百六十三幕 KIF/妹と友達⑪
ジルの部屋にて善男手製の夕食を三人で食べ終えた直後、ジルの下に一本の電話がかかる。
それに出たジルの反応から幸香と善男は話し相手が小春の動向を探っていた陽一だと分かる。
「了解した。気を付けて帰るよう二人には伝えておいて欲しい……ははっ、君もね。では、お疲れ様」
電話相手と快活に話すジルを見ていた善二人は結果報告を尋ねる。
「それで春ちゃんは問題ないの?」
「彼曰く、ルーチェがどうにかしたようだ。まぁ、現場ではルーチェが突然、春ちゃんと一緒に居た相手に対してペットボトルの水をかけるといった暴挙に出たせいで危うく騒ぎに発展するところだったと語っていたよ」
「ちなみに春ちゃんと一緒に居たという方は?」
「過去に春ちゃんをイジメていた人物で、今度のKIFにも参加する【FEBRUARY】のNONOという名義でアイドルをしている望月野乃という少女らしい」
ジルは陽一との電話で伝え聞いた話を少しばかり二人に共有する。
「詰まる所、ルーチェちゃんは春ちゃんを助けようとしたのね」
「怒って水をかけるあたり……昔の誰かとそっくりですね」
「似た者兄妹同士、血は争えないものね」
「……何の話だい?」
見当もつかない話を始める二人にジルは少し首をかしげる。
「覚えてないんですか?昔、綾華さんが同年代の子役さん達にジルと仲が良いって理由で色んな嫌がらせを受けていた際にジルが怒って彼女達にバケツで汲んだ水をおもいきりかけた話を」
「それって何年前の話だい?」
「まだ、お二人が中学生とかで……私が小学生の時ですよ」
「あったわね。そんなこと」
幸香にそう言われてジルは記憶を遡ってみるも全く該当部分が思い出せない。
そもそも、自分が女性に対して水をぶっかけるという行為が想像出来ない。
「ジルってば意外にも昔はヤンチャしてましたからね。特に私達のジュニア部門での公演でよく監督を務めていた綾華さんのお父さんとは色々とありましたからね……」
「えぇ、大人構わずに言いたいことをドンドン言っていく上に、何度か手を出そうとしたくらい暴れていたもの。ルーチェちゃんの方がまだ理知的で大人しくて可愛いわ」
「止してくれ。そんな昔の話は……」
ジルにとってのその時代はあまりにも黒歴史に等しく、記憶の奥底に封印すべき忌まわしき数々の思い出である。出来ればもう二度と触れたもないし、触れられたくない。
だが、幸香や善男の言う自分の行いはまごうことなき事実。
時折、血が昇って手が付けられなくなるくらいキレてしまうのは自分の悪い癖だとジルは自負している。だから、こうして自分を『俺』と表現するのではなく、穏やかな印象を与える『僕』と表することで自ら牙を削ぎ、丸くなるに至っている。
「何はともあれ、KIFが始まる前に解決して何よりだよ」
「それにしてもルーチェちゃんが春ちゃんのためにそこまでして怒るのは少し意外かもしれません」
「まぁ、春ちゃんはルーチェの初めての友達だ。僕たちとは違って唯一あの子が対等であると思える子が春ちゃんなんだ……だからこそ、大切にしたいと思っているんだろうね」
ルーチェにとって善男は叔父にあたる家族であり、幸香は幼少期の頃からよく知っている昔馴染みのお姉さんにあたる。
二人とは友人の様な関係で親しく接している。
だが、基本的に二人と日常で遊ぶことは殆どない。
特にジルと関わりの深い人物達と交流はあるものの、それが個人的に深く発展することはない。
親しい関係を構築しながらもどこかで一線を画し、線から先に踏み込めないでいる。
詰まる所、ルーチェにとっての友人とは……その線が越えられるかどうかによる。
そして、小春と知り合う以前のルーチェに友人と呼べる人物は一人も存在しなかった。
幼少期の頃から女優として、役者として活動していた母の傍を片時も離れずに過ごしていたこともあってか母や兄のジルと関わりのある者達との交流はあった。舞台稽古場に現れる妹として可愛がられて過ごしていたこともあってか、年上との関わりには抵抗がなかった。
しかし、小学生になったタイミングで学校に通い始めるも……教室の場では特徴的な容姿をしていることが原因で周囲から疎まれ、孤立する日々を耐え続け過ごしていた。
ルーチェ自身も友人を作ろうと頑張って小学生の頃は数人と学校内で限定での関わりではあったものの、どうにか孤独を感じずに過ごせてはいた。
だが、やはりその子達を心の底から友人とは言えなかったのだろう。
放課後は常に母や兄のいる稽古場に顔を出し、そこでゲームをするなりして一人で居続けることの方が多かった。
そして、小学校を卒業する前の時に母が他界。
それを機に学校には行かなくなり、中学校も籍は置いているだけでまともには通ってない。
一か月に数回、保健室登校でどうにか卒業まで至った。
その間、ルーチェは自室に籠りっきりになり、ゲーム三昧の生活を送る日々を過ごしていた。
保護者兼兄としての立場であるジルもルーチェの傷心を気遣い、下手に口出しはしなかった。
時が二年近く経ち、ルーチェも次第に落ち着くようになった。
既にその頃には引きこもりゲーマーとしての格が完全に出来上がっていた。
