百七十二幕 KIF/好機と危機⑳
私がいなくなった後の学校のことなんて知らずに過ごしていた。
無縁のことだと思い……知ろうともしなかった。
しかし、私は知った。
私がいなくなった後の学校で残った彼がどう過ごしていたのか……それを知った途端、私は彼に対するこの気持ちを今一度、伝えることは出来ないと悟った。
同時に……私はアイドルになった目的も失った。
♢
「すっっっごい、楽しかった!」
興奮が抑えれない唯菜はステージを降りた後も高いテンションを維持したまま最高の一時を振り返っては良かったシーンを回想して余韻に浸っている。
「いやぁ~やっぱり普段と違うメンツでステージに立つのも楽しいね」
「だねぇー。すごく楽しかったよ~」
「一夜限りのステージにはかなり惜しい内容だったわね」
「なになに、香織も詩音みたく二人を引き入れたい感じ?」
「それも悪くないって思った」
意外にも素直にそう認めると香織は本心を述べる。
「正直に言えば、私達が五人で組めば今よりももっと上にいける気がする。そうすれば、武道館を超えたアリーナでのライブも実現できる」
珍しく自分の展望を熱く語る様子に今し方行ったライブが自分でも相当手応えがあったのだと自負しているのだろう。
「でも、私達は私達でやるって決めている以上……五人で目指すことは絶対にない。今日はフェスだから特別にってだけで、普段であれば私達はライバル関係にある。そうでしょ?」
「素直に頷きたい所ではあるけど……ポーチカはまだSCARLETのライバルには成り得ない」
「ヒカリの言う通り、私達はまだ香織ちゃん達とはまだ面と向かって並べない。今も一緒にやってみて分かったけど、まだ私達にその実力はありません」
唯菜と同意見。
向こうがそう認めてくれているのであればその実力も十分に値するものをポーチカは秘めているのかもしれない。しかし、その実力はまだ十分に発揮してはいない。
ステージ前に集まる人の数や盛り上がり具合がその実力差を良くも悪くも物語っている。
その現実と向き合う以上……今の段階では口が裂けても同等だなんて言えない。
……って、唯菜は心の中で思っているのだろう。
グループのリーダーとして自分達の実力不足をそう客観的に判断しているのが表情や言葉から伺える。
真っ直ぐな返答を聞いた香織はクスリと笑む。
「じゃあ、待ってます。ポーチカと同じステージに揃って立てるまで」
「頼むよ!私もルーチェちゃんと一緒に歌いたいんだから!」
「はるのん。流石に空気読もうよ~」
「うわっ、柚野に正論突っ込まれるの心にくるな~」
「どう考えても柚野が正しいから……」
そんな三人のやり取りが少し固まった空気を和やかにする。
香織にとっての二人はとても良い友人であり、頼もしいメンバーであることは間違いない。
それは二人にとっても同じこと。
三人でお互いに信頼関係を築き、仲良く切磋琢磨し合って活動している。
それこそが彼女達の魅力でありグループとしての強みだと感じた。
「じゃあ、そろそろ解散しましょうか。後ろでジルさんを待たせているみたいだし」
背後を振り返ると五人の会話を少し遠目からジル社長がいた。
何か話したげな様子でこちらを眺めているのが香織の目にも映ったのだろう。
空気を読んで三人は「また」と告げてその場から立ち去る。
代わりに俺達の前にジル社長が現れる。
「お疲れ様。二人共」
「お疲れ様です」
「……お疲れ様です」
何故かは分からないが……ステージ前に会った時よりも暗い印象を受ける。
ジル社長にとって、SCARLETとのコラボが良くは映らなかっただろうか。
「内容的にもとても良かった。急造と言えど、SCARLETの三人と二人のパフォーマンスは完璧なものだったよ」
「……その割には浮かない顔をしていますが?」
その指摘にジル社長はより難しい顔を見せる。
一瞬、躊躇いを覚えた様子で口を開けるも……一息を入れて、話す覚悟を決める。
「気分が良い中で大変申し訳ないが聞いて欲しい……春ちゃんがポーチカを辞めたいと申し出た」
「……えっ、なんで?」
「先程、彼女からメール越しでそう伝えられてね……まだ詳しい状況は掴めていないんだ」
「春ちゃんは今どこに?」
「それが分からないんだ。ステージ前、幸香から春ちゃんがいなくなったという知らせを聞いてね。現在、善男やルーチェ、幸香が会場内で探している最中だ」
「会場内にはいるんですか?」
「恐らくはね。望月野乃……彼女との対決後にいなくなったようだから荷物や貴重品は楽屋の中。ナイルに確認を取らせてみたが、荷物は手付かずのままだった」
なら、持っているのはスマホのみということか。
最悪の場合、スマホがあれば荷物を置いて一人で帰ることは出来るだろうが……それは流石にないと思う。ジル社長や捜索中のルーチェ達もそれは同じ考えな筈。
「じゃあ、私達も探しに行かないと……」
「いや、唯菜ちゃん達は待機していて欲しい。もうすぐ日が暮れる……ファンが大勢居る会場内で君たちにバラバラで動かれるといざという時に困る。だから、ルーチェに付いてもらっている幸香にもそろそろ戻ってきてもらうように伝えている」
時刻は五時前。
東京湾に沈みかける夕陽が刻一刻と迫るリミットを示している。
いや、そんなことはどうだっていい。
