをしているんじゃない。仕事として行っているんだ。私情を挟んで掴むべき機会を逃す訳にはいかない」
珍しく昂った感情を言葉に乗せて妹へと伝える。
「ポーチカが次に進むためにこのライブ配信は必要だとプロデューサーであり君たちのマネージャーである僕がそう判断した。なら、その決定には従ってもらう」
ルーチェは兄の上から目線な決定に対してたいていは反抗的である。
聞く耳を一切持たず、自分の主張を貫くスタイルで兄を困らせる。
それが普段の光景ではあるのだが、今は大人しく受け入れていた。
俯き加減で悔しそうに唇を噛み締めながら怒りをグッと堪えている。
「っ……小春はどうするの?」
「無責任に放置しておくつもりはない。だから、今もナイルや善男達に捜索を協力してもらっている。他にも会場のスタッフとかにも声を掛けてね」
小春を抜きでライブ配信に出るつもりはない。
それはあくまでも最悪の場合での話であって、理想としているのは五人でステージに立つこと。
その為に最大限出来ることはしていくつもりだとジル社長はルーチェに伝えている。多少、誤解を生みそうな言葉ではあるものの……
「彼女が心配な気持ちはよく分かっている。彼女は初めての友達であり……親友なんだろう?」
「そう……よ。でも、私は小春のことを全然知らないし、何に悩んでいるのかも分からない……こういう時に何か力になりたいのに……私は全然頼りになれないのが凄く嫌だ……」
ぽつぽつと滴る雫が地面へと落ちる。
悔し混じりの声でルーチェは内に秘めた感情を言葉と涙にして表す。
「仕方ないことさ。彼女の秘めている過去は僕らがそう易々と関わっていい問題ではない。勿論、当事者を除いては……ね」
今度はこちらに視線を寄せる。
「俺なら当事者だからいいと?」
「そうなるね」
「そもそも、小春が俺のことを好きだという根拠は?一応伝えておきますけど、過去に俺はフラれているんですよ。こっぴどく」
苦過ぎる思い出として残る心の傷であり、今でも出来ればあまり触れたくはない上に掘り起こしたくもない過去の一つだ。
それを振り返れば尚更、小春が現在進行形で俺を好きだという気持ちに疑いの目を向けざるを得ない。
「詳しいことは僕も分からない。伝えたことに決して噓偽りはないが、君が知りたい根拠の部分は本人から直接聞いて欲しい」
それもそれでどうかと思う。
普通に考えて『お前、俺のことを好きなんだろ?』って聞くナルシストは居ない。
余程のイケメンで俺様系な男子でもなければ出てこない台詞だ。
イケメンとは無縁の俺では絶対に使わないし、言わない。
「まぁ、難しいことは要求しないよ。ただ、彼女と君で話して欲しいだけさ」
「話した所で何か変わるとは思いません」
沖縄で直接、再会した時もこれといって特別な出来事が起きた訳でも……いや、起きてたな。プールで妙なアクシデントに巻き込まれた上にその後もエントランス前で顔を会わせ、少し懐かしくも楽しい一時を過ごした記憶がある。
あれを特別な出来事と言わずとして何と表する……という議論はさておき、再び俺達が出会った所でこの現状が変わるとは思えない。
だが、しかし……
「このまま何もしないよりはマシ……ですね」
俺が小春と話すことで何かが変わるのかは分からない。
正直、分からないことだらけで今も何をどうすべきなのかは分かっていない。
だから、知ることから始める。
小春が何を思い、何に悩んでいるのか。
それを知った後でないと俺は小春に掛ける言葉も話す内容すらも分からない。
それに……この行動が結果的にポーチカの為にもなり、自分の為にもなる。
初めから悩む余地なんてない。
ポーチカに加入した時と同様、俺にしか出来ないことをここでやり遂げる。
「ありがとう。どうやら、決意は固まったようだね」
「でも、どうする気なの?小春は今も……」
「見つかっていない……けど、君なら既にある程度、居場所の検討が付いているんじゃないのかな?」
本当、何を根拠にして言っているだろうか。
距離や建物を関係なく対象を見つけ出すという千里眼があれば直ぐに分かるだろうが、生憎と俺はそんな能力を持っていない。
持っているとすれば……彼女の人柄に関する限られた知識くらい。
だが、今はその知識が手掛かりとなる。
それに先程、聞いた情報だとこの時間帯は確か……あの場所には人がいない。
だとすると……そこにいる可能性は非常に高い。
「恐らくですが、小春はあそこに居ると思います……」
指し示す方角の向こう……そこには大きなビルがある。
「ビル?」
「いや、恐らくヘリポートがあるスカイデッキ。そこはKIFの特設ステージが設けられているが……そこに彼女が居ると?」
俺は頷く。
確信に迫った訳ではない。
あくまでも憶測であり、勘だ。
突き詰めて考えればいない可能性だって……
「了解したよ。彼女はそこにいるという体で話を進めよう。どちらにせよ、君達のステージはそこで決まりだ」
ジル社長もスカイデッキでの配信ライブの方針を固める。
そして、俺は最後に……
「それと俺からも一つ提案があります」