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百七十一幕 KIF⑲

 勝利を手にしたのはSCARLET。


 彼女達の勝利によってヒカリのポーチカ脱退及び移籍の話は無くなった。

 イベント開始前から心臓をバクバクとさせる不安な要素が取り除かれ、重い方の荷が降りた気がした俺は安心して次の段取りへと進める。

 

 その準備に入ろうと一度、審査員席を退席して舞台裏の運営テントへと赴くと……

 

「あ、お疲れ様~」

「お疲れ様」


 ペットボトルに蓋部分に空いた小さな穴の中心に差したストローで水を飲む春乃さんはこちらを見るなりひらひらと手を振りながらいつも通りの陽気な表情を見せる。

 中には彼女一人しか居ない。

 陽一時と変わらない口調のまま話を続ける。

 

「余裕そうだな」

「まぁ、私達は背負っているものなんてほぼないしね」


 一切オブラートに包んでいない発言だが全く以てその通りであるためぐうの音も出ない。

 実際、SCARLETよりも俺の方が抱える心労は大きかった筈だ。

 彼女達の敗北面で一番大きな影響を被るのはヒカリ(俺)なのだから。


「いやぁ、でも危なかったね。一票覆っただけで勝敗が変わるんだもん」

 

 春乃さんの言う通り、審査員の札票数的には僅差だった。最後の審査員が票を示す直前まで同票で並ぶギリギリの勝負ではあったことにかなり冷や汗を掻いた。

 最終的に勝敗の命運を分けたのは、今回のアイドルフェスの趣旨に即したSCARLETのライブが審査員から高い評価を得たことであった。


「それにしても凄いな。SCARLETは……」

「ありがとう。でも、それ私よりも香織に伝えた方が喜ばれるんじゃない?」

「伝えても当たり前なことを言わないで、とか返してきそうだから言いたくない」


 若干演技の入った予想に「似てるし、言いそう」と春乃さんは笑って見せる。


「それより香織達は?」

「次の演目の打ち合わせに行ってるよ。私はここで一休み中~」


 腕をウーンと大きく上に伸ばして休憩中をアピールする。


「ちなみにお兄さ……おっと失礼、ヒカリちゃんは次の準備のためにここへ?」


 わざとらしい間違い方にも聴こえたが、幸い他の人に聞かれていないから良しとする。


「そうだよ。流石にこの格好で歌って踊りたくはない」

「結構似合っててカワイイよ。その格好」

「嬉しくない」


 心の底から褒めてくれているのだろうが、俺にとって『似合っている』や『カワイイ』という表現は一種の侮辱にも聞こえる。

 人生で花嫁ドレスなんて着る機会は絶対にない筈なのだが……どうしてこうなったことやら。

 

「そう言えば、次ってどうする感じなのか聞いてる?一応伝えておくと、こっちは何も用意していないから……」


 SCARLETとヒカリのコラボ……何をどう進めるのか、事前に何も伝え聞いていないどころか何一つとして打ち合わせもしていない。

 ぶっつけ本番でSCARLETの曲を一緒に披露するとかだったら棒立ちのままマイクに口を当てて歌っている風に見せかけることしか出来ないだろう。


「大丈夫、大丈夫。私達がポーチカの曲を一緒に歌うことになっているからヒカリちゃん達は普段通りやってくれれば問題ないよ」

「そっちが合わせてくれる感じなのか。それなら安心……ん、達?」


 グループとのコラボという話ではなく単体でのコラボだった記憶がある。


「当初はヒカリちゃんだけのコラボを予定していたけど、この会場にはメンバー全員がいるんだし。せっかくなら八人でやった方フェス感がでるでしょ」


 それは確かに同意する。

 単体でやるよりは全員揃った形で出る方が迫力はある上に特別感が強い。

 こちらとしても一人でやらずに済むから安心できる。

 

「ま、ここだけの話……香織ってば勝つことを想定してポーチカの曲を何個かノリノリで練習してたんだよ。普段よりも長くレッスンを続けてね。かく言う私や柚野も」


 フェスまでの数日間。香織は普段よりも帰宅する時間が遅かった。

 九時前までレッスンが続く日は俺が借りているマンションに泊まっていた。

 