一体、どうして小春が辞めると宣言したのかが重要だ。
その真相を知るには小春を探して見つけることが先決……なのだが……
探そうにも手掛かりがない。
「心配だろうけど君たちはここで……」
「おージル君、こんな所にいたのかい」
唐突に話しかけてきたのは小太り気味な黒いつば付き帽子を被った中年の男性。
見覚えのある彼の顔にジル社長は振り返って名を呼ぶ。
「佐久間さん」
前は「佐久さん」と呼ばれていたが「佐久間」という名がKIFのプロデューサーを務める彼の名前なのだろう。たまに付き合う飲み仲間として俊介さん同様に交流があるジル社長の名を軽快に呼ぶ彼の視線がヒカリと唯菜へ注がれる。
「おや、取り組み中かな?」
「いえ、特には。それで何か御用ですか?」
「あーそうそう。ポーチカに良い話を持ってきてね」
「良い話……ですか?」
「ま、端的に言えば、この後の七時から行うライブ配信の方でゲスト出演してくれないかな?」
「ポーチカが、ですか?」
「うん。今回、二日目の中で割と評判が良くてね。先程のコラボも素晴らしかったが、午前中のも大変高評価だったよ」
「それはありがとうございます」
「いやいや、こちらこそ。それでだ、午前中のステージは配信型のライブカメラはセッティングしていないステージだったから現地以外でのお客さんが観れなかったんだよ。そのこともあってか、君たちを再度こちらの方で出して欲しいと要望が寄せられて……交渉に来たんだ」
最悪なタイミングで最高のお誘いが届いた。
横目でジル社長の表情を伺うとそんな風に見て取れる。
小春の件がなければ直ぐに二つ返事でOKしていた。
KIFのライブ配信は現地外の視聴者や現地に居て尚且つ他の会場内でも待ち時間に視聴可能であることから大勢の人の目に触れられる。
それでいてポーチカをライブ配信で観たいと要望する声は多く、期待もされている。
出れば今後における知名度向上の好機。
プロデューサーとしてはここを逃す術はない。
しかしながら……現在に置かれているポーチカの状況を顧みれば、二つ返事といかないのが現状。
「ちなみに、ステージはどこで行うんですか?」
「ライブ配信の環境が既に整っている空いているステージを使用するよ。ポーチカが出演する時間帯だと……このセントラル広場か、少し離れたスカイビルの所かな。どうする、ここでいいなら機材はそのままでスタッフを呼ぶけど?」
「……すみません。少しだけお時間をもらえますか?今、メンバーが全員揃っていないもので……」
「勿論、構わないよ。でも、一時間前にはスタッフを動かしたいからその前までに返事を頂戴ね」
「分かりました。ありがとうございます」
一礼して彼が去った後に顔を挙げたジル社長は深々と溜息を吐く。
珍しく酷く困り果てた顔で首の後ろを掻く様子から普段の冷静沈着さが欠けているのが分かる。
「参ったなぁ……」
「どうするおつもりですか?」
「結論を言えば、小春ちゃんがいないまま配信に出る気はないよ。仮に四人で出たとしてもルーチェはやる気を出さないだろうし」
「それなら出ない方がマシだと?」
「……そうなる」
あっさりとそう結論付けたジル社長の言葉には俺も同意していた。
グダグダのまま配信ライブに出て悪印象を与えるなら……いっそのこと出ない方がマシ。
得ることは何もない上に減るものもない。
今と何も変わらない状態が続く……
いや、このままだとメンバーが確実に一人、居なくなってしまう。
「ジルさん、私達に何か出来ないんですか?」
「気持ちは有難いが、先程も言ったように暫くはここで待機だよ。下手に動かれてはライブ配信の話も受けられなくなる」
「……」
「取り敢えず、二人は一旦身体を休めておいて欲しい。春ちゃんは僕たちに任せてくれ」
いつの間にか日が落ちて辺りは暗闇に包まれた。
肌寒い潮風が衣装の露出した部分に触れ、体温が徐々に冷えていく。
風邪を引かないためにも今は小春への気持ちを抑え、素直に唯菜はジル社長の言葉に従って暖かいテント内に戻る。
暫し無言の時間が続くと唯菜も険しい表情を浮かべる。
「春ちゃん、どうして辞めるなんて言ったのかな?」
「それは……」
「分からないよね。私だって考えても分からないし」
少なからず、俺は唯菜よりも春……いや、小春を知っている。
だが、俺は春を詳しくは知らない。
厳密に言えば、中学一年生の頃よりも後の小春をあまり深くは知らない。
知っているとすれば……
「幸香さん、お願いだから離して!」
「ダメです。離したら絶対に探しにいくじゃないですか」
「行かないから……お願いします!」
「ダメです。さっきもそう言って逃げようとしてましたよね?」
「あれはほんの出来心ですから!」
「ダメなものはダメです!」
テントの外で騒がしい声が聞こえる。
声の主から誰が外で騒いでいるのか確認するまでもなく想像がつく。
すると、手首の辺りを掴んで逃がさんとする幸香さんとルーチェが中に入ってくる。
小春がいなくなったことで案の定、荒れた様子を見せるルーチェの視線がこちらに向けられる。
抵抗を止めて、一旦は落ち着いたと判断した幸香さんはそっと手を離した。
「ヒカリ、ちょっといい?」
その言葉にこくりと頷いた俺は二人で外に出る。
幸香さんも何となく察しているのだろう。
止めはせずに二人の時間を作らせるべく見逃した。