百六十五幕 KIF/詩音と俊介⑬
「へ~、あれがヒカリさんのライブですか。香織さんに負けず劣らずの歌唱力には目を見張るものがありますね」
深く覆い被さったフードの下で少女は大きく口を緩め、強く彼女を傍らに置きたいと望んだ。
今し方まで行われていたポーチカのライブ。
これを観るためマネージャーと共に足を運んだ詩音は唇に手を当てて笑む。
「気に入った?」
「はい。ますます……」
「なら、良かった。今日の対決で勝てば彼女は晴れて僕たちの事務所のタレントになって、詩音の相棒になる。要らないと言われたら正直、困る所だった」
「でも、まだ気が早いんじゃないんですか?私が負けたら話はなかったことになりますよ」
「だから、詩音には勝ってほしい。僕は少なからずそう願っている……だが、今回の対決は詩音にとって彼女を手に入れる以外の目的を帯びている。彼女は勝ったあとのご褒美に過ぎないんだろ」
「伊達に長く私の専属マネージャーをしているだけはありますね」
俊介が詩音のマネージャーとなって約4年……ではあるものの、詩音の言う専属マネージャーという言葉にはもう一つ別の意味が隠されている。
「まぁ、詩音が赤ん坊の頃から面倒を看ているから」
二人の関係を言い表せば、詩音と俊介は従兄妹に当たる。
俊介の母は麗華の姉にあたるため、二人は幼少期の頃から顔馴染み。
もっとも、二人の年齢差は八つも離れている。
二人の母親は共に仕事が忙しいことから幼い頃の詩音は俊介宅に預けられることが暫しあった。
その際、俊介が詩音の面倒を看ることの方が多かったことから、ある意味では専属マネージャーとしての期間がその幼少期から続いていると言える。
「従兄妹同士というのも中々捨てたものじゃないんですね。私が今もこうして芸能活動をしていられるのはしゅん君のお母さん……樋口社長のお陰でもあります」
離婚した母と同じ事務所を忌避し、芸能界で行き場を失った詩音を拾ったのが俊介の母であり……詩音の所属する事務所の代表取締役を務める樋口秋香であった。
「母さんがあまりにも詩音を推す所為で僕が専属マネージャーをやらされてはいるんだけどね」
この歳になって再び詩音の子守りを押しつけられたと言わんばかりのニュアンスで文句を言う俊介に詩音は鋭い指摘を入れる。
「いやいや、大学時代に遊び惚けてばかりでまともに過ごさなかったしゅん君に問題があるのでは?」
俊介が母の会社でマネージャーをするようになった理由……それは主に怠惰な大学生活が大きく関わっていた。授業サボっては遊んで、単位を落として留年しかけ……就活する気を一切見せなかったことから大学三年の冬に俊介は母の怒りを買い、就職先を強制的に母の事務所に決めさせられて詩音のマネージャーを強いられたことが始まりであった。
「いいじゃないですか。しゅん君も結局のところ、お母さん同様にマネージャーとしての素質を秘めた二世なんですから、その才能を思う存分私のマネジメントで活用して下さい」
実際、俊介にはマネージャーとしての素質と言うべき才能が母と同様に備わっていた。
母親の逆鱗に触れて以降、怠惰な生活を改めて残りの学生生活すら詩音のマネジメントに捧げることにはなったものの、赤羽詩音というタレントの価値は飛躍的に向上した。
幼少期から詩音と深く関わり、人となりを心得ている俊介にとって詩音は仕事のし易いタレントである。その上、母と繋がりのある業界の人物と上手くやり取りを交わして仕事を入手することにも非常に長けていたこともマネジメントが上手くいった要因として挙がる。
大学で落とした単位もその要領の良さを発揮し、全て取り終えることで無事に卒業出来た。
卒業後は引き続き、母の事務所で詩音の専属マネージャーとして働き、アイドルとして専念する詩音の業務を傍らで支え続けている。
それと同時に家族同然の妹にも等しい従兄妹のことを深く気遣ってもいた。
「……詩音がSCARLETに対決を挑んだ理由は叔母さんなのだろう」
「分かっているなら聞かないで下さい。それにあの方はもう私の母ではありません」
「詩音、例え親子の縁が切れたとしても血の繋がりが切れた訳じゃない。詩音は麗華叔母さんの娘であることに変わりは……」
「止めて下さい」
俊介は思わず言葉を止めた。
「ライブ前にその話をされると……私は歌えなくなります。それは私にとっても、しゅん君にとっても良くないことでしょう。それに今の私はこうだから歌えるんです。その有り様を変えようとすればアイドルとしての赤羽詩音はそこで終わりを迎えます」
「……」
それ以上、何も言い返せなかった。
俊介も詩音が何を目標としてアイドルをしているのかよく分かっている。
その部分を指摘して改心させようとすれば赤羽詩音というアイドルが崩れてしまうことも充分に理解している。