 てっきりフェス当日までに何か新しい曲を完成させようと夜遅くまでレッスンに取り組んでいるに違いないと我ながら感心していたが……まさか、完全に私用だったとは思いもしなかった。

 

「だからさ、私達もちょっと一安心してるんだ。せっかく練習したことが無駄にならずに済むし……私もヒカリちゃん達とステージに立ってみたかったから」


 率直で素直な想いに俺は嬉しく思う反面で……この場には自分しか居ないことを不安に感じた。


「そう言えば、他のメンバーは会場内に居るの?唯菜ちゃんは客席にいたから分かったけど」

「実は……」 


 現在、不在の三人について説明する。


「え!?それじゃあ……私がルーチェちゃんと一つのマイクを共有してほっぺたスリスリしながら一緒に歌う夢が叶わなくなるじゃん!」


 私利私欲にまみれた汚い願望を打ち明け、それが叶わない現実を知った途端に膝から地に崩れ落ちた。


「私の……私の天使とのコラボがあぁぁぁぁ!」


 冗談抜きで残念がる様子には少しだけ同情した。

 何か一言かけようかと思うも、本気で悔しがる光景を目の当たりにして逆に声を掛け辛くなる。

 そのタイミングで外の方から新たに話声が聞こえ……

 

「……って、なにしてるの?春乃」

「はるのん、どうしたの?」


 打ち合わせから戻ってきた二人は戻って早々、シクシクと本気で涙を流しているメンバーの取り乱した様子に困惑気味な顔を浮かべ、現場に居合わせた俺に説明を求めてくる。


「なるほどね。私達もポーチカの事情を把握していなかったし、元々はヒカリ単体でのコラボを予定していたからこうなることは仕方ないわね」


 逆に情報を伝えたとしてもポーチカ全員とSCARLETがコラボすることは恐らく絶対にない。

 以前、唯菜がSCARLETとコラボしたいと話を切り出した際、ルーチェは物凄く嫌な顔で否定していた。春乃さんを酷く警戒している様子は今も変わらない。


 故に、アイドル界の要注意人物(ルーチェ調べ)においてトップに位置付けられる春乃さんとルーチェが同じステージに立つ日は永遠に来ない。ましてや、ルーチェ自らが春乃さんに近付くことはない。


 大変申し訳ないが……春乃さんのルーチェに対する私利私欲が最大に満たされることはあの空港以外を除いてもう二度と来ないだろう。


「ぅぅぅ……私の頑張りを返してぇぇぇぇ」


 相当ショックだったのだろう。

 涙で顔の周りのメイクがかなり落ちてしまっている。

 傍に寄り添った柚野さんがよしよしと頭を撫でて気持ちを落ち着かせようとする。


「もう……そんなことで騒いで……」


 呆れ顔で香織はそう呟くと今度はこちらに視線を向ける。


「そっちもそっちで準備してきたら?」

「そのつもりでここに来たんだけどな」

「伝え忘れてたけど、衣装はこっちじゃなくて向こうのテントだから。準備は向こうでしてきてね」


 香織の言う向こうのテントとは……SCARLET側のテントとは反対側……詰まる所、詩音が先程まで待機所として使用していたテントだ。そっちに衣装が用意されているなら先に言って欲しかった。


「時間もないし、向こうの方に行くわ」

「うん。後で唯菜ちゃんと一緒に来てね」


 そう告げられた俺は一旦はテント内から出るとステージ裏に沿って歩いて進む。

 複雑に延びる機材のコードを踏まないように気を付けて歩いていると……直ぐ近くのテントから私服に着替えた赤髪の少女が現れた。

 

