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百六十四幕 KIF/開幕・私と彼女⑫

「うぅ……凄い人……」


 汐留・新橋からお台場を繋ぐゆりかもめの車内は類を見えない人の数でごった返しになり、駅のホームもまた人で溢れかえっている。一緒に来た姉の姿も人混みに流されて一度は離れてしまう。

 出口に沿って動く人の流れに任せて某有名テレビ局本社側の歩道に降りた私はスマホではぐれた姉と連絡を取り、一足早く会場に着いていた姉と合流する。


「大丈夫だった渚?」

「人多過ぎだって……初心者がくる場所じゃない気がする」


 『KIFはアイドル初心者でも気軽に参加出来る良いイベントだよ』と自信気に語っていた姉の言葉と現実が嚙み合わないことに私は目くじらを立てる。

 

「最初だけだから大丈夫だって。ライブ会場は七つもあるから一箇所に人があんなにも集中するのは交通時くらいで、後は超絶人気アイドルグループくらいだけだから。ほら、私達の目的はここだから並ぶよ」


 姉に案内する形で本社ビル直ぐ横の駐車場らしき場所に特設ステージが用意されていた。

 既にそのステージで四人組の少女達がライブを披露しており、聞き慣れない音楽を奏でながら一心不乱に踊る少女達の前には百人程度のお客さんが詰めかけている。


 小さな囲いの中で少女達のパフォーマンスに合わせてダンスを真似てみたり、ジャンプするなどしてファンも一緒に盛り上がっているのが観ていて楽しそうだと感じた。


 普段は穏やかで大人しい姉もいざライブが始まるとあんな風に声を出したり、飛び跳ねたり、推しのカラーで光るサイリウムを振ったりするのだろうか……そんなことを思いながら私達は次に入る人達の列に並ぶ。


「それにしても意外だな~。まさか、渚がアイドルにハマるなんてね」

「まだハマってない。今日が初めてのライブだってお姉ちゃんも知ってるでしょ」

 

 私は姉の早とちりとも言える勘違いを正す。


「大丈夫。見たら渚も絶対にハマるから」

 

 何を根拠に言っているのだろうか。

 私は姉とは違って夢中になれるものがあまりない。


 高校生になって始めた演劇部での部活もそれなりに真剣に取り組んではいるものの、熱中している程ではなかった。せいぜい、部活の友人達と楽しみながらお芝居を作り、演じているだけ過ぎない。

 私にとっての部活とは夢中になるものではなく、女子高校生活を満喫するための単なるコミュニティの場でしかない。


 だから、私には姉の様にお金や時間、誰かと関わることに心血を注ぐことで幸福を得られるような物事に熱中した経験は少なからずない。


 そして、自分でもその何かを常に探して求めては……イマイチ踏み込めずにいた。

 

 触れても触れても……どうしてか、たった数回で飽きてしまって継続しない。

 姉の様にアイドルのライブにこれまで数回足を運んだことはある。

 その時は盛り上がったりもしたが、数時間経つとその気持ちは急激に冷め果ててしまい……振り出しに戻ってしまう。


 才能がないのだろう。

 自分には何かに熱中する素質が備わっていない。

 淡泊な人間だと私は自分にそう評価を下していた。


 しかし、それが少し変わる出来事が約一か月前に起こった……


「私があれだけSCARLETを薦めても全然興味持ってくれなかったのに、なんでポーチカは興味持ったの?」

「SCARLETの三人は……学校も同じだし。ゆずっちとはクラスも一緒だから推すに推せなくて」

「私からして見ればあの三人と同じ空気を吸えているだけでも羨ましいけどね。で、なんでポーチカに興味を持ったの?」

「……誘われたの。この間の文化祭で偶然にも三ツ谷ヒカリさんからライブに来てって……熱烈に」

「なにそれ!渚、いつの間に私の推しと仲良くなってんの!?」

「別に仲良くなってないって。ヒカリさんとは……まだ一回しか話せてないし……」


 出会いは偶然。

 教室に置きっぱなしの荷物を取りに、薄暗がりが落ちた校舎の階段を昇った先で死角から現れた黄色髪の少女とぶつかった。その直後、私よりも先に顔を挙げた彼女は名前を呼んだ。


 知り合いかと思い、慌てて顔を挙げるも……知らない顔がそこに映った。

 少なくとも初対面の筈……なのに、彼女は私を知っているような顔で名前を呼ぶ姿がどうにも深く印象的に映った。まるで向こうは私を知っていて、私は彼女を知らない。

 けれども、どこかで見覚えのある顔だと感じた。


 そう不思議な顔で見詰めていると彼女は直ぐに私の存在を姉から伝え聞いたと明かしてくれたことで、私自身も彼女への既視感の正体に気付いた。


 彼女が最近やたらと姉が熱心に追っているアイドルグループの三ツ谷ヒカリであると。


「お姉ちゃん、結構その子のこと好きでしょ?」

「まぁね。デビューしたのが夏前なんだけど、そのデビューが物凄く鮮烈的で凄かったんだよ。私も最初はポーチカなんてグループに全然興味がなかったんだけど、二曲目にその子が初めて登壇して歌い出した瞬間……空気が変わったの。ヒカリちゃんの気持ちというか熱い想いみたいのがたった一声で伝わってきて、気付けば夢中になってた」