「しゅん君や叔母さんが私を心配してくれることは嬉しいです。家族ですから当然だとは思ってもいますし有難みも感じています……ですが、仕事に私情を挟まないで下さい」
「持ち込むのはいいと?」
「……でなければ、私は歌えないですから」
フードの奥から垣間見えた瞳にはどこか哀愁の様な感情を帯びていた。
「しゅん君、私は先に戻っていますね」
少し一人にして欲しいと言われた気がした俊介は『気を付けて』と一声掛けて見送る。
その背が見えなくなり、上着のポケットから煙草を取り出すとライターで焚いて一服する。
「……」
橋の下では先程までのポーチカの見物人が散り散りに移動し始め、隙間なく埋まっていたステージ前の広場の床が少しずつ現れる。階段を占拠して観ていた者達も再び登る、午後から始まるイベントに向けてセントラル広場へ移動していく。
そんな中、俊介は階段を上がってくる一人の青年にふと目を向ける。
一旦は見て見ぬふりをするも、気付いた向こうから俊介の方に近付く。
「そこで観ていたんですか、先輩」
「ジル……」
ジルの言う先輩とはマネージャーとしての歴が長い俊介との関係で言っているのではなく、大学時代の先輩・後輩としての関係で語っている。その際に見せる口調で俊介は後輩と接する。
「詩音ちゃんと一緒ではないんですね」
「満足して戻って行ったよ」
「どうでした、ポーチカは?」
「いいんじゃないか。半年くらい前、グループのことであれこれ悩んでいた頃と比べれば……お前の手掛けているアイドル達は成長しているように思えた。ま、観るのは今日が初めてだけど」
マネージャーとしては歴が長い上に優秀なマネジメント能力を有する俊介はジルにとって業界の先輩にも当たる。何かとポーチカのプロデュース及びマネジメントで問題を抱えた際、飲みの席に俊介を誘ってジルは相談に乗ってもらっていた。
その当時、ジル自身が語っていた問題点や課題……それら諸々を知った上で初めてポーチカのライブを目にした俊介はそれらを全て一同に解決するきっかけとなった一つのピースに気付く。
「三ツ谷ヒカリ……彼女がキーメンバーだった訳だ。お前、どこで拾ったんだあの子?」
「駅前で偶然にも出会って声を掛けただけです」
「ナンパじゃん」
噓は言ってないと俊介は見抜く。
ジルは本当に彼女と偶然にも出会ってアイドルの道に引き込んだ。
以前、聞いた内容と全く同じであると結論付け……
「だからこそ、いいのか?グループの主軸とも言える人物を容易に手放すことになるかもしれないっていうのに。そうなれば振り出しに戻る所じゃ済まないだろ」
ポーチカにとって三ツ谷ヒカリの移籍・及び脱退は大きな損失と言っても差し支えない。その上、勝っても得られるメリットはほぼないに等しい。
SCARLETが負ければ大損、勝てば話は無かったことになるだけ。
俊介であれば決して首を縦に振らない内容である。
回答はジルも同じだと思っていたが……予想を外れてジルは承諾した。
その主な理由は……ジルが今、見せている目が物語っている。
「先輩には申し訳ないんですが、僕はSCARLETが勝つことを信じているので」
失礼だと分かっていながらもジルは数時間後の未来の結果を先に告げる。
「引き抜かれる心配はないと?」
「はい」
「……ま、だろうな」
再び口から煙を吐き出した俊介は冷静に認める。
「正直言って、今の詩音じゃ勝てない。そもそも、このままアイドルとして……タレントとして活動していけるのかすら怪しい。表面ではああやってクールに装ってはいるが、長くはもたないだろう」
「先輩が彼女を欲しているのはもしかして……」
「あぁ、お前と同じ理由だ。詩音の隣に立てる人物……それが三ツ谷ヒカリさんだと思っている」
己の考えを素直に明かす様子にジルは少し意外に思う。
「前に詩音はこう言った。彼女は私と同じで孤高を抱えている……って」
「孤高……ですか?」
「俺もお前と同じ反応だよ。彼女の歌を聞く限り、孤高なんて印象は感じなかった。だから、詩音の勘違いだと思っているが……こればっかりは本人にしか分からない何かがあるんだろう。同じアイドルであり、歌で自分の感情を表現するアーティストである詩音にしか分からない何かがな……」
じりじりと小さくなる煙草を最後にもう一服する。
「……じゃ、もう行くわ。この後も控えているからな」
火のついた煙草を消し、吸い殻を携帯灰皿に入れてしまうと話を切り上げてその場を後にする。
「喫煙……止めたんじゃないんですか?」
「悩んでいる時くらいたまには吸わせてくれよ。あと詩音には内緒な」
マネージャー業務を始めてから詩音に『健康第一』と注意された俊介は以降、詩音の前では吸うことを控えている。ジルが吸っていたことを詩音に明かす機会はないとは思うが……念の為に留意しておくよう伝えた俊介は「またな」と一言告げ、本会場付近にある運営ブースの方に戻っていった。