 東京湾から吹き抜ける潮風が彼女の髪を靡かせる。

 その風を辿るように視線がこちらへと注がれる。

 暫し視線が重なり、沈黙の一時が訪れる。


 どう言葉を交わすべきか少し考えていると……


「残念です」

「え?」

「私はあなたと一緒に歌ってみたかったのですが……それは叶いませんでした」


 対決に負けたことよりもヒカリとのユニット結成が果たせなかったことに落胆を覚えている……とは決して思えなかった。


 深い葵がかかった瞳には感情の残り火が今も尚燃えているような気がした。

 口ではこう言っているが本心の部分では悔しさが胸の中で渦巻いているに違いない。

 そんな彼女を目にして初めて、赤羽詩音という人間が見えた。


「あの、一つ聞いてもいいですか?」

「どうぞ」

「ヒカリさん。どうして、私に札を挙げたのですか?」


 先程の審査時、俺は詩音の方へ札を示した。

 恐らく詩音は絶対にヒカリが自分に対して票を投じることはないと思っていた。

 勿論、俺も当初はそのつもりだった。


 しかし、詩音のライブを観て……考えが変わった。


「なんでか分からないけど、詩音のライブを観ていると自分事のように感じたから……かな」


 一人であることに拘って、自分という人間を最大限に表現する。

 

 その中で垣間見えた詩音という人間性が少しだけ俺に通ずるものがあった。


 根っからの負けず嫌い。

 周囲から認められたいと努力して何事にも挑戦し続ける。

 例え、挑戦した先に良い結果が待ち受けていなくとも……前に進み続けることは厭わない上昇志向の持ち主。


 それでいて、物凄くひねくれもの。


 そんな詩音という人間が舞台の上から見れて楽しかった。

 自分を知ってほしいという根底にある詩音の想いが随時伝わってきて……共感した。


 そんな率直な感想を聞いた詩音は「そうですか」と口元を緩め、軽く笑む。


「それが聞けただけでも嬉しいです。では、またどこかでお会いしましょう。出来れば今度は同じステージで立てることを楽しみにしております」

 

 そう言い残して詩音は会釈した後に、外で待っていたマネージャーの俊介さんと一緒に会場を後にした。

 出来ればこのまま六人で同じステージに立ってみることも魅力的な提案の一つだと思ったのだが、詩音の気持ちをある程度理解してしまったが故に言い出し辛かった。


 それはさておき、そろそろ準備に入るべく衣装が用意されているであろうテント内に入ろうとすると……

 

「話は終わったみたいだね」

「うわっ!って、ジル社長……驚かさないで下さい」


 背後にいつ立っていたのかは分からない。

 先程、詩音が会釈した相手がジル社長であったとしたら少し前からずっと真後ろに立っていたに違いない。


「そんなに驚くことかい?」

「真後ろに立たれてそんな近い距離間で気付いていない状態で今度、話しかけてあげましょうか?」

「すまない。ちょっとしたいたずらだよ」

「……で、何の用です?」


 時間もないので与太話に付き合う義理もない俺は要件を聞く。


「次のセトリ、この曲を歌って欲しいと麗華さんから伝言だよ」


 渡されたメモに三曲が記載されている。

 どれもポーチカの表題曲と言える人気の曲。


「立ち位置や動き方はこの際、自由で構わないよ。ファンは君たちが共演している姿をご所望だからね」

「なら、気楽にやらせてもらいます。それより、唯菜はもう中に?」

「中で準備を進めているよ。客席で彼女を見つけて連れてきて……説明はしてあるから問題はないよ。まぁ、メンタル面は除いて」


 このテント内で唯菜がどんな顔で待っているのか……容易に想像できる。

 SCARLETとのコラボの話は事前にあるかもしれないとウキウキなテンションで期待を馳せてはいたから想像はしていたであろう。しかし、SCARLETwithヒカリ&唯菜でステージに立つとは予想だにしていなかったことから……激しい緊張感に苛まれているに違いない。