 その時の話は前にも聞かされた。

 今年の七月あたりに開催された横浜でのイベントで姉が『運命的な出会いをしてきた!』と大喜びで語っていた。


「それからは渚も知っていると思うけど……定期公演に頻繫に通うようになって、追い続けるうちにより一層虜になって……今に至る」


 何故か誇らしげに語る姉。

 そんな姉の話を周囲で黙って聞いていたポーチカファンであろう人達も少し頷いたりして共感しているようだった。


「まぁ、ポーチカの良い所はヒカリちゃんだけじゃないけどね。リーダーの唯菜ちゃんはダンスが持ち味な努力家で愛想が良い明るい子。なんだかお友達に欲しいくらい!」


((うんうん))


「春ちゃんって子は控え目で大人しい性格で、あまり人と話すことに慣れていないんだけど一生懸命に目を見て話しを聞いてくれて、なんだか見てると守りたくなってさ~」


((うん、うん))


「グループの年長者で私と同い年の幸香ちゃんは私なんかよりも包容力があってみんなのお姉さんって感じ。それでいて物凄く礼儀正しくて清楚で大人っぽいから女性の私でもファンになっちゃう」


((うん、うん))


「そして、みんなの妹的な存在で慕われているルーチェちゃんは……言わずもがな、あの異国情緒を感じさせる美的ギャップから繰り出される毒舌な言動にはどうにもこう刺さるものがあって、少しちょっかいを出したくなるというか……怒らせてぷんすかしている所が個人的には可愛いんだよね。えへへ……」


((分かる!))


 先程から姉の推し語りに耳を傾け、深い共感を得ていることからポーチカの魅力が何となく分かった気がした。


 でも、私は姉や周りのファンの方達とは違い、ポーチカに興味があるというよりは三ツ谷ヒカリ個人にしか今の所は興味がない。今日、ここに来たのも彼女を見に来たのが動機の大半を占めている。


 それくらい、あの一夜の僅かな出来事は深く心に残った。


 特に三ツ谷ヒカリという少女の存在が何故だか……心の奥深くに大きく刻まれ、忘れられない。

 

 穏やかなクリーム色の髪に大きく丸く開かれた綺麗で真っ直ぐな瞳、月明かりに照らされて淡い輝きを放つ絹の様な透き通った柔肌……どこか神秘的で不思議な雰囲気を纏う彼女の存在がどうにも頭から離れない。時間が経つにつれて、それを再び会いたい想いが強まる。


 今度はステージで、彼女がアイドルとして活躍する姿を……


「お、前の方が終わったみたい」


 『ありがとうございました!』とファンに挨拶をして、笑顔でステージ裏へと帰って行った少女達を見守ったファンの人達と交代する形で応援スペースとして用意された囲いの中に続々と人が入る。

 

 姉の後に続いて徐々にステージの方に近付く。


「ステージから結構近い……」


 最前列ではないにしろ、ステージとの距離は多分2mもない。

 列数で見れば前から三列目ではあるものの、顔を挙げれば直ぐそこはステージに等しい。


 彼女がステージに立てば容易に気付ける範囲内……であることは間違いないのだが、次第に人の数が増していき、既にもう囲いの中には収まり切らない人が押し寄せていた。

 前で観ることを断念して、高さのある階段側に座って見物しようとする者もいる。


「意外と人いるね」

「うん。正直、私も驚いてる……今までの定期公演でこんなにもポーチカを観に来てる人いなかったから……」


 先程まで空いていたスペースがいつの間にか人で埋まり、周囲は駅のホーム波に溢れている。

 人数はざっと400人を超える……いや、それ以上増える見込みであるのは間違いない。


「ポーチカって結構人気のグループ?」

「うーん、話題に挙がってきてはいるくらいだと思ってたけど……これは予想外かな。多分、SCARLETだけじゃなくて、詩音ちゃんのファンもいるみたい……」

「詩音ちゃん?」

「ほら、応援隊を象徴する赤のロゴマークが入った法被を着ている人達がちらほら見れるでしょ。あの人達はソロアイドルで有名な赤羽詩音のファンの人達なの」

「それが何か関係あるの?」

「この後、SCARLETと詩音ちゃんが対決するらしくて……もしも、詩音ちゃんが勝ったらヒカリちゃんがそっちに移籍するって話が確約されているらしくて……」

「どゆこと?」

「うーん、私もよく分かっていないんだけど……一人のアイドルを賭けて二つのグループが勝負する。そして、そのアイドルはどちらにも所属していない別グループのアイドルで、詩音ちゃんが勝ったら二人でアイドルを始めるらしいんだよね」