性格や言動も横暴になり、昔の様に自分を『お兄ちゃん』と慕ってくれた可愛い妹の姿は見る影もなく消え去り……口を開けば暴言の嵐、兄を使い魔の様に扱き使い、ジルを兄とは思わぬような呼び方で話す様に変わり果ててしまっていた。
手がつけられないと諦め、代わりにルーチェが引きこもっている間に立ち上げた事務所でアイドルをプロデュースする業務の大きな壁に当たっていたある日……ルーチェが今度、ゲーム内で知り合った人物とオフ会を開く計画を善男の口から聞き及んだ。
ルーチェからも兄には知られないよう口止めしていたのだろう。
優しい善男は甥っ子を尊重して許可したのだが、後々になって心配でジルに相談した。
それを聞いた際、ジルは当初ルーチェを行かせないつもりでいた。
ゲーム内で会ったこともない人物と仲良くなってリアルで会う。男女とも分かるぬ性別の人物と二人で会うことに全くの危機感がない。
まともに学校に通っていなかったが故にルーチェは学が足りないとジルは判断していた。
もっともルーチェは馬鹿ではない。学力で言えば、地頭が良いことから少し勉強すれば並大抵以上の知識を得られる天才肌。
しかし、母が亡くなって以降、ロクに人と関わらずにネットゲームにのめり込んでいた廃人。
そんな妹にネットモラルを一から叩き込む必要があるとして止めようよも考えた。だが、ジルに対して反抗的な態度しか取らない妹が言った所で止まらないのも分かっていた。
だから敢えて、ルーチェとその見知らぬ人ネットゲーム仲間の人物とリアルで会わせることで現実というものを如何なるものか身をもって教え込もうとして行かせた。
もしものことを踏まえ、ジルは当日にルーチェのあとをつけて行動を監視していた。そこで出会った人間が変な男であった場合、即時に介入してゲーム内での付き合い方をその場で改めさせようとしていたものの……ジルの思惑を外れてそこには、妹と同年代の少女が現れた。
穏やかな印象を帯びた一つ年上の女子高校生。
その子が始め、ルーチェとあの殺伐としたゲームをしている凄腕のプレイヤーだとは決して思えなかった。だが『KOHARU』というプレイヤーネームが本名と同じであるからして、本人であることは間違いないようであった。
ルーチェもチャットでしかやり取りがなく、声を交わしての会話がその時が初めましてだったこともあってか出会った時はジル以上に驚いていた。
そして、かれこれ二時間近くゲームの話題で楽しそうに話し込んでいた。
自分が年下だと言うにもかかわらず、敬語の一つも使わずにゲーム内みたくずけずけと親しく話す妹に礼儀作法を仕込む必要があると捉えるも……自分や善男、幸香以外にルーチェが心を開いて話している様子に兄として嬉しい側面があった。
ルーチェにとっても目の前で話す相手は初めての友人に等しいと思える相手であり、自分と仲良くしてもらえる同年代という存在を前にして見たことのない笑顔で話す様子に不思議と物凄く安堵した。
母が亡くなって、心の拠り所を失ったルーチェが一人部屋に籠ってゲームをしているだけの日々がもう終わったのだと……その光景からルーチェの兄としてジルは深く安心して、その場を去った。
「ルーチェにとっての春ちゃんはかけがえのない大切な友人。だからこそ、目の前で傷つけられているのを見て我慢ならなかったんだろうね」
大事だと思える者が少ないが故にルーチェはそれを強く手堅く大切にしたい。
小春をアイドルに誘ったのもその絆をゲーム以外……特に小春とリアルで継続して会える場を欲してのこと。
決して自分の口からその心情を明かしたりはしない。
むしろ、兄に伝わらないよう敢えて『小春をポーチカに入れるから私のアイドルの件はなかったことにして』と小春を加入させることは認めてもらえるが、自分がアイドルをしなくていいという選択から逃れられないことは分かっていながらもそう遠回しに分かり辛く『小春とアイドルをしたい』と表現する。
本当に面倒な妹になってしまったとジルは少しばかり後悔を覚えたものの、妹の望み通り小春の説得に努めてポーチカに加入させた。
そのことに本人から決して感謝の言葉は受けない。
『可愛い子が二人も入ったんだから万々歳でしょ』と言わんばかりの顔でルーチェと春はポーチカの輪に加わった。ジルもそれはそれで良しとし……苦労の甲斐があったと認めた。
妹だけではなくもう一人の友人もまた……妹との関わりを通じて前向きになれてきている。
自分の苦労一つが色々なことに影響を与え、順行をもたらしている。
そして、その次に苦労して得たピースでポーチカは大きく動きだし、グループとして成長している。
これによってジルの見立てよりも遥かに早くこのステージに立てる機会が生まれた
それをものにする準備も彼女達の成長と並行してジルも進めてきた。
「さて、今週末からKIFが始まる。残り期間はあと三日、二人共本番までの仕上げを頼むよ」
「勿論」
「分かりました」
関東アイドルフェスティバル。
他のグループと比較すればポーチカは圧倒的に用意されている出番は少なく午前中で見せ場はほぼ終了する。
しかし、今年は例年とは違った異色のイベントを二日目に数多く用意されている。
その中で彼女達がたった数回だけで人前に出て終わる……とは、ジルは微塵も思っていない。
むしろ、これを機に一つ先の未来に繋げることを画策していた。