 かく言う俺は一度、香織と同じステージで【ハルノカオリ】の代役としての経験もあるからか、意外にも落ち着ていたりする。


「僕は音響の方で色々と指示する立場にいるから申し訳ないが……後は全て任せた」


 そんなことだろうと思ったよ。

 アドリブは俺の最も不得意とする分野ではあるが……今回は味方に心強い先輩アイドル達が三人も横にいる。ライブの大まかな流れや進行はリーダーの香織に一任しよう。


「君や唯菜ちゃんにとっても今から体験する時間はかなり貴重なものになると思う。だから、存分に楽しんで欲しい」


 このイベントはアイドルとアイドル好きのファンの為のフェス。

 ここでしかない一時をアイドルは提供して経験し、ファンを楽しませる。

 そのことを今一度、再認識させられる言葉に俺は「勿論です」と返す。


 ジル社長との話に区切りを付け、ようやくテント内に入る。

 すると、重くしんどそうな表情でテントの隅で蹲る唯菜の姿が真っ先に映る。

 

「あ、ヒカリちゃん……お疲れ様」

「そっちも……唯菜、大丈夫?」


 見るからに大丈夫ではないだろう。

 顔を挙げて視線を向けてはいるが、果たして本当に見えているのかすら怪しい。

 緊張感に駆られ、余裕が一切のない様子が負のオーラの如く感じ取れる。

 端的に言えば、途轍もなく緊張している。


 初めて見るステージ前の唯菜に何をどう声を掛けるべきか分からない。

 でも、その光景にはどこか懐かしさを感じた。

 ほんの数か月前、唯菜が自分にしてくれた時のことを今の自分がすれば落ち着く。


 そんな確信を持って、唯菜の手をそっと取る。

 温もりが伝わり、一人でないことを感じた彼女はようやくこっちを見詰める。

 そうして、唯菜はいつも通りの表情を見せる。

 

「良かった」

「……何が?」

「ヒカリちゃんがいなくならなくて済んで本当に良かった。そのことを今更ながら実感して凄く安心したよ」

「それはこっちも同じ。唯菜やポーチカから離れることがなくて安心した」

「でも、詩音ちゃんの方に札を挙げた時はそっちに行きたいのかなって不安に思ったけどね!」


 不安と心配からなる不満そうな表情を突き付けてくる。


「う……それは申し訳ない。自分の気持ちに噓は吐けなくて」


 それを聞いた唯菜はクスッと表情を緩めた。


「知ってる。だからこそ、ここに居てくれてホッとしてるんだよ。私はまだ……ううん、これからもヒカリちゃんとずっと一緒に居たいから」


 唯菜の素直な気持ちから出る言葉が心に深く染みる。

 それと同時に少しだけ……ほんの少しだけ複雑な想いにも駆られる。


「よし!」


 両手で頬を軽く叩いて気合いを注入した唯菜は立ち上がって意を示す。


「私はやるよ!念願のSCARLETとのコラボなんだもん!やるっきゃないよね!」


 立ち直っていつになく闘志を燃やす唯菜にポーチカのリーダーとして頼もしさを感じる一方で……


「私達なら何でも出来る。だから、やるよヒカリ!」


 心の距離がまた一歩縮まった呼び方で唯菜は明るい笑顔を見せる。

 彼女のそんな一面に気付かぬ内に惚れていた俺はそれに負けず劣らずの笑顔で……


「いこう、唯菜!」


 そう力強く彼女の名前を叫んだのであった。

 ポーチカの音響サポートを任されたジルは自分の持ち場へと移動しているとズボンのポケットに忍ばせたスマホから微細な振動が伝わり、手に取って通話相手からの報告を聞く。


「やぁ、幸香。そっちはどうだい?」

『無事に終わりました。ルーチェちゃんの圧勝で』


 それもその筈……いくらリアルで身体を動かしながらの体験型ゲームと言えども、そこにFPSの要素が色濃く反映されればFPSの鬼とも言える二人を相手に初心者が勝てる術はない。

 端からルーチェが一方的に蹂躙するべく巡らした罠であったことはチャンレンジャー側は知る由もないだろう。


「そっちはそっちで一段落ついたなら何よりだよ」

『はい。ですが、コラボの方には……』

「こっちには二人がいるから問題ないさ。そもそも、五人でのコラボは無理なようなものだと分かってはいたし」

『分かりました。それとジルに急ぎお伝えすることがありまして……』

 

 幸香の声のトーンからあまり良い話ではないと悟る。


『勝負の後、小春ちゃんの行方が分からなくなりました』

「…………え?」

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