「三ツ谷ヒカリさんはポーチカを辞める形で?」

「うん……らしいよ。多分、応援隊の人達は見定めに来たんだと思う。詩音ちゃんが欲するアイドルがどんなアイドルなのか」


 色々とツッコミ所が多い気もするが……もう、深く考えることに疲れた。

 三ツ谷ヒカリさんがどれくらい凄いのかも、あと数分もすれば分かること。

 今はただ彼女達のステージに想いを馳せるのみ。


 ようやく、会える。もう一度、彼女と……


「渚、はいこれ」


 姉は私に推しの名前が記載された特製団扇を手渡してくる。

 黙って見ることを良しとはさせないつもりなのだろうか……一先ず、それを受け取る。


「これ持ってれば気付いてもらえるかもよ」

 

 いくら近くともこれだけ大勢の人が集まっていれば群衆に紛れた私をピンポイントで探すのは難しいだろう。何かしらステージから客席にふと目を向ける様なアピールをしなければ、気付いてもらえない上にレスをしてもらえない……そうアドバイスを付け加えた先輩ファンの言葉に従う。


 でも……果たして、本当に気付いてもらえるだろうか。

 そもそも、彼女が私を見ても気付けるとは限らない。

 出会ったのはたった一回きりで話したことも僅か……もう忘れられているかもしれない。


 そんな不安が一瞬だけ私の心を落ち着かせなくさせる。

 それと同時に……ステージが始まる。


 ここに来る間に何度も聞いた音楽のイントロが流れると衣装を纏った五人のアイドルが目の前のステージに走って並ぶ。中央に立った栗色髪の少女……リーダーの白里唯菜さんは明るい笑顔で『皆さーん!私達、ポーチカのライブを観に来て頂きありがとうございます!短い時間ですが、楽しんでいきましょう!』と意気込みを伝え、場を盛大に盛り上げる。


 その中で私は彼女を追った。

 白里唯菜さんの横に並んで立ち、マイクを握り締めた黄色髪の少女。

 お互いに顔を見合い、視線を交わして小さく頷く。


 そして、約30秒の前奏後……彼女の歌い出しから曲が始まる。


 そこからビートは加速し、アップテンポでリズミカルな曲が熱い空気を生じさせる。

 私自身、ポーチカでかなりハマっている曲を耳にして思わず興奮してしまう。

 隣で観ている姉も人が変わったように手を挙げたりして盛り上がっている。

  

 周囲も色々と彼女達に声援を送ったり、身体でリズムを掴んで一緒に楽しんでいる。

 その中にいた私もそうしないといけない気持ちに駆られ、思わず団扇を持つ手を上下に振って乗っていた。

  

 それでいて彼女から一向に視線が外せない。

 距離が近いが故に一人に焦点を当てると他が目に移らなくなってしまう。

 けれども、外せない理由はたんに物理的な距離な話ではなく……彼女の一挙手一投足に目が追いかけてしまうからである。


 そして、次第に私は自分に振り向いて欲しいという気持ちが高まった。

 立ち位置は私の正面ではないから中々気付きにくいかもしれない。

 それでも、少しでもこっちを見て欲しい。


 そう強く想いを込めていると……


「……!」


 一瞬だけ目が合った。

 直ぐに目を逸らしてしまわれるも、自分の歌唱パートから少し外れたタイミングで再びこちらに軽く視線を送る。今度こそ、私の正体に気付いた様子で細く笑む。

 そして、どこか照れくさそうな顔をする彼女に私も嬉しくなってしまった。


 気付いてもらえた……。

 良かった。


 内心でホッと深く息を吐いてステージに再び集中する。

 サビに入る前のタイミング、前の二人が立ち位置を入れ替わると今度は正面に立った。

 目下にいる私の位置を完全に把握した彼女は再び一瞥して薄く笑み……横にいる少女と同時にマイクへ声を通す。

 

 その直後、私は風を感じた。

 大きな勢いのある風が深く心を突き抜ける。

 

 二人の折り重なった声が気持ちが良いくらいすっと耳に入り、目を奪われる。

 気付けば彼女だけを追うのではなく、全体を見ていた。

 

 最初はかなりバラバラな雰囲気で歌っていた彼女達がサビに入った途端……一体感を演出する。

 前の二人が迫力のある歌やダンスで曲全体の勢いを作っているのは一目瞭然。

 先程から息を吐くことを忘れてしまうくらい私の鼓動は高鳴っていた。

 

 彼女達を観ていると不思議と目が離せなくなり……観ているこっちもなんだか楽しくなる。


 それはひとえに彼女達自身もまたライブを通じて楽しんでいるからなのかもしれない。

 緊張を吹き飛ばすような笑顔に満ち溢れ、深い信頼と友情に結ばれた彼女達は自信に満ちたパフォーマンスを披露している。


 だから、観ているこっちも心が温まり、凄く安心できる気持ちになれる。

 

 そして、このグループで欠かせないのはやはり……彼女の存在であると確信した。


 初めて出会った時よりも激しく輝きを放つ彼女の存在感は歌を紡ぎ、華麗で且つ大胆な所作で舞うことでより一層強まっていく。


 可愛いだけじゃなくて、カッコイイ。


 言葉としては適当かどうかは分からない。

 でも、ステージ上の彼女を観ているとふとそんな感想を抱いてしまい……それが私は大好きであると感じるようになっていた。

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